解:飛び出し坊やは見ていた
翌日、学校へと登校しようとしたユリナは、その途中、あの行方不明の飛び出し坊やの曲がり角で、思いがけないものを目にすることとなった。
『某月某日夜間にこの交差点で起こりましたひき逃げ事件について情報を募っております。なにか情報などお持ちの方はこちらまでご連絡ください』
交差点には堂々と、そう書かれた目撃証言を募る警察による看板が立てられていたのである。
指定された日付は飛び出し坊やがいなくなったその日、つまり一昨日から昨日の未明にかけてであるだ。
つまり、この看板は昨晩の間に設置されたということとなる。
ひき逃げ事件があったなどユリナは聞いてもいなかったが、わざわざこんな看板が出てくるということは、事件そのものが密やかに起こりすぎて発覚が遅れたということだろうか。
だがそれ以上にユリナを驚かせたのは、その日付指定を信じるのなら、飛び出し坊やが行方不明になったタイミングと、ひき逃げ事件の起こったタイミングは概ね同じということである。
そしてまるでそのことを指し示しているかのように、その看板の裏に、ひっそりと貼られた一枚の紙があった。
『この交差点にあった飛び出し坊やを誘拐いたしました。返却してほしくば身代金を用意し、下記の番号まで連絡されたし。なお、身代金の金額は応相談とする。Lより』
ただそれだけ書かれた紙。
文書はすべてパソコンによって出力されたものであり、それを読んでも書いた主についてなんの情報も得られまい。
誰が誰に向けた文章なのか。
まさに怪文書と呼ぶににふさわしいものである。
それらを見た時、まずユリナがしたことは、それらの文章をスマートフォンのカメラに収めることであった。
もちろんその目的はただ一つ。
自分以上に推理を得意とする、あの探偵に見せることだ。
そして踵を返し、元来た道を走り出す。
目的地はただ一つ。
自分の部屋の上に住むあの名探偵の事務所である。
ランサなら、この謎を解いてくれるはずだ。
その期待を胸に抱きながら、ユリナはただただ早過ぎる家路を急ぐのだった。
だが、時既に遅し。
事務所は鍵がかけられており、中に人の気配もない。
駐車場に回ってみると、案の定、もはやランサの車はなかった。
ようするに、ユリナは置いて行かれたのである。
連れていってくれと頼んだわけではないし、勝手に一人でそう思っているだけではあるが、この状況に置かれるとなかなか寂しいものである。
「そもそも、今回の件は私が持ち込んだ事件だったじゃない!」
最初にユリナが話をしていたときは、いつも通り、いかにもやる気なく聞いていただけだったはずだ。
それがいつの間にか、ランサの方が事件にのめり込んでしまっていたのである。
【調査依頼権】を使わなかったのは、こうなってみると正解だったのか失敗だったのかわからない。
少なくとも、あれがあればもう少しランサを拘束できたかもしれない。
だが、いつまでもしょげこんでもいられない。
今のユリナにできることは二つ。
このまま諦めてランサの帰宅、すなわち事件の解決を待つか、それとも、看板の連絡先に連絡を付けて、事件の最後尾に無理矢理乗り込むか。
もちろん、ユリナにこのまま見過ごすという選択肢は、ない。
すぐさまスマートフォンを取り出し、今し方撮影してきた連絡先を確認する。
そして躊躇無く、その番号へと電話をかける。
それからおよそ一時間後、ユリナは覆面パトカーの後部座席にいた。
隣には原田蓮次郎。
彼らは今まさに、ランサの後を追い、持ち去られた飛び出し坊やについての取引先へと向かっているのである。
「それで、俺のところに連絡してきたわけか……」
ユリナが連絡を付けたのは、先の看板にあった連絡先のうちのひき逃げ目撃情報の方であった。
もう片方のLと名乗る飛び出し坊や誘拐者の連絡先もランサであることはほぼ確信していたが、万が一のこともあるし、そもそもランサに直接手間を掛けさせるのを避け、ひき逃げ犯目撃のほうを選んだのだ。
そしてそこで電話に出た担当者こそ、ユリナが見立てたとおり交通課の人間ではなくユリナもよく知る原田蓮次郎その人だったのである。
「まあ、原田さん本人が出るかどうかは賭けではあったんですけれども。出なくても取り次いでもらえばいいかと思いまして」
「まったく、師弟揃って俺をなんだと思っているんだか……。そもそも学校はどうした学校は。そっちが学生の本分だろうが」
