出会い

第1話 少女とクマ

 深い森を一人の少年が歩いている。

 頑丈な厚い生地のズボンに薄い長袖のシャツ。

 左の腰に大きな刃物と小さな刃物、反対の腰に小さめの鞄をくくっただけの軽装。


 鞄の中には蜜の入ったカートリッジが少しと包帯などのわずかな備品のみ。

 蜜とは、各地に点在する樹脈炉と呼ばれる世界樹のエネルギーが凝縮された池のような場所から汲むことのできる様々な用途に使える液体燃料である。

 通常、蜜は無色透明な液体なのだが別の色に染まることもあり、少年の持っている蜜も紅蜜と呼ばれる亜種の一つだ。


 この少年の名前はミロク。彼は旅人なのだがその軽装は、近場の森にキャンプしに来た少年にか見えなかった。

 ある事情から故郷を離れ、行き先の決まっていない放浪の旅をしている。


 無駄に大きい木々の中をさまよい始めてどれくらいたったのか。

 ミロクは故郷では見ることのなかった燦々と輝く太陽を見ながらずっとそのことを考えていた。彼はある体質により汗をかかない、だが疲労が溜まる。


 道もわからない。必要ないが飯もない。苛立ちだけがミロクの中で高まっていく。

 その時、ガサガサと風ではなく何かが木を揺らした音に気づく。次いで太い枝の折れる音。そして砂糖を煮詰めたような甘い匂い。何かがいる。


「っ」

 反射的にミロクは近くの木の根元へ転がり、姿勢を低くできる限り小さくなる。

 ふーっと大きく息を吐きだし急なことにはやる心臓を落ち着けようとする。


(今のなんだろ、狩りやすいやつなら肉食いたいかもなあ)


 茂みの向こうを想像するミロク。甘い匂いは蜜を食べた動物特有の物だ。大型の獣ならば気づかれるだけで命が危ない。それをここまでの旅路で彼は何度も味わってきた。


 前方のヤブを見たまま腰を探り、ナイフを確認する。

 男の手のひら三つ縦につなげたサイズの、ナイフにしては大振りで剣というにはやや小ぶりなそれは、柄の中に小さなスペースが有り、紅蜜のカートリッジがはめ込めるようになっている。


 赤色に変色した世界樹の蜜、紅蜜は通常の蜜とは異なり発熱作用を持っている。

 そんな紅蜜を柄に入れスイッチを入れると蜜が刃に廻り、対象物を僅かな力で焼き切ることができる。便利な刃物になるのだ。


 現在ミロクの手持ちにあるカートリッジは20。

 一本のカートリッジを塗料として連続使用すると約1日ほどの持続時間が有る。

 しかし簡単に補充のきくものではなく節約するに越したことはない。


 少し悩むというには長い時間が過ぎても、前のヤブからは何も出てくる気配がない。

だが何かが動く重い音はまだ近い。鼻に届く甘ったるい不愉快な匂いも強く感じられる。


 意を決しミロクは足音を立てずゆっくりとゆっくりと枝を避け進み、そうっと視線を通す。

 そこは広場のようになっており、音を出していたのは頭部から尻までが6mを超える大型の獣。熊だ。


 その見た目は普通の熊に近い緑の毛に覆われているが元の4足に加え、肩の後ろ辺りから、長い毛の代わりに骨のように青白く硬質化した腕が左右一対生えている。


 それは俗にトランスと呼ばれる蜜の過剰摂取による軽度な変化で、元の獣が樹脈炉の影響で後付けの肉体的変質を加えられた物だった。


(やっぱ化物かよ……ってことは炉も近いのか)


 こうした蜜の影響を受けた獣はそれまでも蜜を必要以上に飲んで生きて来た者たちだ。それが悪化し炉に満ちた蜜を口にすることのみが思考の絶対的優先事項に固定される。


 だからもし普通の人が蜜を欲しているならば、穏便に獣にばれずに後ろをつけることで、炉の場所まで案内させることが可能であり、蜜を手に入れるということが難しいことではなくなる。


