第3話 黒狼卿と二人の副官
「ヴィンセント君。キミは酒場の二階で部屋が取れるって知らないのかな? もうぶっちゃけヤレただろ、あれは」
夜も更けた自由都市マルタの街中を歩く、ミイラ男ヴィンと仲間の二人。
ラクシュミアと別れた後、
顔に包帯を巻いて姿を偽る黒狼卿ヴィンセントに対して、ニヤニヤと笑いながらそんなことを言う無精髭の男の名前はロウタ。
年は二十代半ば。黒狼卿が率いる黒狼軍において副官を務める、傭兵上がりの男だ。
どこか飄々とした雰囲気だが、その実力は折り紙付き。さらに曰くのある過去を持つ男でもある。
年上の副官として、若くして英雄と称えられるヴィンセントを何かと手助けしている。
さらにロウタは、これまで数多くの女性と浮名を流してきた実績があり、女性の扱いに慣れていないヴィンセントに、自らの持論に基づいたアドバイスもしてくれる。
とはいえ、それが全て受け入れられるかは別の話だ。
「ヴィンセント隊長に何を拭き込もうとしているの、この節操なしのダメオヤジ」
ロウタに向かって見下すような視線を向けるのは、小柄な少女。
その名はルゥという。年はヴィンセントより若い16歳で、弓の名手でもある。
元は遊牧民出身の傭兵で、各地を転々としていたが、それが巡り巡って、今はこうしてロウタと並び黒狼軍の副官を務めている。
「そうは言うがな、ルゥ嬢ちゃん。俺の経験上、あれは確実にイケる流れだったぞ」
若い娘相手に対して、ニヒルに笑いながら親指を立ててみせる大人は、その報復として、脇腹に拳を叩き込まれる羽目になった。
「だから、変なことをヴィンセント隊長に吹き込むななの! ヴィンセント隊長も、ヴィンセント隊長で、天眼の軍師に会ってもいいけど、あんまり過激なことはしちゃダメなの! さっきのヤツもギリギリアウトなの!」
どこか不機嫌そうに、忠告してくる、ルゥ。
そんな後ろに続く二人の副官に、ヴィンセントは苦笑する。
「二人ともわざわざ砦を抜け出してまで、付いてこなくてもいいんだぞ」
「これまで俺たちにも黙って、ずっと一人で砦を抜け出していたヤツにそんなことを言わる筋合いはないんだがな」
ニヤリと笑うロウタの意見には、「そうなの」とルゥも頷く。
そう言われてしまっては、ヴィンセントは何も言えない。
ラクシュミアに会う為に、毎週、焔の日の夜、マルデュルク砦を抜け出して来ているヴィンセント。
そのことを知っている皇国の人間は誰もいない。
今こうして一緒にいるロウタたちですら、つい先日まで知らなかったくらいだ。
「あのな、ヴィンセント。俺だって好き好んで、他人の恋愛を覗き見している訳じゃない。だがお前は黒狼卿で、相手は天眼の軍師だ。いくら皇国も帝国も預かり知らぬこととはいえ、何が起こるか分からない。万が一ってこともある。
先ほど、そのよからぬことを推奨してきた無精髭の副官がニヤリと笑う。
酒場で密会していたヴィンセントとラクシュミアを、離れた席から見守っていたロウタとルゥ。
そんなロウタたちと同じように、天眼の軍師の配下である二人組もまた、別の席からヴィンセントたちのことを見ていた。
もちろん、ロウタたちがそうであったように、向こうの二人組もロウタたちの存在に気づいていた。
それでも互いに干渉することなく、黙ってヴィンセントたちの様子にだけ目を向けていたのは、ある意味、ヴィンセントたちの意志を尊重しているからこそだ。
互いに敵対する意思を持つ陣営同士の、云わば暗黙のルール。
だがそこには、もし何かしらよからぬ動きを見せれば、自分たちが黙っていない、という要項はしっかりと記入されている。
「ロウタたちがいなくても、何かあれば俺がどうにかする」
そう断言するヴィンセントは、それだけの強さを持っている。
たとえ、どんな相手が襲ってきたとしても、ラクシュミアを守り切ったうえで、全員を返り討ちにするだけのことはして見せるだろう。
