解:ラーメンを頼む奴は素人

 翌朝、ぼんやりと新聞を見ていたユリナは、その記事を見て飛び上がるほど驚いて、慌ててランサの事務所へと駆け上がる。

 事務所のドアを明けると、奥でランサは眠たげに書類の整理をおこなっている。

「見てよランサ、これ、これ見てよ!」

 すぐさま中に入り、ユリナはそのままの勢いで自宅から持ってきた新聞記事をランサに突きつける。

 記事の内容はこうだ。

『祭器専門の窃盗団、神社に侵入しようとしたところを警察に見つかりその場で現行犯逮捕』

 大事にならなかったため記事自体は小規模なものだが、問題だったのは、事件の舞台となったのは市内のとある神社だったのである。

 そして記事の角には、小さく主犯格の顔写真も掲載されている。

「これ、どこかで見た顔と思ったら、昨日ラーメン屋にいた人じゃない?」

「そうですね」

 しかしそれを見ても、ランサは特に驚いた様子もなく記事を一瞥して再び書類の方へと目を向ける。

 そんなランサの態度に、ユリナはもちろん納得がいくはずもない。

「驚かないのね、昨日自分たちとすれ違った人物が逮捕されたっていうのに」

「そりゃそうですよ。だってその事件、私が原田さんにお願いしたんですから」

「ふーん、って、どういうことよ! ランサ、あなた、あの最初に出て行った男が犯人だってわかってたの?」

 顔写真の男は確かに昨日ラーメン屋にいた。

 しかしその写真の男は、後からきたあの痩せた男が入ってきた時に入れ替わりに席を立った人物だったのである。

 ただそれだけの行動で、探偵はこの犯行を見抜いたというのだろうか。

「ええ、まあ、そういうことになりますね」

「どういうことよ……」

 当然、訝しみの目をランサに向けるユリナ。

 ランサは面倒くさそうにその顔を見ていたが、やがて諦めたのか、頭を掻きながらゆっくりと口を開きだした。

「正確に言えば、犯人は彼、ではなく、彼ら、です。ようするに、私たちが入った時点であの店にいた客は、全員グルだったわけです」

「は?」

 突拍子もない言葉に、ユリナはますます目を丸くする。

 しかし、ランサの言葉はもう止まらない。

「いいですか? あそこは最初から、彼らが私たちの後に来た男、えっと、小田氏、でしたっけ? 彼を陥れるために仕組まれていたのですよ」

 その表情からは既に眠気や気怠さは消え失せ、静かに真相を説明する名探偵の顔になっている。

 こうなればユリナも真剣に聞くしかない。

「なんでそんなことを……」

「もちろん、小田氏を彼の家から引き離し、その隙に隣の神社に侵入してお宝を頂戴するためですよ。そのためには、一定時間の間確実に、彼を他の場所に引き止めておく必要があるわけです」

 ユリナはあの店にいたそれぞれの客の顔を思い出す。

 自分たちと入れ替わりで出て行ったカップル。

 その隣で黙々と、ゆっくりとラーメンを食べ続けていた若い男性二人組。

 小田氏に話を持ちかけた男性二人組。

 そして一番奥の最初に出て行った男性。

 中でも重要だったのは、やはり小田氏と話をしていた男二人だろう。

「それが、彼の隣にいた二人組の仕事だったわけね」

「ええ、そうです。それが彼ら二人に与えられた役割だったんでしょう」

 あの後彼らは言っていた通り、自分たちの車でまんまと小田氏を京都へと連れて行ったのだろう。

 もちろんその間、あの家は主が不在となる。

 話しぶりから察するに、他の家族もいなかったみたいであるし、まさに泥棒らにとっては大チャンスというわけだ。

「まあ、あの二人になにかやましいことがあったことまではわかるわ。でも、他の客も仲間っていうのがわからない。偶然いた客じゃないの?」

「その可能性は極めて低いですね」

 ユリナの疑問に対し、ランサは自信に満ち溢れた口調でそう言い切った。

「根拠はいくつかありますが、まあ最大のポイントは、彼らは皆、ラーメンを食べていたことです。昨日も言いましたが、あの店の最高のメニューはあんかけチャーハンです。それ以外の物を頼むのは、素人か馬鹿だけですよ」

 素人か馬鹿、を強調するランサ。

 ユリナもあんかけチャーハンの味には舌鼓を打ったが、他の料理はそうでもないのだろうか。まあ、横目で見たラーメンはいかにも平凡が汁に浸かっているようにも見たものだが。