 だがミロクは使う分の蜜が足りているし、動物は好きなので争うこともしたくない。だから今やることは黙って息を潜めるだけ。そう刺激をしなければ良いだけだった。


 バギッパキッ


 静かな森に枝の折れるような音が鳴る。

 音は一回ではなく複数回。しかも一定のリズムを刻んでいる。何かの生き物が出す音だ。


 熊の更に奥からしたその音を聞いてミロクの顔が険しくなる。

 枝がへし折れる音は、野生の獣を刺激するには十分すぎた。

 それまで草の匂いを嗅いでいた熊が首を持ち上げ、首から尻の方へ伸ばし休ませていた副腕も爪の先をわずかに浮かせる。


「っち」

(別のが来たか)


 ミロクと熊との距離は木を数本挟んで20mほど、縄張り争いが起きるのなら巻き込まれる可能性が高い。

 場から離れようとミロクは腰を上げたが、その目に入ったのは熊よりも更に嫌な物だった。


 完全に警戒態勢に移った熊の居る半径30mもない小さな広場。

 そこにガタガタと入って来たのは歩くガラクタ。

 量産型精霊駆動鎧・人型二足タイプ。一般的にはそのままヨロイと呼ばれるものだ。それは擬似精霊と呼ばれる意思を持たない力によって動く兵器。


 人型二足タイプは最も人に近いものとして、擬似精霊が生み出されてから今まで長い間の改良が重ねられてきたモデル。


 高さ3~4m、全体の厚さが2m弱しかない体。全体的に濃い青系の塗装。

 関節は細く、腕や足等の強度が必要な部位にのみが丸みのあるタルの様な装甲に覆われ、タルの底を突き破ったような3本指が特徴的だ。

 その丸みを帯びた体は外敵からの攻撃を受け止めず、受け流す事を目的とした作り。


 一般的に人型のヨロイは胴体部に四肢を固定された状態で人が入る物で、人以外には極少数の荷物しか入らない。

 このヨロイの製造年はミロクにはわからないが、そんなに新しいものではなことは理解できる。

 他に遠目にも分かることは大型の武装を積んでいないということと、今から確実に厄介事になるということだけだ。


『グルルルルルルッ』


 侵入者を確認した熊は唸り毛を逆立て、しかし視線をそらさずに少し後退する。

 引くにも攻撃するにも瞬時に行動に移せる距離。

 警戒する獣とは逆にヨロイは堂々と広場へと入り、その姿がはっきりと日に照らされる。


(馬鹿じゃねえのかこいつ)

