第57話 人質交換(5)



   ***


 ――マルデュルクス砦の地下牢。

 鉄格子の中に繋がれていたヴィンセントは、聞こえてきた複数の足音に、閉じていた瞼を開ける。


 鉄格子の向こうに立っていたのは、ケイオスを始めとした天眼衆たち。


「捕虜交換の段取りが整った。それにより、ここから移動することになった。そのために、これからお前を運ぶための準備を始める」


 ケイオスの話が終わると、鉄格子の扉が開き、ぞろぞろと入ってくる天眼衆たち。

 そしてヴィンセントに手を伸ばしていく。


「……随分と手の込んだことをする」


 苦悶の表情を浮かべるヴィンセントに、ケイオスが冷たい瞳を向ける。


「当然だろう、お前は危険な荷物だからな」


   ***


 黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換の準備は、日の出前から行われ始めた。


 マルデュルクス砦を陥落し、背後に伸びる山道内まで前線を押し出していた帝国軍は、赤竜卿ブラームスからの書状の指示に従い、後退の準備を開始。

 日の出が上がる頃には山道内から完全に引き揚げ、石壁の壊れた砦門を通り、マルデュルクス砦の外まで前線を下げた。


 一方の皇国側。

 帝国の前線が引くのを確認し、山道内を塞ぐ第一の関の扉を開き、出陣。

 さらに日の出と同時に、帝国領内に取り残されていた黒狼軍とタイラー率いる皇国軍に伝書鳩を飛ばし、状況を説明、急ぎ支度をするように指示を出す。


「報告します、皇国軍が山道内より姿を現しました!」


 日の出からしばらくすると、山道内より姿を現した皇国軍がマルデュルクス砦の敷地内へと入り始める。

 この様子を見守るのは、石壁の外まで引いた2万の帝国軍を指揮する、帝国四軍師筆頭の閃光のアルタナ、そして帝国八騎の一人であるキーマィリ。


「報告。皇国軍の中に赤竜卿ブラームスの姿を確認」

「報告。皇国軍の中に布が被せられた大きな荷を運ぶ台車を複数確認」


 次々と入ってくる報告に、アルタナは難しい表情を浮かべ、キーマィリが不敵に笑う。


「やはり連中はこのまま居座るつもりのようだな」


 次いで新たな報告が入る。


「報告。天眼のフォウ様のお姿を皇国軍陣内で確認」


 これを聞き、アルタナが「ふぅ」と息を吐く。


「どうやら直前になって捕虜交換を拒否するつもりはないらしい。これでとりあえず、最低限の成果は得られそうだな」


 ――両軍は、石壁空いた元砦門だった大穴を通して、無言の睨み合いを続ける。

 それから一刻ほどした時、今度は、帝国軍の後方より報告が上がる。


「申し上げます。後方より皇国の一団が姿を現しました。先の戦いにおける残党兵の集まりだと思われます」

「ようやく来たか。では予定通り、使者を出し、通行するルートを伝えろ。それに合わせ、こちらも軍を動かすぞ」


   ***


 マルデュルクス砦の敷地内に展開する皇国軍。

 帝国軍に動きがあったという知らせを受け、赤竜卿ブラームスの隣に立つロウタが顔を上げる。


「どうやら、タイラー伯たちがやってきたみたいですね」

「そのようだな。行くぞ、ロウタ」


 ブラームスの言葉に従い、ロウタと数人の赤竜兵たちは、石壁裏の階段を昇り、山道口を塞ぐ石壁の上へと上がる。

 そこから眼前に広がるのは、石壁より距離を置き、広く布陣する2万の帝国軍。


 ロウタたちが見守る中、そんな帝国軍の右側の部隊が中央に寄りはじめ、右手の山脈沿いに広く道が出来る。


「見事なものだ」


 予めそういう手筈だったことは予測できる。だが即座に無駄なく動く帝国軍を見ただけで、敵軍の指揮官の優秀さをロウタは肌で感じた。


 ほどなくして、開けた道の向こうから見知った兵団を確認できた。

 黒狼軍とタイラー率いる皇国軍である。

 それだけではない。


「ロウタ、どうやらお前の同僚も解放されたようだぞ」


 帝国軍の中から固まってゾロゾロと出てきた小汚い一団。

 それは先の戦いで帝国軍に捕らえらていた捕虜たち。

 その中には、白馬リィラに跨るルゥの姿も確認することができた。


 それを見て、思わず石壁から体を乗り出したロウタの肩をブラームスが叩く。


「行ってやれ」


 ブラームスの気遣いに礼を言い、ロウタは石壁の階段を降りたロウタは、壊れた砦門から続々と入ってくる兵士たちを迎える。


「ロウタ副長!」

「ロウタ様」


 砦内へと入ってきた黒狼軍の部隊長たちやタイラーと肩を叩いて無事を喜び、そして捕虜たちと戻ってきたルゥを出迎える。


 重症の身体に包帯を巻き、血の気の薄い青い表情でなんとか自らの白馬に乗っていたルゥだったが、ロウタの前に立った瞬間、プルプルと震え出し、ポロポロと涙を流し始める。

 そしてよろけながら下馬し、口元を震わせる。


「……ヴィンセント隊長のこと、ごめんなさいなの、ロウタ副長。私のせいで…私のせいで、ヴィンセント隊長が……」


 そんなルゥの頭をロウタは優しく撫でる。


「ルゥ嬢ちゃんが無事でよかったよ。大丈夫だ。あとのことは俺に任せろ」


 ロウタは兵士たちに指示を出し、ルゥを始めとした捕虜たちを用意していた馬車に乗せ、第一の関へと出発させる。

 さらに戻ってきたばかりの黒狼軍とタイラーたちもこれに同伴するように指示を出す。


 帝国領内に取り残されていた皇国兵たちの撤退が終わると同時に、帝国軍の布陣は即座に元に戻る。

