久瀬栞というピース①

 一番最初はただの意地だった。


 なけなしのプライドを総動員した、女の意地。ただそれだけだった筈なのに。


 冷静な風でいて、激する感情を秘めてる君の顔は凛々しくて。


 湾曲な言い方を好むくせに、行動はストレートで意地っ張り。


 私を疎まし気にしながらも酷いことは言わないで、ごく普通に対応してくれる誠実さ。


 道路で必ず車道側を歩いてくれていたり、強引に入った相合傘で私を傘に入れるために自分の肩をずぶ濡れにする優しさ。


 内心を表すのが苦手な不器用さや、それを覆い隠すように言葉を弄ぶ捻くれ具合。


 そのちょっとした事に積み重ねで気がつけば彼のことを本当に好きになり、意地でしていた事が心からの好意を伝えるための手段になり、そんな押しかけ恋人みたいなやり取りも心地よくて。


 それが本物になったと思ったら、私の馬鹿な行動のせいでこぼれ落ちて行ったりもして。


「そういう訳なら一緒に入られないよね。うん、じゃあ、お幸せに」


 そんな感じのあっさり風味な言葉を残し、私の恋愛は遠くへ逃げていった。






「嘘……そんなのって、あり、なの?」


「…………ねぇ、久瀬さん? あんな奴のことよりも、ちゃんと俺に返事を聞かせてよ。っていうか、キスまでさせてくれたんだからオッケーだよね?」


「五月蝿い黙れっ!」


 頭が回らない。思考がごちゃごちゃする。今何が起こったのか、視覚情報としては理解できているけど感情面が飽和して全く処理を進めてくれない。


 そしてそんな途方も無い感情をどうにかするためのはけ口として、その場にいた生徒Aは丁度いい対象だった。というかこいつが根本的な原因でもあるから本当にちょうどいい。人の恋路を邪魔する奴は、私に殴られ飛んで行け。


 幼い頃から習い続けていた空手――正直学校では隠し通していたが――の実力を如何なく発揮させ、性懲りもなく私の身体……と言っても顎だけど、そこに触ろうとしてくる男の手を下側に弾き、その反動を受けた手を上に跳ね上げ男の顎先を手の甲で掠めるように殴る。


 脳みそをきれいに揺らしたのを確信しつつ、ダメ押しで鳩尾に正拳を一撃見舞い、体が崩れ落ちるのを確認する。


 素人相手に何大人気ないことしてるんだと思わなくもないけど、でもしょうがない。乙女の唇を奪った上に恋路を邪魔した報いとしては軽いくらいだと思って欲しい。


 崩れ落ちた男の胸と口元に手をやり、自発呼吸ができている事を調べる。変な痙攣などを起こしてないことも確認したうえで、廊下の端に寄せて放置しておく。武道家としてこれくらいの面倒は見てやるけど、それ以上は絶対する気になれない。


 なにせこいつが、この男が今日このタイミングで告白してあまつさえ不意を着いてキスなんてしてこなければ、きっと全ては上手くいった……かどうかは正直分からないけど、でも今のこんな状況よりはずいぶんと違う事になるはずだったのだ。


