第4話 天眼の軍師と二人の部下

 自由都市マルタから出立する馬車の中。


 帝国軍において、鉄仮面を被り、天眼の軍師を演じる少女ラクシュミア・イルア・レイベリゼに対して、そう言ったのは、ラクシュミアの直属の配下である天眼衆を率いる美女カリナだ。


 天眼衆とは、ラクシュミアの祖父であるレイベリゼ公爵が戦争孤児を引き取り育てた私兵部隊であり、諜報活動のエキスパートにして、あらゆる武芸を身に着けた強者集団である。

 ラクシュミアにとっては幼い頃から苦楽を共にしてきた仲間であり、家族のような存在でもある。

 その天眼衆を取りまとめるのが、天眼衆の長を務めるカリナだ。


 カリナは二十歳を少し過ぎた若さでありながら、戦の影で暗躍する天眼衆を見事にまとめ上げ、さらに戦場では鉄仮面を被った天眼の軍師フォウの副官として常に傍に立ち、鉄仮面を外したラクシュミアの身の回りの世話もしている。

 ラクシュミアにとっては姉ともいえる存在である。


 そんなカリナの苦言に、ラクシュミアは困った表情を浮かべる。


「ダメだったかな。うーん、そうか。恋の魔術師であるカリナにダメ出しされるとちょっとへこたれちゃうな」


 ラクシュミアのため息に、カリナはびくりと反応する。

 ラクシュミアはカリナのことを、多くの男と浮名を流している恋愛の達人だと思っている。


 実際カリナは、その美貌もさることながら、天眼衆という組織をまとめるだけの器量持ちであり、幼少からの訓練により、貴婦人が身に着けるべき教養も全て身に着けている。

 はっきり言って完璧な女性だ。

 だがそれとこれとは話が別で、カリナは男と付き合ったことなど一度もない。


 だって仕事が忙しいんだもの。


 それがカリナの言い訳だ。

 しかしそれを、仕えるべき主ではあるが、同時に妹のように思っているラクシュミアに言えるわけでもなく――


「……あ、ああいうのは、二人きりの時にしなさい」


 ――こうしてそれとなくはぐらかしながら、恋愛の達人のフリをしている。

 そんな二人のやり取りを隣で見ていた優男がポツリと呟く。


「これはこれで面白いですね」

「何か言った、ケイオス?(怒)」


 殺気立つカリナの一睨みに、全ての事情を知る優男ケイオスは、「いえ、なんでもありません」と肩を竦める。


 ケイオスは天眼衆一の武芸の達人でもあり、ラクシュミアが鉄仮面を被った時も外した時も傍に控え、護衛役としてその身を護る存在でもある。


 そんな素知らぬ顔のケイオスを睨みつけるカリナは、不機嫌そうな表情を浮かべる。


「それにしても、あの無精髭。本当に腹が立つわよね」


 先ほどの酒場において、カリナたち同様に離れたテーブルからラクシュミアたちを監視していた黒狼軍の副官ロウタと小娘一人。

 そのロウタは、時折こちらに視線を向けてきてはニヤニヤと笑ってきたのだ。

 その度に目が合うカリナは、ただただイライラを募らせていった。


「というか、カリナ姉さん。そんなに腹が立つなら見ていなければいいじゃないですか」


 ケイオスの指摘は至極もっとも。

 なぜ向こうがこちらを見る度に目が合うのか?

