8 ange(2)
夏めいた風が草木を揺らし、雲は流れる。
例年よりも早い梅雨明け宣言から一周間。日曜日の今日も、言わずもがな、わたしはバイトであった。
バイトと学業の両立にもだいぶ慣れ、最初は慌ただしかった生活も最近はゆったりと送れている。
特に変化もないが強いて言えば、担任の栗山が正式に離任することが決まったことくらいか。
精神的にもいろいろと参っているみたいで、夏休みを終えた2学期から、他校へと着任するらしい。
肝心のコズミはというと、あれから何かとメールのやり取りは続いていた。
……でも。
「すみません、このガトーショコラ2つくださる?」
「あ、はいっ」
お客さんの声に、わたしはハッと我に返った。
慌ててショーケースから慎重にケーキを取り出して箱詰めし、お会計で700円を受け取る。
ケーキの箱を渡して「ありがとうございました」と笑顔を向けてお客さんが出て行くのを見届けると、わたしは思わず、ふうっと大きな息をついていた。
ケーキ店での仕事は夢にみるほど甘いものではない。
ショーケースからケーキを取るのも箱詰めするのも、神経をかなり集中しなくてはいけないから気を抜くことはあまり許されないのだ。
わかっているけど、でも気になって。わたしは仕事どころではなく、さっきから何度もスマホを気にしているのだった。
本日通算4回目。
何度アプリを開いてみても、音沙汰なしである。
スマホをエプロンのポケットにつっこんで、いよいよわたしはカウンターの上に突っ伏した。
……実のところ、ここ6日ほどコズミと連絡が取れないでいる。
取れないっていうか、送っても返事が来ない。既読もつかない。いや、別に待ってるわけじゃないけど。なんか、来ないのかな、ってそれだけ。
ちらり、と目だけをあげれば、外で叔母さんが窓を拭いているのが見えた。午後の陽を背中から受けて、頭の白い三角巾が少し眩しい。
わたしはまた目を伏せて、首の角度を変えた。かごに盛ってある焼き菓子が近すぎて目の前でぼやけている。
と。
――カランコロン
「、」
店内に響く、来店を知らせる鈴の音。
なんとなく、だ。わたしは気になって上体を起こしてガラス張りの引き戸を見た。
すると。
「岡元ちゃん、やっほー」
ふわふわと軽く盛られたミルクティーブラウンの髪。
ヒラヒラと細い指先ばかりが並ぶ手を振ってこちらに柔らかい笑みを浮かべている。あれは。
……うちのクラスの、高倉くんだ。
「あー……、いらっしゃいませ」
「わお。相変わらずクールすぎ」
なぜかふはっと吹き出す高倉くん。
相変わらずもなにも、話すどころか関わりすらないのに。
高倉くんの言葉に返すこともなく、深いため息を吐いた。
本当は、もしかしたら、と思った。ありえないけど。もしかしたら――って。
でも、違った。
一瞬でもがっかりした自分に、なぜか焦る。
コレ下さい、とそこにあった焼き菓子を5つ置く高倉くん。
指細いなー……、いや全体的に痩せてる。
「800円になります」
「はーい」
高倉くんはポケットから財布を出して千円札を指先でつまむと、ふふっと息を漏らして口唇に綺麗な弧を描いた。
「たまたまこの店覗いたらさ、あれ? 岡元ちゃん? って思ったの。でね、外のおばさんにも確認したんだ。そしたら」
そこまで言うと高倉くんはカウンターに千円を滑らせ、腕をついてしなやかに身を乗り出し、わたしの顔を覗き込んだ。
「ビンゴ」
華麗にウィンクを決めるとにっこりとわたしを見た。
吐息まじりの声に反射的に声をあげるのを必死に耐え、引きつる頬を無理やりあげて笑いながら千円を受け取る。
レジを打っている間もクスクスと忍び笑いがわたしの耳に届く。ちょっとムカつく。そして、常習犯だな。
「こんなに買って、どこか行くの?」
苛立ちをそのまま態度で表そうとおつりを読み上げることもせずにつき出し、もはや言葉を投げつけるように発した。
高倉くんはポカン、としていたが、直ぐに。
「姉さん家」
目を細め、明るい調子で発せられた声。でも。
さっきまで綺麗だったその瞳は、なぜだか、濁って見えた。
「お姉さん、いたんだ」
「うん、まあね」
血はつながってないけど。
続けられた言葉は、とても小さい。
カウンターに上体を預けていた高倉くんは、ゆっくりと身を起こした。
「じゃ、もう行くね。また明日」
バイバイ、と。次に彼が笑顔を見せた時、その瞳にはもう濁った色は映っていなかった。
◇
視界は、眩しいばかりのオレンジに変わった。
沈みかけの太陽が道の先までを染めて、建ち並ぶ家々の窓ガラスをめいっぱいに輝かせている。
「今日も一日お疲れさま」
お店の看板を「CLOSE」にすると叔母さんがにこにこと店内へ戻って来た。
厨房では叔父さんがすでに片づけを始めていて、叔母さんも「終わったらお茶にしましょ」とだけ言い残して裏へと消える。
「つかれた~」
今日も無事にやりきった。高倉くんが来たときは、ちょっとびっくりしたけど。
わたしはそのうち口笛でも吹きかねない機嫌の良さで、腕を上に伸ばし軽く伸びをした後、モップ掛けをするべく掃除ロッカーの扉を開けた。
瞬間、舞い上がったほこりが西日を受けてきらきらと輝く。カウンター前までモップを引きずりながら、わたしはまたスマホの画面をタップした。
でも、いくらスマホとにらめっこしたってLINEには飲食店の広告メールやファッションショップサイトの新作入荷のお知らせしか届いていなくて。
わたしはいよいよ、ふてくされてしまいそうだった。
そりゃあ、彼女でもなんでもないけどさ。一言ぐらいくれてもいいんじゃない?
だって、ウザいくらいに絡んできたのはあっちなんだから――
「……あれ?」
そこまで考えた時、画面の上をせわしなく動いていた指先がピタリと止まった。
「(そもそも、コズミって……何者なんだろう……?)」
見た感じ成人してるっぽいけど、何歳だ?
大学生かな。いや、もしかして社会人かも?
彼女……いるのかな。
頭の中をいくつもの疑問が埋めていく。
でもその疑問に、答えはひとつも出てこなかった。
「改めて考えてみるとわたし、なにも――」
その時だった。
カランコロンと背後でドアの引かれる音と共にベルが鳴り響いて、わたしは直後現実へと引き戻された。そして。
「すみません、今日はもう……」
CLOSEの文字が見えなかったのかな、と。
音の方へ振り向いて、わたしは危うく手からモップを落としそうになるのを寸でのところで耐えた。
「え」
固まるわたしに。
「なんで……」
そう呟いて固まる男は、どうみてもコズミだった。
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