布施晶というピース②
彼女から二度目の告白を受けた僕は、そこそこ必死になって僕と彼女が付き合わなくて済むように言葉を尽くした。それはもう、僕が如何に普通の男なのか、彼女が如何に美人で周りから羨望される人間なのか、そして僕では彼女に釣り合わないと、今振り返って考えれば自虐と彼女の賛美をごちゃまぜにしたような言葉でできうる限り頑張って付き合わない方に向かおうと辿々しい弁舌を行った記憶がある。
まぁ、ようするにその問答――問答というか、僕があーでもないこーでもないと屁理屈こねながら逃げようとした情けないビビリなヘタレ男子の姿を晒しただけではあるんだけど、最終的に全く折れずストレートに突き進んで逃げる僕を捉え続けた彼女に根負けする形で、僕は彼女と付き合うことになった。
ちなみに正式にお付き合いしだした後でそうなった経緯は全部公表した為に、つい一ヶ月前に振った相手に尽くされて世話された挙句に胃袋掴まれて陥落させられた、なんて噂になったりもしたけど、それはある種間違ってないので否定も何もできなかった。すごく否定したかったけど欠片も否定できなかった。
何はともあれ的はずれな嫉妬の念は量は減ったけど、的に当たりすぎた挙句質を増した妬み嫉みの視線が増えたりしつつも、でもまぁ、概ねそれ以降は平和に過ぎていった。
普通の彼氏彼女として、当たり前の恋人みたいにデートして、キスをして……それ以上はまだしてないけども。いや、してなかったけど、か。一応彼女のご両親にも簡単にだけどご挨拶したし、改めてお付き合いすることになったと両親にも紹介した。したんだが、いやちょっと待て。これってどう考えてもお付き合いのその先を見据えてたような気がしないでもないけど、まぁ今はこうなったから置いておこう。そこを思い出したらちょっと家に帰って事実を正直に親に話したらどうなるか想像して怖くなった。
最初は、僕は疑ってた。きっとこの事も、彼女が僕を笑いものにするために意地になってるんだろうと、そう考えてた。久瀬さんのプライドを傷つけた僕を陥れるための、彼女の罠なのだと、そう思ってた。我ながらどれだけ疑り深いんだと思うが、それが僕なんだから仕方がない。切っ掛けが切っ掛けだったんだと彼女には諦めてもらうしか無いだろう。
そういうわけで、だから最初はかなりそっけなく彼女と接していた。周りから揶揄されたり両親からアドバイスのような形で諭されもしたけれど、今振り返ってもそれのどこが彼氏彼女だよ、ってくらいあっさりとした関係性だったと思う。
けれど段々と――そう、次第に僕のほうからも彼女に好意を持って、疑いがただの疑心暗鬼だったと結論を出した後も、急に態度を変えるのが後ろめたくてそんな態度を取り続けた。キス以上のことだって、正直に言えば僕は怖かったのだ。
彼女のほうからそれらしいモーションをかけてきた事が無いではなかったが、しかし僕は何処かで、きっと彼女を疑ってた頃の事をしこりとして残してて、だから一線を越えるのを怖がった。
今にして思えばどれだけヘタレだったんだよ、と当時の僕を殴ってやりたい気分ではあるけれども、でもその時は確かにそう思っていた。いや、当時の僕というか、別れる直前までもその関係を維持していたんだから今の僕も現在進行形で相当なドヘタレなわけだけど、そこを攻めると自己否定にしか繋がらないのでやめておこう。というかやめたい。心の平穏のために。
そうして、付き合い始めてから丁度半年たった、今から数えて三日前のあの日。最初の切っ掛けから半年と一ヶ月。長いようで短かった、あっという間の七ヶ月。最初の話が丁度五月のゴールデンンウィーク直前だったのを考えると、十二月の頭に別れたのはなにか意味深な気がする。なにせ恋人たちのイベントが有る月なのだ、今月は。
それはさておき、その三日前に僕は彼女に別れを切り出されて、それを当たり前のように受け入れた。三日前のことだからその時のことはあっさりと脳裏に思い浮かべることができる。
「ねぇ、布施君」
「何、久瀬さん」
「その、今少しいい?」
