二章四節  闇をオとす

――――夏雅乃宮家令嬢誕生会当日 東京 首都高速道路


 

 日も地平に落ち行く頃、一台の黒い高級装甲セダンが夕日の光を照り返し、補修後間もない道路を疾走していた。

 運転席では学徒部隊より適性選抜された親衛隊員がハンドルを握り、後部座席には白を基調とした神鵬学徒部隊式礼装に身を包む二人の学徒の姿があった。


「カミフォー少佐の手前、あまり詳しくは話さなかったがな……夏雅乃宮家は、日本の言わば闇の黒幕的存在でな。有史以来、この国の表舞台を演出してきた『裏天現』と呼ばれる、ごく限られた者しか知ってはならない血統だ」

 眼鏡に指を添え、腕と足を組み、少しうつむき加減で語る冬条。

「なら言うな……知りたくもない、そんなセレブ事情など……んん?」

 静かに片手を伸ばし、支配者の口元をムニムニと、ピヨピヨ口にする総司令レンカ。

「やーめーれ」

 彼の眼差しは真剣だ。よって、レンカはピヨ口をそっと解除する。


「……いいか? 今日の展開によっては、お前にはしばらく日本を離れて貰う事になる。手筈てはずはコチラで全て整えている。お前は覚悟だけしていて欲しい」

 ハンドルを握る少年の眠たげな目が、人知れず静かに据わった。


「……ケーキをな、大体、余ってしまうんだろ? ミカに、少しばかり包んで貰って帰れたらとな……」

 レンカは言うと、空虚な表情で外に目をやる。修復の進む高層ビル群が、ややかすむ視界の中でストライプを彩る。

「表舞台は財閥令嬢の誕生会だが、今日の会は裏天の儀りてんのぎという裏の顔を持つ。主催の宇羅は、裏天現としてお前に接触してくるだろう」

 

 そして冬条は少しだけレンカに顔を寄せた。冷涼な瞳と切れ長の眼光が互いを見合う。

「――それがどういう意味を持つかは、今はまだいい。ただ、一つ……宇羅にな、闇などに、屈するな。光になれとは言わない。いつまでも、お前で在り続けてくれ」


――俺が信じた、お前のままで。

 

 外れない視線。その瞳の僅かな熱は、決して差し込む夕日のせいではなく。


「――冬条君。わたし、怖いの」


「いやそんな落ち着いて言われても。お前が怖いよ」

「失礼なヤツだ、せっかく空気的なセリフ言ってやったのにな」


――ぶふっ。

 僅かにだが、確かに聞こえた。

「笑ったな貴様……んん?」

 次の瞬間、解き放たれたその死のつめは、冷気すら帯びる非情な速さでハンドルを握る少年に背後から食らいつき、残酷なまでに肉をむさぼる。

「う、運転中はやめて!!」

 ピヨピヨとやられる、親衛隊員の変なトーンの叫び。

「やーめーれ」

 支配者に再度たしなめられ、レンカは死の爪をそっと解除すると、前のめりの体をドスンとシートに背もたれる。


「――対話からしてみるさ。……でケーキ包んで貰って、帰ろう」

 淡い夕日に馴染なじむ声量。


「……そうか、そうだな…………一緒に、帰ろう」


 夕日に馴染む、その願い。



――――東京 夏雅乃宮家 別邸



 やがて夜も始まり、広大な森林地帯の中央に灯る華やかな光の数々――。

 個人で所有するには異常な程の広さであるその洋城御殿には、各方面の有力者達の放つ独自の香りが立ち込める。


 和洋折衷わようせっちゅうといったところか、赤の色合いが強いその会場は、シャンデリアと家紋入りの行灯あんどんが放つ淡い光が点在し、燕尾服にさかずきを片手に芸子と飲み比べする者、紋付袴もんつきはかまでタイトなドレスの貴婦人とワルツを踊る者と、なんだか下品で、はしたない。


 しかし主催者のこだわりの無い――言い換えれば投げやり適当。最上級の物は用意したから好きな物を飲んで食って好きに踊ればいいといった投げっ放しの――もてなしは、一部の厳格な紳士淑女しゅくじょを除いて、実は密かに受けが良かった。呼ばれる方も楽なのだ。


「京子~! あっちお寿司の屋台出てるよ! 行こ行こ!」

「くぷっ! つーかアレ見ろよ! あの屋台、射的じゃね?! だははっ!!」

「オイあそこ紙芝居やってるぞ! なんであのゴツイじーさん泣きながら観てんの?!」

「ぱパンダだ! パンダがいる! なんか玉に乗ってる!」

 

 黒を基調とした夏雅乃宮学徒部隊式礼装で着飾った、男女が入り混じる数人の学徒警護兵達は年相応の好奇心で会場の盛況を楽しんでいた。

 中でも姫に仕えし親衛隊隊長である京子は、特にその立場に気負う事も無く、特殊な会場にやたらと爆笑していた。


「すごいねぇ~姫さまんち。総合商社って儲かってるんだね~。話とかしてみたいな~」

「オマエ駄目だぞ話しかけたりしたら。退学だけじゃ済まないってマジらしいからさ」

「はぁ~、何このカオス。腹いてぇ、ウケるわ~。イカれてんなこのパーティよ~。てかお前らもちゃんと気合入れて見回り――」

「お、おい! あの着ぐるみ『リスキーうらやす』だぜっ!! ぶははっ!」

「あっはっはっ!! 大丈夫かよ大将、版権はんけんとかよっ!! しかもアイツ何くばって……」

 男子学徒が発見した着ぐるみに再度爆笑し、凝視する不良女子京子。 


 その某有名動物キャラクターは、ナゼか来客に幻想的な動きでスルメを配っていた。

「はああ!! がぁ~っはっはっ!! なんでイカ配ってんだよあの野郎!! 捕獲ほかくしよーかマジで!!」

「ぶふっ京子見て! 目が違う! 怖い! あのリスキー目が怖いよ!」

「あっひゃっひゃ! なんでパクってまで奴を!! も~フザケんなよこの部屋ぁ!!」

 