「お前の強さは十分に分かっているよ。だが世の中には、お前の強さが通用しないヤツだっているんだ。そういう時に手助けをしてやれるのは、きっと俺たちだけだ」
昼行燈な副官が、どこか意味深な言葉を口にする。
「ヴィンセント隊長たちのことを知っているのは、皇国では私とロウタ副長だけなの。そしてそれを知って手伝うって言うのも、きっと私たちだけなの」
「そういうことだ。まったく、妙なことを言い出す上官を持つと苦労するぜ。なぁ、ルゥ嬢ちゃん」
「まったくなの」
頷き合う、二人の副官。
敵対する皇国と帝国の間にあって、黒狼卿ヴィンセントが出した結論。
それは天眼の軍師を捕らえ、自分の配下にするというモノだった。
もちろんそれは、皇国の人間を納得させるための表向きの理由であり、その真意は、鉄仮面を被り天眼の軍師を名乗る少女ラクシュミアと共に生きたいと願うからだ。
皇国のために戦うことを誓いながら、それでも愛する者と添い遂げることを願うヴィンセントの見出した結論に、黒狼卿の副官を務めるこの二人は賛同の意思を示している。
それは黒狼卿が皇国の英雄だからでも、直属の上司だからでもない。
これまで共に戦ってきたヴィンセント・ブラッドという誠実な男を、友として仲間として慕っているからだ。
ちなみにルゥは本当にヴィンセントの事が好きなのだが、それは一度おいて置く。
だからこそ副官を務める二人は、黒狼卿という重責を背負い、祖国の為に命を捧げ戦う男の願いを叶えてやりたいと思い、手を貸してくれているのだ。
「二人にはいつも助けられてばかりだな。ありがとう」
そんな二人の気持ちに、ヴィンセントの口元は自然と綻ぶ。
笑顔を見せるヴィンセントの姿に、二人の副官も自然と笑顔になる。
久しく見ることのできなかったヴィンセントの笑顔。
それを再び見せるようにした者こそ、帝国において天眼の軍師と称される、ラクシュミアという少女なのだ。
見知った宿に馬を預けていたヴィンセントたち三人は、それぞれの馬に跨ると、わずかな明かりと星の光を頼りに、夜の街道をゆっくりと駆け出す。
明け方までにマルデュルク砦へと戻るためだ。
マルタを出立してしばらくすると、ヴィンセントは顔に巻かれていた包帯を取る。
出てきたのは、世に恐れられる黒狼卿ヴィンセントの顔だ。
「それにしてもさっきの酒場で聞こえてきて黒狼卿の噂話だが、随分と良い感じで大きくなっていたな。いいことだ」
ヴィンセントが跨る黒馬ミストルティンに続いて馬を走らせるロウタが、その横顔を見てニヤリと笑う。
「なにがいいの。おかげでヴィンセント隊長がどんどん誤解されていくの」
その隣に並んで馬を走らせるルゥが不機嫌そうに唇を尖らせる。
世に流布する、黒狼卿の噂。しかし本当のヴィンセント・ブラッドという騎士は、まったく違う。
「噂は所詮、噂であり真実じゃない。だが時にはその真実でないことが何よりも重要になることもある」
無精髭の昼行燈がニヒルに笑う。
世に広まる黒狼卿の噂。
ヴィンセントのために、この一連の計略を考えたのが、このロウタである。
これに対しては、ルゥは何の文句を言えない。
それがヴィンセントの意志であり、現に黒狼卿の名は恐怖の象徴として世に広まった恩恵を十分に理解しているからだ。
この世の中を動かすのは真実だけではない。嘘もまた世の中に深く影響を与えるのだ。
そんな口を閉じるルゥを余所に、ロウタは、黒馬に跨り闇夜を先導する青年に尋ねる。
「それで黒狼卿。最近の帝国軍の奇妙な動きについて、天眼の軍師様は何か言っていたか?」
***
一方、天眼の軍師、陣営。
「ラクシュミア。あなたは女の子なんだからもうちょっと慎みを持ちなさい!」
同じ頃、ラクシュミアもまた、部下の二人から同じようなことを言われていた。
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