14戸惑いと夏祭り


「若菜ちゃん、向こうに戻ってもLINEするね……!」


「はい、是非」


「またデートしよっ。あたし、美味しいパンケーキ屋知ってるんだ」


「ふふ、楽しみにしてます」


2週間におよんだバイトも昨日で終わりを告げ、この町とも今日でお別れとなった。

希子さんは名残惜しそうに愛車に乗り込むと、窓を全開にして「バイバーイ!」と叫び、今にも泣き出しそうで。

少し寂しさを覚えながらもパステルピンクが見えなくなるまで、わたしは手を降り続けた。



その後は観光らしいこともしないままに、今にいたる。

白いキャリーバッグを引きずりながら駅へ着いたあと、わたしは電車に乗り込み、住み慣れた街を目指した。

心地よい揺れにまどろみ、各駅停車のアナウンスが流れるたびに覚醒する。それを繰り返しているうちに、どうやらあと2駅で地元に着くらしい。


わたしはのろのろと頭をあげ、流れゆく車窓の外を見やった。

家々の屋根、電柱、ガソリンスタンドの看板。ありふれた風景にかぶる窓ガラスには、わたしの何とも言えない冴えない顔が映っている。


実のところ、希子さんは最後までわたしを家まで送ることを提案していた。

それなのに断ったのは、交通費が会社から出ている――というのは建前で。

やはり自分の中でコズミのことが気にかかっているから。


「(――いっそのこと、希子さんを嫌いになれたらいいのに)」


そうは思うけれど、そう簡単に嫌いになんてなれるわけがない。

普段はあんなにおちゃらけているけれど、仕事となれば完璧で。

特にベッドメイキングは早いうえに綺麗に仕上げるし、子供を見つければ全力で遊ぶ子煩悩ぶり。

話すと楽しくて頼りになって、彼女のことを嫌いになる人なんて、まずいないだろう。

わたしだって、そうなのだから。


と、ナイーブになっているうちに電車はトンネルに突入し、やがてパッと世界がまぶしくなったあと、窓の外は住み慣れた町の海に変わった。

両腕をめいいっぱいに広げた遠い水平線と、太陽と、果てしない青空。

きらびやかな景色とは反対に、お腹の底ではもやもやとした何か、重く黒いものが溜まっていく。地元の海に向かって叫びだしてしまいたいような気分だった。



  ◇



夏休みも残りわずかとなり、祭りの色が日に日に濃くなってきた。

それは、にわかに日常に秋が混ざりはじめた証拠。

陽はまだ強いのに潮風がほんのり少し柔らかく、砂が冷たくなる。

雨は湿った雲の匂いを含み、浜辺にずらりと並ぶボートを静かに濡らす。

夏がもう、後ろ姿を見せていた。


わたしはため息をつき数学プリントから顔をあげた。


「終わった〜」


握っていたシャーペンを机の上に放り投げ、両手を突き上げて背中を伸ばす。

今やっと、わたしは夏休みの課題をすべてやり遂げることに成功したのだ。

その達成感の凄まじさたるや。

反動で波のようにどっと押し寄せる疲れがツライ。

けれど、リゾートバイトが終わった今のわたしに敵は無し!

