祓え稼業の道行きは

 空気が重い。

 この部屋――社会科準備室を部室として使うようになってから数週間経つが、他の部員が「姿を見られたくない」とドアも窓も閉じたまま部活時間を過ごしている。おかげで未だにホコリっぽさが抜け切らない。

 そして、部活としてやることも無いわけで。

 そもそも、この部活は他の部員――蒔崎と、そして俺が校外で行うとある活動の隠れ蓑にするためにゴリ押しで作ったような部活だ。「郷土史研究部」なんて銘打ってはいるが、郷土史に興味がある人間は顧問を含めて誰もいない。敢えて言えばもう一人(?)の関係者が「郷土史そのもの」ではあるんだが……。

 結局、この時間を利用して宿題を済ませてしまうのが日々の活動のようになっている。おかげで勉強がはかどって有り難いことだ。そんなことを考えていると、ガラリ、と入り口ドアが開いた。

「おー、やってるな少年少女」

「やってるなって言われるほど何かやることがあるわけじゃ無いですけどね」

 顧問の「アイちゃん」こと北里藍先生である。クールな大人の女性という雰囲気で男子生徒にファンが多いが、やむにやまれぬ事情で無理矢理この部の顧問を任された、恐らくこの場では一番の被害者だ。あまりの退屈さに俺は皮肉を返す。

「いやいや、勉学に励むのは立派な事だ。私はそういうのは嫌いだったからな」

「それで厨二妄想してたんですね」

 先生の余裕の笑みが、隣にいる蒔崎のひと言で一瞬にして凍り付いた。

「蒔崎? お前は何を言って……」

「先生には関係ないですー」

「何を貴様、教師に向かって偉そうに……」

 藍ちゃん先生は怒りにワナワナと震え始めた。

 普段は寡黙で凜とした王子様で通っている蒔崎。クールビューティーとして学内男子に名を馳せる藍ちゃん先生。この二人が普段ひた隠しにする地のキャラクターをここまでさらけ出せるのは、互いの秘密を共有している関係だから……とも言える。その秘密は……そんなことを考えていると。


 とんとん、と窓を柔らかく叩く音が聞こえてきた。

 窓の方に目をやると、閉ざされた窓の外側に一匹の三毛猫が貼り付いていた。

 いがみ合う二人はそのままに、とりあえず窓を開けてその顔見知りの三毛猫を部屋に通す。

「どうした初瀬、外は寒いか?」

 俺は、その猫――初瀬に話しかける。

「せやねえ。何の具合か知らんけど、今日はやたらと風が冷たいわ。そろそろ夏も近いいうのになあ」

 その猫は、至極当然の素振りで、言葉を返してきた。

「しかし、あんた等も仲のええことで。そんなに打ち解ける身内が出来たんは……ええこっちゃ」

「うっさい! 誰のせいよ誰の!」

「私だって普通の状況ならこいつ等とは生徒として普通に接するさ! だがこれだけ苛立たされているのはお前のせいだお前の!」

 息を合わせて反論する二人。確かに仲が良い。だが……。

「おいおい、良いのか皆? 猫と喋ってる生徒なんて噂が立ったら学校中にイタい奴だって噂立てられるんじゃねえの?」

 俺の言葉に、はぁ、と蒔崎が溜息をついた。

「その辺はまあ……大丈夫。こないだ初瀬に言われて人払いの結界張っといたから」

「何!? 私は聞いてないぞ!?」

 先生に同意。いつの間に何やらかしてんだ!?

「初瀬、何やらかしたんだよ!?」

「んん、別に大した結界やあらへんよ。人が中に入ったかて無害。ただ、霊力の弱い子が中におったらちょっと腰の座りが悪うなる程度のもんや。戦闘の時に使うほどのもんやないて」

 ああ……そういうことか。まあ気にはなってたんだ、教室の前で蒔崎目当てにタムロってる下級生女子が、一転して部室の方にはいっこうに現れないのが。

「ああそう、そんなことより。ちょっと校外活動してくれへん?」

「……えー……」

 初瀬のひと言に、蒔崎が露骨に嫌そうな顔をする。

「何だ、魔法少女の役割を果たさないというのか? そんなことでは契約期間が……」

「祓え巫女ですっ!! 分かりました行きますよっ!!」

 アイちゃん先生が仕返しのように弄ろうとしてくるのを振り払うように、蒔崎は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「頑張って来いよー」

 そう生ぬるい言葉をかける先生に対して、俺は言葉を返す。

「あのー先生? 校外活動を先生が引率しなくてどうするんですか」

「……え?」

 アイちゃんの顔色が変わる。

 当然の帰結として。しゃべる猫・初瀬の案内のもと、蒔崎、俺、そして引率のアイちゃん先生が後に続き。

 参加メンバーの半数がだらけ切っている一行は、学校を後にした。


 走ればけっこう速いが、ぶらぶら歩くと猫の歩みはけっこう遅い。そんな道案内の後ろを俺たちはダラダラとついて行く。

 住宅地の中を突っ切る道を歩いているが、時間が中途半端なせいか通行人はいない。下校中だったり遊んでいる小学生くらいいても良いもんだと思うが、このあたりの地域は避けられているんだろうか。そんなことを考えながら、改めて自分の周囲に目をやる。

