♯3 知らない人に喧嘩を売ってはいけません

 ニュースも、街の噂も、今や一つの話題で持ちきりである。

『M県Z市連続銀行強盗』

 もはや市を超え県を超え、人々の口から連日その話題が出ないことはない。

 なぜ、あくまで地方ニュースだったこの銀行強盗ここまで巨大な話題となったのか。それは三日前、四件目の事件が終わった翌日に遡る。

『一週間後、もう一度、M県Z市で銀行強盗を行う』

 四件目が解決したとほぼ同時に、そんな予告状がM県警宛てに届いたというのである。

 警察はすぐさまそれを発表し、事態は瞬く間に加熱した。

 なにしろこれまで二件連続で銀行強盗は失敗に終わり、その犯人も実行犯、内部協力者ともに逮捕されているのである。

 それでもなお、事件の継続は宣告された。

 それも、今度は予告という形で。

 そもそも、銀行強盗の予告など前代未聞である。

 今回の事件の序盤の成功例もそうであったように、銀行強盗は奇襲性こそが重要なのだ。

 さっと来て、さっと脅して、さっとカネを貰ってそのままさっと去る。

 手がかりもなにも残さない『ちょっと刺激的で嫌な思い出』程度で終わらせるのが理想なのだ。

「もしかしたら、銀行強盗など無かったかもしれない」

「銀行の奥の金庫の中のカネは減ったかもしれないが、しょせん、我々には見えない世界の話だ」

「銀行内の不正で減るのも銀行強盗で減るのもさして変わらないではないか」

 そう思われるくらいがちょうどいい。

 それが、こう大々的に宣告されては『この日は銀行に近寄らないほうがいいです』と言っているようなものであるし、なにより銀行側も警戒するであろう。

 そもそも、今回の強盗は銀行側にも多くの問題を抱えて進行している部分もあるのだ。

 四件目の犯行で判明した銀行側の内通者問題など、まさにその象徴はないか。

 どの銀行も躍起になって内部を探り、隙を見せないようにしている。

 この状況で、はたしてどうやって銀行強盗を起こそうというのか。

 それが読めないからこそ、このニュースは全国レベルの騒ぎとなってしまったのである。

 しかし、そんな世間の喧騒とは裏腹に、M県警の動きはどこか緩慢に見えるほど落ち着いていた。

 各銀行からの連絡も受け、警備体系の強化は当然行っていたが、奇襲性のない銀行強盗など恐れるに足らないというのが本音なのだろう。

 よくよく考えて警察側の視点に立ってみれば、三件目、四件目と犯人を逮捕することに成功し、事件は順調に解決へと向かっているのだ。

 なにを今さら慌てる必要があるのか。

 この予告状も、犯人側がヤケを起こして送りつけてきた最後の悪あがきにしか見えなくても無理はあるまい。

 だが、現実はそうではない。

 それは、その予告状と同時に掲載された、ある新聞広告こそが鍵である。

『雇い主募集。当方四人。実物一丁、内部へのコネもあり。マニュアル不足のため連絡求む』




 その予告状と広告掲載依頼を送った男は、いつものように事務所の自分の机に座っていた。

 視線の先には連続銀行強盗事件のことを騒ぎ立てるテレビのニュースショー。しかし意識はそこにあらず、なにか考え事をしているようであった。

 この男こそが、第三の事件では五人目のメンバーとして、第四の事件で金庫番として重要な役割を果たした人物である。

 ここはM県Z市駅前近くのマンションの一室、杉高ランサ探偵事務所。

 ランサは、彼自身の出した予告状によって巻き起こっている狂騒曲をぼんやりと眺めていた。。

「これ、どうするのよ」

 そんなランサを見るに見かねたのか、横から助手である少女のユリナが尋ねてきた。

「まあ、ある程度は計算通りですよ。ここまで大事になるのはさすがに計算外でしたが……」

 答えてランサはぼんやりと頭を掻くが、その口調はあくまで強気である。

「あの予告状、いったいどういうつもりなの?」

「もちろん、黒幕をあぶり出すための餌ですよ」

 間髪入れずにそう断言するランサの態度は、探偵というよりはどこか狩人のようでもあった。

「そもそも、今回の事件は、始まりからしておかしかったんですよ。なぜ、こんな地方都市で連続銀行強盗事件が仕組まれたのか? そこを解き明かすところから始めないといけません」

