♯2 知らない人について行ってはいけません

「手を頭の後ろに回して座って! しばらくおとなしくしているだけでいいんですよ」

 午後の閑静な地方銀行にそんな声が響く。

 続いて銃声。

 上に向けて発砲された弾丸が、白い天井に穴を開けていた。

 先ほど入ってきた男三人のうち一人が、急に拳銃を取り出し、そう叫んだのである。

 派手なバラクラバなどではなく、揃いのニット帽にサングラス。

 おそらく彼らこそが、ここ数日ニュースを騒がせている連続銀行強盗犯だろう。

 これで四件目の犯行となる。

 三件目で犯人逮捕に至ったにもかかわらずこうしてまた強盗が現れたということは、やはり三組目の犯行グループが供述していた通り、複数のグループによるそれぞれの犯行だったということだろう。

「おっと、通報なんて野暮な真似はやめてくださいよ。それはお互いにとって面倒な話になるだけだ。どうせ自分の懐ではないんですから『ちょっと刺激的で嫌な思い出』程度で終わらそうじゃありませんか」

 そう言って一人が客を威嚇し、もう一人が行員に目を向ける。そして残った一人が金庫からカネを受け取る。

 そういう流れだ。

「心配無用ですよ、我々の仕事の間そうやっていてくれさえすれば、あなた方には手を出しません。我々は人殺しが目的ではありませんので」

 客側を担当する男が、カウンターの上に立ち、拳銃を振り回しながらそう叫び、数人の客を威嚇し続ける。

 事態の異常さと拳銃という死と暴力の象徴への恐怖、そしてなによりこのような事件の当事者になってしまったという現実感のなさで、客のほとんどは茫然自失で言われるがままに手を頭の後ろに回して座っている。

 恐怖と緊張感が支配する空間。

 粛々と。

 恐々と。

 時間だけが過ぎていく。


 そうしている間にも、もう一人の男が、金庫を開けることが出来る銀行員とともに奥の金庫へと消えていく。

 ここでカネを渡し、それと一緒に都合の悪い内部資料もまとめて持って行ってもらうというのが銀行側の手筈なのである。

 金庫からカネを出す。

 どうせこのカネの被害は後で保険で補填されるのだ。痛くも痒くもない。

 それに、ここでカネを持っていかれようがどうしようが、自分の給料にはなんの関係もない。

 スーパーヒーローや治安維持部隊でもあるまいし、現代日本で拳銃を持った銀行強盗からカネを守れなかった責任まで取らされてしまっては、銀行勤めとはいえ会社員などやってられない。