「少し良いも何も、一緒に帰ってるんだからそりゃ問題ないさ。君も知ってるだけろうけど、この後は君お送り届けて僕は家に帰るだけだからね。ルーチンワークみたいな習慣だけど、随分馴染んだものだよ、本当に。半年前の僕には今の状況なんて想像つかないだろうなぁ。いや、半年よりもっと前と表現したほうが良いかもしれないけどね。で、何? 久瀬さん。改まって」
「いつも思うけど、なんで一を尋ねると十から二十くらいになって帰ってくるのかな。布施君は……」
「それが僕だからしょうがない。で、どうかしたの? 次のデートの場所を考えようとか?」
「……違うの、そうじゃなくて。その、何て言うか――」
「どうしたの? 本当に、そんな奥歯にモノが挟まったような感じでしゃべるなんて久瀬さんにしては珍しい」
「――うん。そのね、布施君。私達、別れましょう」
「――――わかった。今まで楽しかったよ、久瀬さん。いい思い出をありがとう。ここから君の家までは二分もかからないし、送っていくのはここまでにしようか。じゃあ、さようなら、久瀬さん。縁があったら、また今度」
とまぁ、そんな感じで別れたんだった。正直な所感を言えば彼女からの別れ話を聞いた瞬間に頭が真っ白になった。けど、それでも心の何処かでそういう日がいつか来るんだろうと覚悟していた部分がなきにしもあらずだったため、あそこまでスラスラと常の僕みたいに振る舞えたんだと思う。それにしてもあっさりと淡白に別れ過ぎだろうってツッコミを自分自身に入れたくはなるが。というか、事情を話した親友には突っ込まれた。
友人達や、久瀬さんの友人からは何で別れたとか結構しつこく聞かれたけど、僕はただ彼女に愛想を付かされた、とだけしか伝えなかった。というよりも、僕がきっと悪いのだろうとは僕自身は本気で思っているので、僕は周囲の人たちに淡々とその事を告げていた。
彼女が悪いのではなく。
彼女を繋ぎ止められなかった僕がダメだったんだろうと、そう告げた。
もともと、僕と言う人間は執着というものが薄い。独占欲が旺盛ではなく、むしろ最低限僕が生きていくのに必要なものだけあればそれ以外はどうでもいいというタイプの人間である。
逆に言えば、自分にとってそれが生きるに必要だと思えばそれに対しては尋常じゃなく独占欲が働くということでもあるけど、僕が言うところのそれは、要するに空気とか、最低限のお金とか、家とか、そういうファクターなのであり、家族や親友以外の人間関係というものはその要素の中に入っていない。
勿論無いよりはあったほうがいいとは思っているし、だからこそありきたりな友人関係とかも築いてきたわけだ。だからその内きっと、あと少し共にいれば久瀬さんも僕が執着する存在になり得たんだろうし、実際になりかけていた。そういう自覚を僕は持っているけど、でもあの時の対応を思い出せば出すほどそのあと少し、というものが結構な厚みを持っていたことを自覚せざるを得ない。
彼女は、久瀬さんはきっとそういう僕のあり方が嫌だったんだろうと、そう思う。まぁ、僕が彼女への好意を認めた後もとりつづけていたヘタレた態度こそがその原因だったと言う事ができるような気はする。彼女に執着を示さず、何時までもそっけない態度を取り続け、より深い関係になるのをはぐらかし続けていた僕の態度こそが。
そんな僕だったからこそ、彼女の内心から僕に対する執着を無くさせ、ただの重荷でしかない僕という要素を切り捨てさせた。
きっと。それだけのこと、なのだろう。
今までも似たようなことはあったし、同じようなパターンでの出会いと別れは短い人生の中でそれなりにこなしてる。 むしろ、人間関係の解消というストレスにしかならないことを、他ならない彼女の方から切り出させてしまったことが申し訳なく感じる。やはり最初から彼女の告白――二度目の告白を受け入れるべきではなかったのだとも、思う。
だと言うのに。
最終的に恋人関係になった過去も良かったと思い、これまでの彼女の態度を反省してあの時ああしておけばよかったなどと思うのは、やっぱり未練がましいものだと思う。本気で彼女に思い焦がれ始めていた――いや。そんな言い訳じみた言葉を使うのはよそう。そう、僕は率直に言葉に出せば、