「私、高校生である前に探偵の助手ですから。それにこの事件はそもそも私が持ってきた事件だったんです! それを見届けずにいられるわけないじゃないですか!」
「わかった、わかった」
ユリナは頬を膨らませ、不満なのか弁明なのかわからないことを述べ立てる。
その様子に原田は苦笑いを浮かべるが、それ以上は特に追求もしてこなかった。
「しかし、あいつもいったいなにを考えているのやら……」
代わりに、そんなひとことを漏らす。
ユリナにも、ランサの意図はわかるはずもない。
そうこうしているうちに、車はやがて、ランサが取引場所としたという公園へと辿り着いた。
その公園は、住宅街の隅にあって、まるでそこだけ別空間のような空気を持つ場所であった。
少し奥まった場所にあるためか、ほとんどの住人はここより少し手前にあるもっと雰囲気のいい新しく出来た公園へと集まるのだ。
ここは忘れられた公園だ。
そんな目立たない公園の目立たない場所にあるベンチに一人、ランサが座っている。
この時間の公園にいるような人物といえばリストラされたサラリーマンが定番ではあるが、ランサの姿はそれとはある意味で対照的である。
彼がまとう雰囲気は、あまりにも自由人すぎる。
あれで相手は寄ってくるのだろうか。
なるべく自然な雰囲気を装いながら物陰で様子をうかがうユリナには、それが不安でたまらない。
「こんなに早い時間から来るんですかね……。それにランサもあんな雰囲気だし」
その感情を組み替えるかのように、ユリナはそんなことを独り言のようにぼやく。
ユリナのいうように、時間はまだ午前十時。
こういった取引をするにはあまりにも早い時間である。
だからランサも悪目立ちするのだ。
「まあ、この場にいる不自然さはお前さんも大概であるとは思うがな。学校はどうした学校は」
原田にあらためてそう言われては、ユリナも返す言葉もない。
流石に制服は着ていないものの、平日の午前十時にウロウロしているようなタイプの人間ではないだろう。
しかしユリナがそのことに考えを巡らせる前に、事態のほうが進展してくれた。
「お、誰か来たみたいだぞ」
いかにも不審な態度で注意深く公園にやってきたのは一人の中年男性だ。
くたびれた青いジャージ姿と、それに似合いのくたびれた顔。
しかしそれだけではなく、どこか思いつめた表情は危険な雰囲気を漂わせている。
ひとことでいえば、尋常ではない。
一方で、ランサの方からは特になにもしない。ちらりとその人物に目をやった後、ただ座ってスマートフォンをいじっているだけだ。
だが、すぐにそれは意味ある行為であることがわかった。
原田の電話に着信があり、それはそこにいるランサからの電話だったのである。
スピーカーモードの通話状態を維持したままで、ランサはスマートフォンをさり気なくベンチの自分の脇に置いた。
『あ、来ましたか』
さりげない独り言が受話器を通してこちらにも届く。
原田が身振りでそれを伝えると、ランサも小さく自然に手を上げて見せた。
やがて、男がランサの前にたどり着き、ランサへと声をかけた。
『……あんたか、あの看板にあんなふざけたものを貼ったのは』
声に力はないが、受話器越しでもわかる言い知れぬ怒気が篭っている。
『身代金、用意してもらえましたか?』
対するランサは相変わらずの掴みどころのない態度で言葉を返すだけである。
明らかに、相手に出方を考えさせるためのものだろう。
『なぜそんなものを用意する必要がある! 私を脅迫しているのか!』
『まあ、ある意味ではそうなりますかね。もっとも、あなたから金銭を取れるなんて思えませんし、そんなこと考えてもいませんけれど』
相手が熱を帯びるのを感じ取って、ランサは言葉をさらに的確にその痛いところへと滑りこませていく。
遠巻きに見ても、その態度の違いは一目瞭然だ。
明らかに動揺を隠せていないジャージの男と、座ったまま、ただ言葉だけを連ねるランサ。
そして畳み掛けるように、ランサはその決定的な問いを口にした。
『私が確認したいのは真実ですよ、誘拐犯さん。あなたは、あなたこそ、なぜあの看板を持ち去ったんですか?』
男はなにも答えない。
遠目でもわかるくらい震えているが、その口は閉ざされたままだ。
そこにどんな感情が渦巻いているのか。
それを自ら口に出すことはあるまい。
だから、ランサのほうがその答えを代わりに述べた。
『あの看板に、殺した相手の血がべっとりと付いてしまったからですよね?』
思わず驚きの声を上げてしまいそうになり、ユリナは慌てて口を抑えた。
殺した?
