第二十二霊 水滴
朝、起きた。どんな夢を見たかは覚えていない。でも目覚めがいい。きっと悪い夢ほど覚えがいいはずだから、僕はいい夢を見ることができたんだろう。そして、今日もまた優希玲子との楽しい一日を目指す。
「おい夢人、学校はどうだ」
かといって、こうストレートに聞かれると、何となく返答に困る。素直に楽しいよ、と返してもいいけど、それほど立派な青春を送ってるという感じではない。というか、だいぶ特殊な青春を送ってる。だから、
「ぼちぼちでんな」
と、ふざけて答える。
そうすると父は笑ってそれ以上何も言わない。父はたぶん今年で四十四歳になった。あまり縁起のいい数字並びじゃないけど、健康に過ごしてる。
「じゃあ、行ってきます」
「おう、行ってこいよ」
母の方が先に家を出るので、僕はだいたい父に見送ってもらうスタイル。では、学校に向かい、授業を受ける。そして第一理科室へ。
「……でさ、ほにゃらほにゃらなわけ」
「へえ、そんなこともあるんだ」
「おい、梨田っ」
「はいっ?」
振り向くと第一理科室の扉を開けて、先生が立っていた。
「何事ですか」
「ちょっと、職員室の方へ来てくれ」
僕は優希玲子に手で「待ってて」と合図をして、先生と共にこないだの職員室奥にある個室へ入った。
「あのな、この前の件でちょっと気になることがあってな、調べてみたんだよ」
いったい何だろう。知りたいような知りたくないような。
「まず、お前に伝えるべきことなのか難しいところなんだが……伝えない方がまずいと思ってな」
「何ですか」
「優希玲子と仲が良かったのはお前の父ちゃんだ」
「え」
「
「ええ、はい……」
それはどういうことだ。僕の父が優希玲子と? だからって、何なんだ。それに何の関係がある。
もしかして、何もかも関係あるのか? ㅤ僕が、優希玲子と親しくなれたのは、僕が父の子だからなのか? でもでも、息子だからって何だよ。父が直接、優希玲子と再会するっていうならともかく、何で僕なんだよ。
「お、おい、梨田。冷静に考えろ。お前はきっと、優希玲子にとって何かできることがあるはずだ」
「うるさいっっっ」
思わず声が出てしまった。個室の中で、大きく響いた。
僕が、何もしないに等しい僕が、何もできない幽霊に出会って、何てことはない日々だけど、紡いできた話が、全部父のおかげだったかもしれないなんて。
そりゃ僕は、父のおかげで産まれてきた。父のおかげで育ってきたかもしれない。だけど、こんなのありかよ。
優希玲子も、本当は何か隠してるんじゃないか。それに僕の向こうに、父の姿を見ているんじゃないか。そんな怒り、悲しみがこみ上げてくる。
「お前が取り乱すのは無理もない。それは覚悟の上で伝えた。知らない方が良かったこともこの世にはあるが、知りたくなくても、知った方が良かったこともある」
先生のおっしゃることは、何となくわかる。何となくわかるけどわからない感情が、水滴になって目からこぼれた。一粒、二粒。情けないほどに。
どうして僕は、泣いているんだろう。
僕はきっと晴れて、運命の人になれたはずだ。
優希玲子がおよそ好きだった人の子として彼女に出会った。もしかしたら何かのきっかけで成仏させてあげることもできるかもしれない。
僕は、たぶん優希玲子のことが好き。優希玲子が僕のことをどう思ってるかわからないけど、父と何かあった過去を忘れさせることができるくらいに優希玲子を想うことはできるだろう。(そもそも過去のことは忘れてそうだけど)
いや、それとも父を第一理科室に連れてくることが僕の使命なのかもしれない。わからない。わからない。これまで以上に何もわからない。どうしたらいいんだ。
「すまんな、梨田……いや夢人」
「いえ、ありがとうございます」
先生はきっと、僕のことを考えてくれてる。いい加減、涙を拭かないと。
ポケットには毎日ハンカチを用意してる。手を洗うとき以外で初めて使う気がする。このハンカチも、親の教えで、親が買ってくれたものだ。
それにしても、優希玲子をこれからどう見て話したらいいだろう。これまでと何かが変わったわけじゃないはずなのに。ついさっきまで、くだらないお喋りをしてたのになぁ。本当に、くだらないお喋りを。
ひとまず、顔を洗ってきて、それから考えよう。何があったか言い訳なんて、しなくたって優希玲子はわかってくれるだろう。
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