第6の事件 太陽に殺された男
短編「太陽に殺された男」
連日の雨が降りしきる昼下がり。
「おう、よく来たな、まあ座ってくれ」
喫茶店『ハロン』の店内に響く中年の声。その主は一番奥の席にいるガッチリとした男だ。
だが、その人物には一つ大きな特徴がある。彼には右腕がないのだ。
「相変わらずですね、先生は……」
その声を向けられた先は、入り口に立つ年齢不詳、正体不明の男性である。
ある人物から見ればなんの特徴もないように見える、いかにも平凡な男に見えることだろう。
だが別の人物が見れば、なにを考えているかわからない、危険を隠し持った男に見えるかもしれない。
その顔は整っているようにも見えるが、怠惰の表情がそれを覆い隠してしまっていて、その見え方も千差万別だ。
しかし今は露骨に不機嫌であり、それを隠そうともしない点でも、彼の印象を良くないものにしているのは間違いなかった。
「で、今日は一体なんですか」
席に座るなり、店に入ってきた男、杉高ランサは投げやりにそう言った。
「しかしまあ、相変わらず不景気な面だな」
「ここ最近天気も悪いですからね。お嬢様からもこれじゃあマンションの太陽光発電システムが機能しないと不満をぶつけられましたよ」
「そうかいそうかい。あのマンションにもあるのか。まあ、最近は本当にどこでも見るからな。この田舎じゃ空地があれば田んぼかソーラーパネルだ」
一方で、そのランサを呼び立てた中年男性、原田蓮次郎はそんなふうに笑い、表情が渋いままのランサの様子を愉快そうに見つめながらメニューを渡してくる。
とはいえ、この二人がこの店で注文するものはいつも決まっているのだが。
「まあ、まずは注文だけ済ませてしまうとするか、俺はいつものアメリカンだが、お前はどうするんだ?」
「……私もいつものメロンクリームソーダですよ」
怪訝な表情を崩さずに、ランサはボソリとつぶやくようにオーダーした。
「相変わらずお前の注文は子供みたいだな。悪いことはいわんからもっと大人にふさわしい注文をしたらどうだ」
「私が何を食べようと、私の勝手ですよ」
原田の提言にランサはそっぽ向いたまま目線を合わせることなくぼやく。
「そんなことより、今日私を呼び出した理由はなんなんですか? まあ、どうせろくでもないことなんでしょうけど」
そしてそれに続く言葉もまた、ランサの不機嫌さをそのまま形にしたものである。
「まあ、そうあからさまに不服そうな顔をするな。今回はちょっと事件について簡単な相談に乗ってもらおうと思っているだけだ」
そんなランサの表情を見て、原田は苦笑いをしたままそう口にした。
それを聞きランサの顔はさらに不満に歪む。
「そうはいいますが、先生の相談が簡単だったことなんてないですけどね」
「それは受け取り方次第だな。だいたい、お前が勝手に難しくしてしまっていることだってあるじゃないか」
原田の反論は反論にもなっていない。
もちろんそれでランサが納得している様子はないが、それでも、ひとまずは原田の言葉に対してなにかしらの思うところはあるらしい。しばらく難しい表情のまま黙っていたが、やがて、ランサの方から口を開いた。
「……で、相談とはなんですか?」
「ああ、実は今朝、一つおかしなホトケさんが見つかってな。うちの内部では事故ということで処理が進んではいるんだが、お前さんがどう考えるかを聞いてみたいと思ったんだ」
原田のいうホトケさんとは、死体のことである。
原田蓮次郎という人物は元敏腕刑事であり、現在はM県警の地域課特別係に所属する警察官であった。
彼はこうやって警察内部で処理しきれないような事件や事案を顔見知りである探偵のランサに持ってくることによって、解決の糸口を見出そうとするのである。
そして実際、ランサはそれで幾つもの事件を解決してきたのだ。
「おかしなホトケって……、そもそも先生の職場が関わる人死なんて大抵おかしなものじゃないですか」