 そもそも、三十年勤め上げた中でようやくチャンスが回ってきた美味しい汁を吸える機会だ。少しくらい危ない橋をわたってでも守りたいではないか。

「それでは、これも一緒に処分すればいいんですね」

 受け取った、現金とは異なる封筒をひらひらと見せつけながら、金庫担当となった強盗犯がそう話しかけてきた。

「ああ、そうだ。我々はそれを消せる。君たちはこのカネを手にできる。カネは後で保険から補填できる。そういうことだ」

 銀行員のその言葉に、強盗犯は曖昧な笑みを浮かべて応える。

 その表情がニット帽とサングラスに覆われていることもあるが、銀行員にはこの目の前の男が何を考えているのかがまったくわからなかった。

 若いのか歳を取っているのかも不明だし、性格も読み取れない。

 唯一ハッキリと見える口元には、微笑みとも不満ともつかない歪みが見えるだけである。

 だが、まじまじと見て確認するわけにもいかず、そんなつかみどころのないモヤモヤとした存在を前に話を進めるだけだ。

 しかし、その存在のほうがなにかしら思うところがあるらしい。

 その口が言葉を吐き出す。

「いったいこれ、なにが入っているんですか?」

 その質問に銀行員は顔を歪めた。

「それは。君たちには関係のないことではないかな。それを処分するという条件で、こうやって君たちに協力する。取引はそれだけのはずだ」

 そう、これは取引だ。

 一度きりの大きく、そして危険な。

 緊張感を力に変えるべく、ゆっくりと息を吐き出す。

 一方で、その答えで強盗犯の方もすぐに引き下がる。

 なにも口にはせず、背を向けて開放された金庫から黙々とカネをバッグに詰めている。

 約束の金額は四千万。

 マニュアルでそう規定されている。

 こちらの微妙に痛くならない額であり、この強盗たちにとっては丁度割り切れる数字なのだろう。

 金庫の中は静寂だ。

 入り口は開放したままなので、耳を澄ませば遠くにロビーの声も聞こえるかもしれないが、なにしろ向こうは強盗真っ最中である。

 騒ぎなど起こるまい。

 それも含めても事前のプランなのだ。

 しかし、そこで一つだけ気がかりなことを思い出した。

 銀行強盗事件は今回で四件目。

 最初二件は成功し、三件目はいかなる理由か強盗犯のアジトがバレていて逮捕となった。

 ドジを踏んだのだろうと思っていたが、一つ気がかりな話も耳にした。

『途中、強盗犯に一人志願者がいたらしい』

 現場に居合わせた人物から聞いた話という又聞きであるためどこまで信憑性があるのかは不明だが、どうやら、強盗自体が順調に進まなかったようである。

 それでも一度は強盗に成功しているのだから大きな問題はなかったのだろうし、銀行側に火の粉が飛んだとの話も聞かない。

 悪い偶然、不運なアクシデント。そうに違いない。

 それでも、その失敗によってこの銀行強盗マニュアル計画は停止になるかと思われたが、なんとか連絡はあり、今こうして計画は進んでいるのである。

 あとは無事に強盗が成立して、その書類が処分されるのを祈るばかりだ。

 そんなことを考えた矢先だった。

 パンッと、乾いた、なにかが弾けるような音がロビーの方から響く。

 遅れて、無数の悲鳴。

「……あのバカ……」

 それを聞いて、カネを詰めていた男が静かにそう吐き捨てた。

 銀行員にもなにが起こったのか察しがついた。

 あの音は銃声だ。

 そして悲鳴は、なにかしらの悲劇だ。

 だが、悲鳴を上げたいのは銀行員も同じだった。

 これで計画は完全に崩れ去ったのだ。

 大事にならざるをえない。

 それでもなんとかこの強盗たちをなんとか無事に逃がして、書類を処分してもらわねばならない。

「とりあえず、様子を見に行きましょう……」

 強盗の男にそう言われて、銀行員も、ゆっくりとその後ろに続いてロビーへと出て行った。


 そこで飛び込んできた光景は、まさに悲劇としか言いようがなかった。

 銃を構えたまま固まる男。

 その背後で呆然と立ち尽くす男。

 この二人が強盗犯である。

 そしてその前には、腹部を赤く染めて倒れる若い女性。

 相当に若く、十代中盤くらいにも見える。

 その可愛らしい顔が、今は苦悶の表情で塗りつぶされている。

 他の客は固まってしまったかのように、なにも出来ずただ遠巻きにその様子を漠然と見つめているだけだ。

「誰か、救急車を!」

 そう叫んだのは他ならぬ自分と一緒に来た銀行強盗犯の男であった。

 騒然とした中で、銀行員の一人が連絡をつけている。

 倒れた女性は、うめき声を上げて横たわったままだ。

「まあ、後は救急に任せるとして、我々はそろそろ撤収させていただきましょう。とはいえ、来るのは救急だけではないでしょうし、事態が少し厄介になりそうですからね、ひとり人質を取らせていただきましょう」

 サングラスの下にあってもわかる不敵な笑みを浮かべ、金庫担当だった男は、ごくごく自然な態度で先程まで一緒にいた銀行員を後ろから締めあげ、そのこめかみに銃を突きつけた。

