二章五節  ワールズ・ララバイ

――――翌日 神鵬学園高等部 二年子猫組



「なんじゃこの犬小屋は!!」 

「ズコおおぉぉぉぉっっ!!」

 突如、勢いよく開け放たれた教室前面の戸口で直立する少女に、腰が砕ける支配者冬条。

 教壇で教師が出席を取ろうとした朝の穏やかな空気は突然の来訪者により一変した。

「なんだこの子っ!!」 

「ちぃっ! ツインテールか!」 

「かわいー!」 

「犬小屋って言われたぞ!」 

「も、もっとののしってくれ!」 

「え、転校生~?」 


「じゃあ静かにして~愚民ぐみんども」

 続いて現れた変態。漆黒の専用制服に身を包む闇の姫を優雅にエスコートし、うろたえる教師にかぶった位置で立つと、学徒達を見回す。その眼差しは子供にも容赦なくイヤラシイ。

「あの理事長、私何も聞いてな――」

「はい! じゃあ~今日から愚民達と一緒にお勉強する事になった夏雅乃宮宇羅さんです! はい拍手~!」教師の声をかき消すハイテンション。

 おおお~!! という歓声と共に、激しい拍手の音が外の廊下にまで鳴り響く。

「ちょっ、理事長!! 『自由教室じゆうきょうしつ』の一環いっかんかコレは?!」

 昨日の俺の追想ついそうは一体……支配者はちょっと赤くなって席を立ち、怒鳴った。

 

 既に教育制度の根幹が揺らいでいるこの混沌の戦時下、神鵬学園は、全ての学びたい子供達の為に一部の教室が『自由教室』として開放され、電子教材や有志の大人達による授業を自校学徒以外の一般にも無償提供している。そこには身分も国籍も、貧富の差も学力も、一切の壁は無い。

 戦火により母校を失った、通学が困難な遠方の少年少女達には、国内に散らばる遊撃隊員や有志による通信教育等を用いた移動教室も展開されている。

 これらに私財を投じた理事の男意気に、学徒達は密かに賞賛しょうさんを送っていた。


「ん~、まあそうだねぇ。正式な在籍ではないねぇ」変態はのほほんと言う。

 闇の姫は愛用の黒扇子を胸元から抜き、口元を隠し、支配者を涼しげに見ている。

「あの、りじちょー。自由学徒なら、何かこのクラスに編入する特別な理由とか、あったりするんですか?」

 興味深そうに、タレ目の通信班女子が質問した。

「金が動きました」

 変態理事がキッパリ言うと、ズルっと学徒達の腰が砕けた。


いさぎよい!!」 

「最低だがすがすがしい!!」 

「さすが『ミスターフルオープン』!」

「オープン過ぎるわね!」 

「おいあの理事今日も……!」 

「窓口全開じゃねーか……」

 色んな意味での驚嘆の声を禁じえない学徒ども。フッ、と理事は大人の世知辛せちがらさを演出するダンディズム溢れる渋い笑みで髪をかきあげた。全開で。

 ふふ、と闇の姫は、こちらも全開の扇子の奥で笑い、威厳ある瞳でゆるりと言い放つ。

「――皆のもの、よしなにな。昼餉ひるげの際は、祝いに一本けさせようぞ」

「付けんな」ズレる眼鏡を指で押さえ、ランチに酒を振舞おうとする闇の姫に支配者は言う。


「……姫だ」 

「あの振舞い――姫ね」 

「姫に席を御用意いたせ!」

 ノリのよい子猫組。教室最後部中央に即座に空間が設けられ、床の清掃が始まった。

「ああ、苦しゅうない」

 機敏に働く学徒達を、よいよい、と制止する闇の姫。そしてやや頬を赤く染め、黒扇子でそれを周囲に悟らせまいと隠し、少しうつむき加減で静かに教室後部に歩き出した。

 その光景を、ナゼか固唾を呑んで見守る学徒達。

 

