結:叶わぬ夢、夢の終わり
夜の北橋中学校駐車場、そこで人を待つ影が二つ。
一つは探偵。
もう一つはその依頼人の小松綾美。
そして、そんな彼らを物陰から遠巻きに見守る別の二人。
「まったく、あいつはどうしてこうも事件を持ってくるのやら……。今回もユリナちゃんも絡みか?」
寒空の下、元刑事にして現在はM県警地域課特別係所属の警察官である原田蓮次郎は隣の少女、民辻ユリナにそう話しかけた。
「いいえ、原田さん。今回はうちのママの持ってきた事件なのです」
「ああ、そうかい。まったく、あいつの周りはへんてこな事件を引き寄せるマグネットばっかりか……」
原田とユリナ、そしてランサの関係は単純にして複雑である。
かつてある事件でユリナを助けたのがランサと原田であり、それをきっかけにランサは探偵の道を進み、原田は刑事を辞めて地域課の閑職へと回った。
だがそれは始まりでしかなく、今はこうして探偵とその一番弟子、そして探偵に協力する警察官という立場となっているのである。
もちろん、今この場にユリナと原田がいるのはランサの差金だ。
突然駆り出された原田であったが、事件とあらば動かないわけにはいかない。
もっとも、刑事課まで動かせるほどの規模ではないから、今ここにいるのは原田だけである。一応他の人員にも声だけはかけてあるが、まあ、当てにはできまい。
「で、本当に来るのか、その、今回の事件というか問題というか、とにかく、赤パーカーを仕組んだ奴というのは……」
「まあ、間違いなく現れますよ。私が昼間に見た限りでは、気になってしょうがないでしょうからね」
ユリナの言葉は自信満々である。
なにしろ、そのここに現れるであろう第三者をもっとも見てきたのはユリナなのだ。
話は今日の昼に遡る。
ユリナはランサの指示の下、探偵とは別行動で駅前に潜んでいた。
その一番弟子兼助手に与えられた任務の一つは、必ず現場の確認に現れるであろう小松綾美の同僚の尾行、監視であった。
探偵の推測通り、その人物は探偵と依頼人の前に現れ、依頼人に話しかけた。
それを遠巻きに見るユリナ。重要だったのはその後だ。
その同僚は去ったふりをしてそのまま身を潜め、依頼人である小松綾美の監視を始めたのである。
そこまでは素人にしては手際が良かったが、ランサは最初から相手の行動を見越していたらしい。
依頼人との接触を入念に避けていたユリナは、現れた同僚の様子を確認した後、逆にその人物を尾行する手筈になっていたのである。
相手もまさか自分の方が尾行されているとは思っていないようで、その追跡は思った以上に上手く進んだ。
それに、ユリナも仮にも探偵の弟子である。
同業者や警戒している相手に同じように振る舞えるとは思わないが、監視しているつもりになって完全に慢心している相手ならその程度は余裕である。
ベンチが見える喫茶店に入ったその同僚に続き、ユリナも少し間を開けて同じ喫茶店に入る。
そうやって、監視者に対する監視を続けていたのだ。
だが、それもすぐに終わった。
探偵が依頼人の元を離れ、コンビニエンスストアに向かう。
それが作戦が第二段階の開始の合図である。
すぐさま、ユリナの電話にそのランサから連絡が入ってきた。
『お嬢様、ターゲットの様子はどうですか?』
「どうもこうも、特に動きはないわ、あなたがコンビニエンスストアに消えたのには少し面食らったみたいだけど、気にせず依頼人の監視を続けてる」
そしてその連絡を受けたと同時にユリナは席を立ち、あえてその監視対象よりも先に店を出る。
待つ監視はここで終わりであり、ここから作戦は第二段階へと移行するのだ。
ユリナは店を出ると、すぐさま、スマートフォンで他の作戦メンバーへとメールを一斉送信する。
これがユリナに与えられたもう一つの任務であり、第二段階のもっとも派手な動向の引き金なのだ。
まさにその合図を受けとったかのように、ベンチに腰掛けて探偵を待っていた依頼人の動きが慌ただしくなる。
もちろん、ユリナは彼女とはなにも示し合わせていない。そもそも彼女とは会ったこともないのだ。
つまり依頼人の動揺は、作戦がちゃんと始まったなによりの証明なのだ。
その視線の先にいるのは、赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックの男だろう。
それはユリナの友人の一人であった。
だが、赤いパーカーの男はそれだけではない。コンビニエンスストアの中にも一人、さらに奥の角にももう一人。ちょうど到着するバスにも二人いるし、駅からも何人かバラバラに出てくるはずだ。
その服装はランサが用意した。量販店のありあわせの一品だ。
だが、これだけ赤パーカーが集まっても、ここに竹野正武はいない。
偽物の赤パーカーが大量に現れるだけだ。
そしてその赤パーカーを見て動揺したのは、依頼人だけではない。
依頼人を監視していた依頼人の同僚もまた、その様子を見て店から慌てて飛び出してくる。
