第4の事件 カッパは告発する

導入:探すべきは人か、カッパか

 ひっそりと静まり返った夜の中谷池なかたにいけの脇の小道を、一人の男が歩いて行く。

 中谷池は、M県Z市の西の山の中にある大きな溜池である。

 取り立てて特徴の無い池で、中谷池という名前の割にそれなりの大きさがあることぐらいしか語るべき点がない。

 そこを行く男の手には懐中電灯、もう片方の手はスマートフォン

「カッパ、カッパはどこだ……!」

 わざとらしい警戒の声をスマートフォンに向かってつぶやきながら、男は手に持った懐中電灯の明かりを頼りに、池の方へと茂みを進んでいく。

 この中谷池にカッパが出るという話が聞かれるようになったのは最近だ。

 もちろん最初は、彼もそのカッパの話など信じていなかった。

 古くから言い伝えがあるならまだしも、ぽっと出のカッパ伝説など誰が信じるというのか。

 それでも彼がここにやってきたのには理由がある。

 彼の配信していた動画宛に、中谷池のカッパの調査をして欲しいというメッセージが届いたのである。

 半年ほど動画配信を続けていて、はじめてのリアクションだった。

 カッパが実在するかどうかはこの際問題ない。

 このチャンスを逃してはいけないのだ。

 視聴者からのアクションに迅速に応える。それが人気配信者への道だ。

 それを示す絶好の機会である。

 配信で人気を得ることさえできれば。自分を馬鹿にしているゼミの奴らの鼻だって明かしてやれるはずだ。

 教授だって論文を貸してくれた。

 あの娘だってそれを見て俺を認めてくれた。

 ここで人生が変わる気がする。

 その時、目の前の草むらがガサリと音を立てて大きく揺れた。

「カッパか!?」

 そこにいるものを収めるべく、懐中電灯とカメラを向ける。

 だが、もう動きはない。

 小動物かなにかだったのだろうか。

 そう思った矢先だった。

 今度は、背後に気配を感じた。

 先程よりももっと大きな気配だ。

 振り返る。

「あれっ?」

 思わず声を上げてしまう。

 そこには、カッパなどではなく、見覚えのある姿があったのだ。


 その日、杉高ランサの元に舞い込んできた依頼は、実に探偵らしいものであった。

「なるほど、人探しですか……」

 目の前には数枚の印刷されたデジカメの写真の画像。どれもが集合写真である。

 その中に、印のしてある人物が一人。

 名前は芹田賢治せりたけんじ。それが、今回の探すべき人物であった。

 名前ほど賢くも治まってもいなさそうだというのがランサの印象だ。

 眠たげな目にへの字に閉じた不機嫌そうな口。

 真面目には見えないが、馬鹿をやってハジけることもなさそうな雰囲気である。

 ようするに、いかにも勉学もその他のこともパッとしない、典型的ともいえる冴えない男子大学生である。

 実際、どの集合写真の中でも脇役で、本人が主役の写真が一枚もないのが彼の立ち位置を物語っている。

「実は、ここ最近大学も休みっぱなしで、調べてみると数日前から部屋にも戻っていないし、電話やメールでも連絡もつかないんです。これまでそんなことなかったので」

 目の前の、少し派手目なそれはそれで典型的な女子大生といった身なりの若い女性が今回の依頼人である。どうやらこの芹田と同じゼミのメンバーであるらしい。

 このような依頼をしてくるということは恋人関係かなにかだろうか。

 一瞬そう考えたが、ランサはその意見を否定した。

 二人が並んでいる絵を想像してみたが、あまりに不釣り合いだ。同じ大学生で同じゼミでありながら、住む世界が違いすぎる。

 そんなランサの感情を読み取ったわけでは無いだろうが、依頼人は弁明のように言葉を続けた。

「聞かれる前に言っておきますが、別に芹田さんと特別な関係にあったわけではありません。ゼミの代表としてきただけです」

「なるほど……」

 そう言われては返す言葉もない。

 さん付けで呼ばれていることが、芹田とこの女性の間にある距離をなによりも雄弁に物語っている。

 その程度の関係ということは、その程度の情報しか出てこないということでもある。

 しかしそれでも、ランサとしてはいくつか質問をする必要がある。

「芹田さんは、もともとちゃんと授業などには出ていたのですか?」

「ええ、まあ、真面目な学生でしたから、頻繁に授業を欠席するということはなかったと思います。同じ授業をそう多く取っているわけではないのでわかりませんが……」

 これほどあてにならない真面目という言葉もないだろう。ようするに、印象がないから他の言葉が出ないのだ。

「いなくなる前になにか変わった点などは?」

「さあ……、そんなに親しい訳でもありませんでしたし、もし変化があっても気付いたかどうか……」

 質問に対してどれも掴みどころのない、曖昧な答えばかりである。

 まるで芹田という人物に興味のない返事だ。

 だが、諦めかけたランサが形式的に次の質問を口にすると、意外な答えが返ってきた。

「誰かに恨まれたり、狙われたりとか」

「……あまり大声では言えないんですが、恨み、とは言えないものの、彼をうっとおしがっていた女子は多いと思います……」

「というと?」

 それまでとは打って変わった主観に満ちた言葉に、ランサも思わず身構えてしまう。

「勘違いしやすいというか、ストーカー気質というか……、彼、一度親しくなったと思うと、すぐにおかしな距離感になるんです。頻繁にどうでもいい相談をしてきたり、こちらのいうことをすべて鵜呑みにしてしまったり、相手の重要な話もすぐに他の人に漏らしてしまったり……、注意すれば彼も目を覚ましたようにまた元の関係に戻るんですが、そういう面を知っている人は、彼とはあまり親しくしないように心がけていたと思いますよ」

