第8の事件 沈黙都市に木馬は行く

謎:バス停の行きつ戻りつ

 午前十一時のまだ穏やかな日差しが、大きなバスの窓から差し込んでいる。

 ごく自然な態度で静かな車内を見渡す。

 今日もこのために一番後ろの席に陣取っているのだ。

 終点に向かう車内にいまも残っている乗客は、自分を含めて三人。

 一番前の席に座るのが、いつも乗っている厳しい雰囲気の老女。

 一方で中程の席の男性は、いかにも出張で来たといった風でどこか落ち着きがない。

 それぞれが無関係にこうしてバスに座っている。

 彼ら以外でも、概ね、このバスに乗っているのはこのような客である。

 なにしろ車社会の地方都市だ、そもそもバスを利用する人間自体限られてくる。自分だって普段は車を使う。

 それでも自分の乗った大学病院前ではあと数名ほど乗客もいたが、ここに至るまでにいつの間にかこの人数になっている。

 それもいつものことだ。

 今バスが走っているのは郊外産業区画、その名もサイエンスポリス。

 科学都市サイエンスポリスとは大層な名前だが、実態はただのだだっ広いだけの産業団地である。

 そもそも都市とはいうものの、窓の外を見ても活気どころか人の気配すらない。

 あるのは無機質な建物と空き地ばかりだ。

 この都市は、それぞれのオフィスの中で全てが完結しているのだ。

 それに加えて、現時点で全ての区画が埋まっているわけでもないところがさらに荒涼感を増幅させている。

 この都市に人の姿が現れるのは昼と夕方の通勤退勤時間だけである。

 このバスはそんな産業団地サイエンスポリスの端が終点となる路線であり、そんな街にふさわしい利用者数というわけである。

 一応、通勤に使っている人もいるにはいるらしいが、この時間だとそれもない。

 だからこそ、自分のような存在に気付く人もおらず、目立つことなく仕事を続けられるのだろう。

 このアルバイトを始めてもう二週間になる。

 やりがいはないし意味もわからないのだが、まあ、それでも金は貰えるのだから文句はない。

 一週間で一万円。事実上、バスに乗るだけなのだから破格と言ってもいい。

 それだけに、実際のところこの仕事にはなにか後ろめたいことがあるとは思っているのだが、それをいまさら言っても仕方ない。

 大学を出たもののやることをなくし、暇を持て余していた自分にはどうせそういうことしか出来まい。

 そんな考えを巡らせていると、すぐに目的地が見えてくる。

 五つあるサイエンスポリス内の二つ目のバス停。

 こここそが自分の目的地だ。

 いつものように降りる準備をしながら、あらためて窓の外の景色を見る。

 無駄に整備された人気のない道。この時間は車の通りもほとんどなく、緩やかな時間が流れている。

 雑草が伸び放題となった歩道がその象徴のようである。

 そろそろか。

 ひと呼吸置き、下車ボタンを押す。

 この仕事を始めた当初は、どこかワクワクした気持ちになったこのボタンを押す行為も、慣れてしまえばただの作業だ。

『次、停まります』

 聞き慣れた、無機質なアナウンスが車内に響きわたる。

 誰もそれを気にも留めない。

 やがてバスは停車し、ゆっくりとバスを降りる。

 

 それを確認して、今日の仕事の仕上げへと向かった。




「ランサ! 事件よ、事件! って、あれ?」

 午前と午後の境目。

 騒々しい声が勢いよく杉高すぎたかランサの探偵事務所に飛び込んでくる。

「なんですか、騒々しい……」

 応接用のソファで横になっていたランサは、ゆっくりと身体を起こしてその騒音の元へと顔を向ける。

 もちろん、そこにいたのは自称一番弟子にして助手、その実態はこの事務所の大家の娘である民辻たみつじユリナである。

 いつもの制服姿ではなくあずき色の野暮ったい学校指定ジャージであるが、それでも美少女であることが損なわれないのだから大したものだ。

「……もしかして、お昼寝の時間だったり?」

 大きな丸い瞳が訝しげに向けられるが、ランサは特に気にすることもなく半開きの眼でそれを見つめ返す。

「考え事ですよ。それよりこんな真っ昼間にお嬢様がここにいることの方が問題ですよ。学校はどうしたんですか、学校は……」

 いかにもやる気のない反論。

 ランサもいまさらこの少女をまともに授業を受けさせることなど考えてはいないが、話題を変える効果くらいはあるという判断だ。

「いいのよ、つまんない授業だし。それよりも事件よ、事件」

「はいはい、それで今回は一体なにがあったんです?」

 口調は軽いが、ランサの態度は完全にユリナの言葉を待つ態勢に切り替わっている。

 この少女の持ってくる『事件』は、時に大事になる可能性を秘めているのだ。

 簡単に聞き流していいものではない。

 それにまずなにより、今のランサは暇であった。

 ユリナが指摘したように眠っていたわけではないが、特に急ぎの用件があるわけでもなく、横になってぼんやりと暇つぶしに適当な事件のネタを探していたのである。

「北のサイエンスポリスの方にバスが通っているのは、わかるわよね?」

「そりゃまあ、アレだけの施設ですし……」

 サイエンスポリス。市の北側に位置する大規模な企業団地である。

 ランサも何度か仕事で訪れたこともあるが、それぞれの施設や企業が独立完結しているためか、非常に無機質な印象を受けたのを覚えている。

「それでね、今日の朝、そのサイエンスポリスのバス停に、ちょっとおかしな男がいたのよ」

「おかしな、ですか……」

 そもそも、ユリナがその時間にサイエンスポリスにいることがおかしいのだが、今は特にそこには触れないでおく。

「ええ、おかしな、よ。なにしろバスから降りたかと思うと、そのまま歩いて反対側の街に戻るバス停に向かったんだから」

 言葉から状況を想像する。

 バスから降りた男が、今度は反対方向のバスに乗ろうとする。

 その理由は?