あの男が?
誰を?
『な、なんの証拠があってそんなことを!』
『証拠ですか。まず、あの看板の設置場所ですよ。あそこ、不自然なまでに汚れていたんですよね。なぜかそれまで土台があったはずの場所まで一緒に、均一に』
ランサの答えは確固たる自信に満ちており、完全に退路を断つものだ。
もちろん根も葉もない事ならいくらでも反論も出来るだろうが、言葉が続くほど動揺が態度に現れている状況では、その言葉が正しいと自分から言っているようなものだ。
『つまりあれは、明らかに何者かが後から意図的に汚していったものです。誰が、なんのために。もちろん、血のついた看板を持ち去った人物が、そこにこぼれた血を隠すためにです。そしてその人物こそが、あの張り紙を見て連絡をしてきたあなた、というわけです』
その指摘を聴き終えて、男は崩れ落ちそうなほどに震えている。
それでもなんとかしてこの場を切り抜けようと、虚ろな目で言葉を探しているようである。
しかしなにも出てこない。
そこに、容赦なくランサのほうが先に言葉を積み重ねていく。
『あんな看板を持ち去るくらいだ、あなたはずっと目撃者がいなかったか怯えていたんでしょうね。だからこうして、あからさまな罠にも飛びついてしまった。まあ、あなたは物言わぬ目撃者を連れ去った時点でボロが出てしまったわけです。で、なにか反論はありますか?』
その指摘が終わると同時に、男は膝と付き、なにも言わずにその場に崩れ落ちた。
そんな男の動きを見ると、他の物陰にいた刑事たちが男の元へと駆け寄っていき、あっという間に取り押さえられる
そして、男はそのまま連行されていく。
それが、飛び出し坊や誘拐事件の終わりの瞬間だった。
「まったく、世の中どこに事件が転がっているかわからないわね……」
帰りの車の中、助手席でユリナは独り言のようにそうぼやいた。
「まあ、不自然な出来事の裏には、多かれ少なかれ大抵事件があるものですよ」
一方のランサの答えはいかにも他人事である。
それでも、なにか思うところがあったらしい。そのままさらに言葉を続ける。
「しかし、普段その不自然さに気付くくことが出来ないからこそ、多くの事件は事件にならずに流れていくわけです」
ランサはいくつもそんな事件を拾い上げ、その多くを解決へと導いてきた。それはユリナだって知っている。
しかし、ランサ自身の意見はそうではなかった。
「今回だって、お嬢様が気が付かなければ誰がいつ死んだのか、表に出ることなく消えていったかの知れないわけですからね。お嬢様は世界に貢献したわけですよ」
「解決したのはあなたじゃない」
ユリナはランサにそう言葉を向けるが、ランサの方はただ静かと微笑むだけである。
「ある意味で、お嬢様が変な出来事を持ってきてくれるからこそ、私は探偵の自覚を保ち続けて入られているわけです」
突然の告白に、ユリナはなにも返せない。
「世界の違和感の一つ一つ、誰かが気付く。看板の一つでも、見ている人は見ている。私はそんな風にして、闇に消えていく事件を事件として陽の目に晒すことがもっとも探偵らしいと思うんですよ」
「ふーん」
知っているからこそ、ユリナはそんなランサの言葉を軽く流す。
「だからね、お嬢様、私は感謝しているんですよ」
「なにがよ」
「お嬢様もまた、探偵ですよ。まあ、学校には行ったほうがいいとは思いますけれどもね」
二人を乗せて、車はぼんやりと道を往く。
世界にはまだ、事件は無数に散らばっているのだ。
それがいつこちら側に飛び出してくるのか、ユリナはどこを見るわけでもなくただ窓の外を見つめていた。
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