第7の事件 二度ある逮捕は三度ある
♯1 知らない人から物を貰ってはいけません
「手を頭の後ろに回して座って! しばらくおとなしくしているだけでいいんですよ」
午後の閑静な地方銀行にそんな声が響く。
続いて銃声。
上に向けて発砲された弾丸が、白い天井に穴を開けていた。
先ほど入ってきた男三人のうち一人が、急に拳銃を取り出し、そう叫んだのである。
派手なバラクラバなどではなく、揃いのニット帽にサングラス。
おそらく彼らこそが、ここ数日ニュースを騒がせている連続銀行強盗犯だろう。
これで三件目の犯行となる。
「おっと、通報なんて野暮な真似はやめてくださいよ。それはお互いにとって面倒な話になるだけだ。どうせ自分の懐ではないんですから『ちょっと刺激的で嫌な思い出』程度で終わらそうじゃありませんか」
そう言って一人が客を威嚇し、もう一人が行員に目を向ける。そして残った一人が金庫からカネを受け取る。
そういう流れだ。
「心配無用ですよ、我々の仕事の間そうやっていてくれさえすれば、あなた方には手を出しません。我々は人殺しが目的ではありませんので」
客側を担当する男が、カウンターの上に立ち、拳銃を振り回しながらそう叫び、数人の客を威嚇し続ける。
事態の異常さと拳銃という死と暴力の象徴への恐怖、そしてなによりこのような事件の当事者になってしまったという現実感のなさで、客のほとんどは茫然自失で言われるがままに手を頭の後ろに回して座っている。
恐怖と緊張感が支配する空間。
粛々と。
恐々と。
時間だけが過ぎていく。
しかしそんな中、客である一人の男がゆっくりと手を上げた。
くたびれたジャケット姿に、呑気と怠惰を乱雑に混ぜあわせたような、やる気の見えない表情をした男。
熱を感じない、印象に残りにくい、いかにも平凡そうな男だ。
だが、そんな彼の行動は、平凡とは真逆であった。
「あの、一ついいですか?」
その言葉に誰より驚いたのは他ならぬ銀行強盗犯たちである。
「お、お前、なんのつもりだ!」
慌てて二人で拳銃を向けてその男を威嚇する。
だが、男の方はそんな銃口にもほとんど怯むこともなく、どこか呑気な態度のまま立ち上がると、手を上げて一応の無抵抗を示しながらカウンターの客担当強盗犯の方へと寄っていく。
人が良さそうに見えてなにを考えているのかわからない、気味の悪ささえ感じるうっすらとした微笑み。
通常なら他人を警戒させないためのその笑顔が、今この場ではもっとも恐ろしい顔に見える。
そもそも、この状況でなぜこの男はそんな表情が出来るのか。
考えれば考えるほど、それと対峙する客担当の強盗は目の前まで来たその男の心理がわからなくなり、恐怖が込みあげる。
おかしい。
恐怖で場を支配しているのは自分たちの方ではなかったのか。
男はそんな強盗犯たちの心理を知ってか知らずか、立ち止まると、ゆっくりと言葉を切り出した。
「あ、いえ、実は私も同業者なんですが、下見に来たらあいにく、あなた方に先を越されてしまいましてね……」
言葉を反芻する。
同業者だと言った。
下見に来たと言った。
先を越されたと言った。
ではこの男は何者なのか。
目の前には笑ったままの顔。
「ああ、いえ、あなた方の邪魔をするつもりはありません。ただ、私も少しそちら側に混ぜてもらえれば、と思いまして……」
その提案に、強盗犯たちも耳を疑い、呆然とするばかりだ。
この男は、突如やってきて、自分も仲間にしてくれと言い出したのである。
「……あんた、自分がなに言っているのかわかってるのか?」
驚きを隠し切れないままに、客担当は呆然とそう尋ねる。だがもちろん、男の方の言葉はその程度では止まらない。
「物の本にも書いてあるじゃないですか『銀行強盗は四人で行うのがいい。三人乗るのも四人乗るのも同じならば、四人の方が良い』って。自分で言うのもおかしな話ですが、お役に立つと思いますよ、私」
「本当に、おかしな話だ……」
我慢できずに、男に向けてあらためて銃口を突きつける。
しかし、それによって男は返ってその笑みを強いものにした。
「えっと、ではまずその銃の使い方について、ひとこといいですか?」
向けられた銃口にまったく臆することなく、男はまるで自分がもう仲間に入れてもらったかのようにそう言った。
「あなたのそれ、モデルガンですよね? あちらの方の物はともかく、その銃は本物じゃないでしょう」
それを聞かされて、銃口を向けながらも、客担当は自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。
その真実は、この場においてかなり危険な暴露である。
「な、お前、なにを……」