 たぶん、きっと、メイビー。


 振り返っても彼の……布施君の姿は、もう無い。


 どうやら私が呆然としている間にとっととこの場を去っていったらしい。沈着冷静なようでいて感情任せな行動は早い彼らしい。


 いや、もしかしたらまだ学校の中にいるかもしれない。


 今の時間なら部室棟に居ることが多いし、この渡り廊下の先はその部室棟だ。とりあえず駆け足にならない程度の早足で向かう。


 彼の部活が使用している部室は把握しているし、この渡り廊下からそう離れてもいないから、まだ間に合うかもしれない。


 そんな希望的観測を脳裏に抱きながらも、私は出来る限りの早足で移動していく。学校内を、廊下を走るのはどうにも性に合わない。昔からの躾がもたらしているんだろうか。


 益体もない事を考えながら部室棟にたどり着き、急いで彼が所属している弓道部の部室へと向かう。


 周囲から驚いた目を向けられているのを意識しながら、できる限りの速度で。


 だって、言えてない。私の心の中を、本音を、彼への想いを。


 あの時何で彼を拒絶したのか、あんな事を言っちゃったのか。 


 その理由も、そして言った後の日々も、その時に思った事も。


 まだ何一つ伝えていないのに、きっと彼は、もう私を見なくなる。


 自分の中で全部消化しきって、全て納得して、そして完全に終わってしまう。


 何故なら彼は、感情を内面で処理することに長けてるから。


 口や表情にはあんまり出さず、激情を自分の内側だけで収める事が癖になっているから。


 そんなのは――――嫌だ。


 膨らむ不安と嫌過ぎる予感を、彼を追いかけるという行為に集中することで考えないようにしていく。


 でも。ああ、でも。


 彼が所属している部活の部室に行ったら、彼の後輩が不思議そうな顔をしながら私の顔を見る。


「あれ、久瀬先輩。こんにちわ。どうしたんスか? そんな息切らせて」


「布施くんは!?」


「布施先輩ですか? 布施先輩なら、なんかさっき挨拶だけしてすぐ帰りましたけど」


「帰った!? ついさっきよね!?」


「え、ええ。なんか、普段の五割増しに怖い雰囲気出してましたけど……。そういや、ここんとこ先輩参ってる様子だったんですけど、喧嘩でもしたんですか?」


「そんなところっ! じゃあね、ありがとっ!」


 顔見知りの後輩とそんな感じのやり取りを即効で済ませ、部室棟を出て駐輪場に向かう。


 彼はバイク通学だ。押しかけ恋人やってる時や実際の恋人になった後は電車やバスを使って一緒に登校してくれていたけど、何度か遅刻しそうな時には嫌そうな顔をしながらも後ろに乗せて学校まで連れて来てくれたことを思い出す。もちろん、授業の終わり時間が違う日や時間が合わない時は容赦なく置いてかれたけど。私は待っていたのに。


 ここ最近、というか彼に別れを切り出してしまってから、そしてそれを受け入れられてしまってからは再び常時バイク通学に戻っていたはずだ。なにせ、この三日間、一切彼には会えて無いが、駐輪場に彼のバイクが置かれているのは見かけたのだ。


 そんな昔日の思い出を脳裏に描きながら、私は少しだけ心に安堵を得ていた。


「怒ってる感じ、だったんだ」


 思わず、声に出して呟く。


 好きの反対は無関心だなんて言うけど、彼はここ最近――私が彼に別れを告げていこう、完全に無関心のような態度を貫いていた。


 経緯はともあれ、彼が私に関して感情を出してくれたのは、無関心よりはマシだと言えるだろう。


 いや、マシの中でも最悪から一歩良い方に移動しただけだけれども。


「とりあえず、まだ出てないことを祈る……っ!」


 後は、何であれ会話をしたい。


 彼は嫌がるだろうし、得意の長広舌ではぐらかしにかかるだろうけど、その時は解禁した空手でもなんでも使って捕まえればいい。


 間合いを詰めて捉えてから全力で説得だ。


 校舎から屋外に出たところで足のギアを入れ替え、全力でダッシュ。これでも、瞬発力には自信があるのだ。

 

 周囲から驚きの顔を向けられても全部無視しながら向かった駐輪場で、はたして彼はバイクを手で押して道路に出ようとしているところだった。


「布施君っ!」


 駆け寄りながら名前を呼ぶ。


 それが聞こえたのか、彼の足が止まる。良かった、と内心で安堵しながらさらに距離を詰めつつ速度を落とし、後少しで手が届くというところで彼が振り返った。


「さよなら、久瀬さん」


 動きが、止まる。


 振り返った彼の顔は、今までもよく見た表情に乏しい顔で。


 でもその顔がどこか泣いているような、諦めているような、辛そうな、そんな表情を出しているように見えて。


 一歩も、動けなくなってしまった。


「……………………」


 そうして私が固まっている間に、ヘルメットで表情を隠した彼はバイクに跨り帰路について。


 その姿が見えなくなったところで、私は伸ばしていた手を力なく降ろした。


 彼はなんて言った?


 さよう、なら?


 彼とお付き合いするようになってから、初めて聞いた挨拶だ。


 付き合う前はよく言われたけど、付き合い始めてからはいつだって 「またね」とか、「また明日」とか、そういう感じの挨拶だったのに。


 そう、いつだって。

 

 この前の……三日前の時だって、彼が私の申し出にあっさりと頷いた所で頭が真っ白になったから、そのまま私を置いて彼がいなくなってしまったから挨拶なんかしてないし。


 二日前は後悔しつつも彼の様子をうかがって、あまりにも何時も通りな様子に焦りを感じて。


 昨日はなんとか彼と話をしようと事業が終わった後すぐに話しに行こうとしても、逃げるように彼はいなくなってしまい、かつ私は邪魔くさい連中が近づいてきて身動きが取れなくなったこともあり見失って、その後も頑張ったのに探し出せなかったし。


 今日は今日で――さっきのあれだ。


 別れてからようやく交わせた言葉は誤解を納得したようなもので、今まさにまるで最後を告げられるような別れの言葉を述べられて。


 それってつまり――――どう考えても、もう終わりってことなのかなぁ?


