13知らない一面
「(……っ、キた)」
わたしが玄関の掃き掃除をしていた時のこと。
それは、いつも突然やってくるのだ。
窓の外から近づく気配の音にカウンターを拭いていた秋山さんも、花瓶の花を取り替えていた石川さんも顔をあげる。
「若菜ちゃんと石川さん、お願い」
「わかりました」
上品な秋山さんの声に頷き、箒を玄関の隅に立て掛け。
石川さんも返事をしたと思うのだけど、声が小さすぎて聞き取れない。
ふたりダッシュで目的の場所へ向かう途中、今朝のミーティングで報告されたメモ書きを確認した。
――"13:00 春山様 5名 チェックイン"
駐車場に停められた車まで出迎え、運転席から降りてきた男性の前に立つ。
顔の筋肉を最大限動かして、にっこりと笑う。慣れない笑顔で心なしか頬が引き攣すりそうになる。耐えろ。
「いらっしゃいませ〜。ご宿泊のお客様ですか〜?」
「ああ、はい。1時から予約の春山です」
「春山様、お待ちしておりました〜! お荷物お運びいたしますね〜」
あと4日でバイトも終わるというのに、この間延びした甲高い声がどうにも慣れない。自分で出しておいてあれだけど。
石川さんも控えめな笑みを浮かべて軽くお辞儀をすると、トランクから出された荷物を手分けして旅館の中へと運ぶ。
お客様を玄関まで通したあとは、ベテランの先輩方の仕事。
食事やお風呂の場所や時間説明、観光マップを使った町の案内などはすべてバトンタッチだ。
ちらり、腕時計を確認すれば現在時刻は13:15。
13時から休憩予定のわたしは肩で短く息を吐くと、隣にいた石川さんに軽く挨拶を済ませ、仮眠室へと足を進めた。
すれ違いざまに「お疲れ様です」と聞こえた気がして振り返ってみたけれど、軽く会釈をするだけで終わった。石川さんは、やっぱり声が小さい。
すると。
「あーっ、いたいた!」
背後から陽気で可愛らしい声が聞こえた。弾けたように振り返ったわたしは。
「若菜ちゃん!」
「うわっ、」
タックルに近い
いきなりこられたため、わたしは内蔵的なものが口からこんにちは、となりかけた。
相変わらず口の中でころころと飴を転がす希子さん。
だてメガネは今日も健在だった。
「休憩、今からだよね?」
わたしの肩をがっしりと掴み、小首を傾げる。
「あ、はい。今から3時間で……16時までです」
「よーし。んじゃ、行こっか!」
「えっ、あの」
行くってどこへ? と訝る暇もないまま、こんどは手首を掴まれて、進める足は仮眠室……ではなく。
いつの間にか、わたしは玄関の方へと引きずられる形となっていた。
◇
希子さんの所有する車は、ウサギをマスコットにしたらしいパステルピンクの四角い軽自動車だ。
アイボリーを基調とした内装の中、助手席で路面とタイヤの擦れる重低音と心地良い振動を感じながら、白く濁った、熱く甘い夏を含んだ雲が沸き立つ空をガラス越しに見つめた。
『ほらほら! 乗って』
あれから希子さんのなすがままに、助手席へと押し込まれたわたし。
呆然としながらマヌケに口を開けていると、それに構わず希子さんはドアを閉め、運転席へと回った。
『しゅっぱーつ!』
そう叫ぶと、まさかまさかのアクセル全開な勢いで発進した車。わたしが思いっきり頭を叩きつけてしまったのは言うまでもない。
「到着っ」
点滅信号の交差点を右折してしばらく。緑の草原の中で一際目立つ赤い建物横の駐車場に車は停まる。
どうやらここは、あのミルク工房らしい。まさか、本当に連れて行ってもらえるとは。
がちゃり、英国紳士さながらにドアを開けてくれる希子さんに是非お礼が言いたい。
が、酔いが激しくそれどころではない。誤魔化すように満面の笑みを浮かべるのが精いっぱいなのだ。
ノリコさんの方はどうかというと――
「あー! 若菜ちゃん見て!」
彼女は2度目にも関わらず「やばーい!」やら「牛がいるー!」やらと、他の観光客が振り返るほどの歓声をあげていた。
お店こだわりのソフトクリームを買う際もはしゃぐ様子は、まるで遠足にきた小学生のようだ。
ソフトクリーム片手にほっぺをくっつけあって記念撮影をする間も、機嫌のいいことこの上ない。
そんなふうにめいいっぱいはしゃがれると、わたしも、柄にもなく一緒にはじけてみたい気持ちになるのだった。
お店の外に設置された大きなテラスに出れば、緑の匂いに包まれる。
まばらに佇む牛、牧草ロール、赤いトラクター。
その素朴な風景に、すっかり魅了されてしまう。
希子さんは、靡く風にふわふわとさらわれた髪を耳にかけていて。
振り向きざまに見せた笑顔はまぶしく輝いていた。
「ここに座ろっか」
「はい」
ふたり掛けのベンチに腰をおろし、わたしはソフトクリームを口に運んだ。
途端に広がる甘さは、仕事の疲れを一気に溶かしてくれる。
空を見上げれば、空港を飛び立ったばかりらしい飛行機が、ランプを点滅させながら北を目指していた。
しばらくふたりで黙々とソフトクリームを食べ進め、コーンに到達した時。希子さんが沈黙を破いた。
「若菜ちゃん、ってさ」