取り繕いながらそう言って、他の客を確認する。
訝しむ視線が刺さる。
だがそれ以上に、他の客もその一人の強盗犯の新メンバー候補の動向を凝視しているようである。
なにしろ本当に強盗犯の仲間になってしまったのなら、この男もまた、客たちにとっては敵対的人物になりかねないのだ。
ただ、当人はそんな周囲の目などまったく気にする様子もない。なんら変わることなく言葉を続けていくばかりだ。
「いや、明らかに軽すぎるんですよ、銃の扱いが。心理的な面についてもあるんですが、それ以上に、なんというか、物理的に、ねえ……。だから、これを……」
男はそれだけ言うと、客担当が呆然としている間に、懐に手を入れ、そこから一つの黒い塊を取り出した。
重い金属の音とともにその塊がカウンターに置かれる。
それはまさに、鉄の重みを伴った拳銃そのものであった。
「え、お前、これ……」
「多分、そちらの方が持っているものと同じものだと思いますよ。トカレフTT―33の中国での製造品、54式拳銃です。そちらのが正規品か密造品かまでは流石にわかりませんが……。ああ、私のは密造品です」
しれっと、まるで家電量販店で商品の説明をするかのごとくスラスラとそんな説明が口から出続ける。誰もがその解説になんの反応もできないままでいたが、それを気にすることなく男の言葉は吐かれていく。。
「おそらく、日本でもっとも入手しやすかった拳銃ですよ。まあ最近はロシア製のマカロフとか他のも色々出回っているみたいですが、こんな地方都市なんかではまだまだこっちが強いですね。こいつらも横流しの横流しのさらに横流しくらいでしょうしね。それでもまあ貴重なものですが」
聴き終えて、強盗犯たちは思わずその男の顔を凝視した。
いかにも平凡そうな風貌でありながら、その裏側にあるものは明らかに自分たちよりも危険ななにかである。
銃を手放し、無防備であるにもかかわらず、この場の誰よりも恐ろしい。
なんとかしてその恐ろしさを打ち消そうと、客担当は置かれた銃を手に取った。
ずっしりと手に重い。
先程まで持っていたモデルガンとは重みが違う。
強盗犯たちは顔を見合わせ、頷き合う。
「……わかった、アンタにも協力してもらおう……」
そして、客担当は絞り出すようにそう口にした。
なにより彼を敵に回すのが恐ろしかったのだ。
「おい、終わったぞ!」
金庫からカネを出し終えたもう一人が出てきた時、まず目にしたのは強盗犯が一人増えているという状況であった。
平凡と特異のマーブル模様のような、くたびれたジャケット姿の男。
だが、仲間も、客も、銀行員たちも、皆、その男をなにか恐ろしい物を見るような目で見ている。
自分たちが金庫の中にいたになにがあったのか。
思わず、金庫を開けさせた行員と顔を見合わせてしまう。
だがそれに対し、誰もなにも反応はしてくれない。
「色々あったんだ、こいつは頼りになる」
客担当の強盗犯がくたびれた声でただそう言った。
「ああ、カネが揃ったら長居は無用です。さっさと行きましょう」
その謎の新入りの声につられ、銀行を脱出する。
角のところにメンバーの車がスタンバイしている。
平凡な、グレーの五ドアコンパクトカーだ。ナンバーだけ偽造品に変えてある、メンバーの私物の車である。
あとはそれに乗り込むだけだが、五人だと窮屈だ。
だがまあ乗れないこともあるまい。
「ちょっと待ってください、あの、向こうから来るのは……」
偶然か、それともなにかしらの通報があったのか、道の向こうから一台のパトカーがこちら向かってくるのが見えた。
「まあ、この現場は私がなんとかしますから、皆さんはそのまま逃げてください。報酬は……そうですね、その中の一束で」
金庫担当が持ってきた袋を指さして新メンバーである男がそう言う。
「お前、なにか余計なことを言うんじゃないのか?」
「その点については心配無用ですよ、なにしろ私はあなた方のことをまったく知らない」
銃を向けての脅しに対しても、男はただそう微笑むだけだ。
その姿に、金庫担当も皆がこの男を恐れていた理由が理解できた。
こちらの全てを知り尽くしているのではないか。
そう思わせる雰囲気がある。
「でもあんた、大丈夫なのか?」
「知らないってことは、なにを言っても誤魔化せるということですよ」
運転手の言葉にも男の笑みは変わらない。
「……わかった、任せる」
瞬時に判断し、金庫担当は先ほど札束を詰めた鞄の中から一万円札百枚一束を取り出し、無造作に男に渡す。
この男が信用できるかどうかはわからない。
だがこれ以上、この男と一緒にいるのが恐ろしかったのだ。
この男を、アジトまで連れて行って、正式に仲間に迎え入れる?
