第5の事件 飛び出し坊やの身代金

謎:失踪する看板

 探偵、杉高ランサがその事件と最初に関わりを持ったのは、いつものように民辻ユリナが持ち込んできた事件からだった。

「ねえランサ、あいつ、どこに行ったと思う?」

「あいつ?」

 ある日の夕方帰宅早々、ユリナはそう唐突に話を切り出してきた。

 もちろん、いきなりあいつと言われてもランサに心当たりなどあるはずもない。

 あいつ、どいつ、あいつ……。

 しばらく考えこんだ後、ランサはいくつかの心当たりを口にしていく。

「あいつ? カッパは元からいなかったじゃないですか」

「カッパじゃないわよ」

「UFOだっていませんよ」

「それはどうかしら……でもそうでもないわよ!」

「じゃあ山賊ですか? あれはただのコスプレ外国人だったじゃないですか」

「ああ、もう、そうじゃなくて!」

「じゃあなんです?」

 ランサの答えにじれたのはユリナの方らしい。

 感情的になりながらも、ようやく言葉をひねり出してくる。

「そこの交差点にあった飛び出し坊やよ。ほら、あのいかにも飛び出しそうだった」

「飛び出し坊や……? ああ、あの看板ですか」

「そうよ、ランサならとっくに気が付いていると思ったのに」

 ユリナのその言葉でようやくランサも合点がいく。

 ランサたちの住むマンションから少し離れた交差点には、交通量が多いこともあってか、以前から飛び出し防止の子どもが描かれた看板が設置されていたのである。

 看板自体は普通の特徴の無いのっぺりとしたものだったのだが、その配置はいかにも独特で、土台をずらし、頭から道路に飛び出す勢いで置かれていたのである。

 まじまじと見たことはないが、ランサも車でそこを通る度にその独特さに目を引かれたものである。

 ということは、あの配置は効果があったということなのだろうか。

 それとも、変に注目させるだけで本当の飛び出す子どもへの注意には役に立っていなかったのだろうか。

 いずれにしても、無駄に存在感があったのは間違いあるまい。

「で、あの看板になにがあったんですか。名前の通り、どこかに飛び出していったんですか?」

 皮肉めいた口調でランサはそう言った。

 そもそも、飛び出し坊やの名前が本当は『飛び出さない坊や』のほうがよかったのではという話を聞いて、ランサもいたく共感したものである。

 飛び出しを抑制するはずの存在が飛び出すような名前では本末転倒ではないか。

 だからこうして飛び出していってしまうのだ。

「まあ、その可能性もないわけではないわね。とにかく、突然姿を消しちゃったのよ。今日の登校の時に気が付いたんだけれども……」

「はあ、そうですか」

 気のない返事である。

 ランサからすれば、あの看板があろうとなかろうとどうでもいいことではある。

 だがそれ以上に、ユリナの言葉に強く反応すること自体が既に厄介事への第一歩であることを知っているのだ。

 そして、話題になった時点でそれが無駄な抵抗であることも。

「だから、あの飛び出し坊やがどこに消えたのか、私たちの手で探しだしましょう!」

 そうして、ランサの予想していた通りの言葉がユリナの口から飛び出した。

「……探すといっても、なにをどうするんです?」

「それを推理推測するのが名探偵であるあなたの仕事じゃない」

「はあ……」

 ただため息を付くだけで、ランサはその答えについてははぐらかそうとする。

 もちろんこの後に続く言葉をランサは推理推測てきているが、それでも、最後まで抵抗の一つもしてみたくなるものだ。

「気のない返事ね。失踪した人探しはまさに探偵の本業じゃない」

「まあ、そうではありますが」

 だが、ユリナがその切り札を切らないので、ランサはまだ言葉を濁す。

 飛び出し坊やがどうなるのか、この時点ではランサもわからないままだ。

 なので、ランサがいえる言葉はこのひとことにつきる。

「早く帰ってくるといいですね」

「ようするに、探す気はないと」

「ご名答です」

 ランサがそう口にすると、ユリナは呆れたように首を振った。