 守るべきプリンセスからの想定外の精神攻撃により一部の警備隊が任務に支障をきたす中、闇を隠すうたげの音色はより一層、にぎわいを増してゆく。



――――夏雅乃宮家 別邸 エントランス前ロータリー



 ライトアップされた大きな装飾噴水を中心とする円形道路に、いくつかの渋滞に阻まれた黒い装甲セダンが、ゆっくりとタイヤの回転を落とす。


「到着しました」ハンドルを握る少年親衛隊員は冬条へ顔を向け、僅かに頷く。

「後は頼む」親衛隊員に意味深いみしんに頷き返す冬条。

夜鳩やはと」レンカは遮るかのように親衛隊員の名を呼ぶ。

「はい、准将」ハンドルは握ったまま、夜鳩はバックミラー越しに背後のレンカを見る。


「……フフ、この冬条はな、世界中で何やら仕組んでいる。可能性は限定などされない。だから私の為に命を捨てる様な事はするな。私がいなくなっても――世界を、生き抗い、探せ。……妹さんに、宜しくな」

 レンカは微笑み、夜鳩の反応を待たなかった。


――車外へ降り立つ二人。遠巻きながら、統合軍の兵士達と所属不明の学徒兵達が静かに装甲セダンを囲む。

「中に進むしかないと」かすかに苦笑する支配者。

「構わん、行こう」

 

 恐らく大きなターニングポイントを迎える事になるであろうその魔城へ、共に歩みを進める二人の魔王。その身が放つ冷厳れいげんな風が、阻む夜をじ曲げ、戦士達の勇気を殺してゆく。

 その前方には、一人のいかつい紳士がエントランスからの逆光ぎゃっこうを背に、おごそかに直立していた。


「――お久しぶりです、斬間准将」

 レンカは紳士にゆっくりとお辞儀をした。口髭くちひげたずさえた礼装の紳士は、眼前に立った銀髪の魔王に僅かな笑みを送り、静かに言う。

「顔を合わせるのは父上の葬儀以来か。ミカ君は元気かね?」

「はい」レンカは夜風に誘われるように、小さく微笑み答えた。

 そして紳士は若き総帥へ目を向けゆっくりと頷くと、冬条も静かに頷き返す。


「人間だ、対話から始めればいい……」紳士はおもむろに道を開けた。

承知しょうち」レンカは小さくうなずく。


 二人のロングブーツの靴音が、再びよいに鳴り響き始めた。



――――夏雅乃宮家 別邸 展望台



 宴の声も届かない屋敷の最奥。螺旋らせんの階段を上がった先に広がる、テニスコート四面分程の展望台で、淡く降り立つ月光を浴びながら少女が一人たたずむ。

 漆黒のイブニングドレスで身をよそおい、両の手でほうじ茶の入った湯のみを携え、少女は静穏せいおんに想いをつむいでいた。


「――姫さま。坊殿ぼうでん総理が御挨拶のお目通めどおりをたまわりたいとの事ですが、いかように」

 少女の背後より、老紳士がまるで亡霊の様な存在感で問いかける。


「下がらせよ。今わらわの目に映ることがかなうは、この月光のみ」

 老紳士の短い返事と遠ざかる足音。切り離された時の中、宇羅は心穏やかに月を仰ぐ。

 

 闇に咲く光。――月が欲しい、そうねだれば、誰かが思惑をめぐらせ、月の石でも献上してくるであろう。

 あるいは月の所有者にもなりかねない位置に君臨する闇の姫。だが彼女はそんな駄々をこねた事は一度も無い。

 自らが届かないからこそ美しい。

 自らに無い光だからこそ、自らに染める事なく、欲していつづけたい。


……この魂に根差す歪む星は、今日もみにくく、さみしく光り――。


 晴れ渡る夜は好きだった。月が輝く夜はこの場所で、誰も寄せ付けず、光を見る。

 その時だけ、誰にも知られず涙を落とせるから。涙が流れる事を、知れるから。



――――夏雅乃宮家 別邸内 会場



「――馬鹿かこの部屋」

「まあ、これは特別だ」

 時の経過と共に、よりにぎわってゆく宴のその。深酒に酔う、どこぞの有力者であろう老人がフンドシ一丁で厚化粧の芸子と一緒にくねくねと踊る横を、レンカと冬条の二人はさりげなく言葉を交わしつつ通り過ぎ、人気ひとけの無い会場の隅で揃って壁にもたれかかる。


「よ~。遅かったじゃんか、タコボンボンとタコキツネ」


 ハスキーな声が横から投げ掛けられ、顔を向ける二人。

 片手を腰に添えて勇ましいツリ目をギラつかせる、スタイルの良い、ヤンキーテイストあふれた少女が凛々しく立っていた。

「――斬間、久しぶりだな。元気そうでなによりだ。消え失せろ」微笑む冬条。

「改めて、『歪み月』では世話になった。ありがとう斬間京子。消え失せろ」微笑むレンカ。

「最低だよお前らっ!! シーはアタシに任せて失踪しっそうしてよマジでっ!!」キレる京子。


――かつて北の大地で、百を超える小型世界核の大群に囲まれ、絶対絶命の状況に追い込まれた小学校をたった二人で守りきった少女達がいた。


 吹雪と共に舞い降りたアサルトセーラーの少女と、絶対に車検は通らなそうなハイセンス極まりない単車で爆音を撒き散らし参上した特攻服の少女。


 当時互いに名前も知らない二人は、小学校の広い校庭の中央で背中を預けあい、群がり襲い来る悪魔さながらの世界核集団を次々に薙ぎ倒した。

 セーラー服の少女は流れる様な体術と銃撃で戦場を舞い、特攻服の少女は肩に担いできた近所のバス停標識を嵐の様にぶん回し踊った。


 余談として、認識兵器応用により光り輝くそのバス停は、後に悪魔を殲滅せし聖なる剣ならぬ聖なるバス停、≪エクスバス停≫として語り継がれ、二人の勇者を称える記念として今でもその校庭のど真ん中に迷惑にもぶっささりながら、勇者の再来を待ち、眠りについているという。


 そしていくばくかの時を経て今、くだんの女子二人の間で下半身を狙った軽い蹴り合いが勃発ぼっぱつしていた。互いのロングブーツが、ソフトにせめぎあう。

「気にいらねーんだよオメーらよー。いっつも何か企んでそーなツラしてよー。今日も大将からおめーら見張る様に言われたしよー。なんか知らねーけど逃げんなよー。会合だかの時間までゆっくりしとけよー。なんか飲みモンとか食いモン欲しいのあったら遠慮しないでドンドン言えよー。取ってきてやっからよー」