もちろん、それを脇目で見続けていたユリナに気が付くこともないだろう。写真を撮影したことにもだ。
その同僚も赤パーカーの男を追いかけようとするが、目に入る幾つもの赤パーカーに、途方に暮れているようであった。
一人をなんとか捕まえ話しかけるが、もちろん、その人物は彼女のまったく知らない高校生である。単に気まぐれな仲間内の祭りとしてこの服装をしているだけだと答えるはずだ。
さらに強く追求されればユリナまでたどり着くかもしれないが、それでもそこはゴールではない。黒幕であるランサはさらにその先にいる。
だが、どうやら血気盛んな男子高校生を相手にそこまでする気力もないらしく、すぐに赤パーカーの少年を開放すると、監視対象の女性はぼんやりとその場に立ち尽くすばかりであった。
そうこうしている間にも、他の赤パーカーの男たちは示し合わせ通り、各々自分たちの行き先へ消えていく。
そしてそれをぼんやりと見つめる女性。
ユリナはこのままひっ捕まえればいいのにと思ったが、それは今の作戦段階ではない。
そしてようやく、最終段階に入ったのである。
「しかしまあ、随分と手の込んだことをしたもんだ」
「まったくよね、誰が犯人かわかっているなら、昼のうちにとっととしょっぴけばよかったのに……」
原田のボヤキにユリナが同調するが、それでも、原田はそれは否定した。
「いや、それは無理だな。なにしろ一切証拠がない。怪しい以外に理由がないまま引っ張っても、刑事が苦労するだけだ。まあ、だからといってそのために証拠と状況を作ろうっていうのは、あまり関心しないがな……。それは証拠のために不用意な危険を犯しすぎている」
呆れたようにそう言ったが、原田自身もそういう手はしばしば見てきたし、実際に使ってきたりもした。
おそらくランサもそういう感情を持っているだろう。
もちろん、それをおくびも出すことはないだろうが。
ならば自分にできることは、確実に、その相手を捕らえることだ。
感情を無駄にさせないことが一番の救いとなる。
そうこうしていると、どうやら事態は最後の詰めに入ったらしい。
探偵と依頼人の元に、ゆっくりと、もう一人別の男が近付いていく。
「来たみたいね……」
ユリナの声に原田も頷く。
暗闇なのでわかりにくいが、白い帽子に赤いパーカーという出で立ちである。さすがにリュックはもう持っていないらしい。
「……さて、どうなることか……」
そう言って、原田とユリナは探偵たちよりも、その周囲へと注意を配る。
あとはどう最後の仕上げがどうなるかだ。
そのために自分たちがいるのである。
探偵と依頼人、そして赤パーカーの男の話は、思っていた以上にあっさりと終わったようであった。
それもまあ、当然といえば当然か。
元々赤パーカーの男、竹野正武と、赤パーカー捜しの依頼人である小松綾美との間にはなんの接点もないのだ。話が盛り上がるはずもない。
これであとは竹野が一人になるのを待つばかりだ。
この時をどれだけ待ったことか。
いま竹野に何かあれば、真っ先に疑われるのは小松となるだろう。
まさか大々的に探偵まで使ってくれるとは思わなかった。
もはや竹野を意識していたのは自分ですと自分から宣伝してくれているようなものではないか。
捜査線上にしっかりとその名が刻まれることであろう。
あの娘にもそこまで恨みがあるわけでもないが、これを記念に職場から消えてくれれば清々することだろう。
若いというだけでチヤホヤされていたのだ、そろそろ人生について勉強してもいい頃合いだ。
あとは仕組んだアレの回収をどうするかだが、まあ、適当な機会を見つけて部屋に入ることもできるだろう。
なんなら今夜でもいい。
そんなことを考えながら様子をうかがっていると、探偵と小松が車に乗り込み、そのまま何処かへ走り去っていくのが見えた。
どうやら完全に終わったらしい。
そして一人残された竹野が、暗闇の中をトボトボとこちらに向かって歩いてくる。
相変わらずの赤いパーカーに白い帽子。
あの頃となにも変わらない。
だがそれも今日で終わりだ。
近付いてくる竹野。
こちらに気がついた様子もない。
この距離までくればいける。
スタンガンを構え、物陰から勢いをつけて飛び出していく。
「えっ……」
だがそこにいたのは竹野ではなく、赤いパーカーに白い帽子を被った、昼間の探偵だった。
名前は確か、杉高ランサ。
「おっと!」
スタンガンの突撃はあっさりと回避され、そのまま取っ組み合いとなる。
貧弱な竹野とは違う、いかにもこういった状況に場馴れした、熟練者の動きだ。
無駄のない動きでスタンガンはすぐに叩き落とされ、瞬く間に自分のほうが取り押さえられてしまう。
「まさか、いきなりのここまでの実力行使で来るのはさすがに意外でしたよ、梅田透子さん」
探偵が、その名前を呼んだ。
「なんですかあなたは、人を呼びますよ!」
自分の置かれた状況を把握し、すぐさま気持ちを切り替えてそう叫ぶ。
しかし、自分を押さえ込んでいる探偵はほとんど顔色も変えないままだ。
「呼んでどうするんです」
