承:夢だけど、夢じゃない

「えっと、白い帽子に赤いパーカー、緑がかった小型のリュックサックを持っている男だったっけ……?」

 投げやりに確認するユリナ。

「ええ、それでいいですよ。まあ、今のところそれらしい人影はいませんが……」

 ランサの方も投げやりな答えである。

 ランサとユリナの二人は事務所を出ると、早速、駅前のロータリーの隅にあるベンチに陣取っていた。

 ここからなら駅前を行き来する人々を一望できる。

 欠点としてはこんなところに座っているとあからさまに目につくということだが、今回の件は相手に悟られるような問題でもないし、そもそも実在するかどうかもわからないのだ。なにも恐れるものはない。

 そのあたりの羞恥心は既にランサもユリナも持ち合わせていない。

「しかし、こんな田舎駅のクセに、なんだかんだで人が多いわね」

 確かにこうやって駅前の光景を眺めていると、土曜の午後ということもあり、そこには多くの人がそれぞれのペースで歩いて行くのが目に入る。

 見れば見るほど人間は実に様々な格好をしていることを思い知るが、それでも、お目当ての服装の人物には巡り合わない。

 特徴としてはわかりやすいが、その分、違うとそれはそれですぐにわかる。

 それに冷静に考えてみると、もし万が一その人物が実在するとしても、今日、ここに、同じ服装で現れるとは限らないのだ。

 それを思うと、ここでただ待つというのは実に気の長く不毛な作業ではある。

 まあ、今日明日と月曜の朝夕見ておけば充分だろう。

 ランサの頭の中では、既にこの依頼の幕の引き方の計算が始まっている。

「……ジュースでも買ってきましょうか、お嬢様」

 だがランサはその思考をいったん切り上げ、そう提案する。

 いったいここでどれくらいの時間待っていたのだろうか。それがわからなくなっってきたのを自覚したのである。

 ここが麻痺し始めるのは、ランサにとって黄信号の合図だ。

「そんなこと言って、あなたが飲みたいだけでしょう?」

「ええ、そうです」

 茶化されても、誤魔化すこともなくランサは堂々とそう答える。

 見えない相手を待つというのは、まさに根気との戦いである。

 ランサ自身は自分がそこまで我慢強い方でないことを知っていたため、こうやってリフレッシュを挟んで気持ちを巻き直そうとするのだ。

 もちろん、それも相方としてユリナがいるからできることである。

 一人で張り込みをするなど、まさに忍耐との命の削り合いであり、ランサが探偵として絶対に避けたい状況の一つであった。

「私は適当な紅茶でいいわ。なければ普通のお茶で。まあ、行くならさっさと行って戻ってきてよね。はいダッシュ!」

「はいはい」

 そうけしかけられ、ランサは飛び出すようにして走り出す。

 身体が徐々に軽くなる。座りっぱなしだった身体に火が入れたかのようだ。

 目的地はすぐ側にある駅前のコンビニエンスストア。

 こうやって走っていると周囲の目が気になるが、いまさら気にしてもしょうがない。

 ユリナの紅茶と、自分用の炭酸飲料、そしてアイスクリームを買って店を出る。

 その時だった。

「ランサ! 後ろ! 後ろ!」

 ベンチから立ち上がって、ユリナが指差しながらそう叫んでいる。

 もちろんそれによって周囲は騒然としているが、他になにかが起こっているわけでもなく、誰も彼も呆気にとられるばかりだ。

 ランサも一瞬なにが起こったのかわからなかったが、すぐに助手の少女が指差す先に視線を向け、そして、それを目撃した。

「え、あっ、あああっ!!?」

 そこにはまさに、白い帽子に小豆色のようなくすんだ赤いパーカー、緑がかった小型のリュックサックを肩に掛けた青年が立っていたのである。

 パーカーの赤さもリュックの緑さも小ささもランサの想定とはだいぶ異なったが、条件とはほぼ一致する。それになにしろ夢の中の話だ。完璧な正解なんて存在しない。

 彼もまさか自分が指さされているとは思ってもいないようで、他の群衆と同じく、周囲を見回すばかりである。

「いや、まさか、実在したとは……」

 そうぼやくと同時に、ランサは既に彼に向かって走り出していた。


 結果、その青年はあっさりとランサに確保されることとなった。

 というよりは、本人がまさか自分が対象であると思いもせず立ち尽くしていたところにランサがやってきたのである。

 その一方的大捕り物に周囲も騒然としていたが、特にその後なにが起こるわけでもなかったため、他の群衆はあっという間に元の流れに戻っていった。

 こちらに近付きながら、さもその青年が兄であるかのように振る舞ったユリナのフォローもよかった。

 そうして取り残されたのが、探偵とパーカーの青年なのである。

「えっと、あんたたちは……?」

 ランサに続いてユリナも合流し、青年の方はますます混乱した様子で二人を見るばかりである。

 派手な服装のわりに華奢な体つきで、おそらく逃げていてもランサならすぐに追いつけたであろうと予想できた。

「ああ、すいません、自己紹介が遅れました。私は杉高ランサ。ひとことでいえば、探偵です。で、こっちは助手の民辻ユリナ」

 ランサがそう挨拶すると、青年の混乱にますます拍車がかかる。

「え、探偵? いや、探偵がいったい俺になんの用があるんだよ……」

 どうやらこの青年側にも、なにも思い当たるものがないらしい。不思議そうにランサとユリナを交互に見るばかりだ。

「用件、と言われるとなかなか説明が難しいのですが、実はあなたに、一つお聞きしたいことがありまして……まずはお名前を伺ってもいいですか?」

 ランサとしては実は名前を聞いてもしょうがないのだが、それがわからないと話をするのも一苦労となる。それに、こうした些細な事から切り込み口を作っていくのが質問の常套手段だ。