「まあそうではあるがな、そういう仕事だ。だがまあ、お前も知っての通り、そんな中でも特殊な事例というのはいくらでもあるものだ。で、今回の件、まず確認しておくんだが、ランサ、お前、エメラルドロードってわかるか?」
「エメラルドロード? えっと、あの西の山中に走ってる、だだっ広い道のことでいいですか?」
「ああ、それであってる。いわゆる広域農道だな。そこの脇のある田んぼで今朝、一つの死体が見つかったのが、今回の一件だ」
Z市もそこそこの規模の街であるから事件がないわけではないし、死者だって出ることもある。だが、田舎の田んぼでなると、そうそうあるものでもないのだろう。
「そりゃまた物騒な話ですね。でも、それをなぜ私のところへ? こう言ってはなんですが、ただの事故じゃないんですか?」
「それがな、ホトケさん、どうやらいわゆる感電死してたんだよ。なぜか田んぼの中でな」
「ほう、感電死ですか」
そのひとことを聞いて、ランサも少し不思議そうな顔をした。
感電死は、普通の死に方ではあるまい。
「まあ、お前さんも知っていることだとは思うが、あの道は元々が農道だけに、山を切った森の中か、田んぼのど真ん中を走っているばかりでな。普通に考えれば感電死するような要素はないわけだ」
「まあ、そうですね」
ランサもそう答えると、しばらく難しい顔をしながら、漠然と机の一点を見つめていた。
おそらく、エメラルドロードを想像し、記憶にあるその道を走っているのだろう。
エメラルドロードという大層な名前が付いているが、原田のいうように、その実態はただの農道だ。
まあ、風景は自然豊かでそこそこ美しい緑が多く、
普段の車通りは少ないが、それゆえにそこを走る車がよくスピードを上げているのも特徴の一つだろう。この手の農道ではよくある話だ。
見通しがよく他の車もおらず道も広く整備されている。スピードを出してくれと言わんがばかりではないか。
「車にはねられての事故死や田んぼで足を取られての溺死、というわけではないんですよね? そもそも、その亡くなった人はどこの誰なんです?」
「それじゃあ感電死はしないからな。まあ名前は仮にA氏としておこうか。近所のエメラルドロード沿いの集落で農家を営む男性だ。年齢は五十代後半、特にそれ以外に特筆すべき点もない、ごくごく普通の人物だ。誰からも特に恨まれることもなく、事件に巻き込まれそうにない、という意味でな」
原田の言葉にランサも頷く。
ようするに、A氏がA氏であったがゆえに殺された、という可能性は除外していいということである。
では、そんなA氏の身になにが起こり、彼は感電死してしまうことになったのだろうか。
「まあしかし、恨みはともかく電気なんてものはいまどきどこにでもあふれていますからね。感電死の一つくらいするでしょう」
「そりゃそうだが、なんでそれが起こったかって話だ。火のないところに煙は立たんだろう」
「でも、感電死なら落雷という可能性もありますよ」
そう言ってランサは外を見た。
ここ数日の雨は今も降り続き、窓を叩いている。
「まあな、内部的にもそう処理されることになりそうだ。だが、鑑識の結果などから見ても、誰がどう考えても落雷ではないというのが共通の見方だ。今回の雨も勢いは強いが雷が鳴ったという話は聞かないしな。それでも、処理は行わねばならん。だからその前に、お前さんの意見を聞きに来たんだ」
そう告げた原田の眼は真剣そのもので、向き合ったランサはただ黙って頭を掻くばかりである。
どれくらいの時間が過ぎたことだろうか。
「その、死体の見つかった場所と状況、もう少し詳しく教えてもらえませんか?」
そしてランサは、ゆっくりとそう切り出した。
「なるほど、A氏が死んだのはおそらく、一昨日の夜十時前後であると」
「それは間違いないだろう。家族の証言もあるし、遺体の鑑定結果もそうだ」
原田の言葉に迷いはなく、ランサもそれを疑ってはいない。
「しかし、A氏はそんな時間にいったいなにをしようとしていたんでしょうね?」