 帝国に囚われていた兵士たちの返還も無事に完了した。

 残すはいよいよ、黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換を残すのみとなった。


 ロウタはブラームスの元へ戻る前に、ある場所へと立ち寄った。


 鉄仮面を被った偽物の乗った馬車である。

 赤い甲冑と兜に身を包む赤竜兵の見張りが立つ中、ロウタは馬車の中で縛られている鉄仮面の偽物に向かって声を掛ける。


「まもなくあなたと黒狼卿の捕虜交換が始まります、お気持ちの準備を」

『……』


 鉄仮面の偽物……いや、カリナは一言も発しなかった。

 カリナは昨夜からロウタと顔を合わせても一言も発しない。

 知らぬ間柄を押し通している。


 赤竜卿やその配下である赤竜兵たちの前で、その反応は正しい。

 ただ死地とも呼ぶべき状況にいたにも関わらず、常に平静に堂々とし続けたカリナの様子が気になる。


 ……考えすぎか


 ロウタは踵を返すと、ブラームスの元へ戻るべく、歩き出した。

 その最中、ロウタは荒れ果てたマルデュルクス砦内を見回しながら思う。


 このマルデュルクス砦を巡る皇国と帝国の戦いは、昨日の帝王軍の介入で大きく傾いた。

 その裏で行われるロウタとラクシュミアによる今回の人質交換。

 対立する敵国という垣根を超えた、互いの素性を知っているからこそできる取引も、なんとか無事に終わりそうだ。


 そう考えながら、ロウタがふと視線を向けるのが、マルデュルクス砦内に持ち込まれた布の掛けられた大きな台車。

 それらはすでに石壁の裏に移動させてある。


 帝国側むこうも気づいていないわけがない。

 この人質交換が終わったら、間違いなくもう一波乱あるだろう。

 これはヴィンセントには戻って来て早々、皇国最強の英雄としての武勇を発揮してもらうことになりそうだ。


 ロウタが石壁裏の階段を昇り、その上に姿を出そうとした丁度その時、帝国軍の中から一頭の馬に乗った騎士が姿を現した。


「キーマィリ」


 思わず石壁の陰に体を滑り込ませたロウタはその様子を伺う。


「赤竜卿。そちらの要望は全て済ませた。これより黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換を始めたい」


 キーマィリの申し出に、石壁の上からそれを見降ろしていたブラームスは頷く。


「いいだろう」


 ブラームスは石壁の背後に合図を送る。

 すると鉄仮面の軍師を乗せていた馬車が石壁のすぐ裏までやってきて、そこから赤竜兵に手を引かれながらも、杖を突いて歩く鉄仮面の軍師が姿を現す。

 すでに塞ぐ物が無くなっている石壁の元砦門の穴からその姿を確認したのだろう、帝国側に多少のざわつきが見える。


 これに合わせるようにして、帝国軍の中でも動きが見える。

 おそらくヴィンセントが連れて来られているのだろう。


 そんなロウタの予想は当たる。

 だが、そこに連れて来られたヴィンセントの姿を見て、ロウタは思わず目を見開いた。


 ヴィンセントは四角い鉄檻の中に入れられていたのだ。

 しかもその中で、さらに体を鎖に繋がれ、身動きがまったく取れない状況でだ。


 馬に引かれた荷台に積まれた鉄檻の登場には、この様子を見ていた他の皇国兵たちからもざわつきが起こる。

 しかもそのままキーマィリの隣まで連れてこられ、解放される気配が一切ない。


 元来、捕虜交換では、捕虜を解放した時に、自分の足で戻らせる。


 それは両者を公平に返すためだ。

 故に足が悪く杖を突いてしか歩けない(ことになっている)天眼の軍師(偽物だが)ですら、ギリギリまでは赤竜兵が歩くのに手を貸すが、あとは一人で歩いて戻らせることになっている。


 にも関わらず、ヴィンセントは完全に自由を奪われ、身動き一つできない状況にある。


(なんだ? どういうことだ?)


 戸惑いを覚えるも、そんなロウタを差し置いて、捕虜交換の準備は着々と進んで行く。


 最強の武人であるヴィンセントゆえ、万が一がないように動きを封じている?

 黒狼卿は天眼の軍師を仲間にしたいと思っている、だから同時に捕虜を解放した際、黒狼卿が天眼の軍師を攫ってこちらに戻ってくることを警戒している?

 いや、それについては、裏の事情を知っていなければ成り立たない。

 そもそもあの天眼の軍師は偽物であり、ヴィンセントもそのことについては本物から聞かされているはずだ。


 これから実際に捕虜交換が行われる直前でのこの出来事に、ロウタの中で何かが引っかかった。

 その理由について様々な考えが取り止めなく浮かぶ。


 ――その時だった。


 ロウタの頭の中に、ある考えが過った。

 まったく無意識に、考えの一つとして思い浮かんだその答えに、ロウタは目を見開く。


 いや、馬鹿な…、そんなはずは…


 思わず否定しまう、そんなはずはないと。

 だが、それは最も今の状況に符合するのではないだろうか?


 ――そもそも、あのお嬢さんはヴィンセントをこちらに返す気がない?



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お読みいただき、ありがとうございました!

次回『第58話 人質交換(6)』は2月17日の配信予定です。

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