考えるだけでも肝が冷える。
それになにより、考える時間もない。
「任されました。では、お達者で」
男の言葉を最後まで聞くことなく、強盗犯たちは車に乗り込み、そのまま猛スピードで現場を去っていった。
背後を見る。
パトカーが止まり、先ほどの男が警察官に囲まれている。
一人確保したことで安心したのだろうか、追ってくる気配もない。
どうやら、今回の強盗は上手くいったらしい。
そんな彼らがアジトに踏み込まれ、まさに戦果山分けの真っ最中に逮捕されるのは、その日の夜の事だった。
「で、その百万円、結局どうしたのよ」
「いや、もちろん返しましたよ。なにしろ私は善良な市民ですので」
ユリナの問い詰めに対し、ランサはさも心外であるという風に首をすくめてみせた。
「しかしまあ、名探偵が居合わせたせいで、あの銀行強盗たちも可哀想にねえ」
連続強盗犯逮捕のニュースを見ながら、ユリナがまるで同情するかのようにつぶやいている。
そこに映るのは四人組の強盗団の若者である。それはまさに、ランサが昼間、銀行で話をした青年たちだ。
「でもどうやってアジトまで見つけたのよ。あなた、ただ単に適当に世間話をしただけでしょう」
「そうですが、一つ土産物を渡しましたからね。まあ貴重な一品ですよ、アレも」
ユリナの言葉に対して、ランサはさも意味ありげに右手で拳銃の形を作って見せながらそう答える。
「まあ、アレが重量まで再現したよく出来たレプリカってことはすぐに気が付くでしょうけど、まさか一番底の薬莢がまるまる発信機だとは思い至らないでしょう。全弾撃ちだすのはなかなか手間ですからね」
ランサの同情は彼らの境遇についてか、それとも銃弾を取り出す手間についてだろうか。
「しかし、偶然とは恐ろしいものね。それだけで人生が全部ダメになるんだから。まあ、同情の余地はないけれど」
「まあ今日の一件は偶然、とまではいえませんけれどもね。そうでなければ、あんな重いもの持ち歩きませんよ」
「どういうことよ」
「連続銀行強盗を二回もやったんだしこれは三回目もあるはずと思ったんですよ。それで、ある程度次狙いそうなところを絞り込んで、下見をしていないかどうかも含めて目星をつけておいたんです。そしたらまさにビンゴ! となったわけですね」
作ったままの手の拳銃でランサは空を撃ち抜く。
「目星って、あなた今回の犯行が予測できていたの?」
「確信とまではいきませんが、ある程度は。要点は二つです。一つは、さっきも言ったように、いかにもな面々が下見に来ていないかどうか。案外目立ちますからね。普段は忘れていてもいざ聞かれれば思い出すものです。そしてもう一点」
その拳銃の手が飛行機のように宙を舞い、そのまま人差し指を立てるポーズに収まる。
「狙われた銀行にはなにかしらの不正の噂がある、という点です」
ランサの口調は、そこで少しだけ真剣なものになる。
「おそらく、今回の一連の銀行強盗、それぞれの銀行に、裏で手を引く内通者がいたんだと思いますよ。この強盗の流れに任せて、余計なものも処理してしまおうという」
「え、どういうことよ」
「ようするに、強盗そのものが半ば計画通りだったんですよ。被害者も出さず、通報もされず、ただ強盗の事実だけが起こる。多分あれ、銀行側にマニュアルかなにかがありますよ。それに今日話をして思ったんですが、強盗犯の皆さん、すごくムラがあるんですよ。決められた行動をしているうちはどっしりしているんですが、そこを外れると途端に浮足立つ。まあ、マニュアル頼りの真似事の強盗ではその程度ということですが、えっとそれはつまり、同じように、強盗にも……」
そう言いながら、ランサは自分の言葉を足がかりに思案に入っていく。
もしマニュアルが存在するのなら、強盗犯も一組に限定せず、いくらでも量産できるのではないか。
ランサが今回の銀行強盗グループが過去二件の犯行について否認しているのを聞いたのは、その翌日の事だった。
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