「途中からイイやつだな。百円やるから更生しろ」微笑むレンカ。 

「語尾の『よー』がうざったい。ラッパーか貴様。百円やるから出家しろ」微笑む冬条。

「オメーらチョット、入籍にゅうせきしてっ! で金銭関係とかでめろ! 揉め別れろっ!」キレる京子。

 宴の喧騒の隅で、下半身を狙った軽い蹴り合いが止まらない。

――が、その時。


「なっ――――どういう事だ冬条!!」

「え?! …………何がっ?!」

 銀髪の魔王の目に一瞬飛び込んできた、玉に乗ったパンダ。

 ころころと玉に乗り、奥の扉に消えていった。

 冬条は急にでかい声を出しプルプルと震えるレンカに正直ビビッた。

「びっくりしたー、ナニ急にでかい声出してんのオマエ!」

 ドキドキする不良の声にレンカはハッと我に返り、軽い咳払いで場をにごす。

「――すまない、少しノドが乾いてな……取り乱してしまった」

「いや、意味がわからんが、ならば何か飲み物でも持ってくる」

 

 レンカはその場から離れる支配者を「悪いな」と見送ると、正面の京子をじっと見る。

「いっぱい蹴ってすまなかったな斬間京子。私はお前が好きだ。そしてお寿司も好きだ」

 ばぶーっと吹き出し、突然の謎の告白に赤面混じりで混乱する不良女子。

「な何ブッこいてんだよオメーよ~! ふざけんなっつーの! ……じゃナンカまぐろ適当に持ってきてやるっつーのバカやろテメー」

 

 ぶつぶつと何か言いながら寿司屋台に向かう不良女子を、じっと見送るレンカ。


 そして、魔王は動き出す。



――――夏雅乃宮家 別邸 エントランス前ロータリー



 コンコン、と運転席側の防弾ガラスをたたかれ、窓を下ろす夜鳩。

 遅咲き桜のほのかな香りが夜風に乗り、車内に小さく舞う。

「失礼、宜しければこちらで車をお預かり……」

 言い掛けた少年の均整な目が、驚きで大きく開かれる。

「ヤハト? 眠野ねむりの夜鳩か?!」


「え――あ……ゲッカ。海前かいぜん、月下……」


 夜鳩は眠たげな表情を崩すことなくドアを開け、車外に降り立った。

 風に揺れる乱雑な黒髪。白い礼装姿の夜鳩は眩しげな微笑で、目の前の黒い礼装で身を飾る少年に語りかける。

「……久しぶり。中学の時以来いらいだよね。相変わらず、サムライ感溢れる風貌ふうぼうだね」


 腰まで伸びる長い黒銀髪を後ろで束ね、二本の刀を腰に差す美しい顔立ちの少年は、邸内より漏れ聞こえてくる和演奏の中、静かに微笑み返した。

「そういう貴様も相も変わらず、眠たげで、まぶしげだな。表はやはり苦手か」

「人をモグラみたいに」

 多くの兵士達の視線をよそに、二人の男子学徒は静かに笑い合う。


「夏雅乃宮学院にいたんだね。士官学校とかに進むのかと思ってた」

「いや、職業軍人にはならない。ボロ道場を継いでいくさ。こんな時代だからこそ……誰かが伝統を重んじていかねばな。貴様は……神鵬絡みか」

「……うん。拾って貰ったんだ。ウチの家系は……もう、僕だけになってしまったから。…………古い呪縛じゅばくが、終わらないよ」

 夜鳩は眩しげな遠い目で月を仰ぎ、月下は眉を寄せ、僅かにうつむく。


「――あ、車、ここに停めておいてもいいかな? 道幅広いし、邪魔になるようならその都度つど動かすから。……ここに居るよう、言われてるんだ」

 月下に、微笑む。


「……ああ、構わん。が…………夜鳩、自分は今、夏雅乃宮に仕える兵士だ。解るな?」

 微笑に返すは空間を振動させる斬気の間合い。月下の瞳に闇が落ちる。


「…………月下、その時はどうか君だけでも、道を開けてくれないか」

 

 夜風が、異質な流れを始めた。夜鳩の表情が影に同化し、よく判らない。


「――かつて天現てんげんの喉元に刃を当てたごう深き短刀、天忍てんにん眠り刃ねむりやいば』の末裔まつえい……。その時は、もと天現の守護家系が海前流の名の下に、かねてよりの決着をつけるのも、悪くはない」


 怒りのない、受け継がれただけの敵意。二人は微動だにせず向き合い、その時を待つ。



――――夏雅乃宮家 別邸 展望台



 今日は、涙がよく落ちる。後に控える黒の宴。そこで演じる裏天の仮面。

 いにしえからの呪縛で裏側の利害を調整し、表舞台の歯車に油を差す。世界の闇とバランスを取り合い、予定調和にそぐわぬモノを摘み払う。

 あくまでり所となる神、権威。そして裁く神、権力。

 かつて二つに分かれた、島国の現人神あらひとがみ


 この身を邪神と呼ぶのなら、人の世の安寧あんねいとはよこしまなり。

…………ふふ、詮無せんなき事よ――――。闇の姫は淋しげに、ほうじ茶を静かにすする。


「ほう、今日はこんなにも良い夜だったか」


 宇羅の背後で、闇に抗わない涼しげな声と共に、カツンカツンとロングブーツの靴の音が大理石の床に幻想曲を刻む。


 闇の姫は胸に差した、古に中国より秘密裏に伝わった黒色香木こくしょくこうぼく扇子せんすを片手で薙ぎ開いた。

「――近寄るでない。早々そうそうに立ち去るがよい」

 扇子で顔を隠し、振り返りもせず穏やかに言葉を放つも、幻想曲は宇羅の右隣に立つ。

「邪魔してすまないな。すぐ戻る。この夜景を、刻んでおきたい」

 

……やれやれ、何も知らぬ子供が――。闇の姫はゆっくりと、無作法者に顔を向けた。


――――は、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、………………。


 顔を隠す黒扇子がスローモーションで下りていく。

 開き震える口元。闇の姫の威厳ある目は可憐かれんに見開かれ、携える湯のみがプルプルと震える。

 