 はっきり言って、空気は悪い。それはこれから蒔崎が行う努めへの不快感であり、それを目撃しなければならない先生が感じる心の古傷の痛みであり、その八つ当たりが想定される俺の不安である。もしかするとこの先に待ち受ける「何か」が発する邪気が人を拒み、俺達の

 けど、クラスで蒔崎の様子を見ていた俺は、今日の彼女には他にも何か思い悩むことがあるんじゃないか、そんな想像をしていた。さすがに友達だのと言うつもりは無いがクラスメイトだしそれに同じ部活の部員なんだし、多少なりとも悩みをぶちまけるくらいのことはして欲しいと思う。……あまりに溜め込んで爆発されても困るし。

 とは言え……どう聞いたもんか。これから嫌な思いをしようというところで、気を削ぐような話を死してまうのも気が引ける。少なくとも目的を果たすまでは、どうでもいい雑談で気を紛らわせるのが良い。そう思う。

「えーと……さ」

「ぁん? 何よ」

 不機嫌な視線が刺さるが、めげずに言葉を繋いでいく。

「今まで聞いてなかったんだけど……魔法少女の」

「祓え巫女」

 訂正いただきました。

「あ……うん。その祓え巫女のさ、条件として叶えてもらう願い事って何なのかなあって思って」

 俺の言葉に蒔崎は……ぴたりと足を止めた。

「……あの……どうした?」

 俺の言葉に、彼女はふるふると細かく体を震わせながら、か細い声でひとこと、発した。

「……お小遣いアップ。」

 恥ずかしそうにつぶやくその姿を見て、不意に可愛いと思ってしまう。

「何よ。どーせつまんないお願いだとか思ってんでしょ!? これでもけっこう切実なのよ!? お小遣いからスマホのパケ代引かれてるんだから!」

「いや、そんなこと無い! 絶対そんなこと思ってないって! ただ……」

「ただ……何?」

「なんか……その願い事叶えるの、大変なんだろうなって」

 蒔崎の眉間に、深いしわがみるみる刻まれていく。

「ちょっと何でよ。なんでそんなことがわかるのよ」

「いや、まあ何となくではあるんだけど……」

 俺の曖昧な受け答えに、先頭を行く猫が割って入る。

「何や、武井君は変なところで鋭いわなあ」

「はぁ? 初瀬、こいつの言ってることが正しいっていうの?」

「正しいも何も武井君は『大変なんやろな』としか言うてへんけどな。まあ、うちが出来るのんは運命をちょこっと操るくらいのことやし、彼の言うとおり大変なんは確かやで」

「……どういうことよ」

 はう、と人間くさいため息を吐き、初瀬は言葉を繋ぐ。

「チカちゃん、まずお小遣いを上げるには何が必要でそこに運命がどう関わるかを考えてみなあかんで」

「お小遣いの運命って……ママっ……母さんの機嫌でしょ?」

「それだけやないよ。チカちゃんのお母さんは収入から家に掛かる食費やの何やのを引いて、残りからチカちゃんのお小遣いを決めてるんやろ? そこに運命の組み込む余地は無いて」

「なるほど。それじゃ蒔崎の家の収入が上がらないといけないわけだ」

 横から口を出した俺に初瀬が微笑む。

「武井君はそういうとこで頭が切れるなあ。確かに必要なんはチカちゃんの家の、つまりはお父さんの稼ぎを上げるしか無いんやね。そうなると運命を操る相手は……お父さんの会社でお父さんの給料を決める人、いうことになるなあ」

 随分現代の俗なことにも精通している神様の眷属だ。そして一方、自分の願い事を叶える手間の大きさに愕然としている人間がいた。

「そんな大事なんて聞いてないよ……。んじゃもっと簡単な方法教えてくれても良かったじゃん!」

「まあ簡単な方法と言えば……道端で百万円拾う、とかの方が大分と簡単やったと思うわ。段階踏まんで良さそうやしな」

 ふふん、と鼻で笑う三毛猫に、怒りと絶望であまり人様には、特に学校の後輩女子には見せられない表情の蒔崎が迫る……その光景を盛大に邪魔したのは。

「おーい蒔崎、そんなことやってる場合か? ぼちぼち現場到着だと思うぞ。何だか肌にチクチク刺さる気を感じる」

 初瀬が表情を引き締めて仁王立ちしているあたり、ここが目標地点であることは間違いなさそうだ。

 俺も一行が作る横隊に並んでみる。どうでも良さげなアイちゃん先生、比較的緩やかな表情を見せる初瀬、そして……不機嫌の底を打ったような、泥のようにも見える表情を浮かべる蒔崎の隣に。

 俺の『軽い雑談で気を紛らわせよう』という小さな企みは、見事なまでの失敗に終わった。

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