「久瀬さんの事をだいぶ本気で好きになってたんだよなぁ……」
という事になる。
人間というのは、失って初めて持っていた存在の尊さや大事さを思い知るというが、喪失して初めてしっかりと自分の感情に気づくというのもやはり間抜けなものだ。惹かれていると自覚していながらも、その惹かれ具合を勘違いして低く見積もり続けていた僕が阿呆だったわけだが、今になってみればそれはただ後の祭りというわけで。
「だめだ、こんな事を考えてると余計に欝になる……。覆水盆に返らず、過ぎ去った時は不可逆的で戻ることは出来ない以上、建設的には無理かもしれなくても前に進むしか僕には選択肢が許されていない、か」
止めよう、と頭を一回自分で小突き、思考を切り替える。
「今日は部活も休みだし、久しぶりに、らきと琴のんの所にでも遊びに行くかなぁ……あいつ等ともここの所飲んだりしてないし」
軽く伸びをしながら立ち上がり、久しく遊んでいない他校に進学した幼馴染の双子を思い出す。彼らは僕の親友――つまり執着の対象になっている数少ない友人たちだ。家がそれなりに近いから今でも時折会って遊んだりもするし、久瀬さんとお付き合いをしてた時期も久瀬さんより彼らを優先したことだってある。彼女と別れた際に真っ先に話をしたのも彼らだったが、その時は彼らの事情で長く時間を取れず、本当に軽い話しかできなかった。
何はともあれ、まぁ、そんな彼女よりも友人を大事にするような事を平気の平左でしてたから振られたんだろうけど。いや駄目だやめよう鬱が加速する。くそぅ、これもきっとらきの事を思い出したせいだ。だから今日は弄くり回してやる。そんなことを考えながら、僕は屋上を後にする。
そして鞄を置きっぱなしにしている部室へ戻ろうと、屋上が開放されている棟から部室棟のある渡り廊下に向けて歩いているところで。
運悪くと言うべきか、それとも運良くと言うべきか。
「――――ん、ぁ、ッ!? こ、ら、離れ……あ、え? 布施、君?」
「――――え?」
ショッキングなシーンを見てしまった。
放課後で人気が無い渡り廊下だと安心していたのか、見覚えのない男子生徒とキスをしていた久瀬栞に、出会った。丁度彼女にキスしていた男子が僕に背中を向けていたため、僕の事が見える位置にいた彼女としっかり目があってしまい、驚きに目を見開いている表情が僕の網膜に焼き付く。
僕が丁度渡り廊下に足を踏み入れたところでその状態に陥ったものだから、おもわず僕は足を止めてしまった。まぁ、考えても見て欲しい。ほんの三日前に別れた、内心を整理しようとか考えて屋上で黄昏れながらも、余計に未練を拗らせている対象の元恋人が、人目を忍んでいるとはいえ学内で堂々とキスをしているシーンに出くわしてしまったんだ。いくら僕が捻くれていて外面を取繕うのが上手い冷血漢だからって、流石に衝撃で思考も固まる。
彼女も彼女でこの場所に僕が現れたことに気づいて――と言うと僕のことを見つけて欲しかったと思考の作為が加わるような言葉になる気がするので、人気に気づいてということにしようか。その言葉遊びに今更なんの意味があるのかといえば、僕の内心を戯言で撹拌して落ち着かせるのを早める以外の意味はない。
人の気配に気づいてその人物に意識を向けたら僕だったという感じのようだ。お相手の男から距離を取りながら、唖然呆然という面持ちで僕の名前を呼びながら停止している。パーフェクトフリーズ、という感じだ。
まぁ、僕の状況も彼女の状況も置いておいて、今の状況を客観的に見てみるとしよう。現状、キスの最中にお邪魔虫たる僕が現れて、そして事の最中だったカップルの片割れが三日前までの僕の彼女だったと、そういう状況なわけで。自分で考えていても色々と酷い状況ではあるものの、この場合、この状況に置ける異物は誰だろうか。僕だろう。何せ自分で自分をお邪魔虫などと定義しているのだからそうに違いない。
驚きで目を丸くしている彼女と、そんな彼女の様子から疑問の声を上げて僕のほうを振り返った男子生徒の視線に晒されるというシチュエーション。意識してみると割と酷いというか、どこの昼ドラマだという感じの絵だ。
