第3の事件 夢にまで見た殺人事件

起:私の夢の中の被害者

 今日もあの夢を見た。

 朝の光の中、ゆっくりと、先程まで脳裏にあったものを思い出す。

 赤いパーカーの男。白い帽子。その影で顔は見えない。肩には緑色のリュックがかかっている。

 ここは駅前交差点、不思議と他に人はいない。

 私は歩いて、その男性を突き飛ばす。

 倒れる男性。起き上がらない。白い帽子に赤い染みが広がっていく。

 殺した。私が彼を殺した。

 そこで記憶は終わる。

 そして朝だ。

 あれは夢だ。ただの夢。

 だが、それで片付けられないのは、この夢がもう三日連続だからだ。

 枕元にある木彫りの熊型の置き時計を見る。

 七時二分前。

 その横の金閣寺置き時計とスカイツリー置き時計は七時ジャスト。いつのまにか少しズレが有る。

 なぜうちの職場の人間は皆、こんな訳のわからない置き時計を土産に買ってくるのだろうか。

 気持ちを切り替え、着替えに入る。出勤の時間にはまだ余裕がある。

 悪夢を見る割に睡眠時間が変わらないのは自分の美点だ。

 しかし、あまりにも悪夢が続きすぎている。

 もし今晩も見てしまうようだったら、さすがに誰かに相談しよう。

 だが、大事にはしたくない。誰かいい相談相手はいないか……。

 そうだ、以前喫茶店で知り合った奥さんが、探偵の知り合いがいると言っていた。

 もしまだ悪夢が続くようなら、一度相談してみよう……。



「実は、私が殺してしまった相手を捜して欲しいんです……」

「えっ……」

 その依頼に、探偵、杉高ランサは思わず絶句し、スプーンを落としそうになってしまった。

 そんなランサのリアクションに、落ち着いた雰囲気の土曜昼下がりの喫茶店のその一角に、突如場違いな空気が流れる。

 目の前の若い女性依頼人、小松綾美こまつあやみのその言葉は、それほどに正気とは思えないものだったのである。

 見た目は特にどこもおかしな点もない、ごく普通の女性だっただけにその驚きはなおさらだ。

 なんとか取り繕うべく、ランサは平常心を引き戻して言葉を絞り出す。

「えっと、それは、探偵ではなく警察に行ったほうがいいんじゃないでしょうか……」

 もしくは精神科に、と言いかけてさすがにランサも思いとどまる。

「ああ、申し訳ありません、殺してしまったといっても、実際に殺したわけではなくて、夢の中で殺してしまった相手なんです……」

「はあ……。その、夢の中で殺してしまった相手を捜して欲しいと」

「はい」

 言葉が補足されても、ランサの感想はさして変わらない。

 警察はともかく、やはり精神の病院に行ったほうがいいのではないだろうか。割と真面目にそう思う。疲れているのだろう。この女性は。

 しかし、この依頼がランサにとって痛いところは、これがランサが事務所を構えるマンション管理人の夫人からの持ち込みであることだった。

 家賃代わりの【調査依頼権】が行使された格好だ。

 もちろん直接の依頼ではないのでこの目の前の依頼人からは調査費などは貰うことになっているが、それにしてもこの内容である。

 どこかのトンチ話ではないが、ではまず夢の中から被害者を出してくださいとも言いたくなる。

「じゃあ、一応、お話だけだけ聞かせていただきますか? その被害者……殺した相手の特徴など……」

 気が乗らないながらも、ランサはなんとか話を進めようとする。

 報酬と【調査依頼権】のためだ。

 だが、次に出てきた依頼人の言葉は、そんなランサを驚かせるのに充分だった。

「えっと、名前などはわからないんですが、白い帽子に赤いパーカー、緑がかった小型のリュックサックを持っている男性でした。顔はなんとも説明できませんが、若かったと思います……」

「ほう……」

 思わず反応の声を上げてしまう。

 夢の中の話であるはずが、思っていた以上に明確な特徴が上がってきたのである。

 それは、ランサの興味を引くのに充分だった。

 どういう形であれ、なにか裏があるのかもしれない。自分がどこかの騎士の転生者であるかもしれないように、だ。

「とりあえず、その彼を殺してしまったという夢の中の状況について、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」

「え、ああ、ええ……」

 探偵の態度の変化に向こうも驚いたようであるが、もうランサはさしてそれを気にしない。するべきことが見えたらそれを突き進むのみだ。

「あれは、どこかの街の中……多分、駅前の交差点辺りだったと思います。私は特に何をするでもなく、目の前に立っていたその人物を、突き飛ばして、そのまま彼は倒れて動かなくなりました……」