「偶然、じゃないの?」

「その可能性はないですね」

 あっさりと、だが明確に、ランサはそれを否定した。

「少なくとも相手は、確実に、この街を狙ってきています。叩けば出る埃を確実に捕まえ、そこから切り崩していく。よほどこの街を調べないとできない芸当です」

 ランサのその言葉にユリナも少し考えこむ。

 ランサがなにを狙っているのか。

 この助手はまだ掴みきれない様子である。

「まあようするに、喧嘩を売ってきたんですよ。この街の誰かに」

 答えを模索するユリナに、ランサはそんな言葉をぶつけてきた。

「誰かって」

 当然、ユリナにもそれが誰を指すのかはわかる。

「まあ、誰かといえば私でしょう。とはいえ、向こうは私自身のことを知らないでしょうが……いや、もう、そうではないかもしれません」

 とはいえ、ランサ自身も自分の置かれている立場や相手との距離感を完全には掴みきれていないらしい。

 自分の中で状況をまとめようとするかのごとく、曖昧な思考の断片を幾つか口に出し連ねている。

 しかしすぐにそれも諦め、開き直ったかのようにハッキリと意見を述べる。

「まあ現状では、私は遠い見えない影を殴るしかできないわけです。相手も連続銀行強盗という大振りで胡乱な手段しか使えないような距離ですしね。だからまず、敵を捉えたい。少なくとも、その袖口くらいは掴みたい。そのための予告状というわけです」

 ランサの意図をユリナも輪郭程度には理解する。

 相手の正体がわからない以上、ありとあらゆる手段を使って揺さぶりをかけるしかない。

 幸いにも、現状、盤面そのものはランサのほうが有利ではあるのだ。

 あとはいかにして対戦相手を眼前に引きずり出すか。

 それは、その予告状と同時に掲載された、ある新聞広告こそが鍵である。

 その広告に連絡があったのは、広告が出てから五日後のことであった。




 駅前の小さな喫茶店に男が二人。

 探偵であるランサと、彼の出した広告を見てやってきたという男。

「どうも、名探偵さん。僕もぜひ一度、直接お会いしてみたいと思っていたのですよ」

 その男は、ランサに会うなり、いきなりそう言葉をかけてきた。

 いかにも品の良い仕立てのスーツに、整えられた髪と整った顔。

 おそらくはランサと同年代か少し上の三十代前半なのだろうが、落ち着き払った態度と物腰が、もう少し年齢を上に見せている。

 しかしその中にあって隠し切れない活力と意志が見え隠れするのが、この男の本質なのだろう。

「それは光栄な事ですね」

 それを受けたランサは何事でもなようにそう返す。

 対する探偵の身格好は、相変わらずのくたびれたジャケットに活力を怠惰で覆い尽くした表情であり、その答えと相成って掴みどころのない態度の悪さに満ちていた。

 比べてみるとまったく対照的な姿である。

 双方、活力を積極的に表に出さない部分では同じなのだが、それを包むものがまったく異なる。

 物腰の柔らかさに包んだ男と、消極的な拒絶に包んだ探偵。

 だが男はそんなランサの態度と返答もまったく意に介すことなく、少し微笑み返すだけで、そのまま自分のペースで話を続けていく。

「最初はですね、神社の件が失敗したのを聞いて驚いたんですよ。対象を上手く乗せたという電話までかかってきて、手筈は完璧だったはずなのに。あの時は耳を疑いましたね」

 語られるのはある事件の末路と裏側。

 男が語るのを、ランサもなにも口を挟まずに聞いている。

「そして次は桂場教授の逮捕だ。あの一件については私は直接関わってはいないんですが、蛇の道は蛇といいますか、桂場先生には色々と便宜を図ってもらっていましてね。産廃とカッパの件についてなにかしら動いているのは小耳に挟んでいたのですが、逮捕されたと聞いてビックリしました。それで、確信したんですよ。この街には、相当な人物がいるのだな、と」

