第56話 人質交換(4)
マルデュルクス砦を占領した2万からなる帝国軍陣営。その中央に、帝国四軍師筆頭・閃光のアルタナの天幕がある。
現在そこには、アルタナの他にもう一人、帝国八騎の一人に数えられる名将キーマィリの姿もある。
2人は、先ほど赤竜卿ブラームスから送られてきた書状に目を通していた。
「随分とふざけた内容だな」
目を通して終えた書状を机の上に放り投げたキーマィリが、腰に手を当てながら呆れたため息を吐く。
ブラームスは今回の帝国側からの提案に対して前向きな意思を示す一方で、黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換に関して以下3つの条件を突き付けてきたのである。
1、天眼の軍師の引き渡し条件として、黒狼卿に加え、マルデュルクス砦を明け渡しを要請すること。
2、捕虜交換の日時は、明日の日の出ではなく、2日後の正午とすること。
3、また帝国軍がマルデュルクス砦を陥落したことにより、帝国領内に取り残された皇国兵たちを、無事に全てこちら側に通すこと。
「とりあえず、3に関しては問題ないだろう。マルデュルクス砦を陥落した今、こちらとしても背後に無用な伏兵は残しておきたくない。山狩りをするにも手間がかかる」
椅子に腰かけるアルタナがそう口にする。
「しかし残り2つに関しては論外だ。そもそもせっかく陥落したこの砦を返せなど、冗談にしてもほどがある」
「そんなことは赤竜卿も百も承知だろう。分かっていて言っているのだよ、あの男は」
不機嫌そうに腕を組みながら、額に皺を寄せる美麗の軍師。
閃光のアルタナにとって、赤竜卿ブラームスは戦場において幾度も戦ってきた相手であり、その性格は十分に理解している。
「ならば赤竜卿の真の狙いは2番目の条件か? そもそもなぜ2日後なんだ?」
「皇国からの援軍到着を待つ腹積もりだろう。今日の戦いで赤竜卿が率いていた皇国軍は、天眼の軍師との戦いでかなりの損害を出したという報告が上がっている。今、前線に残った兵士で出来ることは守りを固めることだけだ。もう一度攻めるにも皇国からの増援を待つ必要がある」
「その為の2日か」
「この取引が決まれば一時的にも休戦になる可能性がある。皇国側にとっては、時間の先延ばしで生まれる利点は多い」
「だが生憎とそれに付き合っている時間は俺たちにはない、という訳だな」
アルタナもキーマィリも明日の朝には帝王グラムと共に、教会の聖地へと出立しなければならない。
そもそも今回の遠征の目的は、帝王が教会の聖地へと赴くこと。
天眼のフォウからの救援要請を受けての手助けに割ける時間は今日だけである。
当初の予定でも、3万の帝王軍本体に随行する2万の帝国兵を使い、マルデュルクス砦を陥落させ、マルデュルクス山道口を完全に封鎖した後は、軍の全権を天眼のフォウに預けて、再び教会の聖地へと向けて出立する手筈になっていたのだ。
しかしここで大きな誤算が生まれた。
その天眼の軍師が敵に捕らえられてしまったのだ。
2万の帝国軍はここに置いて行けるが、天眼の軍師の代わりを務められるほどの指揮官となると見当たらず、かと言って、アルタナやキーマィリがここに残ることも論外。
この後に控える教会聖地への訪問は、それほどまでに重要な任務なのである。
つまりアルタナたちとしては、出立する明日の朝までにこの問題を解決しなくてはならない。
ただその解決方法は明確だ。
天眼のフォウを無事に取り戻し、そのまま2万の帝国軍の全権を預け、その時までマルデュルクス砦を守らせ、皇国軍を山道内から一歩も出さない。
それで全ての決着は付く。
もちろん、ただこの前線を維持する為だけに助けるのではない。
天眼の軍師は今後の帝国にはなくてはならない存在であり、なんとしても取り返さなければならない人物でもある。
つまり今回の交渉は、なんとしても成功させなければならないのだ。
そんな内情を思い出し、難しい表情を浮かべるキーマィリがアルタナに言う。
「3番目の条件はともかく、他の2つはやはり飲むことはできないだろう。かと言って、ただそのまま突っぱねるという訳にもいくまい」
全てを鵜呑みにすることなど当然できない。だからと言って、全てを突っぱねて相手の機嫌を損ね、交渉自体が立ち消えれば、それこそ終わりである。