「……乗り過ごしたかなにかじゃないんですか?」

 それがランサのひとまずの答えであった。

 もちろん、ユリナがその程度のこともわからないはずもないので、状況を整理していくための返答だ。

「まあ、一回だけなら私だってそう考えたでしょうね。でも、それを二日三日と連続して続けていたとしたら?」

「フム……」

 それでランサもユリナの見た光景の違和感を把握する。

 毎回乗り過ごすことでもない限り、その男の行動に意味は無い。

 ならばなぜ、その男はいつも降りたバス停から反対方面、つまり来た道を戻るバスに乗るのだろうか。

「で、この一件、どうするのよ?」

「どうする、とは?」

 とぼけた口ぶりでそう返すと、ユリナはいかにも呆れたようにため息をついて見せた。

「決まってるじゃない。調査するかどうかってことよ」

 もちろん、ランサはその言葉が返ってくることを予想していた。

 期待していた、といってもいい。

 ランサの答えは決まっているのだ。

「当然、調査しますよ」

「えっ。あれ、やけに素直じゃない。【調査依頼権】は必要ないのかしら?」

 ユリナの疑問に、ランサは小さく微笑む。

 笑みの端から、怠惰がゆっくりと剥がれ落ちていく。

「ええ、この暇に立ち向かう材料、それだけで充分ですよ。さあ、まずはそのバス停を見に行きましょうか」



 午後一時過ぎ、サイエンスポリスは、相変わらず不気味なほど静まり返っていた。

 近隣に食事をできるような施設もないこの区画は、昼休みの時間でもほとんど外に人の姿はない。

 時折、なんらかの営業に来たとおぼしき車とすれ違ったりもするが、基本的に活気とは無縁の世界である。

「ほら、あそこのバス停よ」

 ユリナが指し示したのは、いくつかのオフィスの狭間の、小さなバス停であった。

 ベンチはあるが屋根はなく、整備もされず閑散としている様は利用者の少なさを物語っているかのようだ。

 その、ユリナが見たという奇妙な乗客を含めたとして、年間の利用者数は何人ぐらいだろうか。

 車を脇に止め、バス停付近を歩いてみる。

 上りと下りのバス停は少し離れており、そういう意味でも、わざわざここでバスの乗り換えをする理由が見あたらない。

 サイエンスポリス内のその他のバス停前も通ってきたが、ここよりもそれぞれのバス停が近い箇所もある。

 つまりその人物には、わざわざこのバス停で降り、そしてここから乗るべき理由があるということだ。

 バス停からランサは辺りを見回す。

 音のない街。

 そこで、探偵は一つの違和感を覚える。

 確かに街の風景には人の気配はなく、どこを見ても無機質なオフィス群に思えるだろう。

 だがそんな中から、ほんのわずかではあるが視線のようなものを感じられたのだ。

 視界の隅で、あるオフィスの窓の向こうが動いたのを捉えた気がする。

 何者かが、

 このバス停にいたという彼についても、誰かが見ていたのだろうか。

「まあ、長居は無用のようですね、今日のところはさっさと帰りましょうか」

「そうね……って、アレ?」

「どうかしましたか?」

 ユリナの奇妙な声が耳よりも心に刺さり、ランサは再び足を停める。

「あそこの区画、この前草刈りをしていたはずなのに、全然整っていないじゃない! まったく、手抜きもいいところね……」

 ユリナの指さす先は、先ほどのバス停からさらにサイエンスポリスに内へ入っていった先の、草にまみれた歩道の一角である。

 歩行者などほとんど存在しないためか、この区画の歩道はろくに管理がなされておらず、それぞれのオフィスの入り口付近以外は荒れ放題となっている。

 元々は行政の肝いりの計画だったこともあり、歩道も基本的な部分は丁寧な仕事によって作られているのだが、それが放置され続けた結果、草まみれの歩道へと変貌を遂げてしまったのである。

 ランサは、無言で再び周囲を見回し、そのまま車へと戻る。

「あそこの茂み、ですよね?」

 そして同じく戻ってきたユリナに、あらためてそれを尋ねた。

「ええ、そうよ。確かにあの一角だったはず。ほら、あの飛び出し坊やの看板のあたりからよ」

「なるほど……」

 それを聞いてランサは、エンジンを掛け、ゆっくりとそこへと車を走らせる。

 そして車を止めることなく車内からその茂みへと視線を向け、そのまま走り去る。

「なにかあったの」

「まあ、いろいろと。しかし、今現在必要なことは、それを見て見ぬ振りをする勇気です」

「勇気、ねえ……」

 ユリナはいかにも納得いっていないような表情であったが、ランサがなにかを考えていることはすぐに悟ったようで、それ以上はなにも言ってくることはなかった。

 そんなユリナの態度に対し、ランサはどこか優しく、しかしそれ以上に真剣な口調で声をかける。

「この調査、おそらく思った以上に裏に色々ありそうですよ……」

 そしてそれは、この現場を見たランサの偽らざる感想であった。

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