 窓際の最後部、腕を組み足を組み席に座る学徒の横で、闇の姫はひたりと足を止めた。


「――やあ、来たのか」闇の姫に、静かに笑みを流す月の騎士レンカ。


 ぽふーっ! とツインテールから蒸気が昇り、色んなところがぷるぷると始める。

「こ、こ、ここはよいのう。日が差して、ぽかぽかして、よい。風水の相からして、よい」

 違う理由でぽかぽかしてんだろ、といった支配者の小声のツッコミは聞き流した。

 ぺしぺしと、騎士の横の席に座る支配者の肩口を黒扇子で叩き、察せよ、と言わんばかりに威厳を放つ眼差しで眉を寄せ、闇の姫は彼を見下ろす。

「何だ……あっ!! ちょ、んにゃーんっ!!」

 訝しげに宇羅を見上げた次の瞬間、暗黙の内で瞬時に結成された子猫組姫親衛隊数名に机と座る椅子ごと持ち上げられ、支配者は謎の奇声と共に一つ横に手早くずらされた。

 そして闇の姫がスイ、と片の手で扇子を上げると、教室後部の戸がガラガラっ! と勢いよく開け広げられ、その音にビクッと宇羅以外の全員が反応すると、黒髪ロングの若いメイドと腰に刀を差した黒銀髪の美少年が何やら豪奢な作りの漆黒の椅子と机を携えて、颯爽さっそうと教室に侵入してくる。

「――御免」 

「失礼致します、ナイスナイト様」 

「まだ言うのかソレ」レンカはショックで放心した。

 黒光りを放つ豪奢な座席がナイスナイトの隣に設置され、闇の姫はちょこんと席につくと、モジモジとうつむき、恐る恐るナイトに顔を向ける。

「……構わん。好きに学んでいけ。――ようこそ、射程内へ」

 騎士はPANパン、と指で銃をつくり、口のはしを僅かに上げた。

 ばっごーん! と蒸気を爆発させ、宇羅の全身がしゅに染まる。

「わ、わ、わにゃ、わわ……」 

「出たな」眼鏡がナゼか光る支配者。

 けほけほ、と声を詰まらせる朱の姫に、メイドが漆黒の湯飲みに入ったほうじ茶をさりげなく差し出した。宇羅はそれをぷるぷると受け取り、クイッとノドに流し込む。

 

 ふー。と一息つくと、愛用する漆黒の湯飲みの淵が目に入る。

…………よみがえる記憶。

 チュぶーっ! と闇の姫は吹き出し、たらりと鼻血が流れ出た。

「姫っ!」 

「おのれメイド! さてはったか?!」 

「ぶっ! ちがっ――よい!」

 取り乱す月下と姫親衛隊達をよそに、黒髪のメイドが静かに微笑みながらハンカチを姫の鼻に当てると、猫をあやすかの様に少女達が宇羅に続々と群がる。そして少年達は何かが始まろうとする時の胸の高鳴りを抑えきれないのか、ナゼか踊る。

 んじゃ、ヨロシクね。と、理事は困惑する教師の肩を軽く叩き、スーツの襟元をスマートに直すと、威風堂々いふうどうどうと歩き去った。全開で。

――人知れず、お祭り騒ぎに笑みを残し。

 

 笑い抗う、群像劇。たとえ明日、砕け散る運命があるとしても。折角せっかくの世界じゃないか。

 窓ガラスを抜ける緩やかな陽光を浴びながら、レンカは喧騒に微笑む。


……そうだな、ここを望み、抗う気なら……それでいい。

 流れがどうした。上等だ。

 冬条は静かに血をたぎらせ、眼鏡に指を添えた。

 その一笑いしょうは、誰にも気取られないまま。


「…………ZZZ…………」


 教室後部でパイプ椅子に座り、世界の朝に刻まれてゆく、生命達のやかましくも躍動する声を子守唄に――女性士官は夜更かしの代償だいしょうを、コクリ、コクリと支払っている。

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