「どうするアルタナ?」
無言のまま熟考を重ねていたアルタナは、やがて自分の見解を語る。
「とりあえず3番目については承諾する。2番目の提案は拒否。変わらず、捕虜交換は明日の日の出だ。その上で1番目に関しては、多少の譲歩を見せる」
「というと?」
「色を付けるということだ。黒狼卿だけでなく、金品、食料、捕虜の解放、出来うる限りの工面をする」
「まあ無難なところだろうな」
「どうやら赤竜卿は、黒狼卿と天眼の軍師では、天秤が釣り合わないと思っているようだしな」
「一介の武人としては悲しい意見だ。将は軍師に劣るというのは」
「その価値観は人によるし、モノにもよる。民からすれば、それこそ将の方がよほど眩しく映り、価値高く見える」
「しかし実際の戦において価値があるのは軍師であるか?」
「我ら軍師は武人になれぬが、采配によって軍の強さを10倍にも100倍にもすることができる。分かっているからこそ、素直に従ってくれるのだろう?」
キーマィリは素直に頷く。
「その通りだな」
「ともかく、多少こちらが我慢してでも話を進めよう。相手に対しても交渉が優位に進んでいるように意識させる。癪だが気持ちよく勝たせてやるつもりで構わない。なんにしても、こちらには時間が残されていない。この点だけは相手に気取られないように気を付け、なんとしてでも明日の出立までにフォウを取り返す」
***
皇国第一の関。
ほどなくして、帝国側から書状の答えが戻ってきた。
ブラームスは読み終えたアルタナからの書状をロウタに渡す。
「なるほど。3の条件は問題なく承諾。2に関しては拒否。1に関しては食料や物資などを追加で支払う準備がある、か……向こうの誠意が見えますね」
そう書状から顔を上げるロウタ。
「ヴィンセントにオマケが付いて戻ってくる。交渉してみるものだな」
「こっちは冷や冷やでしたよ。下手をすれば、交渉決裂だ」
「ロウタ、間違うな。交渉が決裂して困るのは向こうだ」
「ウチも困りますよ。ヴィンセントを殺させるわけにはいかない」
「その焦りがお前の目を曇らせているな。なら仮に捕まったのが、ヴィンセントではなく私だったなら、お前ならどうする?」
「それならもう少し交渉を攻めますね」
ロウタの歯に衣着せぬ物言いに、ブラームスが楽しそうに笑い出す。
「それでいい。なんにしてもこれで確定したな」
「相手が天眼の軍師を何としても取り返したい、ということがですか?」
ブラームスが首を横に振る。
「天眼の軍師は帝国軍に戻ってはいないということがだ」
不敵に笑うブラームスの笑みに、ロウタが思わず唾を呑む。
「アルタナたちは、俺たちが捕まえた偽物を完全に本物だと思っている。そして取り返すことに躍起になっている。これは使える。皇国からの援軍が到着するまではこちらからは攻め手がないと思っていたが、これはもしかすると、もしかするかもしれんな」
ニヤリと笑うブラームスの表情に、いよいよロウタは危機感を覚え始める。
失敗すると思ってはいない。ブラームスはよほどうまくことを進めるだろう。
問題なのは、それがどこへ向かうのかまったく予想が付かないということである。
ロウタの目的は、あくまで今回の捕虜交換をスムーズに進め、鉄仮面を被ったカリナと帝国に捕らえられたヴィンセントを交換することにある。
このままブラームスの独走を許してはならない。
「ならこのまま一気にマルデュルクス砦を取り返しますか」
ポツリと呟いたロウタの言葉に、ブラームスが視線を向ける。
「何か思いついたのか、ロウタ?」
「ええまあ」
そしてロウタは自分が考えた計画を口にしていく。
ブラームスもまた興味深そうに、ロウタの話に耳を傾ける。
「……なるほど、悪くない手だ」
「ただ問題が一つ」
「壊れた砦門だな」
「ええ」
「それに関しては私に考えがある」
ブラームスはそう言うと、控えていた赤竜兵に声を掛け、次々と指示を出していく。
「今夜中になんとしても準備を終わらせろ」
「かしこまりました」
小屋を出ていく赤竜兵を見送り、ブラームスが笑う。
「これで話は纏まったな」
「……いいんですか? 俺の提案で話を進めても?」
「悪くない策だったからな。それにロウタがやる気を見せたんだ。部下の提案を受け入れるのも上司の役目だ」