 それは大型武装どころか小型の刃物すらも何もついていない完全な素体。

 ガシガシと足音を鳴らし、熊の正面に向き合うヨロイ。


 その姿はまるでルールに則った試合のような、ある種のおかしさのある物だった。

『グワアアアアアアアアアア』

 無言のにらみ合いを数秒、熊が動く。

 走り出すと同時に両副腕の先をガチりと合わせ、ヨロイの頭上より叩きつける。


 腕の振り下ろされた衝撃で陰に隠れたミロクの元まで風が届く。生身の人間なら爪の先が当たれば骨など関係なしに真っ二つに裂かれるだろう。


 それほどまでに威力のある攻撃に対し、ヨロイは初動に合わせ右前の半身になる。

体重を後ろに、軸足の左足をわずかに沈ませ右肘を熊に向け三本指で自分の頭を掴み衝撃に備える。


 甲高い音が響く。熊の攻撃による衝撃でヨロイの足元の柔らかい土が潰されるように押し出され周囲に散る、綺麗に攻撃のエネルギーが下に逃げたのだ。

 爪に込められた熊の力が全て流れ切ったその瞬間、熊にわずかな隙が生まれヨロイが反撃に移った。


 土に沈んだ左足を伸ばし体重を前方に。左腕で拳を握り自身の右肘を下から殴る。右腕で熊の両爪をアッパー気味に押し上げる。

 腕の丸い装甲を生かし、熊の副腕の間を滑る様に押し進み、一気に熊の胴体まで距離を詰めた。

 ヒト一人の距離もなく両者の視線が交わる。


『グゥアアアアアアア』

 熊が歯茎を見せて吠え、食らいつこうと前足を曲げ、溜を作る。が、それよりも早くヨロイは左の三本爪を丸め熊の鼻面を叩いた。

『ギャウゥゥ』

 遠めに見てもわかる強烈な一撃。熊の顎が上がり、鼻から血が吹き出す。


「……武装なしでってすげえな」

 ミロクはその鮮やかな動きに、逃げることを止めすっかり見入っていた。

 ヨロイの登場時に感じていた嫌悪感などすっかり忘れ、猛獣を狩ることに手馴れたその全てに魅了されていた。


 鼻を殴られた熊の目線がヨロイから途切れた。

ヨロイはその隙を逃さず、右腕を伸ばし、ヨロイ側から見て左の副腕を両腕で掴む、そして熊が顔を戻すよりも早く捻じり落とした。

『──ガアアアアアァァァァァッ』

 増えていく痛みに熊の怒りが爆発する。

鼻と副腕の根元から、赤い血と青い液体がだらだらと流れる。

呼吸を荒くし、残された副腕を顔の前で横に薙ぎ助走距離を作る。

『ウァァァアアッ』ダスダスダスダスッ

 怒りのままに再び突進を仕掛ける熊。


 ヨロイは冷静に左腕を盾の様に体の前で構え、接触と同時に体を左回りに一回転させ熊の体をいなすと、ひねりを加えた右のストレートが熊の脇腹にメリ込ませた。


『ッグウウ──アアアア』

 しかし今度は熊も隙を見せず、左前足を地面に刺し体を無理に反転させ、残された副腕をまっすぐヨロイへ突き刺す。

 その副腕による突きを両腕で受け止めた時だった。

グググググゥゥンググッ―――

ヨロイの指が数度開閉し、その反応が鈍くなるとやがて停止した。


「あ?」

 思わず間抜けな声がミロクから漏れる。

 ヨロイの動きが止まるということは、動かしている擬似精霊か人のどちらかがおかしくなったということだ。


 だが、たった今まで動いていた事を考えると、精霊側、つまり機体にアクシデントが起こったという可能性が高い。

 整備不良か破損かどちらにせよ一度止まった精霊を再起動させることは簡単ではない。


 熊を受け止めていた腕や、それを支える足にも力がなくなり、押し倒されるヨロイ。何故か動かなくなったそれに熊は遠慮などしない。


 腹いせとばかりにのしかかり巨大な顎でヨロイの頭部に牙を食い込ませ、硬い果物を食べるように装甲が剥がしていく。

 人の顔を模した飾り装甲が砕け、ヨロイの内部骨格が見えるほどの破壊行動を終えると、熊は一度頭を上げ何かを考えているような素振りを見せた。


 そして顔を下ろした熊は、次にヨロイの四肢に噛み付きや爪による打撃を行った。

再び目の前の敵が動き出すという最悪の事態を考えた、本能からの行動だった。


 ヨロイの頭を砕き、手や足にもある程度の破壊を加え終えると、遂に熊は胴体部の、人が入っているであろう箇所を狙い始める。

 自身の顎よりもわずかに大きなその部位を破壊しようと、熊は無事な副腕を何度も何度も振り下ろす。 


ギィンッギィンッギィンッ


 金属同士がぶつかり合うような高い音が響く


(どうする? ああ、どうするってなんだ、関係ねーしこのまま逃げるしかねーよ)


 ミロクは、首を引っ込め反転し、

ギィンッギィンッギギィッツ

「ああもうっせめてっ良いの(人)が出てこいよっほんとだからヨロイは嫌いなんだっ」

 頭をガシガシ掻き、左腰のナイフと予備の小刀を片手で引き抜いて小刀の方を口にくわえる。

 ミロクの右腰に下げた鞄からカートリッジを抜き、ナイフの柄に差し込む。

カシュッ。しっかりと柄にはまり、カートリッジ内に空気が入る。

 ナイフ内の蜜の廻りを速めるため刃を下向きに持ち、口に小刀くわえたまま藪から走りでる。

『グウゥゥゥッッ』

ギヂヂヂヂヂヂ

 熊の副腕がヨロイの胴に食い込む音が続く。

既にそれは一番大外にある一番頑丈な部位を越えようとしている。

(まだこっち見るなよ)