「ニューナンブM60でも、この距離でここを撃ち抜けばならまあ殺すことは可能です。下手な真似はしないでくださいね」

 そしてそんな脅しの言葉も吐く。

 だが、それはあくまでポーズであり、締められた銀行員の方はほとんど苦しさもない。それでも顔の横で鈍く光る銃口は恐ろしいが、撃たないであろうというのも確信できる。

 ここでもう一発撃ってしまうことの危険性を充分に理解しているはずだ。

 銀行員は怯えた素振りを見せ、また、実際に怯えてもいたため、その人質における欺瞞性は見抜かれることはなかった。

「それでは、その少女のことはお任せしました。不本意ながらも傷つけてしまったことを謝罪します。では……」

 そして、三人組の銀行強盗犯と一人の人質は揃って銀行を出る。

 既に救急から通報が行ったのだろうか、道の向こうから一台のパトカーがこちら向かってくるのが見えた。

 そして、目の前にはワゴン車が横付けされている。

「これが我々の車です。さあ、乗ってください」

 後部座席のスライドドアが開かれ、銀行員は最初にそこへと乗り込む。

 中にはガッチリとした体格の中年男性が待機していた。雰囲気が明らかに堅気の人間ではなく、よく見ればその右腕は失われているようであった。

「お疲れさん。じゃあ、早速行くとしようか」

 その中年男性が口を開き、銀行員の後ろにいた金庫担当の男も頷く。

「い、行くって、どこへですか?」

 銀行員がおもわず尋ねると、目の前の隻腕の男が、懐から一片の黒い札を取り出した。

 黒に近い濃い焦茶色の地に、大きく輝く金色のエンブレムの装飾。

 その装飾には金色の星とともに、POLICEの文字。

 それが意味することは一つだ。

「そういうわけだ。まあ、詳しい話は署の方でするとしようか」

 その言葉で銀行員は自分の置かれた立場が一変してしまったことを認識する。

 今や彼は人質ではなく、銀行強盗の共犯者の容疑をかけられてしまっているのだ。

 ならば他の、銀行強盗犯たちはどうなる。

 銀行強盗に、殺人容疑だ。

 だが、見回してもまったく慌てた様子はない。

 それどころかサングラスとニット帽を外し、どこかリラックスした雰囲気にまでなっている。

 つまりはそういうことなのだろう。

 既にワゴン車は走り出し、もはや逃げ場もない。

「もちろん、先程までの金庫での会話、全て録音してありますので」

 横に座った金庫担当だった男が、抜目のない口調でそう言った。

 当然、この男も最初からグルだったのだ。

 いったいどこから仕組まれていたのか。

 呆然としながら、銀行員は自分の過去と未来を想像しながらただただ絶望する。

「ああ、良いニュースもありますよ」

 そんな様子を見かねてか、金庫担当だった男がそう声をかけてくる。

「あの撃たれた少女も、もちろんこちらの仕込みです。あの現場に怪我人は一人もいませんよ」

「そうか……」

 彼にはただ、そう答えることしかできなかった。




「まったく、ようやく手伝えると思ったら死体役だなんて聞いていないわよ!」

 事後処理もひと段落して事務所に戻ってくるなり、ユリナはそんな愚痴を漏らす。

「仕方ないじゃないですか。さすがにお嬢様に強盗犯役は任せられませんよ」

 この作戦の立案者であるランサは、疲れた口調でそう答えるだけである。

 連続銀行強盗事件の四件目は、三件目を解決した探偵杉高ランサと警察による狂言強盗であった。

 銀行員たちのみがそれを知らず、あの場に居合わせた客はすべて警察関係者だったのである。もちろん、強盗に入った三人組もだ。

「それで、銀行の金庫の中ってどうなっていたの」

 ユリナがランサにそう尋ねる。

 ランサこそが、金庫で今回の銀行強盗の裏主犯ともいえる銀行内通者との接触係であった。

「別に、特に変わったこともない普通の場所でしたよ。大きな街の大きな銀行ならともかく、地方都市の地方支店ですからね。幾分か分厚くて丈夫な扉があって、いくつも棚があって、まあそんな感じです」

 そっけない答えに、ユリナもなんとも話のしようがない。なので話題はすぐに切り替わる。

「ふーん。なんとも膨らませようがないわね。それより、いったい金庫の中でなにを話していたの?」

「まあ適当に、ですよ。ようするに、今回の一件が、銀行と強盗との共同作業ということを相手さんが話してくれればそれでよかったんで……」

 それについても、ランサはまだ言葉を濁すばかりである。

 まだどこか納得のいっていないような、どこか上の空な受け答えだ。

「まだなにか考えているのね」

「さすがに表に出てますか」

 ユリナに指摘を受け、ランサは小さくため息を付き、首を振った。

「強盗犯を捕まえた。その裏の共犯者である銀行内部の人間も暴露した。でも、まだ肝心な部分は手付かずですからね……」

「肝心な部分って」

 ユリナにだってそれはわかる。

 だが、それでもユリナはそう聞き返した。ランサの口から決意を聞きたかったのだ。

 だが、ランサはなにも答えることなくしばらく黙っていた。

 事務所に沈黙が訪れる。

 そうしてかなりの時間が過ぎた後、先に口を開いたのはランサだった。

「……正直にいえば、ここまで来た以上、最後まで踏み込むべきであるとは思うのです。しかし、規模が大きくなりすぎた。今回の一件だって、原田先生にもかなり無理を言ってしまいましたし、お嬢様にも変なことを押し付けてしまった。私は一介の探偵です。果たしてこの先まで進むのが、正しいのかどうか……」

 それはランサがかつて見せたこともないような、迷いの表情と言葉だった。

 ランサがその先になにを見ているのか。ユリナも想像をしてみる。

 敵だ。

 それは、途方も無い、敵。

 だからこそ、ランサは迷っているのだ。

 戦うことそのものではない。戦う理由がないのだ。

 それに対して、ユリナができることはなんだろうか。

 考える。答えはすぐに出た。

「ねえランサ。一つ【調査依頼権】を使っていいかしら」

「なんです急に。まあ、いいですけど……」

 驚いた表情でランサはユリナを見てくる。ユリナはまず、その顔が見たかった。

 そうしてそこに、本命の言葉をぶつけるのだ。

「今回の連続銀行事件の黒幕、あなたが暴いてみせなさい」

 それを聞いて、ランサの表情は驚きに満ちたまま、どこからというでもなく喜びが滲み出てきた。

「どういうこと、ですか。なぜ、黒幕を?」

 それでも、その感情を押し殺すように、ランサはそんな質問を返してくる。

 あくまで冷静であろうという、感情のコントロールだ。

 なら、ユリナも自分の感情をぶつけるしかない。

「あら、私の依頼はいつだって気まぐれだったじゃない。UFOもカッパも黒幕も、さして差があるとは思えないけれど」

 そう言ってユリナは微笑む。

 そしてそれを見たランサも笑った。

 声を上げて笑った。

「ははははは、そうだ、まったく、その通りです! わかりました、その依頼、謹んで受けましょう! そうと決まれば、やることをやるだけです。さて、どこから手を付けますかね」

 満面の笑みを浮かべたまま、ランサは今回の事件の資料を漁り始める。

 連続銀行強盗事件は、まだ終わっていないのだ。

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