 不変ふへんの月光にいろどられる白く勇ましき礼装、月を仰ぐ端麗たんれいな横顔、光と闇のコントラストが、この久遠くおん寒獄かんごくに月の騎士を降臨こうりんさせた。

 

 月の騎士は闇の姫に静かに顔を向け、コントラストを携えた微笑みで小さく月を指差し、さり気なく言った。

「一つで充分だな」


――カァァァ、と顔に熱を帯びる闇の姫。もはやムーンナイトから視線を逸らせない。

 月の騎士レンカはふと、少女の涙の跡に気付く。

「……泣いていたのか」

 胸元のハンカチをスッと抜き取り、顔を寄せ、少女の涙を優しく拭う。

「――妹がいてな。昔はよく泣いていた」

 少女の頭をそっと抱き寄せ、よしよし、と優しくでるムーンレンカ。

 ぼふーっ!! と闇の姫の熱気が爆発し、だが一切の抵抗は無く、ただ口をパクパクとさせていた。


「外はまだ少し肌寒いな、戻るか」

 踵を返し、闇の姫から震える湯のみをスッと奪い、空いた手を優しく握る。


「――大丈夫だ。一緒に行こう」


 闇の姫は月の騎士の魔法に言葉を封じられ、刃の如き漆黒のツインテールからは湯気がと立ち上る。

 手を繋がれ、導かれるまま大理石の床を並んで歩く。


「暖かいな、茶か? 少し貰うぞ」レンカは湯のみに口を付け、クイとかたむけた。

 人間国宝が土から選び焼き上げた、いびつな漆黒の湯のみ。一箇所いっかしょだけ、他よりふちの少し下がった部分に常に口を付ける彼女は、その瞬間を見逃さなかった。

 ちゃぶー!! と吹き出し、垂れてきた鼻血を、取り出したレースのハンカチでプルプルと押さえる闇の姫。握られた手に、知らずらず力が入る。



――――夏雅乃宮家 別邸内 会場



「――トイレとかじゃねーの? 過保護だなテメーもよー。外に出たりしたらコッチでもスグわかっからよー。……もうトロ食っちゃお」

 会場の目立たない隅っこで、深い事情を知らないまま皿に盛った豪勢な寿司を気楽に立ち食いする不良女子と、フルーツジュースの入った二つのグラスを手にして辺りを見回す支配者。


(まあ、考えすぎか。あの宇羅がそこまでいて事を起こすとも考えられん。雪原に限っては無茶な行動などありえんだろう。……冷静に……待とう)

 彼は思案に目を閉じ、グラスを口に傾ける。


(…………やはり、考えてしまうな……。死人は出せない……ウクライナルートを囮に……リーデンバッハ隊の陽動から……日将連…………姉さん…………どう出る、裏天……)


「――――冬条」


 ハッと目を開け、声の方向に顔を向ける支配者冬条。

 白い礼装の麗人が、頭ひとつ分程背の小さい、赤面してプルプルとうつむく漆黒のドレスを纏う少女と手を繋いで並び立っていた。


「ンせれブッ!!」 

「はああっ?! ぶはははっ!!」

 セレブチックに吹き出しながら腰が砕けた支配者を見て、爆笑する不良少女。

「――何この無茶ギツネはっ!! 何連れて来てんの!! 元の位置に戻してこいバカ!!」

「落ち着け冬条、迷子かもしれん。名前とか聞いても何か『わにゃわ』がどうとか、か細い声でよく聞き取れん。――こわい事は無いぞ?」

 赤面の少女をナデナデとする無茶ギツネ。


「え…………『わにゃわ』?!」

 珍妙ちんみょうな衝撃を受け、冬条は宇羅を呆然ぼうぜんと見据える。

「ひ~、は~腹イテ……つーか……アレ? うちの大将と初対面?」京子は涙目で問う。


「…………ん?」小さく聞き返すレンカ。 

「…………」無言でプルプルとしつづける宇羅。 

「…………『わにゃ』……」呆然と言葉を漏らす冬条。

「……え? いや、その人……うちの大将……夏雅乃宮の宇羅様だけど……」


――特殊な空気が流れる。

 俗世ぞくせと切り離された、それは別に高尚こうしょうという事ではない空間に立つ四人の若人。


 レンカは特に動じる事なく、握っていた少女の手にそっと湯飲みを渡した。

「……すまなかった。まさかこんな可憐な少女だったとは。もっとこう、すごいのを想像していたよ。――雪原レンカだ。初めまして」


 驚愕に目を見開き、冬条に顔を向ける宇羅。

「今知ったか。……その、すまない」

 がーん、と口を開け、レンカの胸元に目を向ける。あまりの事態に気付かなかったが、確かに胸のふくらみを確認できる。


――筋肉では? ぷるぷると震える手が、粛々しゅくしゅくとレンカの胸に触れる。……むに。

「有料だ。千円」 


……むにむに。 

「……三千円」


――――がーん、と改めて口をあんぐりと開く闇の姫。せめてスカートだったなら……。

 うなだれ、漆黒の扇子を薙ぎ開くと、ゆっくりと顔を隠し、怒りの瞳を支配者へ向けた。

「……おのれ源人、はかりおったな」

「謀ってない。まず、意味がわからん」

「――こ、こ、このような、ナイスな騎士を差し向けおって……許せぬ…………わらわを……わらわお……」

 闇をべる、薄色の威厳ある瞳がレンカを見る。

「誕生日、おめでとう。お招き、ありがとう」静かな微笑で返すレンカ。


「……わ、わにゃわぉ……ゎにゃ……」 

「これか!!」見切る支配者。

 ぼふーっ、と熱気を放ち、トロんと潤んだ瞳で闇の姫は騎士に釘付けとなった。

「…………何これ」不良女子はトロを口一杯にほおばりながら状況を見守った。


「今日で十六歳か。フフ、私の方が少しお姉さんだな。――何か、私に話があると聞いたのだが……どうした?」

 少し乱れた宇羅の前髪を優しく整えながらレンカは問いかける。

「へ? ……あ……はにゃ……し……」

 もはや喉元をコチョコチョされる猫と化す闇の姫。

「いや、この場で話すべき事では――」

「す……好き? ……好きなモノ……なんじゃ?」

 真顔に戻った冬条の言葉を遮り、宇羅は黒扇子で口元を隠し、恥ずかしげにうつむいた。

(これは……まさか、なんて事だ。接する事で……生まれいずるモノ……か)