 男は言いながら笑っている。自分の計画が頓挫したことを嬉しそうに語っているのだ。

 それでも、一方のランサはなんの反応もせず口を閉ざしたままである。

 まるで、自分の前にいる男の中身が空っぽになるのを待っているかのように、反応を示さず座り続けているだけだ。

 語る男。

 黙るランサ。

 そしてまだ男の口は動く。

「だからですね、僕の方でも一つ実験をしてみようと思ったのですよ。とっておきの、銀行強盗マニュアルを使っての実験です。あのマニュアルはこれまでもまあまあ実績のあるよい代物なのですが、所詮はマニュアルだけに画一的でしてね、二度三度続けようとするとすぐにボロが出る。そもそも、銀行強盗など立て続けにするものでもないでしょう。しかし、今回はあえてそれを実行してもらったわけです」

 男の口調に、まるで種明かしをする手品師のごとき静かな高揚感が滲む。

 明かされるのはまさに恐るべき種だ。

 この男にとっては、銀行強盗も手品の種もさして変わらないようである。

「そうしたら、見事に三度目で喰いついて、そのまま強盗事件を粉砕した。しかもあろうことか四度目を自作自演で起こしてその裏側まで喰い破った。あれはお見事としか言いようがありません」

 心底関心した様子で男はランサを褒め称える。

 その裏側にあるのは、絶対的な自信か、それとも恐怖を自分のものとして感じることのない他人事感か。

「そりゃどうも」

 それに対し、ランサはあくまでそっけない態度を取り続ける。

 それはまるで、壁を作り、相手と直接向き合うことを避けているかのようである。

 そんな状況とブレない探偵に対して揺さぶりをかけようと考えたのか、男はまったく別の角度からその懐へと切り込んできた。

「それで、今回は仕事は受けていただけるんですか?」

 会話を成立させようという質問。

 逃げるランサの言葉尻を捕まえようとする、投網。

 会話の壁をすり抜けてなお届く爆弾だ。

 さすがにそれに対してはランサも曖昧なままではいられない。

 少し沈黙の間を置いて、ゆっくりと口を開く。

「生憎、銀行強盗はもう二回もやったんで飽きてしまったところです。私が知りたいのは、あなたの真の目的ですよ」

「なるほど、真の目的ですか……」

 今度は男のほうが黙りこむ時間を作る。

 しかしその後に口を開くと、口調そのものは静かなままであったが、そこから出た言葉にはそれまでにない熱が込められていた。

「僕は単純に、そう、とても単純な話なのですが、あなたのような人物に会いたかった、というのが本音ですよ」

 そう語る男の口調には、嘘は一切ないように思える。

 だからこそ、異常だ。

 そしてさらに、ランサに向けて言葉の手を伸ばす。

「どうでしょう、名探偵さん。僕と組んでみませんか? 僕とあなたが力を合わせれば、どんな事件だって起こすことだって可能ですし、解決だってできる。二人で世界を動かせる。僕はそう確信しています」

 それは静かな狂気そのもの。

 ゆえに、奇妙な重さがある。

 得も知れぬ説得力ヘ繋がる。

 夢を現実のものに見せる術。

 不可能を可能にする可能性。

 それは確実にそこにあった。

 ランサも最初はそれを聞き、どこか悩ましげな表情を浮かべた。

 男の言葉に乗ってしまってもいいのではないか。

 そんな風にさえ見えた。

 だが、それを打ち消したのは、世界にとっては取るに足らない、されど、ランサにとって重要な、ある一つの依頼だった。

「正直にいえば、その提案に魅力を感じないわけではありません」

「では」

「しかし、私は現在一つ依頼を受けていましてね、探偵としてやっていくからには、その仁義がなによりも優先される。それが私の仕事なのです。そしてそれこそが、今回の事件の黒幕を暴き立てることなんですよ。そう、あなただ」