「なんでも、用水路の確認に行くと言っていたそうだ。この雨の降り始めもあの日からだったからな」
「なるほど、農家の方にとっては死活問題ですからね……。しかしそれで死んでしまうことになるのは、なんとも……」
台風の際にちょっと用水路の様子を見に行くという不謹慎ネタは、ネットを中心に見受けられるものである。
ランサもそれを考えたようだが、原田の方は特に気にもしていないらしい。
「まあ、普段なら言うほど危険でもないようだからな。何年もやっているんだ、そのへんの見極めはできているわけだ。今回の雨だって、よく降るがそこまで記録的なほど強いってわけでもないしな」
原田も窓の外に目を向ける。雨はまだ止む気配もない。
「そもそも、感電死ですからね、用水路は直接は関係ないですか」
「まあな。しかしあの辺も最近は様子が変わっていっているからな、用水路が心配になるのはしかたのないことかもしれん」
「なにかあったんですか?」
「さっきお前も話題に出ただろう。ソーラーパネルだよ。今のエメラルドロード脇は、森か田んぼかソーラーパネルって勢いだからな」
だが、その言葉を聞いた瞬間に、ランサの眼の色が変わった。
「ああ、そうか、電気はそこにあったか!」
突如そう叫んで、机を叩きつけて立ち上がる。
「おいおいどうした」
「先生、その、A氏の遺体発見は、いつ誰が連絡してきたかわかりますか?」
ランサは立ったまま、身を乗り出して原田にそう尋ねる。
「なんだ突然興奮して、もしかして、あれは事件なのか?」
「まあ『殺意』ではないでしょうが、『過失』の可能性はあります」
ランサが興奮を抑えてそう告げたのを聞いて、原田も真剣な表情でその顔を見る。
そして少し思案した後、記憶を辿るようにゆっくりと口を開く。、
「……俺が直接受けたわけじゃないが、朝一番の匿名の電話だったらしい。で、いったいどういうことだ」
「一つだけ確認しておきたいんですが、A氏のなくなった田んぼ……、すぐ近くに太陽光発電のソーラーパネルが無かったですか?」
「多分、あったはずだ……。確か写真も撮ってあったはずだが……」
その質問に対し、原田は静かに頷いた。
そして一応のために撮影しておいた現場写真のプリントアウトした紙を取り出し、確認する。そこには確かに、すぐ脇の切り立った箇所に設置された黒い板が確かに写り込んでいた。
「まだ推測ではありますが、今回の事件は、そのソーラーパネルが原因の可能性が高いですよ」
慎重に言葉を選びながら、ランサは、自らの推理を述べていく。
「どういう意味だ」
「おそらく、今回の雨で地盤が緩み、パネルの何枚かが落ちて用水路に水没したんです。この写真で見ても、パネルの設置はかなり無理があるように見えますからね。そして、丁度そこにA氏がやってきて、それを見つけてしまった。用水路を確認しようとしに来たんですからね、中にあんな大きな異物が落ちていれば、当然、取り除こうとするでしょう……」
「しかし、それは仮にも発電設備だから……」
原田はそれだけ言って言葉を切った。
「ええ、処置もせず生半可に触れば……しかも雨で、用水路の中です」
ランサも、最後までは言わなかった。
「……おそらく、Aさん発見の連絡をしてきたのはソーラーパネルの点検に来た業者でしょう。そしてその人物は、現場を見ただけでなにが起こったのかも察した。なのでパネルの処置だけをして、匿名で連絡をしたんでしょう。そのままにしておけば間違いなく問題が自分たちの方にも向きますからね……」
ランサの言葉を聞いて、原田は無言で頷く。
そして、懐から携帯電話を取り出し、片手で器用に操作し、席を立って電話を掛けに行く。
「ああ、俺だ、今日の感電死の遺体発見、真相がわかったぞ、いいか……」
そして原田が店の外にで行くのと同時に、店主がランサの前にメロンクリームソーダを持ってきた。
外は今も雨が降り続く。太陽はまだ現れそうにない。
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