ザシュッ

 ミロクは口から小刀を抜き目の前の毛むくじゃらの後ろ足に突き刺すと──


「よっっと」

『ウウウァァァッ』


 その柄を踏み台にし熊の背中に飛び乗る。その背の上を数歩、狙いは両副腕の付け根境目。ちらりと前を見た。丁度振り向いた熊と目が合う。


「っぅおおおおお」


 息を思いっきり吸い、でも熊から目をそらさず、逆に睨みつけ大声を出す。

息を吐ききる前に、両手を重ね、ナイフを突き立てる。


 蜜が凝固したロウをナイフが溶かす、毛皮を越え、肉を焼き、不快な匂いを出しながら刃は進む。


『ッガアアアアアアアア』

「っはあ」


 素手では初めてだが、目的達成を確信しミロクの口角が上がる。だが、その顔を崩すまもなく熊の副腕がミロクの腹に突き刺さった。

 その攻撃をミロクが認識した時には既にその体は宙を舞っていた。

 枝をいくつも折り何度か地面にバウンドを繰り返す。


 ミロクの口から血が溢れる。痛いのかどうかもよくわからない、ただ息が苦しい。だがミロクには手応えがあった。確信があった。

 熊の体内に有ったエネルギーの元を今の一撃で溶かすことに成功したはずだ。


「はあっ……あぁ」


 だが、それを確認しようにもミロクが熊から腹に受けたダメージは想定よりも深く、ミロクの目は霞んでいき広場の様子も見えない。

 それに伴い意識も急速に薄れ始める。だが焦りや恐怖はない。


『グアアアアアアアアアアア』


 昼寝をするような気楽さでこのまま目を閉じようとしたが、熊の叫びによって辛うじて意識がつながる。

 念には念を入れなくてはいけない。

 ミロクはこんなところで蜜を無駄遣いをする自分の計画性のなさと人を捨てておけない性格を恨んだ。


 血が足りないせいで力が入らず勝手に震え続ける左手を静かにそっと動かし、鞄からカートリッジを一つ取りだすと口に含む。

 親指でその底を押すと、ミロク自身の血に混じり口の中がどろりとした物で満たされる。

 もごもごと顎を動かし最後の力でその塊を飲み込む。


「っんん、はー……」


 ミロクの体から息苦しさは減るが痛みが鮮明になっていく。

 呼吸を数回、頭を落ち着かせるためゆっくり繰り返す。


「はぁ……やんなるわ」


 血の塊を吐き捨てシャツで口元をぬぐい立ち上がる。

そっとズボンの土や葉を払い、シャツの胸元を引っ張り中を確認。


「……うぇ」


 シャツは腹の辺りから破れ、その下の腹に赤黒い穴が開いていた。

 一呼吸ごとにドプドプと血が腹から垂れる。

(どうせ二個無駄遣いしたんだもう一個くらい変わらないだろ)

 ミロクはシャツの裾をめくり口に咥えると、更に一つカートリッジを取り、右手に中身を出す。

「すぅーーーーーーんっっ」

 ミロクは息を止め歯を食いしばって、蜜を傷口に塗り込む。不愉快な熱さと痛みがじわじわと傷口に染みる。

「はあっ……ああ……」

 目元をぬぐい腹を軽くはたく。痛みはもう感じない。


 少しふらつく足で、ミロクは自分が突き抜けてきた藪の隙間から広場に出る。

「ああやっぱ成功してんじゃん」

 そこには口から青い液を吐き倒れた熊とその巨体に押しつぶされたヨロイ。


 本当の無駄遣いをしたとミロクは後悔のため息をし、熊の足に刺さったままの小刀を抜いて熊の正面に回る。

 既にその顔に獰猛さの影はなく、苦しげに荒く息と色の付いた液体を吐くだけだ。


 それを確認し、巨体の腹に覆い隠されたヨロイの腹のそばへ。

 駆動音がしないので擬似精霊は復旧していない。


「中の人生きてるっすかー?」


 近くに落ちていた枝でカンカンと叩いてみる。


『うあっなんだっいったぁぁっ』


 何度目かのノックに叫び声とガンッと大きな衝撃音。中の人は一応無事みたいだ。声はくぐもっていてしっかりと判別することはできないが女性のような感じがする。


「……大丈夫っすか?」

『……ぁあっ大丈夫だ。──ああそうだっ私は熊と戦っていたはずなんだがそいつがどうなったか知らないか?』


 いつ意識を失ったのかわからないが覚醒するにつれ状況を思い出してきたのか少し慌てたような声。


「熊って今あなたの腹の上で寝てるやつっすか?」

 ミロクが下から見えるわけのない気絶した熊を指差して言う。


『……上で寝ている? ああだから開かないのか、ん? つまり私は助けられたのか。……誰かは知らないがありがとう』

「ああーまあそうっすね。それよりもそこから出られそうっすか?ちょっと精霊を起

こしてみてくだいよ」


『ぁあ、そうだな。ちょっと離れていてくれ』


 声が途切れて数秒、無事に精霊が無事起きたようでうるさい音が鳴り出す。

(駆動音は大丈夫。中の人も無事、か。カートリッジ3本は痛いけどしかたねーな)