 支配者はズレる眼鏡を指先で押さえ、真っ赤にうつむく闇の姫を凝視する。

「パン…………ケーキ、ケーキが好きだ」

「ん? パンケーキ?」冬条は聞き返す。 

「あれっ?! 寿司とアタシは?!」

「け、ケーキか! ケーキじゃな?!」

 闇の姫がスイと扇子を上げると、何処からともなくかしこまった若いメイドが現れた。

「――姫様、こちらに参られるお時間には、まだ少しお早いようですが……」

「よい! こ、ここ、このナイスナイトが、ケーキを所望しょもうしておるでな!」

「『ナイスナイト』っ!! か、かしこまりました」軽い衝撃の後、一礼し歩き去るメイド。


――黒髪ロングをなびかせるメイドの動きに一切の無駄はなく、速やかに陶器の小皿に乗せられたショートケーキが用意され、レンカに差し出された。

「――こちらは、かつてフランスを荒らした『デス・パティシエ』による珠玉しゅぎょくの一品、彼自身がこれ以上のモノは存在しないと豪語する『ファイナル・ショート』でございます」

「ファイナルっ!!」 

「デス!!」 

「荒らすなよっ!!」

 レンカ、冬条、京子の衝撃三連打の中、ドキドキと不安げにレンカの顔色をうかがう闇の姫。 


 英仏語の入り混じる、謎の通名を持つ職人が手がけた日本式と思われるショートケーキを、フォークでそっと口に運ぶレンカ。

 イチゴの酸味と甘味、濃厚なバニラの香り、アーモンドの風味がさりげないスポンジ、甘さ控えめのとろける生クリームが口内で未知の融合を果たす。


 ほのかに赤く染まる頬。レンカの口から思わず恍惚こうこつの溜息が漏れると、黒髪のメイドはそれを見届け、しとやかに微笑んだ。


「まずいなコレ」 

「ズコおおぉぉぉっ!!」真顔で言うレンカにメイドの腰が砕ける。

「く、口に合わんかえ?!」おろおろとする闇の姫。

「まずいな。こんな最高に美味いケーキを食べてしまっては、もうヨソの物は食べられんぞ。まったく、ここに住みたいよ。――まずい事態だ」と、レンカはそっと宇羅の頭を撫でた。

「すす、素直にウマイと言えばよかろうにっ!!」 

「このナイスナイトがっ!!」

 赤面した闇の姫とメイドが声を上げ、ナイスナイトの肩をぺしぺし叩く。ナイトはさわやかに顔をほころばせながらケーキを食べ進めた。


「…………何これ」トロを口一杯にほおばりながら状況を見守る不良女子。

 その隣で度々ズレ落ちる眼鏡を指先で押さえながら、支配者も無言で状況を見守る。


「――全部食べちゃった。こんな美味しいケーキを妹にも食べさせてやりたいと思うのだが、余りが出そうなら一つ持ち帰っていいか?」口元のクリームをぺろりとやり、レンカは言う。

「今すぐきのイイとこ二、三百個ほど包んでここに持ていっ!!」

「『活きのイイとこ』っ!! か、かしこまりました」 

「いやそんなイラん」

「ええ遠慮えんりょせずともよい! どうせここに招いた連中なぞ、酒とさかなにしか目をやらんじゃろうて! スルメばっか食ろうて、ケーキなぞ毎度アホみたいに残るわ! そうじゃな?!」

 宇羅が異様なハイテンションで問いただすと、メイドは静かに微笑み答える。

「はい。ちなみに余ったケーキなどは、後ほどスタッフ一同でおいしくいただいております」


 何か「おいしく」あたりからメイドの目がギラリと変貌へんぼうし、レンカを睨んだ。ぐるる~、といった、まるでエサを死守する肉食動物じみた眼光。長く揺れる黒髪が、少し怖い。

「い、いや、ほんとそんなイラん。……ならば、ウチの学園に今、甘いのに目が無い変な女性士官が居座っていてな。ソレの分とで、二つ貰おう。――頼めるか?」

「かしこまりましたナイスナイト様」しとやかな笑みでお辞儀をし、メイドは立ち去った。


「――ウラ……これを、君に」

 レンカは携帯端末大程の銀製のケースを差し出す。

「ニゃ、にゃ、にゃんじゃ?」

 名前を呼ばれた事で蒸気をぽっぽーと小爆発させながら、闇の姫は震える手で受け取った。

 騎士は胸元の内ポケットからメタリックケースを取り出し、カチャリと金属の冷たい音をさせ、銀のシリンダーを指に挟み口にくわえた。目を閉じ、スウと吸い、フウと吐く。


「同じ物が入っている。本来、抗融頭痛と学徒兵の夜間戦闘時の眠気覚ましとして政府が推奨しているハーブシリンダーだが、これは北欧ほくおうのレアハーブなどを使ったオリジナルブレンドでな。無害のアロマハーブだから安心しろ。希少な香りを楽しんでくれ」


「――同じ……もの」

 シリンダーを指に光らせる騎士のスタイリッシュな挙動に見惚みとれながら、宇羅はつぶやく。


「さて、もう少し長居したいところだが……立場上あまり司令部を離れてもいられなくてな」

 レンカはシリンダーをケースにしまいながら宇羅に微笑む。冬条の目が、冷たく据わる。

 

 そして月の騎士は闇の姫に静かに近づくと、ゆっくりと彼女の後頭部に片手を回し、耳元へ顔を寄せた。


「――誕生の日に、一人寒空さむぞらの下で泣かねばならない少女は、いつでも私のそばに来い。微力びりょくかもしれん。だが一緒にいる事くらいは出来る。きっと人は、少し泣きながらも、そうやって生きていける」

 

 宇羅の目に、何かが舞い降りる。時間が、スローになってゆく。


「……光などなくてもいい。ただ君とつなぐ手に熱が生まれ、熱はやがて、世界を照らす灯火になるんだよ」


 優しく停止した時間の中ささやかれる、始起しきこと

 