 さっきのキスを見られたのが止めなのか、それとも私があの時彼を拒絶するふりをしたのがそもそもいけなかったのか。


 呆然と立っているうちにバイクに乗った彼は当然のようにいなくなっており、空から落ちてきた雨粒が頬に当たることでようやく私は我に返ることが出来た。


 もう、手遅れなのかもしれない。






 私が彼の事を……布施晶君の事を初めて意識したのは、お昼休みに食堂で友達と五人でしてたトランプゲームがきっかけだった。

 

 その時のゲームは、大貧民。


 最後のゲームでビリになった人は、最初に上がった人……つまり大富豪の出す罰ゲームを行うというルールの元で遊んでいて、その時は私がビリになった。


 罰ゲームの内容は最初に決めてあって、私が出す予定だったのは、帰りにお菓子を皆に一つずつ奢ること。


 他の三人も似たり寄ったりだったんだけど、でも最終的に勝った子の罰ゲームだけが、少し違ってた。


 方向性としては、まぁ、女子高生らしいというか、そういうものなんだけど。


 ようするに、誰か男の子に告白しろ、と言うもの。


 そのままオーケーされたら付き合うも良し、本当の事を話して冗談で済ますも良し、振られたらはい残念、という感じの罰ゲーム。


 そしてそのターゲットとして彼女が指定したのが、布施君だった。


 布施晶。


 彼は、ありていに言ってしまえば冴えない男の子だった。


 でも何処か他の人とは一線を介している雰囲気を持っている人で、何事にも動じないで、何でも淡々と作業的にこなす人――らしかった。


 その時は正直彼のことなど知らなくて。同じ授業を取っているらしいが、その他大勢の一人だとしか認識していなかった。


 勿論、その彼が私達がそういう賭けをしていた事を知っていたなんて事も知らなくて、まぁ、折角盛り上がってる彼女達の様子に水を差したくないのもあって、私は放課後彼を呼び出し、嘘の告白した。


 前情報で、彼に彼女はいないと言うことは掴んでいたし、正直に言えば私は自分の容姿とかに結構自身を持っていたから、断られる事は無いだろうと思っていた。


 その上で、オーケーされたら彼に事情を話し、謝って許して貰おうとすら思っていた。


 つまり、私は友達と一緒に彼を笑いものにしようとしたのと同じわけで。


 だからこそ――――彼が即答とも言うべき速さで断ってきた時に、私は呆然としながら、去っていく彼の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。


 余りにも唖然としていたのか、友人達に声を掛けられるまで私はその場を一歩も動かなかったらしい。


 彼女達が出てきたと言う事は、当然彼はもういなかったわけで。


 残された私の中にあったのは、ただむかつくと言う感情と――――古臭い感じの言い回しだけど、絶対ぎゃふんと言わせてやるっ、みたいな、そんな感情だった。もちろん、今振り返るとただただ彼にとって見れば理不尽な、一方的な感情だったとは思うけれど。


 別に常勝無敗とかそういうわけではなく、私だって好きだった男の子に振られたりした事もある。


 でもそれ以上に告白されて振る回数のほうが多く、だからこそ自惚れていた面もあったんだろう、確かに。


 相手に私を好きにさせてやる。相手から私に好きって言わせてやる。私に、僕と付き合ってくださいと言わせてやる。それで派手に振って笑いものにしてやる。


 今にして思えばなんて子供じみた、それでいて陰険なプライドなんだろうという感じではあるが、私はそんな思いから彼に考えうる限りのモーションを掛け始めた。

 

 それも、翌日からだ。


 彼が普段学食で食事を取っていると知れば、その次の日からはお弁当を作ってきて一緒にお昼を食べた。当たり前だが友人一同からは盛大にからかわれたし、彼もものすごく微妙で、嫌そうな顔はしてたが、それも彼を私に惚れさせるためにはしょうがないと我慢しつつ、笑顔で毎日それを続けた。


 彼の家が私の家に近いと言うのを知れば、その次の日から朝に彼の家へ押しかけ、一緒に登校した。彼のご両親からは予想外に盛大な歓迎を受けたものの、彼からはため息と引き気味の表情をもらったりしたけれど、何回も家に行く内に彼の家族から彼のことを教えてもらい、好きな料理や味、趣味や服の好みなどの知識を蓄えていった。


 彼の部活が終わるまで時間を潰し、そして彼と一緒に帰り、出来る限り彼に好意をもたれるような女の子を演じ続けた。真剣な表情で弓を引く姿が凛々しく、その彼を見つめてる他の女の子に気づいて不機嫌になったりした。


