一章十節  世界達

――――月面観測衛星『のらうさぎ』からの映像によれば、地球より発せられた血の色に輝くナニかと、それに追従するかの様な莫大な数のレーザーと思しきモノが、歪む一つ目月を貫いていたという。

 そこには人間らしき影も確認されている。

 学徒一斉射撃から約七秒後の出来事だった。


 数多の光線に貫かれた、後に『歪み月』ゆがみづきと呼ばれるソレは、一度大きく歪み輝くと奇妙に崩壊した笑顔のまま宇宙に溶け消えていった。


 それと同時に、世界に蔓延まんえんした残りの人型も、夜の始まる空を仰ぐ少年少女達の銃器を掲げた大歓声と共に、空へ微塵に消滅していった。



――――京都 空院女学院 旧校舎展望時計台


 

 風光明媚ふうこうめいびな観光地の外れにある丘陵森林地帯のほぼ中央に建造された、五階建て洋風レンガ造りの旧校舎。


 屋上にそびえる古ぼけた時計台。その横のガーデンスペースに、緋毛氈ひもうせんを床に敷き、横座りで月を仰ぐ佳人の姿があった。

 

 緋色の上に散りばめた何枚かのレポートに囲まれる中、彼女は竹皮に包んで持参したおむすびを両手でとほおばってはウットリとする。

 白く輝く長い髪が風に優しく舞い、セーラー服の上に羽織る白いアーマーコートが、月光を受けてはつややかに光輪を放っていた。


「静様、冬条様からお言伝が。作戦は無事終了、支援を感謝するとの事です」

 もぐもぐとほおばる背後に現れた黒髪ショートカットの女子。その身長は百八十センチを優に超え、白いアーマーコートを夜風に遊ばせ勇壮に立つ。


「……そうですか、報告をありがとう。死者が一人も出なかったのは幸いでしたね。……ねえ沙理緒さりお、各地の人型は、例外無くウサギを模した形状だったのですね?」

「例外無く。頭部に、いわゆるウサミミを生やした光状人型で共通しています」


「……そして無傷の宇宙ステーション、敷かれた緘口令かんこうれい……」


 ぼそりとつぶやき、ちらりとそばに置いたレポートに目をやる西の姫、空院静。

 ほっぺにご飯粒を付けたその美しいおもてに、儚げに開かれる瞳の色は何かの病によるものだろうか、消え入るように薄い。


「静様?」動きの止まる静に小首をかしげる沙理緒。


「――いえ、何でもありません。そうだ! 月のお礼に私の菜園のお野菜を送りましょうか! 特におなすを大量に! むしろおナスのみ! たっぷりのオナスであの方を埋め尽くして差し上げたいのです! 沙理緒、明日の収穫、手伝ってくれる? ん?」


「冬条様ナスは嫌いじゃないですか……直接お礼言われなかった事、怒ってるでしょ?」

 変なテンションの姫に、モデル体型の女子は至って冷静につっこむ。


「怒ってないです。ただチョットおいしい京野菜でお茄子嫌い克服していただきます。怒ってないです。――ON・ASUオン・アス作戦、始動」

 月光の下、妖しく光る姫の瞳。ほっぺのご飯粒には気付かない。

「絶対怒ってますよね。というかチョット、『おなす』ってやめて貰っていいですか?」


 沙理緒は冷静をよそおいつつも、軽くぷるぷると震えながら口に手をあてがう。

「相変わらずそこがツボのようですね。ちなみにおピーマンも栽培しています」

「おピっ! ぶふっ!」

 吹き出す背後の女子に体を向け、したり顔でうっとりと新たなおむすびをほおばる変な姫。


「今日はおシャケです」

 変な姫におむすびをズイと差し出されると、ククッと笑いをかみ殺すモデル。

 するとニャア~と階段の方から声が聞こえ、小さい動物が変な二人に駆け寄ってきた。


「あ! おキャットです!」 

「お猫ではなくっ!!」


 妙なテンションでおむすびを差し出し猫を誘う変な姫と、ついに爆笑する変なモデル。


 十七歳の少女らしい、くだらなく、あどけない時間が過ぎてゆく。



――――東京 ??? 謁見の間バルコニー



「…………月がきれいじゃの……爺よ。一つだからこそ、美しきものよな」


「……まことにですな、姫様」


「この月光は、源人の、そして雪原とやらの増長を招く事となろうて……わらわを出し抜いたつもりかえ? きゃつらは」

「そのような事は……斬間ざんま京子が独断で動きましたが、あの程度の事態はむしろ、冬条が収めるべきかと」


「……まあ、よいわ。しかし京子め。可愛げがあるわ。じゃが源人は生意気じゃな。何時までも『ユニバース・マター』を傀儡かいらいに握らせるのも危険じゃて、放棄させよ」

「しかし姫様、体面上、デイガード宣言を無視する訳にも――」

「かつての独裁者が共有財産などと謳ったうとうたところで、今や水面下の争いはそれぞれを出し抜こうと必死じゃ! 時が来た今、この国はわらわの元に集うべき! 真の統治者の名、うてみい!」


