籠の子<コノコ>

 我朝毎夕毎ニ見ル竹ノ中ニ御座スルニテ知リヌ。

 子ニナリ給フベキ人ナメリ。






 世の者達は、自分を何と言っているだろうか。

 

 人斬り、残忍、鬼、狂気―


 恐らくどれも当てはまっている。どれもこの、自分のことだ。

 だが俺は、自分に最も良く当てはまる言葉を知っている。





 ―愚か者め。












「――そも、昨年の八月より、京にいた勤王の志士は減っていっていた。それに加え、先の一件だ。長州や土佐、肥後の志士が多数殺られた。これから京がどうなるか、分かるか。」

 和木由治わきよしはる深川狭霧みかわさぎりに問い掛けた。

 和木の前に控えた狭霧は答える。

「増々佐幕派の者供が京に蔓延り、帝、延いてはこの国が、夷狄に害される可能性が高まるということですか。」

「そうだ。しかも先の一件でいい気になった佐幕派の浪士達が、我が物顔で京の市中を出回っている。勤王派はより危険に晒される。」

「和木先生。」

 狭霧は、若者らしい、闘志に溢れた目で和木を見た。

「戦は、いつ起こりますか。」

「何をいきなり。」

「武を以て追い出されたのであれば、武を以て報復する。それが世の習わしでしょう。」

「勤王派が、戦を起こしてくると、狭霧はそう考えるのだな。」

「ええ。」

「それは、お前の願望でもある、違うか。」

 狭霧は口を噤んだ。そんな狭霧を和木は愉快そうに見つめていた。やがてその視線を撥ねっ返すように、狭霧は和木を見据えた。

「戦を望むことが、いけないことでしょうか。」

和木は驚いたようにほおう、と息を漏らす。

「和木先生のように学があり、世情に通じた者であれば、自らの志を貫き通す道は幾らでもありましょう。けれど私のように頭の悪い、莫迦は、己の腕で生きていくしか、道がないのです。」

「莫迦のくせに、よく筋の通った話をするもんだ。」

和木は苦笑して溜息を吐いた。そしてすぐに鋭い目をした。

「忘れるな狭霧。狭丘藩せのおかはんは譜代の地。我ら狭丘藩士は、幕府の恩恵を受けて、生きておるのだ。」

「ですが、」

「それを忘れれば、武士ではない。武士でなくなれば、ただの人殺しだ。」

「…はい。」

 しおらしくなった狭霧を見て、和木はくすり、と笑った。

「お前はちょいと血の気が多すぎる。若いのだから多少は仕方がないが、お前のような者が多ければ、京の町が火の海になってしまうな。」

「申し訳も御座いません。」

「いいんだ。お前が常々私の考えを理解してくれていることはよく分かっている。江戸の藩邸から京にまで、己を理解してくれる者が付いてきてくれるのは、私とて心強いんだ。ときに、前から言っているが、先生というのは、どうだろうか。」

「和木先生は和木先生です。私の様な学のない者にも、皇国の志を説いてくださった。おかげで私は今、生きてゆけるのです。」

「ううん、そういうのはくすぐったいから好まないんだがなあ。」

和木は頭を掻いた。

「お前が私の思想に縛られることはない。生きる道は、人それぞれに違うのだから。」

「…承知致しました。」

そう、低く言った狭霧を見て、和木は何か、禁句を発してしまったような念を感じて、立ち上がった狭霧に呼び掛けた。

「おい、深川。」

「はい。」

振り返った狭霧の目を見て、何か不味いものを感じたが、何も言葉が見つからない。

「いや、なんでもない。すまん。」

 狭霧は部屋を辞した。















 ―今宵は三日月で助かったな。

 狭霧は小路に面した壁にもたれながら考える。

 冷やっこい冬の月が地上を照らすでもなく、唯々黒い空に光っている。

 今いる小路に交わった、もう一本の路から、ひとりの男が近づいてきている気配がした。


 


 息を細く吸って、また細く吐く。


 


 男は狭霧に気づかずに、横を通り過ぎて行った。

 狭霧は角から暫く男の背を見ていた。


 



 枝だけ垂らした柳の隣を、男が通る。



 



 

 瞬間、狭霧はすう、と息を吸って、右足を踏み出した。

 滑り込むように、一気に男の両脛を、刃で掬い上げる。

 男の両足が斜めに裂けた。

 倒れてゆく男の左肩を蹴りつけて地面に押さえつけると、間髪入れず、寝かせた刃を左胸に突き刺した。

 蝦反りになる感覚が伝わったかと思うと、そのままもう、男は動かなくなった。


 



 ―いつだろうと変わらないか。

 狭霧は地面に広がってゆく染みを見つめながら、またぼんやりと考え始めた。

 昨夜であろうと今夜であろうと明日の夜であろうと、状況は然程変わらない。変わるのは月の形と斬る相手だけだ。その月だって空にあるだけだし、相手だって、大体最期はおなじようなものなのだ。

 

 人を斬った直後というのは、なんとも不思議な味がする。

 

 それは決して良いものではなく、胸糞悪くて吐き気がするような、奇妙な味だ。腐っても人であることを、思い知らされる。

 皇国の志がなんだ。ソンノウジョウイがなんだ。そんなもの、自分の生きる道でも何でもない。一寸も理解ができないくせに。そんくらいのことは、自分でも分かっているんだろう。

 


 お前は、ただの、人斬りだ。

 


 そういった罪悪感が臍のあたりから喉まで付きあがってきて、そのまま吐き出してしまいそうになる。


 





 ―これが和木先生の思想、延いては神国日本の助けとなるならば。

 

 刀を引っこ抜いて、血を払う。深く、深く、息を吐く。

 天誅の名のもとに、今まで感じていたものを、殺してゆく。

 

 目的はただこれだけのはずなのに、他にも何かあったような気がして、そしてそれが叶っていないような絶望感だけは、毎度のごとく残っていた。







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