「俺は黒狼卿の副官なんですがね」
「そのうち、俺の副官になってもらうからな」
「勘弁してくださいよ」
「相手への書状の内容に関してもお前に任せる」
「分かりました。では……」
ロウタは椅子に座り、帝国側へ向けての書状を認め始める。
それを書きながらロウタは心の中で思う。
どうにかこちらの思惑通りに話を進めることができた。
あとはこの書状を見て、帝国側がどう反応するかだな。
***
「これはまた随分なことを言ってきたな」
再び送られてきた竜の蠟印が押された書状には、捕虜交換を承諾する内容と共に、実際に執り行う明日の捕虜交換の一連の手順についての詳細が書かれていた。
それによると、まず最初に行うのが、帝国領内に取り残された皇国兵たちの引き上げである。
これをスムーズに行うために、帝国軍は、山道内の前線及びマルデュルクス砦の砦門の外まで前線を下げるように指示が書かれており、さらに帝国側は、現在捕らえている皇国軍の捕虜を全て解放するようにも書かれていた。
またこれを受けて、皇国軍も捕虜交換をスムーズに進める為に、一時的にマルデュルクス砦まで軍を進めるという。
準備が整い次第、帝国領内に取り残された皇国軍はマルデュルクス砦を通り山道内へと入る。
皇国軍はこれを受け入れ、速やかに後方へと送る。
これが終わり次第行われるのが黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換である。
場所はマルデュルクス砦の石壁の外、前線を引いた帝国陣営の目の前。
皇国側は、マルデュルクス砦の砦門で天眼の軍師を解放し、逆に帝国側は黒狼卿を引き渡す。
全てが終わった後、皇国軍は速やかに第一の関まで後退し、捕虜交換を終了する。
「速やかに後退すると思うか?」
「まさか、そのまま居座り、マルデュルクス砦を抑えるに決まっている」
アルタナはそう断言する。
「しかしもしそれが可能なら、今日、奴らが撤退することはなかったのではないか? 天眼の軍師によって砦門が破壊され、それが難しいと判断したから連中は第一の関まで引いたのだろう?」
「もちろん何かしらの準備はしてくるだろう」
「さてどうする、アルタナ?」
閃光のアルタナは思考を巡らせる。
「建前上は無事に捕虜交換ができる段取りは出来ている。しかし皇国側がこれを使い、マルデュルクス砦を奪還する可能性は極めて高い」
「なら捕虜交換の段取りに関してはこちらから提案し直すか?」
「……いや、このまま行こう」
「いいのか?」
「割り切る必要があるだろう。我々には時間がない。その上で優先すべきは確実にフォウを取り戻すことだ。結果、マルデュルクス砦を奪われても、奪われた砦は目の前だ。砦門は無く、2万の大軍の相手をする皇国兵たちの数は少ない。なら十分に奪い返す目はある」
「決まりだな」
***
こうして両者の合意の元、明日の日の出と共に黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換が執り行われることになった。
そんな両者の様子を見ている者がいた。
ラクシュミア・イルア・レイべリゼである。
帝国陣営の一画、天眼衆に与えられた天幕の中に身を潜めるラクシュミアの元には天眼衆たちが、逐一情報を集めてくる。
その全てにラクシュミアは耳を傾けている。
「赤竜卿は面白い提案をするね。……いや、これはロウタさんかな? 帝国側の心情を擽る絶妙な提案だ。やっぱりあの人は侮れない。明日も何か仕掛けるつもりなのかな? そしてそんな提案を甘んじて承諾したアルタナ様。今の戦況なら間違いなく勝ち切る自信があるんだろうね」
そう自分の見解を口にしながら、ラクシュミアは命令を出す。
「ケイオス、取引場所への仕掛けの準備を」
「かしこまりました」
そして本物の天眼の軍師はにやりと笑う。
「さて、では美味しいところは全てをいただくとしますか」
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お読みいただき、ありがとうございました。
次回『第57話 人質交換(5)』は2月10日の配信予定です。
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