15優しい涙
視界がひらけた瞬間――
地の底から震えるような轟音が、夜空に大輪の花を咲かせた。
綺麗な赤や緑の花火が次々に打ち上げられる。秋の空に浮かび上がる七色の光。
朽ちた流木や花火の燃えカスが散らばる砂浜を行き、隅っこの岩場まで来た頃。
コズミは一瞬ちらりと後ろを見やると、やっと走る足を止めた。
額に滲む汗を手の甲で拭いながら深い息をひとつ吐き出すコズミとは正反対に、膝に手をついて肩で息をするわたし。
俯いた頭をあげる余裕もなく、睨めつけるように視線だけをあげてヤツを見る。
だがコズミはそんなわたしを放って、そそくさと岩場にしゃがみだした。
くそ、なんてやつ。勝手に巻き込んだくせに。腹立つ。
一言文句でも言ってやりたいところなのだが、息が弾んで、しばらくまともに口が利けそうにない。
「(ちょっと、走っただけなのに……)」
なんてひ弱なんだわたしは。ダン、と握った拳で膝を叩くがただ痛いだけで体力増幅には繋がらなかった。
「おーい、こっち来いよー」
立ちあがったコズミはまるっきり気にしていない様子で、手招きをし始める。
少し整った息でちらっとコズミを見やるけれど、わたしはまた視線を落とした。
「(なんか……なんか、なあ……)」
自分の中で複雑な思いや感情が交差して、どんな顔をしていいのかもわからないのだ。
わたしはビニールサンダルで足元の砂を散らし、中途半端に沈黙を守るしかできなかった。
「ったく。ほら、おいで」
コズミは、いつまでも俯いたままのわたしにじれたのか、近づいてきたかと思えば強引に腕を掴んできて。
そのままわたしを連行するみたいに岩場に向かって歩きだした。
ちらちらと周りを気にしているあたり、どうやらコズミはさっきの女性から逃げていたのだろう。
でもあの声、どこかで――と記憶を巡らしていた時。
先ほどの岩場にたどり着いて、コズミはズボンが汚れるのもお構いなしといった様子で座り込んだ。
その様子にわたしも渋々岩場の壁にもたれしゃがんだあと、隣のコズミを見上げた。
ひたすらに花火を見つめ続ける整った横顔。
ジリジリと爆ぜる一瞬の閃光が、顔を照らす。
岩場には、どこかに風の通り道があるのか、時折心地よい風が吹いた。
火照った肌をなで、ひんやりとした岩肌の温度とあいまって、すっと汗の引いていく感じがした。
と、壁に預けていた身体を起こしたヤツは突然、「あー……」やら「んんー」やらと曖昧に唸り、片手でガシガシ髪をかき混ぜだした。
花火を気にしつつ訝しげに視線を向けていれば、かち合った双眸に何故か盛大にため息を吐かれて。
「この前は、ごめん。いきなり帰ったりして」
「え?」
突然口を開いたコズミに、心臓がどきりと跳ねる。
だけどすぐに、あのバイトの時かと思い出して。
「別に、気にしてないよ」
そう返せば、コズミはもう一度眉を下げながら「ごめん」と呟いた。
本当は、強がりも混じっていた。
全く気にしていないといえば、そんなの嘘だ。
けれど。
あんな空っぽな姿を見ちゃったら、誰だって何も言えないよ――と、わたしは若干やわらいだコズミの表情を眺めた。
壊れてしまいそう。
本能的に感じたあの日。
熱を帯びたコズミの声が今でも頭の中に響いてくる。
コズミは心の中に何を秘めているんだろう。ひとりになると、そればかり考えていた。
だけれどもちろん答えはわからなくて。
例えるならば、出口のない永久迷路。わたしはそれを、今でもぐるぐる回っている。
「なあ、お前」
「っ、」
不意にコズミが話しかけてきて。
はっと我に返った時、驚きに声をあげそうになったのをかろうじて息だけに留めた。危ない。
「本屋で会った日、覚えてるか? あの、雨のとき」
「え……、うん」
突然、シリアスな雰囲気が辺りに漂う。
若干言葉に詰まりながら頷いて見せれば、勝手な憶測なんだけど、と呟いて言葉を紡いだ彼。
「あんときすれ違った男子高校生、もしかしてお前が泣いてたことに関係ある?」
「……」
わたしはぽかんと口を開け、どことなく真剣さがこもる声を発するコズミの表情を窺った。
正直、拍子抜けした気分だった。
うやむやに消して考えないようにしていた瑞樹先輩との件が、突然フラッシュバックしたことへの戸惑いもある。
が、それよりもずっと。
なんだ、そんなことか――と。聞いた瞬間、「そんなこと」で済ませられている自分にも驚いていた。
「あー……えっ、と」
どう説明しようかな、なんて考えながら夜空を見つめた。
鼓膜を揺さぶるような大きな音が響いたかと思えばその途端、空に咲き誇る花びら。
そうしてすぐにぱらぱらと消えてゆくそれから、こちらを窺っているコズミに顔だけを向けた。
「中学生の時から、片思いしていた先輩なの。3回目の告白でやっと付き合えたんだけど、結局ほかの女の子と付き合いたくなったみたいで、わたしはフラれちゃった」
人に、初めて口外した。
コズミには、誤魔化しが効かない気がしたのだ。
思わず苦笑いを浮かべていると横顔から、「……そうか」とコズミの呟く声が耳に届く。
「つらかったな」
コズミに対して抱いていた苦手意識が息を潜めたかのように。