 その言葉は辛辣で、まさに芹田という人物の闇をえぐり出していた。

 確かに、そんな人物と進んで親しくしようという者は多くはあるまい。

 だが芹田への評価はともかく、少なくとも嘘はついていないだろう。

 話を聞く限り、突然失踪などするような人物にも思えない。

 その場合、なにか予兆を出すはずだ。それが内的要因であれ、外的要因であれ。

 しかしそうなると、逆に一つ引っかかる点がある。

「……失礼ですが、なぜ彼を探そうとするのです? こう言ってはなんですが、あなた、もしくはあなたがたに彼を見つけてほしい理由が見えない」

 あえてそれをぶつけてみた。

 報酬が貰えるならランサはなにも言わないつもりであったが、それでもこうも投げやりな態度での依頼ではモチベーションも上がらない。

 まるで、見つける必要などないといわれているかのようだ。

 実際、たまにそういう依頼はある。

 ようは『探しています』というアリバイが欲しいのだ。

 そういう時は、ランサは全力以上の力でその仕事に取り組むことにしている。

 探偵を舐めるな、と。

 今回も、そのような依頼なのだろうか。

 だが、出てきた返答はランサの予想とは多少異なったものだった。

「……実は、この依頼は我々のゼミの教授からのものでして……」

「教授?」

「はい、桂場かつらば教授、私たちのゼミの担当教授です」

 自己紹介でゼミの代表と言っていたのも思い出す。

 つまりこの依頼は、学生の失踪という厄介事を表沙汰にせず解決したいという意向のものなのだ。

 警察ではなくここに持ち込まれたのも理解できる。

 直接の依頼人であるその桂場とかいう教授自身が来ないことに若干不満はあるが、それも踏まえてまあ、しばしばありえる話といえた。

 あくまで学生が学生内で解決するという建前である。建前は大切だ。

 つまり、依頼そのものはありがちな人探しの亜種ということである。

 こういう場合、問題となるのは失踪した人物の方となる。

 表沙汰にできない人物がいなくなるか、表沙汰にならない失踪の仕方をするか。

 まあ、予想される芹田の人柄から考えれば後者だろう。

 どちらにしても、ただ探せば見つかるというものではなさそうである。

 それを覚悟しながらも、ランサはその依頼を受けることにした。




 その日の夜、ランサの元にさらに別の人探しの依頼が舞い込んできた。

 いや、厳密にいえば人探しではないかもしれない。

 依頼主は民辻ユリナ。ランサの事務所のあるマンションの管理人の一人娘であり、自称、ランサの助手兼一番弟子である。

「ランサ、あなた、中谷池のカッパ伝説って知ってる?」

「なんですか藪から棒に」

 ユリナの持ってきた依頼は、最初はそんな都市伝説にもならないオカルトネタから始まった。

「中谷池って、あの山の中にある池でしたっけ?」

「なんか曖昧すぎる表現だけど、多分その認識で合ってるわよ。そこに最近、カッパが出たらしいのよ」

「はあ……」

 嫌な予感を覚えつつも、ランサはただただ曖昧な返事を返す。

 もちろん、ユリナがそういう話の振り方をする場合は、続く言葉は一つだ。

「私たちもそのカッパ、探してみましょうよ」

 案の定である。

「一応聞いておきますが、断る権利は?」

「うーん、今月の【調査依頼権】を使わせてもらうわ。もう月も変わったしね!」

 案の定である。

「はあ……。しかし今は別の仕事もありますからね、そちらを優先的にさせていただきますよ」