 彼の趣味とか、彼の得意なこととか、かれの好きな本とか。そんな事をリサーチし続けて、彼後のみの女の子を演じる努力をして、その通りにして――――気が付けば、それはぜんぜん演技なんかじゃなくなっていた。


 彼が私の作ったお弁当を食べて、そっけないながらも「美味しかった」、「ごちそうさま」などと言うのを聞くと、なんだか嬉しくなった。


 朝、微妙に寝ぼけた感じの彼の顔が可愛く見えたり、一緒に歩いている時に私のペースに合わせてくれているのに気が付いたり。


 彼の部活では彼のかっこいいところを教えてもらい、自分が知らないそれを他の女の子が知っていることにむかっ腹を立てたり。


 帰り道、彼のほうが学校から家が近いのに、態々若干ルートを変えて私を先に家まで送ってくれているということに気が付いたり。


 彼の好きな音楽を聞いてみたら私の趣味にぴったりだったり。私が好きな本が彼も好きな本だったり。得意な……弓道とかの話になると、普段冷めている様子なのが嘘だと思うくらいに、熱く語ったりすることに気が付いたりして。


 彼の一挙一動が気になり、彼が優しく微笑んだりすることにどきどきしたり、彼の喜ぶ顔が観たくてお弁当に気合を入れたりしている自分に、気が付いて。


 ああ、彼が好きなんだと、ミイラ取りがミイラになっちゃったなどと、そんな風に思った。


 一週間くらいでそんな風になっていた私だけど、でももう一度私から改めて告白するのは躊躇われた。


 何せ一度はその気も無いのに告白して振られて、その後意地になって彼に付きまとったのだ。ここで告白したところで、きっと望む結果なんて返ってこないだろうと、そう思ったから。


 でも彼と一緒に過ごすのはとても楽しくて、いつかその内……そう、告白したことを忘れた頃、というわけじゃないけれど、でも何時か私が、ちゃんと言う勇気が持てたらちゃんと告白しよう。そう、決めた。


 そこまで決意するまで、つきまとい始めてから三週間もかかったけど、それはさておき。


 でも、友達とかにその話をすると、


『んー、それはまずいかも知れないにゃー』


 などと、軽く言われた。


 文字でだけど。


 一年位前にインターネットで知り合った友達……ハンドルネーム『お琴』、という私の住んでいる辺りに住んでいるという女の子。


 何度か会った事があるけれど、とても陽気で朗らかな子である。


 余談だけど、私のハンドルネームは『SIO』。


 その子に事の顛末を話し、それで方針なんかを相談した時の、言葉だ。


『あちきの予想だと、多分そろそろその子はギブアップするあるよ。お願いだからもう止めてくれって』


 どうして、と聞けば、あっさりとした返事が返ってくる。


『それはね、しおりん。簡単な事なんだよ。元々、君達の出会いが良好じゃなかったわけだから、彼からしてみれば君が意地になってるようにしか見えないわけで。実際最初はそうだったわけだし? まぁ、それに君って君達の大学だと結構人気があるのよー? そりゃ、急に付きまとわれだしたらそれに対する嫉妬とかもすごいだろうし。嫌気が差してるんじゃないかなー、と思うわけですよ』


 そ、そうなのかな? なんて真面目に悩んで、その後も小一時間くらい二人で作戦会議じみた恋愛相談をして。


 そして、いざこっちから告白しようと覚悟を決めた、その次の日。


 お琴さんがなんだか未来予知の能力でも持ってるんじゃないかと一瞬思ってしまうくらいのタイミングで、彼からもう止めてくれと切り出された。


 呼び出されたときは、なんとなく浮かれた気分で、「もしかしたら彼のほうから告白してくるかもしれないなー」なんて暢気に考えてたんだけど、その場で「もう止めてくれ」なんて言われた日には、そりゃあ、頭が真っ白になるわけですよ。


 正確には、なった、だけれどもさ。


 その後はしどろもどろに何でそういう事を言うのか聞いて、それでお琴さんの言うとおり嫌気が差し始めていると言うことを知って、気が付けば考えるまもなく彼に好きだと告白していた。


 今思い返しても恥ずかしくて死ねそうな思い出ではあるんだけど……。あの時の私、何回布施君に好きだって言ったんだろうか。

 

 軽く二桁を超えてた気がしないでもない。


 何度も何度も彼に好きだと伝えて、彼が納得するまでその気持ちを伝えて、ようやくオッケーを貰えて、正式に付き合うことになって。


 それが、今から大体三ヶ月ほど前の事だった。

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