夏休みの間は叔母さんが洋菓子工房でのバイトも休みにしてくれたので、あとの予定はとうとう、明日の祭りだけなのだ。


あれだけやかましかったセミの声は、最近ではいつの間にかヒグラシに変わり。祭りの準備で、なんとなく街も忙しない。

その手伝いで母ですら狩り出ているくらいだ。


そんなことを思いながら部屋の出窓で海を眺めていた。

時計の針が大きくまわった夕暮れ時の海は、昼とは違う表情をして波打つ。

西陽にちらちら光るくらむような波と、向こうにはオレンジの空。

そうして時間は過ぎて行き、夜を迎え。翌日の朝陽を浴び、夕暮れになり。

祭りの夜を迎えたわたしは誰と待ち合わせもしないまま、ひとりで夜に紛れたのだった。


日頃は胸の辺りで垂らしている髪をシニヨンにまとめ、2枚重ねたキャミソールと、7分丈のデニム。

ほとんどの女の子が浴衣を着ている中で、ある意味目立つ服装な気がする。

今夜は息をするだけで汗が吹き出る熱帯夜。

いつもとイメージの違う服を着てみたのは、別の自分に生まれかわりたい願望と、祭りの熱気と残暑対策を兼ねてのことだったが。失敗だったかもしれない。


わたしはひとり、人混みの中を神社に向かって歩いていた。

それは、夏祭りでのお参りが唯一、幼い頃からの習慣みたいなものになっているからだった。

笛の音や、スピーカーから流れる盆踊りの音が風に乗って楽しげに流れてくる。

祭りにならないと、やっぱりこの空気は思い出せない。

立ち並ぶ出店を見て回りながら、微かに空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


が、


それにしても暑いな……と周囲にいる人達をうらめしげに眺める。


「(人多すぎ! しかもカップル率高っ!)」


カップルはもちろんのこと、家族連れ、学生のグループ、どの集団も笑顔で、とても楽しそうだ。

女の子はみんな可愛らしい浴衣姿で、手にはリンゴ飴やカラフルなわたあめがキラキラしていて。

そんな中、『ひとりで歩いている自分って何?』とわびしくなってくる。

わたしはハァとため息をこぼした。

自分とは反対方向に流れている人の波は、どうやら海の方へと向かっているらしい。


「(花火かー。いいなー、みんなこれから見に行くんだろうな。わたしも見たいけど、ひとりで行ってもしょうがないし。お参りしたら、さっさと帰ろ)」


そんなことを考えていた、その時。

わたしの前を何かから逃げるようにして、ぐいっと押しのける輩が現れた。

反動でうしろによろめき。


「え、っ……! ぎゃっ」


踏ん張りきれずにお尻から崩れ落ちたわたし。周りの視線が痛い。恥ずかしい、このまま消えてしまいたい。

あれ、バッグどこ行った?

ひりひりするお尻を庇いながら地面に這いつくばる。

と。


「あっ、すみません!」


「い、いえ。だいじょうぶ、で……え?」


目の前に差し出された、たくましい手。

「……」

わたしに向けられたたくさんの視線はすぐにまた前に向き直り、ざわめき始めた。

その喧騒をBGMに、呆然とその差し出された手の平を見下ろすわたし。

すると、そんなわたしによく通る声で。


「……って、あれ……?」


「っ、」


その言葉に顔を上げた。そこには、見慣れた顔立ちの男。


「……何してんだお前。汚ねぇな」


「なっ……!」


すぐさまコズミの顔面へバッグをぶつけてやった。あ、いつかのコンビニレシートが。


「い、ってえええ!」


「押して転ばせたのはあんたでしょうが……!」


「え? あ、おお。ごめんごめん」


怪我はない? と素直に気遣われるとちょっときゅん、としてしまった。

わたしは差し出された手に自分のそれを重ねて立ち上がる。


「……」


「……」


「……」


「……」


ちょっとちょっとちょっと……!

わたしはそこで勢いよくコズミに背中を向けた。

まさかよりによってこんな時に会ってしまうなんて。

不可抗力にせよ、あんな写真を見せられた後だ。すこぶる気まずい。

いや、そんなわたしの事情なんてヤツは知らないんだけど。


背中を向けてしまったためコズミの表情はわからない。でも、きっとヤツだって気まずいに決まっている。

わたしは振り返って再びコズミを見据えた。


どうしよう、何から言おう。

奥二重の茶色い瞳が、ゆっくりと瞬く。わたしを映す。捉われる。

希子さんの気持ちだってある。女の子に挟まれて、でれっと頬を緩ませるような男だし。これを機に関わりを絶つのが最善の選択なのはわかっている。

……けれど。

焦れば焦る程上手く言葉が見つからなくて、でも言いたいことを抽象化した感情は確かに自分の中にあって。

どう、したら。


「こずみくーん。どこぉ〜?」


ざわめきの中から甘えたような女性の声が響いてきたのは、そんな時だった。

それは、間違いなくコズミを呼ぶ声で。

はっとして声の方向を見ても、人混みに足止めを食らっているようで、その姿は確認できない。

なにさ、女の子と一緒なんじゃん。

理由のわからない苛立ちに眉根を寄せながらコズミを見た。

が。


「げっ……!」


なぜだかヤツは顔に恐怖の色を浮かべていて。片眉まで、ぴくりと動いている。

その異変に眉間の皺はより深まり。


「ねえ、」

あれ、あんたの連れでしょ?

そう言葉を続けようとした瞬間だ。


「逃げるぞ」


「ん?」


「こっち!」


「え、なに……きゃあっ、!」


コズミはいきなり声をあげたかと思えば、わたしに真っ直ぐ手を差し伸べて。

そして次の瞬間には、わたしの手は強引に引かれていて、一方的に握られた手の先からコズミの熱い体温が流れ込んできた。


「(なんで、)」


なんでこんな事になってるの……!

とっさに反応できるほど俊敏ではなかったショックを地味に抱え、人通りのまばらな出店通りの、そのトンネルの出口へ向かって、わたしたちは走り出していた。



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