「名前ね……俺は竹野正武たけのまさたけ。で、あんた等はいったいなにが目的なんだ」

 竹野は当然のように苛立っているが、ランサはそれをいなすように微笑みかける。

「いや実はあなた、というよりはあなたの服装をした人物を捜していたんですよ。白い帽子に赤いパーカー、緑がかった小型のリュックサック。ほら、あなたにピッタリ当てはまる」

「はあ?」

 ランサの説明にも全く納得がいっていないようだが、それはもちろんランサ側にも折り込み済みである。突然そういわれても納得がいくはずがない。

 なのでここはさっさと次の手へと移るまでだ。

「いや、実は以前、あなた、というかその服装の人物に助けてもらったという人がいましてね、もしかしたらと思って声をかけさせてもらったんですよ」

 その言葉で竹野は多少は警戒を解いたものの、まだまだ困惑は消えてはいない。カマをかけただけなので当然といえば当然だ。

 ランサには竹野がそういう親切をしたかどうかも、するような人物かもわからない。まあ、ここまでの印象だとあまりしない方に思えるが、その方が好都合だ。

「いや、人違いじゃねーかな……」

 困惑しながらも、竹野はランサの言葉を否定した。

 ランサが持った印象よりは、幾分か謙虚な内面を持っているらしい。

「うーん、そうでしょうか。そうなら残念ですね。ところで、竹野さんは、いつもその格好を?」

「まあ、そうだな。さすがにいつもってわけでもないが、このスタイルが多いかな」

「なるほど……、ところで、この人物に心当たりはありませんか? その、助けてもらったという人物なのですが」

 ランサはスマートフォンを操作し、その画面に今回の依頼人を表示させる。最初の依頼を受けたときに撮影させてもらったのだ。

「うーん……やっぱり心当たりはないな」

「そうですか」

 ここでこの青年が嘘をつく必要も見受けられず、やはり竹野と依頼人の間に直接の関係はないことを確信する。

 ならば、これ以上今の竹野からは情報は出てこないだろう。それならさっさと話を閉じてしまうべきである。

「では最後に一点だけ、お願いしていいですか? いや、依頼人に見せるための写真なんですが」

「写真……? 別にかまわないが」

「いやはや、お手数をおかけしました。では、またなにかあったら連絡させていただきますので」

「なにもないと思うけどな……」

 ランサは撮影終えて連絡先を交換すると、お礼の言葉と幾ばくかの謝礼を渡し、そのまま竹野と別れた。

 竹野は当然最後まで訝しそうにしていたが、謝礼が効いたのか、特になにも言ってはこないまま去っていた。


「なにもないわけないじゃない、ああもピッタリの服装だったのに!」

 竹野と別れた後、ユリナがそう愚痴っている。

 それはもっともで、あれほどにピンポイントな服装である。無関係と考える方がおかしい。それはもちろんランサだって考えてはいる。

「一方的な関係というのは世の中には多数存在していますからね。そういう意味では、彼の写真を確保できただけでも今回は十二分の成果です。忙しくなるのはこれからですよ」

「なーによそのもったいぶった言い方! さてはもう犯人が分かっているのね! キリキリと白状しなさい」

 興奮するユリナにも、ランサは態度を変えはしない。

「まさか、私もそこまで千里眼じゃないですよ。ただ、これを依頼人に見せてはい終わり、ではすまない事件であることは間違いないでしょう」

 あくまでランサは慎重な発言に徹する。

 ユリナが納得しているとは思わないが、今言えるのはこれだけなのだ。

「やっぱりまだ何かあるのね、なにがあるのよ?」

「それは見せてみないとわかりません。あ、あと、今から早速行ってきますから、お嬢様は先に戻っていてください」

「なによ、私が邪魔だって言うの」

「はい」

 即答である。

「相手が若い女性だからって変なこと考えているんじゃないでしょうね!」

「私がそんなことをするとでも?」

「ないわね」

 即答であった。

「あなたにそんな甲斐性があったら、私だってとっくに助手でも弟子でもないナニカになっていたわ。だからといって留守番に納得したわけじゃないけど! 納得したわけじゃないけど!」

「なぜ二回も……」

「二回で済んだだけマシと思いなさい」

 あからさまに不満をぶちまけながらも、ユリナもそれ以上は食い下がってこなかった。

「まあ、これが終わったらたぶんお嬢様に頼みたいことは山ほど出てくると思いますんで、その時にはよろしくお願いします」

 言い訳のようにそう告げて、ランサは依頼人の元へと向かう。

 ここがこの事件を進める上で、もっとも重要なポイントとなるだろう。

 依頼人の部屋に行き、そこで赤いパーカーの男は実在したことを伝えるのだ。

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