第2の事件 犯人はチャーハンを食べない

謎:ご注文はラーメンですか?

「おや、満席ですか。おかしなこともあるものだ」

 店内を見た途端に、横でランサがそんな失礼なことを言い放った。

 今日杉高ランサと民辻ユリナの二人が来たのは、市の西の山合にある小さな中華料理屋『紅神』だ。

 知る人ぞ知る店、というには色々なものが少し足りない、ごく普通の店である。

 とはいえ、ユリナたちがここまで出向いたのはなにかしらの事件があってではない。

 ランサが突然あんかけチャーハンを食べたいと言い出したのが始まりであった。

「なに失礼なこと言ってるのよ」

「だって、この店が満席なっているの初めて見ましたし。駐車場はまだ幾つか空きがあったのに……」

 ユリナが注意してもランサは気にする風もない。

 しかたがないのでそれを無視し、あらためて店内を見回してみる。

 元々そんなに広い店ではないようだが、今日は七席あるカウンターが全て埋まっている。

 手前から、ラーメンを食べるカップル、注文した品が来るのを待つ若い男性二人組、ラーメンをすする中年男性二人組、そして一番奥でゆっくりとラーメンを食べる男性。

 この席数ならちょっと客が来れば埋まっても仕方ないと思うが、ランサの言葉を信じるなら普段はこの席数さえも埋まらないのだという。

「で、どうするのよランサ。帰る?」

 そう提案すると、ランサはしばらく店内を見ていたが、大きくため息を付いてなにかを悟ったような顔になる。

 それを確認してユリナが、再び出入り口を開け、店を出ようとしたその時である。

「いえ、待たせてもらいましょう」

「そうね、他の店でも……って、えっ!?」

 ユリナは思わずランサを見た。そして言葉を反芻してさらに驚いた。

「待つの? あなたが? いったいどうしたのよ」

 ユリナの驚愕も無理はない。この探偵、探偵の割に基本的には忍耐力がないのだ。

 行列を見たらあからさまに避けるタイプだし、張り込みの時でさえ退屈さを隠そうとしない。油断するとすぐに休憩すると言い出すような人物だ。

 そのランサが、今日に限って席が空くのを待つというのである。

「どういう風の吹き回しよ」

「わざわざ車を出して、こんな遠くまできたんですからね、あんかけチャーハンはなんとしても食べて帰らないと……。それに、今から他の店に行くのも面倒ですし」

 真顔でそう返されると、訝しみながらもなにも返せない。

 それでもなんとか言葉を探そうとしていると、不意に、ユリナたちの後ろで扉が開けられた。

 別の客だ。


「ありゃ、今日はやけに混んでるな……、これは明日槍でも降るんじゃないか」

 入ろうとしていた痩せぎすの中年男性が一人、中の様子を見てそうつぶやいた。

 常連とおぼしきその男性も店の混雑具合にたいそう驚いており、普段のこの店の様子が目に浮かぶようである。

「店長もさあ、毎週土曜は俺が来ることがわかっているんだから、席くらい空けておいてくれてもいいんじゃないの?」

「普段は満席になりませんからネ」

 常連らしく、カウンターの向こうの店主と適当な話をしている。

 それを聞く限り、この満席状態はよっぽど珍しいらしい。

「ああ、ここもう空きますよ。お会計お願いします」

 そんなやりとりに気を使ったのか、一番奥の男性がラーメンの器を置き、立ち上がってそう告げた。

 その立ち方もどこか慌てたようで、早足で入口のレジに向かう。

「ああ、すいません……」

「気を使わせて申し訳ないですネ……、毎度どうも」

 その常連の中年男性もグラスを用意していた店主も申し訳無さそうにして彼を見送り、気まずいながらもなんとなくまとまってよかったといった空気が流れている。

 ただ一人、ユリナの隣の人物を除いては。