 そんなのはカリナがずっとロウタたちのことを見ていたからに決まっている。


「そうもいかないでしょうが。あの無精髭がいつ変な気を起こすか分かったものじゃないんだから」


 かつてラクシュミアと黒狼卿が密会していた現場を同時に発見した、カリナたちとロウタたち。

 その中で、真っ先に剣を抜いてラクシュミアを切り捨てようとしたのはロウタだった。


「俺としては黒狼卿がラクシュミアお嬢様に何かよからぬことをしないかのほうが重要ですけどね」


ちなみに、その現場で次いで黒狼卿を叩き切ろうとしたのが、このケイオスだ。

 そんなケイオスの言葉に、ラクシュミアがモジモジとしだす。


「大丈夫だよ、ケイオス。ヴィンはそんなことしないよ。ああ、でもヴィンになら何かされちゃってもいいかな。なーんちゃって♪」

「そうですか。それは結構です」


 そう口元に笑みを浮かべるケイオスだったが、その目はガチでまったく笑っていない。

 ぶっちゃけ、先ほど黒狼卿がラクシュミアの首元に顔を埋めた瞬間、腰の剣を投擲して串刺しにしてやろうと本気で思っていた。

 そんなこととは露知らないラクシュミアは、先ほどからイライラの止まらないカリナに尋ねる。


「カリナって、あの無精髭の副官さんのこと随分と嫌っているけど、何かあったの?」

「ああいうタイプは生理的に嫌いなのよ」


 腕を組んで「ふん」とそっぽを向くカリナ。


「いろいろあるんですよ、ラクシュミアお嬢様」


 ケイオスのフォローに、「なるほどね」とラクシュミアは頷く。


「そんなことより、ラクシュミア。黒狼卿は何か言ってきた?」


 カリナの質問に、ラクシュミアはきょとんとした表情を浮かべる。


「何かって?」

「最近のラクシュミア……じゃなくて天眼の軍師の作戦についてよ。皇国軍あっちも気になっているだろうし、何か探りを入れてきてもおかしくないでしょ」


 そんな天眼の軍師の副官としての表情を見せるカリナに、ラクシュミアがため息を吐く。


「もう、止めてよね、カリナ。これはあくまでプライベートな時間なんだから、戦場でのことを持ちこんでほしくないんだけど」


 そんなことを言うラクシュミア以上に大きなため息を吐いたカリナは、ラクシュミアを睨みつける。


「アンタね。こうして週に一度、黒狼卿と会うことを多目に見てあげているんだから、せめて戦いに役に立つ情報を手に入れようとか思わないわけ?」

「思わないよ。だって私はヴィンに会いに来ているだけだもん」


 あどけない笑顔を浮かべる少女に、大人の女は本気のため息が零れる。


 天眼の軍師フォウという偽りの仮面を被る少女が出した結論。


 それは皇国の英雄である黒狼卿ヴィンセントを捕え、自らの配下とすることだ。


 もちろん、それは帝国の人間を黙らせるための表向きの理由であり、本当の理由は、天眼の軍師という偽りの自分ではなく、ラクシュミア・イルア・レイベリゼという本当の自分を知ってくれたヴィンセントと共に生きたいと願ったからだ。


 それは今後一生、天眼の軍師という偽りの仮面を付けて生きていかなければならない、過酷な運命を生きる少女が見出した、愛する者と一緒に生きるための方法。

 鉄仮面の軍師の手足となるべく、彼女と共にこれまで生きてきたカリナたちは、当初はこの意見に対して反対の意志を持っていたが、ラクシュミアの熱意を受け止め、とりあえずは見守ることにした。


 とはいえ、カリナたちにとっても最も優先すべきことは、鉄仮面の軍師フォウという存在であり、女児として生まれてしまったラクシュミアが、レイベリゼ家を継ぐという使命であり、何よりラクシュミア自身の幸せだ。

 だからこそ、それにそぐわぬ結末を感じたならば、強行手段に出るつもりでいる。


「そうは言うけどね、ラクシュミア……」


 だからこそ、こうして釘を刺しておこうとした。

 自分たちの仕える少女に、天眼の軍師フォウとしてきちんと活躍してもらうために。

 しかしその口はすぐに噤む。


「だけどさ、別にそんなことをしなくたっていいでしょ。だって、そんなことをしなくても、私にはちゃんと見えているから。必要なことは全てね」


 己の瞳を指差す、天眼の軍師としての表情を見せるラクシュミアを見たからだ。


 蜂蜜色の髪をなびかせる見目麗しい少女。

 しかしてその実態は、天眼の軍師。

 鉄仮面を被った姿は偽りであるが、その実力は決して偽りではない。


 その叡智は、目の前に広がる戦場だけでなく、対立する敵の頭の中すら見通すかの如く読み切ってみせる。


 それはまさに天のまなこを持つと称されるにふさわしいモノである。


 故に天眼の軍師は断言する。


「今、私たちがやろうとしていること。その意味を黒狼卿はもちろん、あの副官だって分かってはいない。もちろんこれから先もそれは同じ。ヴィンたちが、こちらの思惑に気づくのは、文字通り、全てが終わった後。私たちの目論みが達成された時だろうね」


  ***


 教会の定めた絶対禁戦領域の中にある街、自由都市マルタ。

 焔の日の夜に訪れる、二人がいる。


 黒狼卿として恐れられる本当の自分を隠し、顔に包帯を巻いた偽りのミイラ男としてここを訪れる青年。

 天眼の軍師という偽りの仮面を脱ぎ捨て、誰にも知られてはいけない本当の姿を見せる少女。


 そして二人は再び戦場で相見えることとなる。



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