――――人の間に生まれいずるモノ。たとえ極寒の闇が襲う日も、世界はその熱をかかげて生きてきたのだろう。

 それは時に劫熱こうねつともなり、世界を焼き払う劫火こうかと化す。


 でも人は、どれだけ焼き裂かれても、何度ほろびようとも、その熱に小さな灯火ともしびを見いだし、待ち続けていくものなのだろう。

…………詮無きこと――――。

 

 でも――――。


 虚空に見開かれる少女の瞳に、ひとすじの涙が流れた。


――レンカは、もうそれを拭う様な事はしなかった。ただ、抱きしめた。

 冬条は京子の肩に手を回し、あわてる京子に有無うむを言わさず、その場から一緒に離れた。


「『歪み月』は、わらわの行いじゃ」


 闇の姫は小さく震え、レンカにしか聞き取れない位の小さな真実を告げた。

 レンカの瞳孔が僅かに開く。だが、レンカは哀れみを込めて、目を閉じてゆく。


「公表でもなんでも好きにせい。許しなどわぬ。――こんな世界の許しなど、らぬ」

 かすれる涙声が、全てを憎む。


「――わらわは、一人で、生きて、死ぬ」

 

 涙に途切れる儚い言葉。震える手で、短すぎた幸せの時間を引き離そうと、力を入れる。


「私は、それを、許さない」


 闇の姫から嗚咽おえつが漏れる。振りほどけない、大きく、暖かい力が闇を抱きしめる。


――そして闇の姫は力尽き、レンカにそっとすがり、静かに泣いた。


「……いっぱい泣きな。おねえちゃんそばに居るから」

 

 父が死んだ時、ミカにも同じ事を言った。

 泣き止むまで、宇羅の頭をレンカは撫で続けた。


 終末を恐れ忘れるイカレた喧騒の片隅で、今はまだ弱く儚い灯火が生まれ――。

 レンカは最後に闇の姫の口元をピヨピヨとやり、幻想曲は無言のもと、幕を閉じる。



――――夏雅乃宮家 別邸 エントランス前ロータリー



 異質の月夜に輝く眼光が四つ。向かい合い対峙する、二人の少年。

 片方の少年は腰元の刀に手を掛ける寸前で指をコキリとならし、もう片方の少年は眠たげな瞳を崩さずに直立する。

 夜風にひるがえる、白い礼装の長いすそすらも凶器に思えるその独自の領域に、黒い礼装の少年はおぼろげながら恐怖すら感じている。


「ただいまー」


 四つの眼光が声の方向に鋭く向けられる。

「……なんだこの空気」歩み寄り、二人の対峙する少年を見やるレンカ。

「…………あれ?!」眠たげな夜鳩の目が、軽い衝撃を受け見開かれる。

「夜鳩、ご苦労だった。帰ろう」レンカの横で、冬条が穏やかに言う。

「待たれよっ!!」

 空間を鋭利えいりな音と共に月下の刀が抜かれ、それに呼応し、遠巻きの兵士達がメタリックな音を夜に響かせ銃器を構える。その刹那せつな、夜鳩を構成する線に僅かにノイズが走った。黒い時間をかすかな痛みが駆け抜ける。

 しかしレンカと冬条は事態に一切動じていない。


「――皆の者!! ひかえよ!!」


 威厳を放つ声のもとへ、その場の全ての者が振り返った。

――エントランスからの逆光を纏い、現人神の黒影こくえいがそこに立つ。

 

 一斉に銃口が収められた。地を打つ、見事に揃った靴の音に併せ、敬礼が闇夜に点在する。そして美しく響く納刀のうとうの鉄の音と、消え去る痛み。

 猛々しい刃際立つ黒影の奥より歩み現れたのは、更に二つの黒影。

 闇を淡く纏った礼装の紳士が一連の手信号を送ると、その場の兵士達が無言のもと、一斉に散開していった。

 漆黒のドレスの少女はもう一つの黒影、黒髪のメイドから何かを手渡され、装甲セダンの前に立つレンカと冬条に、静かに歩み寄る。


「――姫、この状況は一体どのような……」

 月下は冷静に問いかけると、闇の姫の、恐らく初めて聞く穏やかなトーンが耳に届く。

「よい。ご苦労じゃったの月下よ。下がっておれ」

 

 月下は短い返事と一礼を残し、夜鳩を少し悲しげに一瞥すると、静かに歩み去った。


 少しうつむきながらレンカの前に立つ闇の姫。そしてズイっと、何やら豪奢ごうしゃな巾着をレンカに押し付けると、薄紅の小さな唇が弱く震え開く。

「ね、ねだっておいて、忘れるでないわ、たわけ……」


……巾着がそっと受け取られると、その差し出した手をきゅっと握られる。そして彼女は頬を染め、恐る恐る顔を上げると、月光のコントラストのもと、微笑む月の騎士が再臨さいりんした。

「おやすみ、ウラ。君の夢見ゆめみを守ろう」


――ドっゴ~ンっ! と、蒸気と共にツインテールを逆立たせる勢いで宇羅の全身が紅潮していく。


「…………何これ」飽きもせず、まだトロをほおばり状況を見守る不良女子。

「お前は何をしている……まったく」

 横に立った娘を見て、紳士は呆れ気味に言うと軽い溜息を一つ落とした。


 レンカは奥に立つ礼装の紳士へ一礼する。彼はそれに対し、破顔はがんで頷き答える。

 隣の不良女子には騎士より小さな投げキッスが贈られた。

 ばぶぅーっ! と吹き出す京子を見届け、三人の神鵬学徒は装甲セダンに乗り込んでいった。


――ドアウィンドウのガラス越しに、宇羅に笑みを送り、小さく手を振るレンカ。


「――――」

 宇羅は少し寂しげに微笑みを返しながら、か細く、短く、言葉を口にした。


――――あまねく夜に、テールランプの光の尾を薄く残しながら去ってゆく、黒い装甲車。

 踵を返し、ヒールの靴音を闇に溶かしながら、闇の姫は狂騒きょうそうおりへとまた、戻っていった。



――――東京 首都高速道路



「――まあ、異常事態だよ。おめでとう」

 

 装甲セダンはインターチェンジに差し掛かる。長い時間、携帯端末で何やらあわただしく暗号めいた指示を飛ばしていた支配者は、通話を切ってフウと一息落とすと、つぶやいた。