「はい、この国を統べるべきお方、それは――――」


和牛わぎゅう」女性士官は真顔で言う。



――――神鵬学園センターエリア一階 カフェテラス『和牛』



 変な店名に固まるメガミは【モ~、ウマすぎ! 一押し! 和牛パフェ!】などと牛と馬のイラストが叫ぶ宣伝文句が書かれた看板を一瞥し、少しイラっとしたところで人気ひとけの無い店内へと進んだ。

 変な店名に反して、内装はまあ、普通だ。


 すぐにメガミは、最奥の窓際の席に向かい合って座る二人の男女を確認する。


「――おー、これは少佐殿。こんな深夜に、お夜食ですか?」

 メガミに気付いた神鵬理事が軽く手を振った。深夜に見ると、彼の眼差しはよりイヤラシさが増す。通報できるレベルだ。


「いえ、ちょっとコチラに彼女がいると聞いて……それ、無害のヤツでしょうね?」

「ああ、政府も推奨の眠気覚ましさ。ガキ用のアロマだよ」

 理事長の対面に座るレンカは薄く笑い、細長いメタルシリンダーをくわえ、スウと溜め込みフウと吐く。


「ごめんね休憩中、ちょっと話でも、ってね」

 メガミは理事の隣に腰掛ける。

「構わんさ少佐、中年の相手も飽きたところだ」

「信じられませんっ! 耳を疑います! 心外ですよ! 夜も眠れませんっ!」

 中年は身振り手振りで大胆に悲しみを表現した。全く伝わらなかった。

「コーヒーでいいか? 理事、ホット二つ」 

「うん」


 素直な返事で足早にキッチンへ向かう理事長を見届け、向かい合う二人。

「ランスにシールドは某所にて調整中、冬条君は色々と飛び回って何やら忙しく、アナタは夜の番か。大変ね、学徒達も」

「部下は帰ったのか? というより帰れるのか? 屋上での一件は無論、口外しないが」

 メガミは両の腕をん~っと伸ばし、少し笑みを浮かべる。

「私も含め何人かは任務継続で残ってる。確かに帰りづらいけど、私にもそれなりの権限は有るわ。まあこれから追い込まれていくでしょうけどね、うるさい人達に。――ふふ、嫌われてるのよ私。古参の人達はこんな小娘が佐官級である特別扱いが許せないみたい」

 

 レンカは新しいハーブカートリッジを装填し、シリンダーをテーブルの上でトントンと遊ぶと、静かに切り出す。

「手を組む気は有るか? これからの戦いに備えて、多くの人の力が必要だ」

 窓に灯る夜景の光に目だけをゆっくりと流すメガミ。表情は変わらず、穏やかに。

「……聞かなかった事にしておくわ。私にも立場とやることが有る」

 

 続いて開かれる彼女の口から、世界の真実がこぼれ落ちた。


「……私は創造主、私は女神……って言ったら、あなた、信じる?」

 

