二人のおでかけ。
二人の遠出の道行きは
土曜日。いつもなら駅前の本屋に行くくらいが関の山だが、今日はちょっと遠出をするために駅前で待ち合わせだ。
蒔崎と……デート。
一瞬脳内に過ぎった言葉を、頭をぶんぶん振り回して振り払う。落ち着け俺。昨日あからさまに否定されたじゃないか。下らない望みを浮かべて蒔崎の機嫌を損ねてどうする俺。深く深呼吸を一回、二回、三回。
「……何やってんのあんた」
唐突に現れた蒔崎からテンションの低い突っ込みを食らった。
「いや、別に何でも……。へぇ、私服はそんな感じなんだな。けっこうかっこ」
「そーいうの別に良いから。行くよ、早く電車乗らないと試合に間に合わないし」
……はい。服を褒めようとした言葉を流され、彼女の声に応えたそんな小さな返事さえ聞く間もなく、彼女はスタスタと改札の方へ歩き出す。単におこぼれにあずかっている身とは言え、扱い酷過ぎねえ? などと思いつつも、慌てて彼女の後ろに付いていった。
公園の
古参ファンであるお父さんに連れられて、彼女は小さな頃から度々女子プロレスの試合を見に行き、刷り込まれるようにファンになったんだそうだ。今では彼女自身にも贔屓の女子プロレス団体があり、お父さんの見たい団体と試合日が近いときはどちらが見に行くかでディベートをやったりするらしい。
今回は近い日に近場での試合も無いとのことで、特に問題無く蒔崎の推す団体の試合を見に行くことになり、お父さんが二人分のチケットを取ったのだが……。
「急にお父さんが仕事で行けないって言ってさあ……チケットもったいないし、友達誘って行けって」
それで学校の友達を誘おうとしたらしいが……なるほど。
「女子プロレスの話を振って、友達に引かれるのが怖いと。それで今日は教室であんなにキョドってたのか」
「キョドってないわ!」
バシッ、尻にいい音の蹴りを入れられる。音ほどでは無いがかなり痛い。どうやら図星だったようだ。
「それで、よ。武井、あんた興味ない? 友達だったらアレだけど、あんただったら連れてってあげる。どうせお父さんが買ったやつだからチケット代出せとか言わないし」
女子プロレスのことなんて一切分からない。が、タダでそういう試合が見られて、多分こっちが聞かなくても蒔崎が色々解説してくれそうで、そして何より――
学校とは違う蒔崎の姿を見られる。それも、すぐ隣で。
「オッケー、連れてってくれよな」
「何その頼りない返事ー」
俺を鼻で笑うような笑顔ではあるが、隠そうとする嬉しさがあふれかけているように見えた。
そして今。隣市に向かう電車の中で、隣にいる蒔崎の仏頂面の奥からは、先日と同じ嬉しさがあふれ出しそうになっている。試合が楽しみで仕方ないんだろう。彼女が怪しいオーラでも出しているんだろうか、車輌の中でも俺達の周囲は若干空いているように思える。
こんなに可愛いのに。
そんなことを思ってしまう。意識して視線を逸らそうとしても、いつの間にか視線は隣の女子に向いてしまうのを止められない。
ブルーのジャージにデニムのショートパンツ、足下はスニーカー。彼女が俺に指定してきた「動きやすい格好」というのを自分でも実践している。けど、気になることがひとつ。
「あのさ」
「何よ」
「……なんでニット帽なの? 暑いんじゃね?」
そろそろ日差しも夏が近付きつつあることを知らせている。こんな季節に大きなニット帽を目深に被るなんて、頭に熱がこもって酷いことになりそうだ。
「何言ってんのよ。これはサマーニット、そんなに暑くないって」
「それでも被らない方が涼しいだろ?」
「……クラスのみんなとかに見られたら、嫌じゃん」
それか。確かに俺等が一緒に出かけてるところを見つかったら、また月曜から色々と言われるネタが増えそうだ。蒔崎自身のつもりはともかく、見た目は完全にデートだし。
「けどさ。もう電車に乗ってるんだから、もう人目とか気にしなくて良いんじゃね?」
「そうかな……」
おずおずと帽子を脱ぐ彼女。その横顔を、俺はまじまじと見つめる。
「……何よ」
「いや、帽子被ってても脱いでも可愛いなって」
「うっさい。キモい。黙ってろ」
ぶん、と振り回した帽子の一撃を俺の顔面に一発食らわせ、彼女はそのままその帽子を膝抱えのリュックに押し込んでそっぽを向いた。
「だからそんなに急がなくていいだろ。試合開始までまだ時間あるんだし」
「黙ってついて来るの! もしかしたらリングの設営見られるかも知れないし」
試合会場の最寄り駅で電車を降り改札を抜けた時点で、蒔崎のスイッチは完全に入ってしまっていた。滾りきった彼女の声を聞きながら、後に続く俺は小走りで付いて行くしかないくらいのスピードでガンガン進んでいく。それでも駆け出さないあたり、まだ彼女の中でもギリギリのところでテンションは抑えているんだうか。
スタスタと脚を運ぶ蒔崎の先に、大きな建物が見えた。市民会館らしい。それが目に入った瞬間、蒔崎の足取りがさらに速くなる。どうやらあそこが今回の目的地、試合会場のようだ。彼女の鼻息が荒く、ぷすんぷすんと聞こえてくる。もうちょっと衆目を気にして欲しいと思うが、もうブレーキは壊れてしまっているようだ。