「この状況、むしろ困ることになるのはあなたの方だと思いますが?」
もちろん、スタンガンなどこちらの方に危険な材料もいくつかあるが、それでもこの場で怯ませられれば充分だ。
だがそれを聞いてなお、探偵は白い帽子の下に不敵な笑顔を浮かべてみせた。
「なるほど……しかし、その点はご心配なく。人は既に呼んでありますので」
「なにを……」
探偵がそう言うと、奥の物陰から人影が二つ現れる。
右腕のない中年男性と、小型のビデオカメラを手に持った若い高校生くらいの女子だ。
「今さっきまでの一連の流れ、録画してありますので」
「まあ、そういうことだ。ちなみに俺はほら、こういうもんだ」
隻腕の男は、器用に片手でポケットから手帳を出し、中身を向けて見せてきた。
黒い手帖の中に、外灯の光を受けて輝く金の星がある。
「警察……」
「あとの話は所の方で聞かせてもらうってことでいいかな。木彫りの熊の余罪の方も合わせてな」
その言葉に、絶句する。
それは、完全な敗北だった。
「ねえランサ、ずっと気になっていたんだけど、結局犯人はどうやってあの赤パーカーを殺す夢を見せていたの?」
すべてが終わった後、事務所に戻り、ユリナはランサにそう聞いた。
「まあ、種を明かすと簡単なものです。ほら、これですよ」
ランサが出したスマートフォンに映っていたのは、木彫りの熊にデジタル式の時計がついたものだった。
「なにこれ、変なの。これがなんなのよ」
「目覚まし時計に盗聴器とスピーカーを仕込むっていうのは、実に巧いこと考えたものです。それなら電池も心配がいらないし、スピーカーだって元からあるものと共用だから怪しまれない」
変に感心しながら、ランサはその画面の熊を見つめている。
「夢の仕組みは、前にも言った声による刷り込みですよ。あの今回の依頼人の小松さんは、かなり夢を見やすい体質だったみたいですからね。犯人もそれを把握していたのでしょう。レム睡眠のタイミングで夜中にあの服装だけをピンポイントに何度も何度もつぶやかれたら、刷り込まれもすることでしょう」
真顔でそう言うランサに、ユリナは不審な顔を向けるばかりだ。
「……まあ、夢を見る仕組みはそれでいいわ。でもなんでそんな夢を見せていたの?」
「もちろん、赤いパーカーの男、竹野正武を小松綾美と引き合わせるためですよ」
ランサはしれっとそう言うが、それに対してユリナは首をひねるばかりである。
「そこがわからないのよ。あの犯人、竹野の知り合いだったんでしょ? お見合いおばさんにでもなりたかったの?」
「お見合いおばさんですか……まあ、現実は逆ですね。さっきの通り、あの人は竹野殺しを小松さんに被せようとしていたわけです。そのためにあの二人に接点を作りたかったんでしょう。それこそ強引にでも」
言いながら、ランサは右手を閉じたり開いたりして、なにかの感触を確かめているようだ。おそらく、取っ組み合いになった時に少し痛めたのだろう。
「また今度原田さんに聞いてみますが、あの梅田って女性は、竹野に相当な恨みを持っていたみたいですからね。その罪を職場の気に食わない後輩に押し付けれれれば一石二鳥みたいに考えていたのでしょう」
「そのために盗聴器とスピーカーまで用意して? ご苦労様なことね。でも、よくその盗聴器のことに気が付いたわね」
「アレほどハッキリとした特定の夢を見ている時点でなんらかの仕掛けはあるとは思っていましたが、確信したのは竹野が実在してからですよ。小松さんは単純な言葉で夢を意識していた。ならそれをコントロールしているものがあるはずだということです。小松さんの睡眠時間を確認するのも兼ねてね」
「だからわざわざ依頼人の家に押しかけていったのね」
ユリナがそれを指摘すると、ランサはイタズラっぽく苦笑いをする。
「まあ、こちらの意図を相手に聞かせないと意味が無いですからね。燻り出すのにだいぶカマをかけました。部屋をクリーニングしてやれば一発だったんでしょうけど、それじゃあ逃げられますから……」
そこで言葉を濁したのは、それが原田の言っていた証拠のための不用意な危険という意識があったからだろうか。ユリナにはそれ以上のことはわからない。
「なんにしても、自分が情報の主導権を握っていると思っている相手には、さらなる情報の波で押し潰すのが一番ですよ。あの赤パーカー祭りはよかった」
言いながらもランサは笑っていない。
勝利の実感をかみしめているのだろうか、それとも……。
「しっかし、夢の中の殺人で現実の殺人をカモフラージュしようなんて、恐ろしいことを考えるものね……」
「まあでも確かに、、あんなに夢をコントロールできるなら、一回試してみたいところではありますね……」
そんなことを考えるユリナを見て、ランサはぼんやりとそうつぶやく。
ランサはいったいどんな夢を見たいと思っているのだろうか。
今のユリナには、それを聞くことはできなかった。
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