7 ange(1)
隣街に住む親戚のケーキ屋でバイトをすることになったのはその週の木曜日だった。
名前は“洋菓子工房 アンジュ”、叔父さんがパティシエだ。
一軒家を改装したような造りになっていて、軒先には天使の描かれた西洋画が飾ってある、洒落た雰囲気の店。
決して大きなお店ではないけれど、地元のお客さんには結構評判が良くて、店内に設けられた小さなカフェスペースは近所の奥様集団や、地元の中高生でいつも賑わっている。
普段は叔母さんが1人で店番をしているけど、わたしの希望でこの度、働かせてもらえることになったのだ。
――バイトをしていれば、少しは集中できる。
――熱中できるものがあれば、その間は嫌なことも思い出さなくていい。
ここ最近、立て続けにろくなことがないわたしが、最終的に導き出した結論がこれだ。
それに、お店番は思っていたよりもとても有意義なもので。
近所のお客さんはわたしを看板娘だと言って可愛がってくれるし、買い物の帰りに涼みに来るおばあちゃんの話し相手になるのも好きだし楽しい。
叔父さんのケーキが大好きな近所の幼稚園の子供たちも、「わかちゃん、わかちゃん」となついてくれている。
お店はクーラーも効いてて快適。
強いて言えば、ケーキの乗ったトレイを運んだり、食器を片付けたりするのがちょっぴり大変。
でも、慣れてしまえばお手の物。
今は日曜日のお昼過ぎ。客足がだいぶ弱まって一息ついたところだ。
梅雨の晴れ間が広がる空はどこまでも澄んでいる。
布巾で拭いていた木製のカフェテーブルから窓の外、小さなガーデンスペースへと視線を移せば、日当たりがいいとはお世辞にもいえないその一角に、ざくろの木が伸びやかに枝を広げているのが見えた。
若々しい葉の間からのぞく赤色は蕾だろうか。
指でつつけば、ぽん、と音をたててほころびそうなほどふくらんでいる。
その可愛いふくらみに誘われ、窓辺へ近づいたとき、黄色いエプロンのポケットの中のスマホからメッセージが届いたことを知らせる音が鳴って。
「(どうせまた広告でしょ……)」
ネガティブな予想を抱きつつ、カウンターの叔母さんに気持ちちょっぴり背を向けてわたしはLINEを開いた。
切り替わった画面に表示された名前は、
「……なーんだ」
海辺で出会った不審な男――もとい、
◇
2度目の失恋をしたあの雨の日を境に、わたしとヤツがどうなったかというと――なんとメル友達になっていた。
とはいうものの、何か劇的な変化があったわけではなくて。
先輩たちとすれ違ったあの後、結局わたしたちはそのまま、何事もなかったように海岸沿いを歩いていた。
淡々と歩みを進めるわたしを横目に、隣でヤツは傘をくるりくるりと回し続ける。
触れない方がいいと思ったのだろう。
無理に追求しないその態度に、コイツも人並みに気が遣えるヤツなんだなあ、なんて。
でも。その時、急にヤツが立ち止まって。
――『おい、スマホ出せ。ス・マ・ホ !』
そびえ立つ壁のような威圧感でまくし立てられ、渋々スクールバッグのサイドポケットからスマホを取り出したわたしから奪い取ったそれに、勝手にLINEを開き自分の連絡先を追加し。
挙句。
――『よーし、完了! じゃ、そーゆーことでっ』
直後、手にごつごつした感触がして。ふと目を落とすと、わたしは傘の柄を握らされている最中であった。
もちろん雨はやんでなどいない。それどころか、ますます強まっているような気がする。
なのに。
え? 傘いらないの? ――と訝ったが否や、次の瞬間には、ヤツは背を向けていて。嵐のように去って行ったのだった。
残ったのは青色の傘と、「小澄 慧」と新しい友達の欄に記された連絡先のみ。
正直な話、こういうのは好きじゃない。言いなりになっているようで、癪にさわる、ったらない。
とりあえず『今日は傘ありがとうございました』と送りはしたが、それ以降メッセージを送りつけてきても無視してやろうと思っていたのだけど。
……どうやらコズミは文字を打つのがニガテらしい。
時々変換を間違えていたり、ひらがなばかりだったり、変な顔文字やスタンプを使っているのがなんだか憎めなくなっちゃって。
気づけばついつい、返信しちゃっているのだった。
最近では本人には絶対に言わないつもりでいるが、実のところ楽しみにしていたりする。
≪――小澄 慧が画像を送信しました≫
送られてきたのはどうやら画像だけらしい。わたしは首をかしげ、唯一の添付画像をタップする。
すると。
そこにあったのは、きらめく海の写真で。青空を背景に海を囲む山々が、光る緑をつやめかせている。
途端、海に足を入れて、はじめは飛びあがるほど冷たく感じる水が、さらりと肌になじむ、あのキュンとする瞬間を思い出した。
わたしは自然と窓越しからザクロの木にスマホをかかげた。
パシャリ、と。いまにもほころびそうな赤い蕾を画面におさめる。そうしてコズミを真似るように画像のみを送信して再び顔を上げた時。
丁度そこにあった壁掛けの鏡に口元をほころばせている自分が映った。
誰に見られたわけでもないのに必要以上に焦ったあと、「これじゃあ浮かれてるみたいじゃん、わたし」と自分で自分をツッこんだ。
息苦しい、というか。どこか狭い場所へと追い込まれたような気持ちになる。
不思議なときめきに悩まされながら、わたしは品出し用の焼き菓子が詰まった箱をひっそりと開けた。
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