「っ、は、はい?」
いきなり声をかけられたものだから思い切りどもってしまった。
危うく口の中のコーンをぽろりしてしまいそうになるという、実際やってしまったら女子として終わりそうなピンチをなんとか指先で防ぎ。
若干俯きながらちらり、と視線だけを向けたわたしに、希子さんはにっこり微笑む。
「彼氏とか、いる?」
「えっ! な、ななななんでいき、なり……っ、」
突然の恋バナ展開。
慣れない出来事にわたしはつま先から頭のてっぺんまで恥ずかしさがつき抜け、身体の芯がカァッと熱くなるのがわかった。
異常なほどみっともなくオタオタするわたしの耳に、希子さんの忍び笑いが届く。
「あー、実はね。あたし、若菜ちゃんと同じ年の弟がいるんだけどさぁ」
「は、はぁ」
「弟にこういう話してもイマイチ盛り上がらなくて。妹がいればなってずっと思ってたの。それに若菜ちゃんって、あたしの理想の妹像なワケ!」
「……あ、ああなるほど」
って、なるほどじゃないから、わたし。
希子さんの気迫につい納得したフリをしてしまった。もうあとに引けそうにない。
わたしは再び空を見上げ、綺麗に浮かんだ飛行機雲を追いながら平常心を装い答えた。
「いないですよ」
「え〜! じゃあ、好きな人は?」
「っ、いませんいません」
意識して明るく否定する。振り返るようにして希子さんに視線を流し、苦笑いを浮かべながら。
口を開く直前、言葉に詰まった理由がわたし自身よくわからなかった。
無意識に認めたくないだけのことかもしれないけれど。
本来なら絶対にありえない。
「じゃ、じゃあ希子さんは? お付き合いしてる人とか……」
こういった類いの質問を自分にぶつけられることに限界を感じて、少々強引な気もするが話の中心を希子さんにチェンジすることにした。
彼女の性格からして恋バナを振ってきたということは、他人の色恋を聞くよりも自身のことを話したいという意思も含まれているだろうし。
それに、ホラ。
「え〜、あたしっ? いないよぉ!」
この、顔を輝かせて息を弾ませてる様子がすべてを物語っていると思います。
でもね? と希子さんは続ける。
「この前の派遣の時に一緒だった人がいるんだけどぉ」
「ふんふん」
前回休憩が一緒の時、希子さんは長期でバイトはしない主義だと語っていた。
なんでも、以前は居酒屋で働いたこともあったらしいのだが、短期の給料の良さにバカバカしくなったとか。
現在は派遣会社に登録して仕事を回してもらっているらしく。
つまり、この前の派遣というのは、そのうちのどれかなのだろう。
「超タイプど真ん中で、1つ年上なの。地元も一緒でさ! 今狙ってるんだぁ」
そう言って口唇を突き出しうっとりする希子さんは、ごそごそとポケットからスマホを取り出して写真を一枚一枚開いて見せた。
「これ、そん時のメンバーで集まった飲み会のやつ!」
希子さんのはっちゃけ具合からして、これから次々とスクロールされる写真の中に、その例の人がいるのだろう、とわたしは予想していた。
希子さんと地元が一緒ならわたしとも一緒ということになる。
彼女の2歳上ということは、わたしの5歳上。
いつつ、ということはつまり――とわたしは指を折った。
「(……22、か)」
自分が小学1年生の時にその人は6年生だったんだ、などと考えると、5つの年の差がとても大きく感じる。
いくつものお酒の写真が目の前を過ぎてゆくのを見て眉根を寄せるわたしの胸にふと、ある男の顔が浮かんだ。
――“コズミもこのくらいの年齢なのかな”
不意にそんな憶測がよぎり、わたしは無意識に顔の前を手で払った。
いい加減に気持ちを切り替えないと。こんな時にまで自分は何を考えてるんだろうか。
ヤツからは一向に連絡もないというのに、どうやらわたしはそれが気にかかっているみたいだ。
おまけに、先ほどからチラチラとスマホを気にしている自分もいて。
それがまた自己嫌悪を上塗りしている。
わたしは気分を一掃するべく腰を少し浮かせて座り直し、写真に集中しようと構え始めた。
がしかし。
予想もしていなかった一枚の写真に胸を突かれることとなった。
「あ! この人だよ」
「……え?」
まさか、と思った。よりによってなんで、と。
なのに。
ボサっとした無造作な茶髪。
クラスの男子と比べて一回りも太さの違う、妙に筋張っている腕。
腕時計がずれて露わになった日焼けのあと。
女の子ふたりに挟まれた彼は、満更でもなさそうな顔でビールジョッキを持ち上げている。
「小澄くんっていうんだけど……あはっ、これ王様ゲームの時のだぁ」
途端に顔をほんのり赤らめた希子さんの視線の先はコズミとのキスシーン。
一瞬目を疑ったけれど、まばたきをした後も、その光景はかわらなかった。
瞼を閉じ、顔を傾け、ごく自然に唇と唇を重ねる男女。
わたしは無意識に手の平に爪が食い込むど拳を握り、希子さんが無遠慮に語る罰ゲームの話に、じっと堪え続けた。
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