17小さなライバル


今日でもう、何度目だろう。


「よっ」


「あ、いらっしゃーい」


カランコロンと鈴の音を響かせ、アンジュのガラス戸を引くサトルを見るのは。

相変わらず少年のような笑顔を見せ、カフェスペースの窓際に腰掛ける。


ケーキ屋のバイトを再開してからしばらく、サトルはひょっこり顔を覗かせては店内でケーキを食べるようになっていた。

以前よりも頻度は少ないけれど、またうちのケーキを食べにきてくれて嬉しい! ――と顔を綻ばせて語ったのは叔母さんで。

叔父さんの作るケーキが何よりも自慢なのだ。


「また今日もショートケーキ?」


「うん、お願い」


「かしこまりました。今持ってくるね」


そう告げてカウンターへと戻り注文の品を待つ。けれど、叔母さんが運んできたのは2人分のケーキと紅茶だった。

え? と叔母さんの顔をいぶかると――ここは叔母さんに任せて。遠慮しないでね! とでも言いたげな表情で、瞳をキラキラと輝かせていて。

到底断ることのできない雰囲気がわたしたちの間に漂い、日曜の昼下がりだというのに客足もまばらということもあいまって、休憩がてらわたしも一緒にお茶をすることにした。


テーブルを挟んで、サトルと向き合うような形で椅子に腰掛ける。三角巾を外して、束ねていた髪もほどいて一呼吸。


「おう、お疲れー。……ってかさ」


サトルはカップのふちに口唇をつけながらチラッとわたしに目をやり、カップを傾けながら含み笑いを漏らした。


「うん?」


「おばさんに気ぃ遣わせちゃったみたいだな」


そう言ってカウンターを振り返るサトルの視線の先を辿ると、叔母さんと目が合っ――たかと思えばサッと視線を逸らされてしまった。


「もう……そんなんじゃないのに」


そう呟いて口唇を尖らせ、俯く。

流した視線の先には、ティーカップの中に映った自分の顔。それをじっと眺めた。

赤い紅茶の中をゆらゆらと漂う表情は、照れているようにも見える。

わたしはフォークに手を伸ばし、ショートケーキの頂上に立つ大きくて真っ赤な苺をすくった……その時。


――カランコロン。

「わかなー!!!」


大声で叫びながらドア鈴の音と一緒にお店に入ってきたのは、やんちゃな5歳の男の子で。

面を食らったように唖然とするサトルとは反対に、立ち上がるわたし。

なぜなら。その男の子は、わたしの小さな小さなお友達だから。


「ユウくん! いらっしゃい!」


「は?」


目を丸くしてこちらを見上げるサトルに、わたしは「ごめんね」と手を合わせ、ユウくんに駆け寄った。

相変わらず両膝両肘、さらにはおでこにまで絆創膏をこしらえたその姿はとても痛々しい。

けれど、歯をにかっと見せて太陽のように笑う明るい表情にホッと息を吐く。


と、わたしの背後にふと視線を逸らしたユウくんの瞳は、意外そうに見開いて。かと思えばぎろぎろと挑むような目つきに変わった。


「げーっ! わかなが男と一緒にいる! おまえだれだー!!」


気の強そうな小さな眉は片一方だけが上がっていて、今ユウくんがすこぶる不機嫌であるらしいのが伝わってくる。

黒目がちの瞳は、顎を引いているせいか睨んでいるようで。

いつも大きく開けて笑っている口元は、今日に限って無愛想に結ばれ、プクッと頬っぺたを膨らませている。


すると。


「こらユウ、やめなさい!」


再び鳴る軽やかなドア鈴の音に続き、ユウくんの後ろからお母さんが入ってきて。いらっしゃいませ、と声をかけると彼女は眉をハの字に曲げて頭を下げた。


「若菜ちゃんごめんなさい、ユウが……」


「ふふ、いいんですよ」


本当に申し訳なさそうに謝るお母さんをなだめ、しゃがんでユウくんと目線を合わせる。

とたん、その小さな瞳はわたしを見据えて。


「わかな! あいつカレシ!?」


「え、ち、違うよ?」


「じゃあ誰!」


「えっとー……」


ビシッと無遠慮にサトルを指さすユウくん。わたしが彼とお茶をしていたのが相当気に入らなかったようだ。

かと思えば。


「おいおまえ!」


言葉に詰まり視線を泳がせていると、今度は矛先をサトルに向ける。

ぴくり、と肩を揺らすサトルにユウくんは再び目尻を吊り上げて。

後ろでお母さんがサトルをチラッと見ながら小声で「ユウ!」と本気のトーンで止めるもお構いなしだ。