「でもその素人……というか偶然訪れた初見のお客さんってこともあるんじゃない?」

 ランサはその質問に対して、曖昧な笑顔を作ってみせるばかりである。

「なにも知らずにあんな店に入る客がいるとも思えませんが、確かにまあ、その可能性がないとは言い切れません。もしかしたら移動中にどうしてもラーメンが食べたくなった時、ちょうど目についた店があそこだった、というのも考えられないわけではないですからね。でもそれはありえないですよ」

「どうしてよ」

「自動車がなかったからです」

 ランサは、これでもかというほど力強くそう断言した。

「あそこに着いて、店に入った時からおかしいと思っていたんです。駐車場にはたった二台しか止まっていなかったにもかかわらず、なぜ店は既に満席なのか。考えられる可能性は二つ。徒歩で来店した客がいるか、それとも、まとまって乗ってきたのか」

 ユリナは、ランサがずっと外を見ていたことを思い出す。

 不満気な表情に見えたのは、それほど真剣だったということだろうか。

「で、さっきも言いましたが、あの店でラーメンを食べるのは馬鹿だけです。徒歩圏に住む人間がそんなことを知らないはずもない。となれば、答えは一つ……の、はずなんですが、店の中では客同士のつながりはほとんど見えなかったですよね。話もそれぞれの間でしかしていなかったし、店を出て行ったのもバラバラ。つまり、それぞれが身内と見られるのを避けたがっていたんですよ。怪しい、これは怪しい」

 それだけ言い終わると、ランサの態度は自信よりも達成感にシフトしたらしい。どこかおどけたようにも聞こえるその言葉は、まさに勝利の余裕そのものであった。

「それはわかったわ。で、あいつらがグルだとして、あなたはいったいどうやって犯行に気が付いたの?」

「まあ、そこは会話の一つ一つの積み重ねですよ。まず、最後に来た客、小田さん、でしたっけ? まあいわゆる今回の被害者ですね。彼はそれこそ、徒歩で店に来た客です。つまり徒歩圏内に住んでいる。まずはここから考えましょう」

 そう言ってランサは立ち上がり、脇の本棚から地図帳を取り出してくる。

「ほら、ここが小田氏の家で隣が神社、そしてここがあのラーメン屋『紅神』です。この距離、おそらく犯人側もこれを見越して、罠を仕掛ける場所をあの店にしたんでしょうね」

「でもよくあの店に都合よく呼び込めたわね。そんな外食ばかりするわけでもないでしょうし、他の店に行く可能性だってあったんじゃない」

「もちろん、そこはリサーチ済みですよ。あんな田舎では、昼間から酒を呑むために外食するならあそこくらいしかありません。飲酒運転ダメ、ゼッタイ」

 言ってランサは手でバツを作ってみせる。

「あー」

「まあ、なにかしらの都合で外食をやめて出てこない可能性もあったかもしれませんが、ほぼ毎週ですからね。店主も彼が来たら調理よりも前にグラスを用意していましたし」

 思い返せばあの一連のやり取りは双方かなり手慣れたものだった。

 小田氏は席を空けておいてくれとまで言っていたし、店主もそれを当たり前のように受け流していた。

 少なくとも自分たちの時とも違う、完全にそれぞれの呼吸を把握した一連の動作である。

 相当入り浸っているのであろう。

「で、お酒が入ったところで美味しい話を持ちかけて釣り上げる。このあたりは完璧な流れなわけです。来てくれるだけではなく勝手に酒まで飲んでくれるんですから、まさにカモネギですよ」

 それはわかるが、一つユリナには気になる点もある。

「じゃあ、あの森橋とかいう電話の向こうの人物も捏造?」

「いえ、おそらく実在する、それなりに御神体などに詳しい人物でしょう。まあ組織内の人間かどうかは曖昧ではありますが、組織の知恵袋的なポジションといったところだと思います。各地の神社などについてを相談したり、持ってきたものをあらためて鑑定したり……、多分実体もあの二人の言葉とそんなにズレはないと思いますよ」

「組織って……そんなに大規模なものなの?」

 記事を見てもラーメン屋のことを考えても、確かにかなり大掛かりな動きである。

 しかし、それほどまでしてその組織がなにを求めているのかがわからない。

「昨日も言ったじゃないですか、その手の祭器や御神体を専門に狙った窃盗団がいるって。彼らこそ、最近暴れまわっていたグループですよ」

「やっぱりそうなのね……。あの神社、そこまで凄いものがあったのかしら。管理している人間からはとても考えられなかったけれど」

 まさにユリナの想像の外側の世界である。

 ここまで聞いてなお、見たこともないせいかどうにもピンとこない。

 そもそも、神社の奥になにがあるのか未だによくわかっていないのだ。

「うーん、それは私にもよくわかりませんね。しかし、標的を絞り、ここまで入念な罠を仕掛けて狙い撃ちしてきたわけですからね。そこまでして手に入れたいものだったんでしょう。専門家の考えることはわかりません」