 車内を彩る外からの電光。冬条の隣で小さな笑みを浮かべ、レンカは言う。

「そうか。……よーし、ヤハト君、ラーメン食べて帰ろうか。よくわからんが、鶏がら醤油で祝杯だ」

「僕は魚介系の濃厚なやつがいいです」

「……お前はこんな夜遅くに、私の様な女子にこってりしたもの食べさせようとするんじゃないよ」


――ぶふっ。

 僅かにだが確かに聞こえた。

「笑ったな貴様……んん?」

 次の瞬間解き放たれた死の爪は、非情な冷気と迷い――ちょっと鶏塩スープなんかも捨てがたく、カロリー的にはマズイがもうこの際ミニちゃーしゅー丼もいってしまうか……といった葛藤かっとう――を帯び、いたいけな少年を背後から残酷に貪ろうとした。


「俺キターっっ!!」

 支配者の口元をピヨピヨとやる月の騎士。

「すまない、迷いが生じ軌道が」 

「何迷ったんだよ!! やーめーれ!」

 お腹がすいたので、そっとピヨ口を解除するレンカ。ハァ、と支配者が軽く息をついた。

「……ところでお前、あの時何をしていた。まさか宇羅の拉致らちに動いた訳でもあるまい」


――支配者からの問いに騎士は軽く咳払いをし、うつむき、ヒザの上の豪奢な巾着をもぞもぞとし、和塗りのこれもまた豪奢な箱のフタを、少し開ける。

「わぁー、ケーキだー」 

「ごまかすな」

 中身ケーキだって、知ってんじゃん。と、ごく普通につっこまれ、静かにフタを閉じると、レンカは何やら気恥ずかしそうに小さく言った。

「――いたんだよ、ヤツが」 


「…………そうか……ついに、いたか」

 まあ害の無い事だろうと、支配者はそれ以上の詮索せんさくはやめた。


「…………宇羅な。あの会場で、俺ら以外の招待客から声を掛けられる様な事無かっただろ。まあ目立たない会場の隅とはいえ、何人かは彼女に気付いていたはずだ」

 

 ドアウィンドウに流れる夜景に顔を向け、冬条は静かに語る。

「見えないのさ、彼女が。見ようとしないんだよ。おかしな呪縛でな」


――呪縛、という言葉に少し反応する夜鳩。


「『世界五大皇帝』の一人、現人神天現。遠い昔に、優しい神様と、裁く神様に分かたれた。俗な視点から言えば、善と悪。この小さな島国が列強の国々に渡り合うには絶対的人心掌握じんしんしょうあく不可欠ふかけつとされ、国民の希望をになう神として一切の汚れ事から遠ざかるべく、また権力の分散を恐れ、自らを二つに分けたのさ。永遠絶対の光の権威と、永遠絶対の闇の権力に」

 

 レンカはカチャリと音をさせると銀のシリンダーを口にくわえ、聴き入った。


「現実を調整する神はその存在を絶対秘匿とされ、この島国は救世の神の下に、一つの絶対的信心を持つに至った。バランスなんてものは時に残酷なもので、誰かが何かを得る時、誰かが何かを失っている。ことわりにより調整が成される。それは決して万物平等博愛の神の手で行われるものであってはならない。――裏天現は、存在しないものとされた」


「――シンプルな話だ。美しくりたい、その必要があった王様は、汚れ役を息子だかに押し付けた。他人は信用出来ないから。そして自らの潔白の為、無関係を装い、存在しないモノとした。口止めの見返りに闇の権力を与えて、と言ったところか」

 つぶやくレンカに目を向け、小さく頷く支配者。

「まあ大筋は違いない。そしてその存在を否定する呪縛は、今現在も一部の有力者達に伝統として色濃く残されている。事情を知らない人間も、呪縛にとらわれた者達の影響で、真実は巧妙に隠蔽いんぺいされながら、やがては同じになる。ルールに、従うのさ」


「……やっかいだな。その囚われた者達の力が強過ぎるのだろう?」

「ああ。事情を知っている、すなわち過去、国の中枢ちゅうすうした血統者達だ。そしてもっともやっかいな事は、これが悪意の下でなく、正義の伝統儀礼、慣習として続いてゆくという事だ」

 

 支配者は背部のレザーシートに更に強く背中を預け、あごを上げた。ふう、と一息漏らすと、横からスッと手が伸びてきて、口に銀のハーブシリンダーを添えられる。

「フフ、よくしゃべるじゃないか。落ち着け」

 口にくわえたハーブシリンダーを指で挟み、スウと吸ってフウと吐く支配者。

 どこか寒い国の気高い花を思わせる冷たい香りの余韻よいんに、目を閉じる。


「――おかしなもんさ。夏雅乃宮の体裁ていさいで儀式の様に誕生の宴は開かれ、だが主役は空気の様に扱われる。それが高貴なるしきたりと俗物は酔いしれる。そういう気持ちの悪いところがある世界だ。……新しい首相あたりが何も知らず挨拶に出むこうものなら、適当に理由をつけて追い返しているだろうな。あいつは、そういう繊細な部分もある。自分に接した事が知れ渡れば、相手がこの先、社会生活をまともに送れなくなる事を知っているからな」


「…………そういう事、だったのか」

 レンカは目を閉じ、闇の姫との邂逅かいこうを振り返る。

「……ああいった席は公開処刑だ。一部の例外と使用人等は別だが、宇羅が仮に招待客に声を掛けたとしても、目をせられ、静かに立ち去られてしまう。そういうところを俺も沢山見てきた。この世に生まれた時からフザケた檻にぶちこまれたあいつの心は、きっといつでも泣いていたのだろう。今まで、恐らく友人というものはいなかったハズだ。何も知らない同級生にまで、イカれた老人どもの呪縛は親等おやなどかいし浸透してゆき、イジメなんかではない、世界の正しいルールとしてあいつは見えなくなっていったんだ。……やがて、あいつも他人を拒絶し始め、学校にも行かなくなった。俺なんかもすっかり嫌われたもんさ」

 