「おまえわかなが好きなのか!」


ユウくんが子供特有のド直球な質問をサトルに言い放つ。

その言葉は辺りはシーンと静まり返らせて。わたしは目眩み、よろめきそうになる足元を寸でのところで踏ん張る。

悪意のない無邪気って、恐ろしい……。


と。


「……だったら何?」


「(っ、)」


気怠そうに漏れた声。

予想をはるかに超えた返答に、柄にもなくうろたえるわたし。

のんきにあくびまでしているあたり、面倒くさくて適当に答えたんだと思う。

けれど、そんなことをわかってはいても身体は正直で、火照った頬の熱がじわじわと広がっていく。

わたしはそれを隠すように片手を頬に強く押し当てた。


「わかなはオレの女だから! 取るなよ!」


サトルの言葉に噛みつくユウくんに対して、はは、と漏らした笑い声は、いかにも気が抜けた様子である。


「若菜はお前のじゃないだろ?」


「ちっがーう! オレのなの! なっ、わかな!」


「そうなの? 若菜」


「えっ?」


突然話題を振られたため心臓が飛び上がる。ダメだ、完全に不整脈。

停止した思考回路では気の利いた言葉も出てこなくて。



「ゆ、ゆうくんのものじゃ、ない」



ハッとして気付いたときにはもう遅かった。

ふはっと吹き出すサトルに、悔しそうに顔を歪めるユウくん。叔母さんやユウくんのお母さんまでもが笑いを堪えている。


「(や、やっちゃった!)」


失態だ。なにも、本音を言わなくったってよかったのに。

後悔先に立たずとはまさにこのこと。


「くっそぉー……! ちょっといけめんだからって調子のんなよ!」


わたしの言葉がユウくんの闘争心に火をつけてしまったらしい。サトルのことを微妙に褒めながら闘犬のごとく吠えている。


「わかなはオレが守るんだい! バトルだー!」


そう声を荒らげれば。とたん、やーっ!! と叫びサトルへと襲い掛かるもんだからぎょっとした。

それに合わせてサトルはげんなりしながらも、仕方なしに立ち上がる。

小さな身長で一生懸命、彼の膝あたりをポカポカと叩いてはいるがあまりダメージは与えられてない様子で。


そろそろ止めなくちゃ、と。一歩足を出した時。

サトルがゆっくりとしゃがみ込んでユウくんの小さな拳を大きな手で受け止め、包み込んだ。


「……」


身動きの取れなくなったユウくんは、上目遣いでサトルを睨んでいる。

叔母さんとユウくんのお母さんは顔を見合わせ、わたしも手を引っ込める。

ふたりの様子をじっと見ていれば。サトルがふっと口元を緩めた。


「お前、そんなんじゃ若菜は守れないぞ?」


ユウくんに調子を合わせて発せられた声は、とても穏やか。

すると、終始吊り上がっていたユウくんの目が、なぜだか急にキラキラと音をたてるように輝きだして。


「おにいちゃん、なんでそんなにつよいの!?」


「……ん?」


「おにいちゃん、ミラクル戦隊マジレンジャー知ってる!?」


「知ってるもなにも、俺マジレッドと友達だなんだけど」


あ、嘘ついた。

なんて思ったのも束の間。


「まじで!」


わあ、信じてる!


「じゃあマジレッドとおにいちゃんどっちが強い?」


「ふっ……俺だな!」


「すっげー!!」


歓喜の声をあげすっかり信じこんでしまったユウくんは、キラキラ光る瞳をサトルに向けて、尚も一生懸命喋っている。


それを適当にあしらい、わたしの瞳にくゆりと向けた双眸。

驚きに目を見開いたのはわたしの方で、彼の深い茶色はただ細められていて。

かち合った視線は、一瞬。

サトルがユウくんを抱き上げてあやす様子を見て、ユウくんのお母さんはようやく安心したみたい。

でも。


「素敵な彼氏ね」


その言葉が発せられた瞬間、わたしの思考回路は一時停止。

が、ワンテンポ遅れて理解したわたしは。


「な、ち、ちち違います! 彼氏なんかじゃ……」


必死に否定に入っても、先ほどのやり取りをばっちり見られているわけで。

もちろん信じてもらえず。

照れちゃってるわ〜、と。ユウくんのお母さんは叔母さんとふたり、談笑に華を咲かせるのであった。

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