 事件の推理は出来ても、ランサもさすがにその中身まではわからないらしい。

 興味ありありな表情を浮かべて、なにか良からぬことを考えているようである。

「……まさか、あなたも盗みに入ろうとか考えていないでしょうね?」

「ははは、まさか。私が持っていても仕方のない物ですよ」

 笑って誤魔化したたものの、その本心は見えないままである。

 だが、今はそれはどうでもいい。

「……ま、それもそうね。そんなあなたの興味より、今知りたいのはあいつらがそれを探していることをあなたがどうやって知ったのかよ。当然、なにを盗みたがっているのかもわかっていたんでしょう?」

「なにを、かはわかりませんが、彼らがその手の人間というのはわかりましたよ」

「どうやってよ」

 そう聞くと、待ち構えていたようにランサはニヤリと笑ってみせる。

「ポイントはいくつかありますが、一番重要なのは、やはり言葉ですよ」

「言葉ねえ。なにか言ってたっけ?」

「基本的に話をしていたのはあの痩せた男を引き回す係ですから、そう踏み込んだ話はしませんでしたが、連絡係らしいもう一組の客に聞かせる意味もありましたからね。神社との位置関係や、監視カメラなどの警備システムの有無、他に人が来る可能性など、かなりの情報を引き出していましたよ」

「言われてみれば……」

 思い出してみると、小田氏の饒舌も伴ってかなりの情報が漏れていた気がする。もちろんその二人組は常に小田氏と行動するのだから、小田氏的には話しても問題ないと思っていたのだろう。

 しかし、横にいた別の二人がその情報を有効活用できるなら話が変わってくる。

 それを踏まえて、小田氏と話をしていた二人組も声が大きめだったのだろう。もちろん、酔った小田氏も釣られて声のボリュームが上がる。

 そのすべてが筒抜けだったわけである。

 ましてやあの時の流れだと、小田氏は最初に二人を神社の中、それこそ窃盗団がターゲットとしている御神体まで案内され、写真まで入手できるのである。

 おそらくすぐさまメールで他のメンバーにその写真も送信され、似たような替え玉の偽物が準備されていたことだろう。

「手口はこうです。まず彼ら二人組が口車に乗せ、小田氏をどうにかして家から引っ張りだす。今回なら森橋という人物のものに連れて行くというのが口実ですね。そして残ったメンバーが手筈通り神社に侵入し、御神体を盗み出し、作っておいた偽物とすり替える。玉らしいですからそこまで難しくもないでしょう。ここまでするからにはある程度情報もあったでしょうしね。で、最後にやってきた森橋という人物がその偽物を鑑定して、大した価値はないと断言する。そりゃそうでしょう、なにせ偽物なんですから。これで小田氏は自分が御神体を盗まれたことに気が付くこともなく普段の生活に戻っていく。めでたしめでたしというわけです」

「全然めでたくはないわよ」

 ユリナはあらためて、その手口に呆れ返るばかりである。

 もしランサがあの時あのラーメン屋にいなければ、全てはひっそりと進行していき、誰も気が付かないまま御神体は適当な偽物にすり替わっていたのである。

 そのための手筈は完璧に整っていたといってもいいだろう。

「もちろん、この件に関しては最終的にはどこまで行っても私の推測の域は出ませんから、万が一の時には原田先生に泣いてもらうことになったわけですが」

「酷い話ね」

 ランサの無責任な発言に、ユリナは大きくため息を付いた。

 もっとも、口先でそうは言っているが、ランサには絶対的な自信があったのだろうというのはわかることだ。

「まあ、まあ、上手くいったしいいじゃないですか。もちろん、原田先生がしっかりと判断してくれたお陰ですが。もっと原田先生を信用してもいいんですよ」

「まあ、そういうことにしておくわ。しかし、チャーハンを食べている間に事件を解決するなんて……」

 考えてみれば今回の事件において、ランサはただ座ってチャーハンが来るのを待っていただけなのだ。

 窃盗団にしてみれば、それだけで計画が破綻したことになるのである。

「まあ、ラーメン屋での退屈しのぎが人類の役に立ったのならなによりです」

「名探偵である杉高ランサがいたことが彼らの敗因だったわけね」

 そのことについて、ランサは彼らの失敗の理由を実に端的に述べてみせた。

「いえいえ、彼らの失敗は、ラーメンなんかを食べていたことですよ。あの店でラーメンを食べるのは、馬鹿か素人のすることですから」

 それだけ言って、ランサは勝ち誇ったように笑った。

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