そんな中で、僕が取った選択肢は――
「ぇ、ぁ。その、これは違うんだよ? 布施君。その、彼には今告白されて、それでなんていうか、キスされて――――」
「そう。だから? 僕はこれから帰る予定だから、気にせず続きをどうぞ? むしろ邪魔してごめんなさいと言うところではあると思うのだけれど、僕としては今そういう事を告げれるような語彙能力が停止してしまっていてね。まぁ、何が言いたいかといえば――さようなら。またがアレば、何時かの何処かで」
――そんな風に適当な感じで別れの言葉を告げてさっさとその場を去る、というものだった。
それを実行しながら彼女たちの横を通りすぎて部室棟に向かう僕に、待ってと言いながら言い訳じみた言葉を重ねてくる彼女。
「違うの、だから、ねぇ、布施君。ちょっと、私の言葉を聞いて欲しいんだけど。というか、説明させてほしいの、だから、待ってってば!」
いや、そんな事を言われても、僕たちはもう三日前に別れた訳だし、そしてそれを切り出したのは君なわけだし、僕としてはもう好きにしてくださいと言うしかなくて。だからわざわざ説明なんて聞きたくもないし、なんで元カノの新しい恋路について惚気を聞いてやらなきゃいけないんだとそういう気分にもなる。
だから、何をそんなに必死に言い訳しているんだろうと思いながら、とりあえず足を止めて彼女に向かって振り返る。
「あ、よかった。布施君、だから今のは――」
「うん、大丈夫。見た事実はしっかり認識出来てるからさ。うん、そっか。そういう訳なら一緒に入られないよね。うん、じゃあ、お幸せに」
一瞬嬉しそうな顔をした彼女にそう祝福の言葉を告げ、とりあえず早足でその場を去った。部室棟へ向けて振り向いた時になんだか彼女の顔が泣きそうになっていたような気もしたけど、そんなものは無視しながら真っ直ぐに部室を目指す。
部室に残っていた先輩後輩に、妙に怖い顔をしていると言われたけど、どうなんだろう? 僕は至って普通の顔をしていたつもりだったんだけど。
まぁ、とりあえず――――これで、ふんぎりもついた。
僕に愛想を尽かし、新しく好きな人が出来たから僕が振られた。うん、理想的な展開と言うか、予想通りの展開と言うか。納得の展開というべきか。
所詮、やはり、順当に久瀬さんは僕にとって高嶺の華だったということだろう。吊り合わない相手で、順当な結果に落ち着いたとも言える。まぁ、最終的に多分というか確実に僕の態度そのものがいけなかったんだろうけど。
こればっかりは性分……というよりも、彼女と僕とのファーストコンタクトが悪すぎたんだろう。そこから巡り巡って僕がしっかり彼女に好意を示せず、こうなってしまったのだろう。
屋上でつらつらと考えていた事の結果を目の当たりにした記憶をため息混じりに思い出しながら、鞄を持って部室を後にする。
きっと、僕が早いうちに彼女に対して疑心暗鬼を捨て去り、疑い混じりの言動からしっかりと好意を伝えるようにしていたとしたら、こんな結末は訪れなかったのだろう。でもそれは言っても詮なきことだ。過去は変えられないし、後悔は先に出来ないものなのだから。
さて、これで明日から何時もどおりに――七ヶ月前と同じ状況に戻れるはずだ、たぶん。色々溜まりに溜まった感情があることは自覚していることだし、親友の家で酒でも飲みながら愚痴を聞いてもらってすべてをリセットしよう。そうしよう。確か今日は家にいるって言ってたし。
悲しいのは悲しいんだし、あいつらの前で取り繕う事は何もないってくらいに親しい連中だ。厳しいことを言ったり甘えさせてくれたりしながら。なんだかんだとこの悲しみを癒やしてくれるだろう。だから今日一晩は泣いて過ごすとしよう。丁度、明日は土曜日で休みだ。
さて。
お家へ、帰ろう。
ばいばい、ここ最近の騒がしかった日常さん。
そしておかえりなさい、寂しい少し前の日常。
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