 支配者はシリンダーを指の間で揺らしながら言を繋ぐ。

「まだガキの頃、初めて会った時から、あいつは目が闇にちていた。うちの家系は夏雅乃宮と密接でな。神の声を聞く巫女みこ、邪神の大司教とでもいったところか。接する事を黙認されていた俺にも、宇羅は心を開く事はなかった。何もしてやれないまま今日に至り、俺は、今日、自らの目的の為……最悪、夏雅乃宮と決別、反逆すら覚悟した」


 どこかの学徒部隊の装甲車が、反対車線を走り去って行った。日常化した光景だった。


「――ふふ、今まで、見た事のない顔ばかりだったよ。ぷっ、はは! いや、あいつもあんな赤くなるんだな。ぷるぷるして。ホント、あいつ……嬉しかったんだろうな。きっと、すごく嬉しかったんだ」

 珍しく、支配者が楽しげに笑った。


――保存しておこう、何かに使えるかもしれん。

 レンカは携帯端末を素早く抜き出し、冬条にレンズを合わせる。

ーるーな」瞬時にいつものムスっとした顔に戻り、冬条は騎士の口元をピヨピヨとやる。

「くっ!」口しげな声と共に、パシャッとシャッター音が虚しく響く。

「何が『くっ!』だよ……まあ、やたら話が長くなってしまったが……何が言いたかったか、って事で……」

 ピヨ口をそっと解除する冬条。


「……その、な」

 僅かな熱がこもる冷涼な瞳が、切れ長の眼光を見据える。そして――。


「今日は、ありがとう」と、冬条は静かに微笑んだ。

 

 パシャッ!

「なんで撮るのっ!! あバカ保存すんな消せ!!」ガシっと騎士をピヨ口に掴む支配者。

「――冬条君。わたし、怖いの」

「このタイミングでっ?! まだ言うのソレ!」

 軽い衝撃を受けナゼか眼鏡がくもる支配者は、携帯の操作に夢中の騎士を忌々しげにピヨ口のままグラグラと揺らした。

 ぶふっ、と僅かに、確かに聞こえた。

「笑った――まあ、笑うところだ」

 騎士はそく、操作に戻る。死の爪の惨劇は回避された。


「――――長かったな前置き!」携帯をしまいながら急にでかい声で言うレンカ。

「急にでかい声出すなっ。――ま、まあ礼だけは言いたかったんだよ」

 ちっ、と軽く舌打ちしてバツが悪そうに顔をそむける支配者。


「彼女も……最後に、そう言ったよ」

 

 驚きに見開いた目で、冬条はレンカに顔を向ける。

「…………あいつが?」


 ありがとう――少女が生まれて初めて口にした言葉。か細く、だが確かに言っていた。


『歪み月』の事を、レンカは口にする気はなかった。

 

 事後、冬条から渡された極秘扱いのレポートに、敵の兵器に巻き込まれていた、某国の宇宙ステーションに関した被害報告が記されていた。


【施設、人員共に、一切の被害は認められず】 

 

 殺意無き光――。


 そして遊撃隊への聞き取り調査では、ウサミミ人型の行動についての不可解な報告が次々とがっていた。


【敵意があったのか、よく解らない。こちらを無視しておもちついてるっぽいヤツがいた】

【何かぴょんぴょん跳ねて体当たり攻撃? をされた。怖かった。でも弱かった】

【軽傷者しかでなかった。何かじゃれつかれているようにも感じた】

 

 日本の人間による『認識兵器』の可能性をレンカは感じていた。月に餅つき兎なんて発想なら、大体、国はしぼられる。

 冬条はこの件に口を閉ざしつつ、自分に何かを伝えようと葛藤した感があった。

 そして空院静も何かを察し、その件を持ち出される事に、冬条は一瞬表情を歪ませたのではないだろうか。

 

 彼に関係する者が何らかの係わりをもっている気がしていた。


 宇羅が何を目的としていたのかは解らない。手にした『認識兵器』で世界征服を企むのか、何か強大な思惑に操られているのか。そして冬条はある程度を知っていたのだろう。

 

 距離感のつかめない、不器用なコミュニケーションのあらわれ――これだ。

 思索の中で何かを掴み、ククッ、と一笑するレンカ。それを怪訝に見つめる冬条。

 

 それでもいい。違ってもいい。

 それぞれに敵がいて、目的が有り、いつか真実も虚偽も一つとなり、そしてまた世界は生まれてゆくのだろう。

 

 ただこの瞬間の、一つの真実として――。


「彼女は……ちゃんと、いたよ。当然の熱を持って、生きている」

 

 少女と繋いだ手に目をやり、静かに握るレンカ。冬条は、何も答えない。

――今は、それだけでいい。レンカは穏やかに微笑んだ。


――探し、見つけたんです。あなたという、守るべき死に場所を。

 バックミラー越しにレンカをそっと見る夜鳩の眠たげな表情が、僅かに綻ぶ。

 いつの日か、あなたが静かに眠れる事を――。


「准将、結局どこのラーメン食べます? レディーファーストという事で」

「――フッ、解ってきたみたいじゃないかヤハト……ならとっておきの屋台を案内しようか。ミカとたまに行くんだ。最近裏メニュー出してくれるんだよコレが」

「まず『レディー』についてだが――」

 レンカの死の爪が解き放たれ、支配者をピヨ口に締め上げ言を遮る。アハハと笑う少年に、お前が言ったんだろうが、とターゲットを移し、背後から残酷に貪る。


 やかましい時間の中、ふと、ドアウィンドウ越しに夜空を見上げる支配者。


――――ふざけやがって! 俺がおっきくなったらこんな世界、絶対ぶっこわしてやるっ!!

 いやっ! こんなに宇宙はひろいんだ! 地球だ! あんな大人達のいない、俺とお前の地球を作ってやる! そこに住んでやる! だから泣くなウラ!


――――ひっく、ほんとか? ゲント、ほんとか?

 

 思い出の中で焼き付く、垣間かいま見た少女のなげき。


…………なあ、宇羅。宇宙はな、そう広くもなかったようだ。だから、せめて、抗うよ。 

 理想の先にあった戦い。世界の奔流ほんりゅうに、やがて俺もお前も引き離されてゆくのだろうな。


――もう、会える事もないのかもしれんな。……所詮は弱き王……そして、お前も…………。


 幼き日に共に仰いだ月光の夜空。その光だけは、今もそう変わらない。

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