普通に話していた――と気づいたのは頭の上に居心地のよい感触と体温が伝わってきてポンポンっと軽く乗せてきたこわごわとした手。視界の隅には少し日焼けしたたくましい腕。
突然言われた台詞と行動に、黙って視線を返す。
そこには、なぜだかコズミの方が死にそうな顔をしていた。
「(なんであんたがそんな顔するのさ)」
思ったけど、言わない。
自分のことのように悲しんでくれるコズミを見て、わたしは目を細めて微笑んでいた。
思えば、コズミにはいつも独特の雰囲気があった。例えるなら、朝日を待つ朝顔みたいな。
そういう、不思議な魅力。
そうして自然と湧き出てきたのは、彼のことをもっと知りたいという、欲求。
「コズミは、何があったの?」
「ん? 何って?」
「初めて会った時さ、海でごまかしたでしょ? 知ってるんだからね。ねえ、何かあったんでしょ?」
そこまで言うと、わたしをまじまじと映す瞳は見開かれ、いつも何を考えているのか掴めないそれは、驚きを示す。
じっと視線を返せば、呆けていた顔は悲しそうに緩んで。
三日月に歪んだ
「あー、俺は」
へにゃり、と歪むコズミの顔。
「付き合ってたカノジョが、俺から離れてった」
首を捻り焦点の会わない瞳で、ただ夜空を見つめて。
花火のきらびやかさが、ひどく不釣合いだった。
「それ、振られたってこと?」
「んー、そんなとこかな」
「ふぅん。……じゃあ、わたしと同じだね」
夜空から目をそらせないまま、ぼんやりと言った。
夜空が金色に輝く。去年と、同じ。
――今年最後の、花火。
「はは、そうだなぁ」
最後の一粒が消え入る瞬間。
不意にコズミの、そう呟く声が聞こえた。
それはとても自然であって、ひどく不自然でもあった。
ほんの少しの違和感が気になってコズミに視線を向けた時。
「……え、こずみ?」
息が、詰まった。だって。
「……っれ、なんだコレ」
泣いていたから。
コズミが、泣いていたから。
おどけた表情にも関わらず、コズミの頬をツーッと伝う透明の涙。
重力に従ってぽたりと雫が落ちた。
コズミは自分が涙を流していることに気付き、慌てて顔をそむけて手の平で隠した。
その涙に、動作に。心臓が、震えた。声にならない悲鳴をあげる。
呼吸ができなくなるくらい苦しい。
ねえ、どうして泣いてるの。
そんな顔しないでよ。
それ以上泣かないでよ。
だって、これ以上見ていたら、わたし――
「、泣かないでよぉー……っ」
掠れた声。そう言って喉が熱くなった。
絶対に泣かないと誓っていたのに、わたしの決意は簡単に緩む。
涙が一雫、手の甲に落ちる。いつの間にかあふれて落ちる。
気が付けばもう、わたしの涙は止まらなくって。両手で顔を覆って、泣きじゃくってしまっていた。
コズミの方はというと、突然のことに驚いたみたいで。
「え、あ……えっ!?」
オタオタとわたしの上で影がうごめくあたり、慌てふためいているようだ。
「ごめん……すぐ、とめるから、なみだ」
ゆるゆると首を振れば、瞳に張った水の膜が揺れてぽつりと雫となる。
人目が無いにしろ、こんなに泣かれたら絶対に迷惑だ。
そうはわかっていても、涙はなかなか止まってはくれない。
だいたい、女が泣くところなんてウザいし、イライラするだけに決まっている。
だけどコズミは、そんなわたしにひたすら寄り添ってくれた。
それからどのくらい経った頃だろうか。
やっと顔を上げたわたしの濡れた目を、コズミが覗き込んできた。
「俺の名前、慧だから」
「え?」
「いや、だから! ……これからは、コズミって呼ぶなよ」
わたしはきょとんとして首を傾げた。
声が、表情が、雰囲気が。
甘やかすようなそれで、どうしたらいいのかわからなくなる。
そんなわたしにヤツは、微笑んだまま眉を下げた。
「わかった? 若菜」
指先に込めていた力が一瞬抜けて、またすぐに入る。
じわじわと込み上げるものを抑えようと、違うことを考えてみるがそんなの無意味で。
目の奥をツンとした痛みが走り、少し滲んだ視界に耐えるように、奥歯を喰いしばった。
それでも素直に緩む口元は微細に震えていて。
ふわふわと音を刻む心臓に、嬉しいんだな、と。他人事のように思った。
「……うん」
ぶっきらぼうな返事を向けると、サトルはふわりと笑った。
何かが、確実に変わりはじめていた。
わたしたち――いや、少なくともわたしがサトルに惹かれていることは間違いがなかった。
出会いは偶然だった。はたから見れば、そうなのかもしれない。
だけどわたしは、ロマンチックな出来事として、ひっそりと胸の奥にしまい込みたいと思うんだ。
やがて、隣のにあったサトルの手がゆっくりと指先に滑ってきた。
それは手の下に滑り込み、わたしは組み合わされて初めて手を繋がれたことに気付いた。
繋がれた手の先から、火照った熱がじわじわと広がっていく。
心が揺れて。鼓動の高鳴りが加速をつけてあがっていった。
わたしは繋がれた手を振り払うことも、握り返すこともできないまま、その甘やかなときめきを噛みしめていた。
――それが、誰に見られてるとも知らずに。
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