 思い出すように、慎重に語る依頼人の声を、ランサは静かに目を伏せながら聞いている。

 状況を想像し、少しでも手がかりを得ようとするが、いかんせん夢の話だ。おそらくほとんど役には立つまい。

 それならば、別の観点から埋めていく必要がある。

「あなたはその人物、赤いパーカーの男を知らないんですよね?」

「ええ、知らない人です。顔をハッキリと覚えていないんですが、知っている人ならそれが誰かわかったと思います」

 もっともである。

「お仕事の関係で見かけたとか?」

「いえ、仕事は内勤の事務で同僚も女性ばかりですし、そういった機会は……」

「フム、では本当に夢の中でだけでしか見たことがないと」

「はい」

 これらの語られた夢が何を意味するのか、ランサにもまったくわからないが、それでも、探すものがわかってるだけ状況はマシになっただろう。

「では、その赤パーカーの男性を探してみることにしますが、いかんせん夢の中の話ですからね、見つけられるかどうかは保証できないことはご了承ください」

「ええ、もちろんです。これはただの私のわがままですし……」

 綾美は申し訳無さそうに頭を垂れる。

 はたして夢の中の被害者は存在するのであろうか。

 それがあやふやだからこそ、はっきりさせておかなければならないこともある。

「一応確認しておきますが、万が一その人物が見つかったとして、あなたは彼をどうしたいんですか? もう一度、現実でも殺したいというのなら、警察へ行くことをおすすめしますが……」

「ああ、いえ、どうしたいというわけでもないんですが。まさか夢の中で殺してしまったことを謝るわけにもいきませんし……」

 当然だ。謝られた方も意味がわからないであろう。

「では、発見したら写真の一枚でも抑えるだけで、直接会って話などをする必要はないですか?」

「ええ、さすがにそこまでは……。夢の中の話ですので……。会ってみたいという気もありますが、何をどうすればいいのかもわかりませんし」

 その辺りの自覚はあるようで、綾美は言葉に困っているようだ。確かに実在したところでどうしょうもないだろう。

 ならば、ランサが気になる点はあと一つだ。

「それなら最後に聞いておきたいんですが、あなたはなぜ、こんな依頼を?」

 普通に考えればどこをどう切っても頭のおかしい依頼である。

 それこそ病院でちゃんと診察してもらい、薬を処方してもらったほうがいいだろう。

「実は、ここ一週間ほどずっと同じ夢を見ていまして……。元々夢をよく見る方だったんですが、こんなことははじめてなので……。特にストレスなんかがあるわけでもないし、もしかしたらどこかで見たその赤いパーカーの人が、意識に引っ掛かっているのかと思いまして……」

「なるほど……」

 本当にストレスがあるかないかはランサにはわからないが、同じ人物が頻繁に夢に現れならと確認もしたくなるだろう。

 おそらくそれを知り合いであるユリナの母に相談したら自分を紹介されたといったところだろうか。あの人はそいういう部分を安請け合いする傾向がある。

 しかしまあ同じ人捜しなら、ほぼノーヒントなまま持ち込まれる非実在不倫相手捜しよりは幾分か楽しいものでもあるだろう。

「わかりました。ひとまずこの依頼、お受けしましょう。もちろん、何度も言いますが、見つけられる保証なんてありませんから、そこだけはよろしくお願いします」

「はい、わかっています。それでは、こちらこそよろしくお願いします」

 ランサの五里霧中な調査は、こうして幕を開けたのである。


「えっ! 受けたの!? あの依頼!」

 事務所に戻ったランサを待っていた第一声がこれである。

 その声の主は民辻ユリナ。

 今回の依頼人を紹介した管理人夫人の娘であり、自称ランサの助手兼一番弟子の少女だ。

「大丈夫ランサ? 疲れすぎて頭おかしくなっちゃたんじゃない? 頭の方の病院に行って、カウンセリング受けてきたら?」

「そうは言いますがねお嬢様。今回の件は奥様の【調査依頼権】ですからね。断るわけにもいかないでしょう」

「まあそうだけど……。ママったら、ここでアレ切っちゃったんだ……」

 呆れたようなユリナの態度に対し、ランサもまた呆れるように肩をすくめるばかりである。

 こんなことを言っているが、ユリナの【調査依頼権】の切り方もあまり人のことをとやかくいえたものでもない。なにしろついこの前もUFO調査に駆り出されたばかりである。親子の血は争えない。