「……なんであの人のほうが先に席につくんですかね」

 しかめっ面で外を見ながら、ランサはそうぼやいている。

「どんだけ大人げないのよ……。一席だけ空いたんだから、あちらの人のほうが先になるに決まってるじゃない」

 ユリナは呆れた様子で溜息をつく。

 名探偵でない時のランサは、こういうどうしょうもない人物であることが多いのだ。

 それについてはユリナのいろいろと言いたいことはあるが、もはや諦めていることでもある。

 それでもせめて、人前ではちゃんとしてもらいたいものだが。

「あの、ここも空きますから、よろしかったらどうぞ……」

 そんなランサたちに気を使ったのか、一番手間側にいた男女も立ち上がって会計を済ませ店を出て行く。

「ああ、すいません、なんか気を使わせてしまったみたいで……」

 すぐさまユリナは彼らに頭を下げてその席に向かう準備をする。

 だが一方のランサは、しばらく不機嫌な顔のまま店の外を見続けていた。


 それからランサと二人であんかけチャーハンを注文した後、ユリナは、ぼんやりと他の客の話に耳を傾けていた。

 自分たちから見て手前の男性二人組は目の前のラーメンを食べることに夢中でほとんど話らしい話をしていないが、奥の席は注文がまだ来ていない一番奥の男性と既に食べ終わった二人ということもあり、いつの間にか話が盛り上がっているようだった。

「ほう、神社の管理を……。ということは、あなた、神主さんなのですか?」

「いえいえ、そんな大層なものではありませんよ」

 他に客が来る気配もないからか、その話し声はだいぶ大音量である。

 最後にきた痩せた中年男性が昼間だというのに酒を頼んでテンションが上がっているのも大きいかもしれない。

「土曜日とはいえ昼からお酒とは、呑気なものね……」

 小声でそうつぶやくユリナに、ランサは口は開かずに肩をすくめてみせるだけだ。

「まあ、元々敷地内に神社があったものでしてね。昔はうちの家から神主を出していたこともあったそうだけど、今は管理だけで、なにかの行事の際に外の人を呼んだりしているんですよ」

 アルコールが入ったこともあってか、痩せた男は饒舌にそんな自分の家の現状を語っており、それに対し二人の男たちは物珍しそうに相槌を打っている。

「へえ、でもそれだと管理も大変なのではないですか。ビデオカメラや防犯装置なんかも設置したりとか」

「ははは、そこまで厳重にはしていませんよ。なにせすぐ隣ですしね。うちの庭にならともかく、神社の前だと車を止めても目立ちますし、そこまでして盗みたい物があるとも思えませんよ」

 謙遜なのか事実なのか、男はそう笑うばかりである。

 しかし、そこに二人組の片割れが食いついた。

「いやいや、その手の物は案外馬鹿になりませんよ。俺の知り合いにその手の価値に詳しい奴がいるんですが、一度鑑定なんかしてもらったらどうですか?」

「ああ、森橋か。あいつならその辺に詳しいかもしれないな」

 森橋という具体的な名前が出たことで、二人は合点がいったように頷き合う。

 もちろん、それは痩せた男の興味を誘うには充分であったようだ。

「ほほう、そりゃいいことを聞いたな。うちの逸品も機会があれば是非見てもらいたいものですね」

 すっかり乗り気である男に対し、二人組もここぞとばかりに話を続ける。

「ええ、じゃあ一度頼んでみましょうか? この前もなにか地方神社から千年以上前の鏡が見つかったって大騒ぎしてましたからね。もしかしたら、ここでも同じようなことが起こるかもしれませんしね」

「まあ、そうと決まれば善は急げです。一度会ってみます? 京都の奴なんで、ここからなら今から出て高速道路を使えば夕方くらいには着くと思いますよ。早速連絡を取ってみましょうか?」