「あなたがそういうつもりなら仕方ないわ。この事件、私一人で解決してみせるわ!」

「おや」

 思わず声が出てしまう。

 意外にも、結局ユリナは切り札を切らずじまいだったのである。

 多少の拍子抜けを感じつつ、ランサは目の前の少女の判断についてもう少し掘り下げようと試みる。

「解決って、なにかあてでもあるんですか?」

「ないわね」

「あ、そうですか……」

 そんな状況でこちらに推理を振ろうとしていたのだからランサも頭を抱えるしかない。

「だからあなたに任せてみようと思ったんじゃない」

 そういってユリナは胸を張るが、その態度はランサをますます困惑させるばかりとなる。

 そもそも、この少女の探偵に対する態度には、一つ大きな問題がある。

「私だって、なんのあてもなく事件を解決するなんて無理ですよ。私は状況を入力すると推理が出てくるコンピューターじゃないんですから」

「違うの」

「違います」

 少女がどれだけ失意の目を向けようと、ランサにはそうとしか答えられない。

 ランサにだって、わからないことは山程ある。

「まあ、それならそれでいいわ。そんなわけで、今回の一件は私が調べるから、ランサもなにか気がついたことがあったらドンドン教えてちょうだい」

「はあ」

 一向にあの言葉を口にすることなく事件への決意を述べ続けるユリナに、ランサは完全に言葉を無くしてその姿を見るばかりである。

「なによその眼は」

「あ、いえ、【調査依頼権】を使わないのかなと思いまして……」

 藪蛇になる可能性を考えつつも、ランサはそのことを聞かずにはいられなかった。

 こういった場合、すぐさまアレを振りかざしてランサを酷使するのがユリナだったはずだ。

 だが、ここまでまったくその気配がない。

 そのことがランサに不気味さを感じさせていたのだ。

 それに対して、ユリナから返ってきた答えはいかにも現実的だった。

「こんな事件で使っちゃたらもったいないじゃない」

「あ、そうですか」

 ユリナ自身も今回の一件が『こんな事件』という自覚があるらしい。

 それを聞くとかえってこの謎に興味が湧いてくるから不思議なものである。

「まあ普通に考えて、なにかがぶつかるかして壊れてしまい、回収されたんじゃないですか?」

 ランサが口にするのは、まさしくただの推測である。

 そういった常識的な線から潰していくのが推理の鉄則だ。

「ところが、今回は土台ごと無くなっているのよね。差し替えができるタイプだから、ぶつけて壊れたなら上だけ変えればいいはずじゃない」

「まあ、それはそうですね……、となると、誰かが持ち去ったと考えるのが妥当でしょう」

「持ち去った? 誰が、なんのためによ?」

 ランサの推測に勢いよく食いついてくるユリナ。

 とはいえ、ランサにその先の確かなビジョンなどない。

「さあ、そこまではわかりません。最近ではあの手の看板もマニアが居るらしいですからね。神社の祭器窃盗団みたいに、看板窃盗団でもいるんじゃないですか?」

 口から出てきたのは、推理と呼ぶにはあまりにも適当な、完全に憶測だけで構成された言葉である。

 もちろん、ユリナにもその中身の無さは伝わり、呆れたような目でランサを見て言葉を返してくる。

「なによ看板窃盗団って……」

「ほら、あの手の看板って、レア物は一部では驚くような値段で取引されていたりすることもあるらしいですし……」

 そう語ってはいるものの、ランサにだって飛び出し坊やのレアリティや相場などわかりはしない。

 ただ、持ち去られたからにはなにかしらの理由があるはずである。

 その中で一番初めに浮かんだのが看板窃盗団だったというわけだ。

「まあ、それはないわね」

 しかし、ランサの推理をユリナは自信満々に切って捨てた。

「ほう、それはなぜですか」

「もし仮にあの看板にそこまでの価値があるとしたら、交差点の対面の看板も一緒に盗まれていないとおかしいじゃない。むしろ向こう側のほうが外しやすそうだったわけだし。こっちの片方だけを持っていく理由はないわ」