「で、その夢の中のに出てきた誰かなんて見つけられるの?」

「まあその誰かを見つけるなんていうのは無理でしょう」

 ユリナの質問に対し、なんでもないようにランサはそう断言した。

「無理って……、依頼を受けたんでしょう?」

「無理なものは無理ですよ。私の仕事はあくまで、それらしい人物を捜すことです。顔もわからない、服装だけの人物なんて、どうやったって確定できませんし」

 そう語る探偵の態度はあくまで投げやりだ。それがどこの誰でもないことは、ランサ自身にもよくわかっていることなのだ。

「でも依頼を受けたんでしょう? なんで? ちょっと無責任すぎない?」

「見つけられないと言っただけで捜さないとは言っていませんよ。報酬はいただけるみたいですしね」

「なによそれ、やっぱり詐欺みたいなものじゃない!」

 そのランサの態度に納得がいかないらしく、ユリナは一人で憤慨している。

 もちろんその程度で揺らぐランサではないのだが、もちろん、少女に言われるまでもなく詐欺まがいのことをして報酬だけ戴いてしまおうなどとは考えもしない。

 探偵の商売道具は信頼と責任感だ。なにもせず、座ったままたまま無理でしたなどとはいいたくもない。

 だが、そんな渦巻く感情はおくびにも出さず、ランサは雑談のように別の話を切り出した。

「ところで、お嬢様は夢を見ますか?」

「え、夢? 夢ねえ、まあ、たまには見るわよ。あなたの相棒の名探偵として、バリバリ事件を解決する姿とか」

「はい、定番のボケありがとうございます」

「まあ失礼ね! ボケとは何よボケとは。……まあ実際のところ、私自身はあまり見る方ではないわね。それこそさっき言ったようなことをぼんやりと見る時があるくらいかしらね」

 その答えに、ランサは今度は満足気にうなずいてみせる。

「私も似たようなものです。夢なんて意識して覚えようと思わなければおぼろげなものですよ。意図した夢を見るのはとても難しい」

「そりゃそうでしょうね、というか、そんなこと出来る方法でもあるの?」

「よく言われるのは寝る前に枕の下に見たい夢を書いた紙を入れるっていうのが定番かと……。ようするに寝る前の意識付けですが。あとは、寝ている最中に声をかけるような仕組みで見たい夢を見る装置、なんていうのも聞いたことがありますね」

「なにそれ胡散臭いわね。効果あるの、それ?」

 説明を聞き、ユリナはあからさまにランサに疑惑の目を向けてくる。

 とはいえランサの方もその反応は織り込み済みで、特に気にすることもなく呆れた笑みを浮かべるばかりである。

「まあ、夢を見るかどうかは人によっても違いますしね。少なくとも、紙に書いてというのは、眉唾ものでしょう。駄目ですよ、あれは」

「試したことあるのね」

「子供の頃の話ですよ。紙のほうですが」

「なにを書いたのよ」

「それは秘密ということで」

 ただただ苦笑いで誤魔化すランサに、ユリナは訝しむ視線を向けてくる。

 ランサ自身、試したことは覚えているのだがなにを書いたのかはハッキリと覚えていないのだ。空を飛びたいみたいな、曖昧極まりないことだったように思う。

「ただまあ、声の方はもう少し効果があるかもしれませんね。感受性なんかで差がでるとは思いますが、それ用の装置が出たりしているくらいですからね。夢の中に現れるものは、案外外側からの影響も馬鹿にできないかもしれません」

「……もしかして、今回の依頼も?」

 そこまで聞けばさすがにユリナも真剣な表情になる。もちろん、探偵も既にその表情から笑みは消えていた。

「率直に言えば今回の依頼、夢の中の話の割には妙にディティールがハッキリしすぎているのが気になります。赤いパーカーに白い帽子、さらに緑のリュックですよ? こうも明確に特定の人物の夢を立て続けに見るのには、なにか裏があるのでは、ということです。それが本人の意図なのか無意識なのかは不明ですが……。少なくとも、その夢に出てくる男は現実にモデルが存在している、というのが私の考えです」

「いるの!?」

 少女の驚きの声に、探偵は再び微笑み、力強くこう答えた。

「いるといえばいますし、いないといえばいないということになります。あくまで夢の中の話ですしね。しかし、どういう形かは不明ですが、夢の中で形作られた人物の元になるものは確実に存在するでしょう。私の推測ですが、夢の中の人物はなにかしら今回の依頼人に影響を与える物があって、それが夢の中で具現化したものだと思います」

 それがなんなのかはランサにもまだわからない。

 しかし、霧の中をさまようこの依頼の中でそれは確かな道標のようなものだ。

「だから、それを捜します」

 それはまさに、探偵からの夢への宣戦布告であった。

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