「大丈夫ですかね、そんな突然押しかけて……」

 あまりにトントン拍子で話が進んでいくことに不安を覚えたのか、痩せた男もさすがに怖気づいているようだ。

 だが、もう二人組の方は止まらない。

「元々普段から土日は暇している奴なんで、たぶん問題ないですよ。じゃあちょっと電話してきますね」

 そう言って二人組の片割れは電話を持って店を出ていった


「神社の道具って、そんなに値打ちがある物かしら」

 そんな奥の席の興奮した様子を見て、ユリナはぽつりとつぶやいた。

 向こうはすっかり話が盛り上がっているが、神社の奥などまともに見たこともないせいか、ユリナにはどうにもピンとこない。

 そもそも、そこになにがあるのかもいまいちよくわかっていないのだ。

「基本的には古いものですからね。物によりけりってところでしょう」

 ひとまず無難な言葉を返してきたランサであったが、それだけ言った後、声を潜めてさらに続けた。

「まあ最近では、その手の祭器や御神体を専門に狙った窃盗団なんかもいるみたいですけれど……」

「えっ!? なにそれ、そんな酔狂な連中がいるの?」

「しっ、声が大きいですよお嬢様。まるで私たちが彼らを疑っているように聞こえるじゃないですか」

 ランサに咎められ、ユリナは思わず口元に手を当てて声を殺す。

 周囲を見渡すが、幸い誰もユリナの発言には気を止めていないようである

「あくまで噂ですよ、おっと、注文が来たみたいですよ」

 店主が近付いてきたのを見て、ランサの話はそこで途切れてしまった。


 そうして二人の前に、白い皿に乗ったあんかけチャーハンが置かれる。

 皿は決して上等なものとはいえなかったが、それでもそこ乗っているチャーハンは黄金のように輝き、一目見ただけでその上質さが分かったし、その上にかけられたとろみのあるあんはそれを引き立てるかのように艶やか流れていた。

「ほら、見てくださいよ。これがこの店の価値の全てであるあんかけチャーハンです。この店でこれを食べずにラーメンなんて食べるのは、馬鹿か素人だけですよ」

 その言葉に店主を含めてほぼ全ての人間から鋭い視線が向けられる。例外は最後の客である痩せた中年男性だけだ。

 彼もまた、常連らしく注文はあんかけチャーハンであった。

 もっとも、ランサの方はそんな周囲の視線など気にすることなく既に最初の一口目をすくい上げていた。


「大丈夫だそうです。奴さんも話を聞いたら興味津々で、一度直接会って、どういう神社なのか詳しい話を聞いてみたいと言っていましたよ」

 店に戻ってくるなり、片割れは嬉しそうにそう言って大股で席に戻る。

 いかにも興奮した様子だ。

「そういえば、小田さんの神社の御神体って、どんなものだかわかります?」

「ああ、うちのは玉ですよ、でっかい玉」

 言いながら痩せた男、小田は大きな手振りで円を描いてみせる。どうやら玉を表現し来らしい。

「玉ですか」

「そう、玉です。まあ、俺もちゃんと見たことはないんで詳しい説明は出来けれど、とにかく古そうな逸品ですよ」

「なるほど……、じゃあ一回写真だけ撮りに戻りますか? それがあったほうが森橋も判断しやすいでしょうし」

 二人組の方も小田の手振りに乗せられたのか、既に気持ちは神社の方へと向いているようである。

 今にも席を立ちそうなくらい腰が浮いている。

「うむ、そうですな。じゃあ早速行くとしましょうか。おい親父、会計頼む。この人らの分も俺が出すよ」

「いや、悪いですよ」

「なーに、うちの鏡が由緒ある逸品だったらすぐに元も取れるでしょうしいいってことです! 気にするな気にするな!」

 一方の小田の方は完全にできあがっており、夢のある話を聞かされたこともあってすっかりハイテンションである。

 二人組もさすがにそれには少し呆れているようであったが、まんざらではない様子でその男を見て微笑んでいた。




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