 ユリナの言葉を聞いて、ランサの眼が光り、少しだけ真剣味を宿す。

「つまり、今回はその一つの看板だけをピンポイントで持ち去る存在がいたと」

「そういうことになるじゃない。だから、窃盗目的っていうのはありえないわけ」

「まあ、確かに不自然ではあります。じゃあ、行きましょうか」

 そう言いながら、ランサは立ち上がり、幾つかの道具をまとめて鞄に入れる。

「行くってどこへよ」

「そりゃ、失踪現場へですよ。安楽椅子に座ったままですべてがわかれば楽なんですが、生憎そうもいきませんからね」

 そんな悪態をつきながら、ランサはユリナとともに事務所を出て現場へと向かう。


 ランサの事務所のあるマンションから少し坂を降りた先にある、あまり見通しの良くない交差点。

 そこが、かつて飛び出し坊やのいた場所であった。

「なるほど、影も形もありませんね……」

 言いながらランサは懐中電灯で地面を照らしながら調査を続けている。

 今やユリナ以上に、この探偵のほうが事件に対して真剣なようであった。

「なにかわかりそう?」

「ええ、まあ。どうやら、これは単純な窃盗事件というわけではなさそうですよ」

 その、飛び出し坊やの看板の土台があった場所を調べながら、ランサは真剣な口調でそう答える。

 ユリナもランサの横からその地面を覗き込む。

 土台のあった場所周辺はひときわ汚れていて、なにか手がかりになるようなものがあっても埋もれてしまいそうなほどだ。

 ちらりと、今度はそれを見るランサに視線を向ける。

 調査を続けるその眼はいかにも鋭く、ユリナの知る、もう一つの探偵としてのランサの顔がそこにあった。

 ユリナはなんだかんだいっても、ランサのこの顔を見るのが好きなのだ。

 しょうもないと思いながらも【調査依頼権】で事件に駆り出すのもそのためだ。

 今、杉高ランサはなにを見ているのか。

 ユリナは、同じものを見たいとも、自分には見えないものを見ていて欲しいとも思っていた。

「まあ、だいたいわかりました」

 不意にランサが立ち上がる。

 その顔には既になにかを見つけようとする真剣さはなく、どこか余裕のある笑顔に変わっている。

 解決策が見えた時にはランサの顔はこの笑顔になるのだ。

「もういいの? なにかわかったの?」

「ええ、ちょっとこれから忙しくなりますから、色々と覚悟しておいてくださいよ」

 ランサのその宣告に、ユリナはただ無言で頷くのだった。




 それから数時間後、もう夜も更けた二十一時過ぎの喫茶店『ハロン』の隅のテーブル。

 そこで、二人の男が向かい合う。

 片腕のない中年男性と、なにを考えているのか掴みどころのない年齢不詳の男性。

 M県警地域課特別係所属の警察官、原田蓮次郎と探偵、杉高ランサである。

 この二人がここに来る理由はただ一つ。探偵のランサが警察内部の協力者である原田に会うためである。

「いやあすいません、こんな時間に呼び出したりして……」

「まったくだ。こっちは家族サービスの真っ最中だったんだがな」

 そうは言ったものの、この時間帯原田は大抵テレビを見ているか本を読んでいるかである。

 もちろんそれをわざわざランサに告げることはないが、おそらく、この探偵にはそれくらいはお見通しであることだろう。

「まあまあ、私もお嬢様を振り切るのに苦労しましたし、そのへんはおあいこということで」

「なにがおあいこだ。で、なんだ、頼みごとっていうのは」

 なお不機嫌な原田に対し、探偵は悪びれることもなくこう言った。

「いやー、こういうことを頼むのは非常に心苦しいんですが、先生の力で、一つ、ひき逃げ事件を起こすことはできませんかね?」

「はあ?」

 その言葉に対して原田の反応は当然訝しみに満ちたものになる。

 なにしろひき逃げ事件を起こして欲しいと現職の警察官に頼んでいるのだ。この場で即逮捕となってもおかしくないほどである。

「ああ、いや、もちろん本当に事件を起こしてほしいわけじゃないですよ。」

 原田の視線にランサは慌てて弁明をするが、その顔は笑っていて、この反応自体も想定していたのであろう。

 この探偵はそういうしょうもない冗談を好むところがある。

「当然だろうが。お前を逮捕しなければならんところだったぞ。で、いったいなんだ、本当の目的は」

「実は、ひき逃げ目撃情報を募る看板をお借りしたいんですよ。ほら、よくあるじゃないですか『何月何日何々が起こりました、情報をお持ちの方はご連絡ください』っていうやつが。アレを一つ捏造してほしいんです」

「言っていることが大して変わっていない気がするがな……」

 呆れる原田だが、ランサの方は笑いながらもその眼は真剣である。

「そうは言っても、実際にはひき逃げに似たようなことが起こっているわけですから、あながち捏造ってだけでもないですよ」

「どういう意味だ」

 事件は起こっている。その言葉を原田が見過ごせるはずもない。

 そもそもこの探偵が原田を呼び出すときは、ほぼ間違いなくなにか事件を持ち込んでくるときなのだ。

 そんな原田の反応にもさして態度を変えることなく、ランサはさらに話を続けていく。

「一つ、起こったことさえ知られていない事件を見つけましてね、それを表に引っ張り出したいと思っているわけです」

 そう語るランサの口調は既に完全に探偵のそれである。

 正義感と好奇心と犯罪へのちょっとした敵意を混ぜこぜにした、もっともこの男らしい言葉だ。

 ランサのその姿を見ると、原田は、自分の失ったものを見ているようで、嬉しくも虚しくもなる。

「またおかしなことを考えているな。ユリナちゃん絡みか」

「まあ、事件のきっかけを持ってきたのはお嬢様ですが、事件そのものには無関係ですよ。ああ、看板についてですが、今夜中に設置するのは可能ですかね」

「相変わらずこれと決めたら無茶苦茶言うな、お前さんは」

 しれっととんでもない要求をするランサに対して、原田はただただ苦笑するしかない。

 この探偵は目的のためならどこまででも遠慮がなくなるし容赦もなくなるのだ。

「申し訳ありません……。ただ、この件に関しては一刻を争うので、出来る限り急いでもらいたいんです」

「ようするに、その看板を見せたい相手が現れるわけだな」

「ええ、このチャンスを逃すと、尻尾を掴める可能性がぐっと減ってしまいますので……」

「まあ、それはわかった。なんとかしてみよう。それで、お前が今追いかけているのは、一体何者なんだ?」

 原田のその質問に対し、ランサは意味ありげな笑みを浮かべ、ただひとことこう言った。

「飛び出し坊やの誘拐犯ですよ」

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