プロローグ 故郷を捨てた日

 世界の北の外れの港町、そこが少年の生まれた町だった。

 この世界では北の街は一年を通して雪の降る冬であり、燦々さんさんと輝く太陽など年に数度見ることができれば幸運だったと言われるほどだ。

そんな世界でこの街は最北端にある不凍港であり住民の数も多い。


 そんな町の名物の一つが世界樹の一本であり雲にかかるほどの大樹とその幹に掘られた教会である。

 だがいつもは町の住民たちで賑やかなこの場所で、今はこの教会の主である司祭とその信徒たちが一人の少年を囲いガヤガヤと騒ぎ立てていた。

 手彫りの細かな装飾や色鮮やかな布で飾られた美しいその場には攻撃的な怒気が渦巻いている。

 敬虔で盲目的な彼ら信徒たちの頭の中は、少年のある行いが町に禍をもたらすのではという恐怖で溢れかえっていた。


 そんな狂乱の中でも少年はこの騒ぎもいつか終わるだろう、そう思い浴びせられる罵声にも黙って耐え続けていた。

 少年はまだ成人も迎えていないという若さでありながら町で一番のヨロイ乗りであり、町の自警団期待の新星であった。

 そんな少年が責められている訳それは、


「こいつは悪魔の子だっ」

「私たちを騙してたんだ!」

「世界樹の裁きを受けるべきだっ!」

 信徒達の声を司祭が手を挙げて止めさせる。


 【悪魔】恵みをもたらす世界樹を信仰する彼らにとって悪魔とはまさに町の外に広がる大雪のような冷たく怖い存在なのだ。

 そして彼らは少年がその悪魔なのだと決めつけ騒いでいた。

 

「司祭様……」「おお司祭様、我らにお導きを……」

 信徒たちの言葉に頷きを返し、司祭の男は膝まづいた少年のそばへ行く。

 少年も顔は上げずとも司祭の登場にほんの少し安堵していた。

 だが、

「……貴様は皆を裏切った。俺は失望したぞ」

 司祭から発せられたその断罪の言葉。

 少年がその言葉に反応しゆっくりと顔を上げる。

 うつろな生気のない表情の少年に司祭の声は深くすっと染み込んでいく。


 少年の頭の中で今の言葉が何度も響く、はじめは歯を震えるようにガチガチと鳴らしていたが徐々に震える歯に力を入れ食いしばるように歯を見せる。

 そして食いしばる力が強くなる度に目には生気が戻り次いで憎悪の火が灯る。

体の後ろできつく縛られた手にも血がにじむ。


「そう反抗的な目をするな。……だが大丈夫だ、お前は悪くはない──」

 司祭が膝を折り少年へ顔を近づける。

「──貴様を信じた私がいけなかったのだ」

「っあああああああああああ」

 咆哮を上げ少年は腕に力を込める。


 少年が太い荒縄を引き千切る、同時に少年の両方の手のひらも皮が破れて血が流れる。


 少年は血だらけの両手で司祭の男に掴みかかろうと飛びつく。

だが、司祭の後ろで控えていた警備兵が長い棒を使い少年を床に叩き落とす。

「っううっはなっせっ!!」

 そのまま少年の背中の上で棒を交差させ二人が押さえつける。

 逃れようと少年はもがくが大人二人に体重をかけられ動くことは難しい。

 体をゆする度に少年の血だけが床に染みていく。

「これ以上我々を失望させたくなければ、しばらく牢に入っていろ」

 侮蔑の視線を少年に向けると司祭は背を向け去っていった。


 やがて司祭の姿は暗闇に入り見えなくなった。

 たった今感情的になり司祭に飛びかかったが、地面に押さえつけられたことで少年の頭に多少の思考の余裕ができた。

──ぐるぐると少年の心に苛立ちと戸惑いが混ざっていく。

「……俺は」

 少年を中心に床が血で赤く染まる。

──血と一緒に心から大事な何かも逃げていく。

「俺は……悪くない!!」

 その時、大きな地震のような激しい揺れが教会を襲った。

 教会の入った大樹が強く震える。

──この揺れは失望と怒りだ。

「……こい。サンダーソニア」

 揺れに驚き惚けていた信徒たちの中で、僅かな余裕を持っていた兵士までも少年の 声を聞き恐怖の顔になる。

「っ悪魔が出るぞ! 早く誰か増援をっヨロイを呼べ!」

 少年を取り押さえていた兵士の一人が群衆に向かって叫ぶ。

「悪魔!?」「どっどどどこだぁ」

「ひぃっ血、血が下に悪魔の血がああああ」

 地震に驚き固まった人々にパニックが広がる。

 腰を抜かす者や、広がっていく赤い絨毯を必死で避けようと後ずさりする者、出口に走っていく者。

 使い物にならない信徒らに見切りをつけ、兵士の一人が腰から刃物を抜き少年を切り殺そうとした、だが──

「死ねえええ悪魔がああああああ」


「……あっああ」

 その刃は、床より生えた肘までで人の背丈ほどもある太く長い腕に阻まれていた。


 溶岩を固形化させた様な赤く脈打つ爛れたただれた両腕。その根元に兵士の刃物が刺さっていた。

 目の前を通ったその腕に兵士の顔が引き攣り老人のように震えながら足を引いた。 

 

 少し離れた兵士は自分の持っていた刃物のことを思い出した。《あれ》に刺さったはずなのに、今も手に持っているはずなのに。なぜこんなに軽いんだ、と。


 あの腕から目を離したくない。だが気になる。兵士はそうっと手元を見て慌てて手を離した。

 兵士の持っていたそれは柄の中程まで焼け溶けていた。しかも兵士の手と数センチも猶予のない場所までだ。


 腰が抜け座り込んだ兵士の目の前で落ちた刃の塚が教会の敷物を焼く。

 その嫌な匂いが惚けていた群衆を動かす。


「でっでたああああ」「悪魔だ……悪魔が出た」

 残った者達も我先に走りって逃げていく。

 床に倒れたままの少年と兵士の視線が合った。


「っあ」

「……じゃあな」


 何も言えず口を半開きのまま見ている兵士に少年が別れの言葉を告げた。

 巨大な腕は少年の頭上で指同士を絡ませ、少年を押しつぶすように床に飲まれていった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る