 動きの止まるレンカ。自称女神は何か超越した微笑みで、対面の少女を見つめる。


「……軍人だろ?」

「私は女神です。アイム・ゴッデス。あいにくデス」

「ほう」

「すごいでしょ~」

「チョコあるぞ。食べるか?」

「あんたバカにしてんでしょ?!」

 テーブルの上に差し出されたチョット高そうなチョコの小箱をプリプリしながら突っ返そうと手をかけるも、少しためらった後、猫の様な素早さで自分に引き寄せる女神。

(うめえ)とろけ顔で次々とチョコの銀紙を開いていく。


「よし、じゃあ甘いの食べて落ち着いたらチョット尿検査しような」

「変なクスリとかキメてないわよっ!!」

 チョコをかじりながら顔を真っ赤にしてテーブルをバンバン叩く女神を前に、やれやれといった表情で小さく息をつくレンカ。


「なんでそんな事言い出した? 理由は?」

「フッ……理由なんて要るのかい?」女神は目を細め、ダンディーな言い回しで答える。

「いや要るだろ。理由もなくそんな事言い出したとあってはキマってるとみなし、この後チョットおしっこの方を――」

「キマってないっつってんでしょ?! この尿にょうフェチがあぁ!!」

「ちょっと君たちぃ! にょ、尿フェチとか一体――」

「失せろよこの変態は!! ていうかコーヒーまだですかっ!!」

「あひぃ! 今お湯沸かしてます!」

 尿フェチという単語に引き寄せられ、ハアハアと興奮しながら薄笑いを浮かべて駆けつけた中年を、女神はテーブルの上のおしぼりをフルスイングで投げつけ追い払った。


「まあ、落ち着け。いいよいいよ、女神でいいよ。許可する」

「いや別にあんたの許可要らないわよっ! なら見せてやろうじゃない。神の力ってやつを」

 ちっ――と女神は下手へたくそな舌打ちを鳴らすと、ふところから小さな小銭入れを抜き出す。子犬の刺繍ししゅうがかわいい。


「あ、見て」

 女神は小銭入れから一枚のカードを抜き出し、レンカに渡した。

「あといちポイントよ」


 レンカはカードを確認する。都内某有名パンケーキ屋のポイントカードにはズラリとスタンプが押され、確かにあと一ポイントで全て埋まる。


「そんなの序の口よ」 

「えコレ入るの?!」

 しかもチョットお得なだけじゃないか――衝撃を受けるレンカ。


「見なさい」

 神々しい表情で、一枚の硬貨を色んな意味で迷える子羊に差し出す女神。


 レンカは硬貨を確認する。

 五十円玉の穴の位置が、少しずれていた。


「入ります」 

「いや入らないだろコレ!」

 造幣局の手違いじゃないか――あくまで神の力の内に入る事を譲らない女神に衝撃を受けるレンカ。


 女神は神々しい表情で小銭入れを懐にしまい、神々しく椅子に座ると神々しくチョコの銀紙を開き、神々しくもぐもぐとする。


「え終わりっ?!」

 神の耳に、子羊の声は届かない。

 

 女神との聖戦に疲れたレンカは分けて貰ったチョコをカキリとかじり、夜の光をぼんやり眺めた。


「……何も出来ないのよ、私」

 切り出す女神に、ややうつろにかすむ目を向けるレンカ。


「……何をすべきか、もう、わからない」 

 

 な?! なんだ、コレは――自分の何かが融け消えてゆく。


――眼前には、恐らく、全て。


「……ごめん。ごめんねレンカ。何もしてやれずに」


……今なら、信じられる。視覚からなどではない、もっと根源的な部分で感じ取る母の光。

 

 暫し見開かれるレンカの潤む目に、小さな母が悲しく微笑む。

 

 はっ――と顔を振るレンカ。目の前のメガミはうっとりとチョコまっしぐらだ。

「ん? まだあるよ? 食べる?」

 咀嚼そしゃくしながら、メガミは銀紙をむいたチョコをレンカに差し出す。


「フ……フハハハ」

 急に声を出し笑い出すレンカに、メガミはビクッと手を引っ込めた。

「あ、危ないわね……尿検査するわよ?」

 ドキドキしながら怪訝けげんに首をかしげるメガミをよそに、レンカは口を閉じ目を閉じる。


(そうさ。このフザケた世界を、生きてゆく……)


「アナタが本当はどこから来て何であろうが、構わないさ」

 レンカは「それが何か?」とでも言わんばかりの、何かをあきらめた冷たささえ感じる声で続ける。


「――冬条の本当の目的、ランス、シールドの正体、『ウィアース・プロジェクト』、『ユニバース・マター』」

 銀のハーブシリンダーを指先で回し、レンカの言葉が踊る。


「『九の王』、『認識兵器』、『ウィズダム・ネット』に『管理者』」

 口を閉ざす女神の表情が、無い。


「学徒アイドルに独裁者。どこで何をしているやらウチのママンと。……まあ、フルスピードだよ」

 

 そしてあまり見る事のない、彼女の切ない笑みが、女神に向けられた。


「――世界が、生きている」


 その言葉に、静かに笑みを返す女神。レンカはこの時間を惜しむかの様にゆっくりと、窓に広がる夜の空をまぶしげに見上げた。


「時に嬉しく、時に悲しく。その危うく速い世界で、やがて私は、何になるのだろう」


 共に夜空を見上げる女神。

(咲き舞う……世界達を)