 だがヨロイが体を動かそうとすると警告音が聞こえた。

 熊に散々痛めつけられ、曲がったりひしゃげたりしたパーツのせいで、内部の機能にかなりの負荷がかかっているようだった。


 警告音が聞こえているはずなのにヨロイは気にせず体を動かそうとする。

 頭が壊されていて視界が効かないのか、両腕を広げた状態からゆっくりと腕を折り曲げ、熊をホールドすると、そのまま腕を固定し、熊を抱きかかえるように上半身が起き上がる。

ズザッ

ドサりと熊を脇に落とし、

ギギギギィィィーーーダンッ

どうにかヨロイの正面装甲が開く。



「ふぅ……やっと出れた」

 顔の汗を拭き、タラップ替わりの正面装甲を降りてきたのは、下は太もも半分の長さの短いパンツ。上はノースリーブのピッタリとした服。肩より少し長く一本にまとまった黒髪。スラリとした体の綺麗な少女だった。


「あのーなんであんな事したんすか?」

 目の前に来たその人に飲まれないように、ミロクは頭を一度小さく振り尋ねた。

「あんなこと?」

少女が口元に手を当て顔を傾げる。

「わざわざ正面から出てきたことっすよ」


 最初から奇襲をするかそれとも罠にかけるか、それこそヨロイの正しい用途である巨大な武具でも持っていれば簡単に済んだはずだ。

「ああ、あれか。最初からこそこそ見てたのか?いやらしい奴だ。だが、うん……まあいいじゃないか。それよりも互いに知らぬ人間が出会ったら先ずするのは挨拶だろう?」

 少女はいたずらっぽく小さく笑い話を進める。


「まあ……いいっすけど。ミロクって言います。ちょっと旅しててここらで迷ってたんすよ」

「ミロクだな。旅の者か、どうりで見ない顔だと思った。私の名はユテン! この先のレイジータウン唯一の害獣駆除屋だ。街で頼れるユテンさんとは私のことだ覚えておいてくれ」

ミロクの自己紹介を受け、謎の少女は無為に髪をかきあげ名乗った。


 駆除屋とはその名の通り蜜によって凶暴化した獣やムシを排除する者たちのことだ。一般的には町の自警団等と一緒くたにされている。


(唯一の駆除屋って……あんな狩り方でいいのかよ……)


 ミロクが呆れているとユテンさんがすっと近づき、ミロクの目の前でしゃがんだ、

「んん? 怪我をしているのか?見せてみろ」

 躊躇なくミロクのシャツの裾をつかみ引き上げようとするユテンさん。

「ちょっ何するんすか」

「恥ずかしがるな! 助けられた礼だ! ていっ!」


 彼女の力は思いのほか強く、ミロクは強引に服を胸元まで上げられてしまった。

 そのままユテンさんは無遠慮にべったりと紅蜜で染まったミロクの腹に傷がないかをチェックしはじめる。


「ん? 血の割には怪我が小さいのか? というかなんだかやたらと熱いな」


 蜜を血と勘違いしたユテンさんのひんやりとした手がミロクの腹をペタペタと触 る。暑い中命懸けのやり取りで熱くなった体にそれは気持ちのいいもので、心地よさからミロクが力を抜いてしまった瞬間ぐう~~と大きな音が鳴った。


「腹減ったなぁ」

「ふふっ世話になった礼だ私が何か料理してやろう」

 ミロクの腹にどこからか取り出した包帯を巻きながらユテンさんが提案する。

 ミロクにとっては久しぶりの固形食料、拒否する理由はどこにもない。

「ほんとっすか?ありがとうございます!」


 ちょっと待ってろと言い残し、ヨロイに戻ったユテンさんは、今調理器具を取ろうとお尻をミロクの方に突き出したまま中を探っている。

 ミロクはついその動きを目で追っていた自分に気づき、慌ててそらす。

(ほんと何なんだろこの人無防備どころじゃないだろ)