「もちろん! あなたが外で稼ぐ分は大切ですからね。助手として、手伝えることはなんでも手伝うわよ!」

「そりゃどうも」

 自分から無茶な依頼を振った側からこれである。

 ランサとしては大きくため息をつくしかない。

 しかし、ランサにはユリナの無茶ぶりとはまた別の意味で、その依頼には一つ大きな疑問があった。

「……ところで、中谷池にそんなカッパ伝説みたいな話ってありましたっけ?」

 ランサは基本的にはカッパの実在を信じているわけではない。

 それでも、妖怪伝説の残る場所はいくらでもあるのも否定しない。

 しかしそれらは、長い年月をかけて伝承が膨らんだものがほとんどだ。

 いまどき新しい都市伝説となるなら、それこそUFOを見られる公園などといった現代に対応したものでなければ新しすぎて信憑性も出ないだろう。

 妖怪語りはカビ臭いくらいでちょうどいいのである。

 その点を鑑みると、今回の中谷池は少しそういったヴェールが剥がれすぎているというのがランサの考えだ。

 中谷池という名前の割にはなかなか大きな池で、そういった未知の存在が隠れやすい規模ではあるが、大学の研究施設も近いし、休日となれば釣り人がちらほら見受けられるような場所である。

 もし仮にカッパという存在がこの世にが実在するとしても、以前から伝承がある定住者ならともかく、いまさらそんな場所に新たに住むだろうか。

 移住先にするには少々騒がしすぎる。

 だが、ユリナはそれに対する反論を持っていた。

「さあ、これまではどうだったかは知らないわ。でも今回の件は、一ヶ月前くらいに動画配信者が伝承の存在を聞きつけて、カッパの調査に乗り出したってわけ」

 動画配信者。

 その思わぬ単語にランサは顔をしかめるしかない。

 この現代社会において、もっとも信用しにくい情報ソースの一つではないか。

「……じゃあその配信者に任せておけばいいじゃないですか」

 あからさまに投げやりな態度で、ランサはただそう答えるだけだ。

 他の人間の後追い調査など真っ平御免である。ましてやそれが動画配信者とは。

 しかしユリナの方も、ランサがそういった態度に出ることは予測済みだったらしい。

「それがその配信者、私はカッパを殺しますと書き残してぷっつり配信をやめちゃったのよ。ほぼ全部の動画を消してね。おかしいと思わない?」

「カッパがいないことがバレるのが怖くて逃げ出しちゃったんじゃないですか?」

 食いつかないランサと、さらに切り札を切るユリナ。

「まあ、その可能性は否定しないわ。だから、今回の依頼も二段構造ってわけよ」

 そう言って、ユリナはプリントアウトされた一枚の紙を出す。

 不鮮明な動画サイトのキャプチャ画像に、いかにも冴えない配信者が一人。

「私の友人にファンの娘がいたのよ。地元だし、配信者自身も地元密着を謳っていたしね。なんでもその娘、これまでの動画も全て保存してあるらしいわ。まったく、物好きはどこにでもいるわけね。あ、もちろん、今回の直接の依頼人というか、私に頼んできたのはその娘よ……って、どうしたのよ、ランサ」

 ユリナが長々と語るのも聞かずに、ランサはその一枚の紙を様々な角度から見続けている。

「なるほど、この人が……」

「あら、その人、ランサも知ってるほど有名な配信者だったの?」

「いえ、そういうわけではありませんが……」

 ランサが気にするのも無理はない。

 紙の上の動画画像に映っていた青年は、間違いなく、芹田賢治その人だったのだ。



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