会館の玄関を入り、エントランスホールへ。そこで蒔崎がビタリと動きを止める。
「蒔崎? どうした、会場は、えーっと……あっちだろ? 早めに入りたかったんじゃなかったのか?」
俺が促しても、彼女はぴくりとも動かない。その視線の先には……プロレスの物販コーナーがあった。
こないだ話題に上がった、タオルも売られている。
「……うう……うう……。」
物販を遠目に見ながら、蒔崎は何だか泣きそうになっている。何、この状況。
「あのさ……、欲しいんだったら買ってきたら?」
俺が勧めてみても、首をぶんぶん横に振る彼女。
「……ダメダメダメダメ! ここで買っちゃったら帰りまで何も食べられないし!」
「いつもは食ってるの?」
「試合の後っておなか減るから。けどポスターとタオル買っちゃったらお小遣いほとんど無くなっちゃって電車代も残るかどうか……」
「メシくらいならおごるけど?」
「……へ?」
あっさり応える俺に、きょとん、と彼女は俺の顔を見る。
「いや、チケット代は出して貰ってるんだからさ、お礼にどっか寄って食事代出すくらいは礼儀だと思うし。けど、あんまり高望みするなよ? ハンバーガーくらいなら何とかなるけど」
彼女はおずおずと自分の財布を覗き込み、俺の顔色を少し伺って――
「ちょっと買ってくる!」
弾けるように、物販コーナーへ飛び出して行った。
先ほどの発言通りポスターとタオルを抱えてホクホク顔の蒔崎とともに会場内に入る。その瞬間から、彼女の発する熱が別のものに変わった。
顔を見なくても分かる。明らかに、滾っている。買い物を終えることでいったん落ち着いた気持ちが、プロレスリングを見ることで再燃しているようだ。……だが。
……リングが無い。
「なあ蒔崎……」
「ん? 何?」
うわの空かと思いきや、声を掛ければ返事は返って来る。前後不覚というわけでは無さそうだ。
「あのさ……リング、どこにあるの?」
「あるじゃん、目の前に」
彼女が拳を固めて鼻息荒く見つめるものは、ホールの中央に組まれた……厚手のマット。
「え、えーっと……。思ってるのとだいぶ違うんだけど……」
俺がひと言感想を言った瞬間。
ギラン。蒔崎の目が輝いたのを見て、俺は地雷を踏んでしまったことを理解した。
「うんうん、やっぱ初心者だとびっくりするよねー、テレビで見るみたいなリングじゃないし。これは遠征プロレス用の簡易リングなの。ほんとのリングだと金属の支柱組んで板張りにしてシート張ってロープ張って、ってけっこう手間なんだけどね。この簡易リングは低反発マットとウレタンマットを組み合わせてて、設営の手間も時間も段違いに短くなるのよ」
おい、ちょっと。
「まあそうなるとロープワークは出来ないわけだしちょっとスピード感に欠ける部分もあって、あとポールも無いから代わりに折りたたみ椅子を建ててあって、それでも高さが足りないし不安定だから空中戦もちょっと迫力は落ちるんだけど、でもねでもね! マットが低いぶん客席からリングが近いの!」
いいからちょっと止まれ。
「選手の汗とか息づかいとかめっちゃ見えるし聞こえるし、近いせいで選手によっては通常リングよりスピード感感じたりするし! ロープが邪魔になんないから全身いっぱいに見えるし! ラリアットとかバチーン!って音聞こえるんだよ!? 中には私達と同じ中学生とか、小学生のレスラーもいるのに、ほんとすごいよ!? あーーー試合まだ始まんないのかなあーー滾るーーー!!」
そんな熱の入った叫びが呼び寄せたかのように、試合開始のアナウンスが鳴り響いた。
読み違えた。
確かに凄い。最前列というわけでもないのに熱気が伝わる。素早い動きで小さなリング上を走り回り、体をぶつけ合う選手達の迫力は想像以上に驚かされる。「水着みたいな衣装だな」とかちょっとエロいことを考えていた自分が恥ずかしくなる。さらにはマウントポジションで組み敷かれた選手が、馬乗りになった選手の絞め技に必死の抵抗を試みている。かと思えば一瞬で攻防が入れ替わり、押さえつけられていた選手が今度は相手選手をがっちりと押さえ込んだ。片時も目が離せないというのはこういうことを言うのか、
けど、読み違えたのはそこじゃなかった。
「うおおおおおおおお!!! さくらちゃーーーん!!!」
試合前にMAXまで上がってしまったと思っていた蒔崎のテンションには、さらに上があったようだ。
「ありさちゃーん! 頑張ってーー!!」
「どすこーーい!! どすこーーい!!」
「ワーン、ツー-、スリーーーー!! きゃーーーーー!!!!」
隣に俺がいることなんて忘れてるんだろう、ほとんどまばたきもせずにリング上を凝視し、試合の要所要所で絶叫を上げ、最後はレフェリーと一緒になってカウントを取り。
選手のマイクパフォーマンスにも的確に相槌を打ち。
終始ハイテンションのまま、蒔崎の視線がリングや選手から一度も外れることなく、試合は終了していった。
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