と思いつつもちらりとまた見てしまう。


 いつまでも人の尻を見続けるわけにもいかない、刺さったままのはずのナイフを抜きに立ち上がり、熊の方へと近づく。

 熊はすっかり目を閉じ静かになっていたが、ミロクの近づいた足音で目を開け、小さく唸りながらその動きを追う。


「お前も痛かったな。ごめんな」


 ミロクは熊の顔前にしゃがみこむと片手を手のひらを上に向けて出した。

 熊の鼻先に手を出し自分の匂いを嗅がせ頬を撫でる。

「もうちょっとだけ我慢してな?」

 落ち着いたように熊が目を閉じたのを確認するとミロクは熊の前足を踏み台代わりにして背に乗った。

そしてそのままナイフを突き立てた場所にそっと歩いていく。


 ミロクが刺したナイフは既に抜けており、熊の緑の毛皮と傷口は群青色の液体が覆っていた。

これが熊を狂わせていた正体。世界樹の蜜だ。

ミロクはナイフを腰に挿し鞄から長い巻物状の包帯を取ると傷を覆えるサイズに切りそっと蜜に浸す。

白い包帯がみるみる青い液を吸っていく。


『グウゥゥゥッゥゥ……』

痛いのか熊は鳴き、体が震えるがやめるわけにはいかない。


「耐えろよ、もう少しだからな」

 ミロクが毛皮に触れそっと撫でる。

『ウウウウゥゥゥ……』

 すると声がまた落ち着いたものに変わってきた。そろそろ終わりだ。

 すっかり青に染まった包帯をクルリと巻くと鞄にしまい、薬効成分のある小瓶を出し中身を傷口にかける。

『……ゥウ……』

またうめき声を上げたが、それは小さな我慢したような声だった。



「ほー凄い手際だな」

 ミロクが熊の背から飛び降りようとすると一部始終を観察していたらしくユテンさんが声をかけてきた。

「そうっすか?」

「隠すのは良くないぞ、何かそういう仕事をしているんだろ?」


 おたまのようなものを持ったままのユテンさん。

「一般教養の範囲じゃないっすかね」

先ほどのお返しとばかりにニヤリと笑ってミロクはユテンさんの問いをはぐらかして地面に降りる。


「うっ……まあいい。下ごしらえは出来てるぞ」

 ムッと口を尖らせるがユテンさんはそれ以上聞いてこなかった。

 ユテンさんのヨロイの脇に簡易な焚き火が作られており、その上に何かが入った鍋が乗っている。

 周囲に香辛料の香りが漂っていることにミロクは今更ながら気づく。


「猪の肉のスープだ。こっちに座れ」

 ヨロイにもたれ掛かるように座ったユテンさんが自身の横を指す。

「あっ了解っす」

 ミロクが少し間を開けて座ると、ユテンさんは木の椀にスープを装ってくれた。

「ありがとうございます」

 感謝を口にしスープを啜る。

 いくら気温が高いといっても、人に作ってもらったものが喉を通り腹を温めることは心地がいい。

 ミロクは思わず目を閉じその温かさに浸る。



 食事を終え、食器をかたすとしばし無言の間が続く。

ミロクがちらりと横を見るとユテンさんはわずかにうつむき目を閉じ、眠っているように見えた。

(今のうちに行くか)

ミロクはそっと立ち上がり体を伸ばす。

「なあ。ミロク」

すっかり寝むっていると思っていたユテンさんに声をかけられ、ビクッと体が反応する。

頭を掻いて振り返る。

「ああ……起きてたんすか」

「……お前は旅をしてるって言ってたな」

ミロクは立ったままだ。それではうつむいたユテンさんの顔はわからない。

顔が見えていても何を考えているかなんてわからないだろうが。


「そうっすね」

「どのくらいここらに居るつもりだ?どっちに行くんだ」


 また試すように質問をしてくる。

 人に腹の中を探られるのはあまり好きじゃない。

 さっさと離れようとまた体の向きを変え、


「わかんないっす。その時好きな方に好きな時行くだけっす」

 それじゃあと別れの言葉を続けようとした。


「ふふっやっぱり気に入った。なら私を好きになれ!」

「はあ……はぁ!? なに言ってんすか」


「──良いじゃないか。私の街を、私を好きになれ。私はお前を気に入ったんだ。だからお前も一緒に暮らそう」

 やはりこの人は何を考えているかわからない。

 そう思ったミロクはすぐに駆け出そうとユテンさんに背中を向けており、その耳が真っ赤に染まっていることに気づかなかった。

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