「……私は……アナタ達を、見ていたい、気もする……」


(いつか訪れる……の時まで……)


「――フフ……監視とか、では無くね……あ――いや! 監視も含めてね!」

 何故か紅潮する女性士官は、矢継ぎ早やつぎばやげんを放つ。

「いや監視のみだよ?! 勘違いしないでね!! 今ちょっと寝ぼけて……馴れ合いしに来た訳で無いし、私軍人だし、ガキを相手にする程、私ガキじゃないしっ!!」

 

 女性士官のなんらかのリミッターが外れた。

――チョットおかしな間が空き、メガミは何かバツが悪そうにモジモジとする。


「うむ」

 レンカはとりあえず一言ひとこと放っておく。


「な、なによ『うむ』って……アンタ初めっからアタシの事、色々小さいからって子供扱いしてんじゃない? 大人ぶった生意気な子におしおきが必要みたいね! 女神キックを食らえ!!」 

 テーブルの下で女神のあまり長くない足が風を切り、椅子の足に誤爆する。

「あああああぁぁぁぁっ!!」

 テーブルに顔を突っ伏つっぷして悶絶もんぜつする女神。スネをやったらしい。

「別のチョコもあるぞ? 食うか?」

「何でこのタイミングで?!」

 痛みに喘ぐ女神を見兼ねて、レンカは彼女の頭を撫でつつ、秘密のおまじないを唱えた。

「よしよし。痛いの痛いの~~~~どうにかしろっ!!」

「うぜえ!! 優しくないっ!!」

 慈悲の手をベシベシと払う女神。レンカは小さく笑いながら椅子の背もたれに体を預けると、やや迷惑そうなノリで口を開く。  


「とんだ弱小女神もいたものだな。というか、あまりそういった事をそのへんで口外しないでくれよ。実際この世界に追いつけてない人間が大多数だ。これ以上の不確定要素は、お腹一杯なので結構だ。何も出来なくても尿フェチ女神でもいいから、じっとしてろ」

「何その駄目な女神! てか尿フェチアンタでしょ――」 

 

 レンカは人差し指を立てそっと口に当てる。メガミはそれに気付くと、ふと、体を起こす。


「私は神に何も望まない。せめて神も私に何も望むな。それが罪深き事で、敵対する事になるならば、生きる為に、私は戦う。……フフ、前言撤回。そうならない事を、望む」


――――女神は無表情で目を閉じながら、彼女の真摯な語調に聴き入った。


 暫くの沈黙の後、キッ、と目を開くと、女神の口から例の件ロストワードせきを切る。

「ふんっ! コーヒー来ないし! 理事長! コーヒーまだですか?! 早くしないと、あの事ばらします!」


 厨房から慌てふためく理事が飛び出してくる。

「ま、待ってくれ! そのけんにつきましては後日改めて正式な文書にて――」

「あ~! ちょっともう、言わせて頂くわ! あの理事長ったら初対面で例のチャックが全力でいてましたの! やっらしぃ~! 変な学校~! アンタそこに通ってる~!」

 やーいやーいと、特殊な暴走が展開された。何か、レンカに対するコンプレックスでも彼女は抱えていたのであろうか。


「――ああ、平日は大体……開いてるな」

「平日は大体っ!! 何それ店?! 店なの?! この変態がぁ通報すっぞ!!」

 メガミは衝撃を受け、テーブルの上のおしぼりをフルスイングで変態に投げつける。


「姉貴ぃ~! あのコンビニ、チョコプリン売ってな……おっ! あんだぁコラ軍人ヤんのかぁ~シュッシュッ!」

 コンビニ袋をぶら下げて店内へノコノコと現れたミカは、女性士官から攻撃を受けている変態理事を確認すると、その場でリズミカルに猫っぽいジャブを数発放ち、威嚇いかくする。

「うっせチキショー! ちょっとアンタなに持ってんのよ! 甘いのでしょ! そういや今日チョコしか食べてないわよ! もらうよっ!」

 いたいけな少女に突貫とっかんする女性士官。

「んきゃー! 何あさってんだよこの御方おかた! ちょっ! それダメあたしのクレープほんとウマいからダメ! こっち! レンカのプリンにして! ねっ?!」

「いや待て」


――――不夜ふやの校舎に聴こえるは、時代に屈さない、かしましき声。

 せめて子供達が普通に眠れる世界が、いつ訪れるのか…………。


 何か賑やかな三人を見守る、コーヒーカップを乗せたトレイを持つ理事長の顔が珍しく少し険しい事には、誰も気付かなかった。








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