 そう宣言したランサの顔は、力強く、確固たる意志を示していた。

 それにはさすがに交渉の決裂を感じ取り、男の表情が歪む。

「協力できないということは、つまり我々は敵対関係ということですね」

「そういうことになりますね」

 そのランサの答えを聞き、男はこれ見よがしに、諦めにも似たため息を付いてみせた。

「残念です……、そうなると、別の方に銀行強盗をやってもらって、あなたにはここで消えてもらわないといけないことになる……」

 男がはそう言うと、ゆっくりと、懐から一丁の拳銃を取り出した。

 ランサも先日目にした、トカレフTT―33の中国での製造品、54式拳銃である。

 男が銃を取り出したと同時に、周囲の席に待機していた私服警官らが臨戦態勢に入るが、いかんせん既に銃口はランサの胸に向けられている。

「護身用に、と持ってきたのですが、まさか交渉の道具にすることになるとは思いもよりませんでしたよ」

「バカな真似はよせ。どうせ逃げられないぞ」

 周囲の警官たちが凄むが、男に怯んだ様子はない。

 だが、もっとも落ち着きを払っていたのは、当の銃を向けられたランサ本人だった。

「まあ、撃たれた時はその時です。そんなに刺激しないほうがいい」

「なるほど、やはりあなたは面白い人だ。殺すのはあまりに惜しい。どうです、やっぱり僕と組みませんか?」

 男は銃口を向けたまま、しかし態度はどこか好意的にも見える穏やかさのままでそんな提案を口にしてくる。

「それは脅迫ですか?」

「まあ、そうなってしまいますね、不本意ながら」

 双方の一言一言に、周囲に緊張感が走る。

 銃口を向けた男も、余裕の表情の下に緊張が滲んでるのを隠しきれていない。

 ただ一人、ランサだけが別世界にいるかのように穏やかな表情である。

「なるほど……ただ、死ぬにしても、ここではちょっと嫌ですね。店にも迷惑をかけてしまいますしね。どうですか? 一つだけあなたを手伝うという条件で、少し場所を変えませんか」

 そして、この期に及んでそんな提案をするほどである。

 これには、男も、警官たちも呆れるばかりである。

「死にたいん、ですか?」

「そりゃまあ。でも、最低限の希望として、ここでは死にたくありませんね」

 ランサの言葉は一貫してその主張を曲げることはない。

 殺そうとするもの、それを阻止しようとするもの、その両者が、殺されそうなものの手の上で踊っているのだ。

「どこか、希望はあるのですか?」

 堪えきれず、男がランサにそう尋ねる。

「そうですね……。北の方に賽円山さいえんやま公園という公園があるんですが、あそこがいいですね。人気も少ないし、私にも因縁のある場所だ。UFOだって見られるかもしれなませんしね」

 そう答えてランサは笑った。

 だが、男も警官たちも笑うに笑えない。

「じゃあ、行きましょうか」

 そんな周囲の反応を余所に、ランサは一人立ち上がる。

「お前……!」

 遅れて銃口がランサを追うが、少し遅かった。

 ランサは咄嗟にその銃を握り、そのまま男の手からその鉄の塊を奪い取る。

 だがその瞬間になっても、引き金が引かれることはなかった。

「銃の扱いが軽いんですよ、あなたは心理的な意味で。いや、態度は悪くなかったですが、あまりに長く銃を見せすぎだ。そんなに銃口を見せられたら、その中が潰されているのだってわかっちゃうじゃないですか」

 わざとらしく何度も奪いとった銃の引き金を引いてみせるランサ。

 だが、銃の方はなんの反応もしない。

「そういうわけで、あなたの負けということです。えっと確か、京都の森橋さん、でいいんですかね?」

「なっ……!」

 その言葉が、今まででもっとも男に強い反応を引き出すこととなった。

 そしてそれと同時に、二人の男の勝敗がハッキリと付いた瞬間でもある。

 M県Z市の連続銀行強盗事件は、こうして三度目の逮捕劇を経てようやく終息を迎えたのである。

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