第53話 人質交換(1)


 入り組んだ地形の森の中に身を隠す皇国軍陣営。

 周囲の皇国兵たちが見守る中、目深にローブを被ったラクシュミアとネルとノートンの3人は、ロウタの天幕へと案内される。

 席を進められ腰を下ろしたラクシュミアは、ロウタに対して現在の状況を語って聞かせた。


「……なるほど。帝王軍がマルデュルクス砦を陥落させたが、到着前の攻防戦で、天眼のフォウは赤竜卿に捕えられたと」

「はい」

「しかし妙な話だ。天眼のフォウは捕えられたというが、鉄仮面の中の人間はこうして俺の目の前にいる」


 蜂蜜色の髪の少女に向かってニヤリと笑う、ロウタ。


「捕えられたのは、鉄仮面を被ったカリナです」


 ロウタの頭の中に、気の強い美女の顔が浮かぶ。


「なるほど。連れ去られそうになる直前、咄嗟にあのいい女がお嬢さんから鉄仮面とマントを取り上げて影武者になった、ってところか」


 ラクシュミアは頷く。


「そしてそのいい女を助けるのに、俺に協力してほしいと」

「そうです」


 素直に答えるラクシュミアに、ロウタは苦笑する。


「随分とおかしな話だ。なぜ皇国側の人間である俺がそんなことをしなくちゃならない? そもそも山道口であるマルデュルクス砦を抑えられて八方塞がりの今、俺にどうやって助けろっていうんだ? こっそりマルデュルクス砦を通って皇国側に戻って助けて来てほしいなんて言わないよな? 生憎とそんな人間離れしたことなんて俺には出来ないぞ、ヴィンセントじゃあるまいし」

「その黒狼卿は先ほど、帝国軍に捕えられました」


 ロウタが目を見開く。


「……冗談にしては笑えないな」

「冗談を言うならもっと楽しいことを言います」

「ありえない」


 あのヴィンセントが敵に敗北する訳がない。


「もちろん、戦いに敗れて捕えられたのではありません。私の頼みを聞き、わざと投降してくれたんです」


 そしてラクシュミアはその時の状況を簡単に語る。

 もう一人の副官であるルゥを助けるべく単騎で帝王軍の前線を突き破ったヴィンセントは、帝国八騎のキーマィリ率いる軍勢に追われ、深い傷を負ったルゥを助けるべくそうしたと。


「なるほど、キーマィリか」


 帝王軍本陣でヴィンセントと一騎討ちを繰り広げた男の顔を思い出し、ロウタは渋い表情を浮かべる。


「? なにか?」

「いや、話を戻そう。……つまりそうなると、お嬢さんは天眼の軍師を取り返そうと考えているわけだな」

「そういうことです」


 ここまでの話でそう看破して見せた無精髭の副官に向かって、鉄仮面の軍師を演じる少女は頷く。


「なるほどな」


 そう納得しながらも、ロウタはラクシュミアがただカリナを助けたいだけでそうしている訳ではないと思っている。


「お嬢さんは自分の正体を帝国にも隠している。だから捕まったのが仮に偽物だったとしても、それで済ませることができない。なぜなら本物である明確な証を立てることができないからだ」


 口を噤むラクシュミアにロウタは続ける。


「中身をすり替えた影武者が捕まったとして、別の鉄仮面を被って出ていってもいいが、その場合、確実に真偽を確かめられることになる。そして鉄仮面の中身が顔が爛れた男ではなく、単なる小娘であると知られれば、当然お嬢さんの言葉は信じてもらえない。それでも軍師としての技量を示せば本物であると証明できるかもしれない。だがその時には、これまで帝王と帝国全てを欺いたことが露見することとなる」

「死刑は免れないでしょうね」

「つまりお嬢さんがこの状況を全てを丸く収めるには、捕えられた偽物を本物として赤竜卿の手から取り戻すしかない」


 ラクシュミアは頷く。


「話が早くて助かります。仰る通り、私が再び天眼の軍師として戻るには、代わりに捕まった偽物カリナを救出し、再び入れ替わるしかない」


 あっさりと認めるラクシュミア。

 それを見て、ロウタがニヤリと意地悪い笑みを浮かべる。


「ならここで俺が協力しなかったら、鉄仮面の軍師は消えてなくなるわけだ」

「そうですね。ですがそうなると、捕まっている黒狼卿も処刑させるでしょうね」


 表情一つ変えないラクシュミアの返答に、ロウタは口をへの字に曲げる。


「なるほど、こちらに拒否権はないってわけだ」

「別に脅迫するつもりはありません。ただロウタさんが断ると、残念ながらそうなってしまう、という話です」

「ここまでの段取り全てがお嬢さんの目論見通りって訳か」

「この件に関して私たちの利害は一致していると思います。私たちは鉄仮面を被ったカリナを無事に回収し、正体がバレる前に再び入れ替わる。あなたたちはヴィンとあのルゥという副官さんを取り戻せる。現在の戦局に至り、これが私たちにとって最善の結果であると思いますが?」


 ロウタは思考を巡らせる。

 ラクシュミアの言うことは間違いないだろう。このまま何事もなければ、捕えられた黒狼卿は処刑される。ルゥに関しても絶望的だろう。

 逆にもしカリナが殺されたとしても、何かしらの理由にかこつけて、フォウが帝国四軍師として復帰する可能性は十分にある。

 その場合、こちらは皇国の英雄としてたたえられる黒狼卿を失うが、帝国側には天眼の軍師は健在なのである。

 ヴィンセントが帝国の手に落ちた今、無事に助け出すためにも、ラクシュミアの要望を飲むしかない。


「もう一つ。この森の中にこうして隠れている皇国軍と黒狼軍が撤退できるようにも話を纏めます」


 現在ロウタたちはマルデュルクス砦を抑えられ、帝国領内に取り残されている状況だ。

 黒狼軍500騎とタイラー率いる皇国軍およそ1000。

 これだけの手勢で山道口を抑える2万の大軍勢を突破してマルデュルクス山道内へと戻るのは絶望的、見つかるのも時間の問題だろう。


「……分かった、その申し出を受けよう」

「ありがとうございます。では早速ですが、出発の準備をお願いします」

「分かった。だが少し待っていてくれ、他の連中に今後の指示を伝えてくる」


 ロウタはそう告げると、天幕を出て、この陣営を纏める黒狼軍の三人の部隊長と皇国軍を率いているタイラー卿を集める。

 もちろんこの件に関しては深く話せないので、交渉の為に帝国軍の本陣へ行ってくるとだけ伝え、自分たちが出発次第、ここを引き払い、闇夜に乗じて隠れ場所を移動するように命じ、その後の連絡手段についても指示を出す。


「待たせたな、出発しよう」


 天幕へと戻り、簡単な身支度を済ませたロウタは、三人と共に、皇国軍陣営を後にする。


 馬に跨り出発、ほどなくして周囲に続々と馬に乗った者たちが姿を現す。

 恰好からして帝国兵ではないが、ラクシュミアを守るようにしてロウタを睨み囲んでくる。


「大層な扱いだな」

「私はいいと言っているんですが、カリナのことがあって、皆が聞いてくれなくて」


 どうやら彼らはラクシュミアの私兵たちのようだ。


「そういえば、この二人に自分の正体を明かしたのか?」


 ただ黙って付き従っているネルとノートンを顎で指す、ロウタ。


「2人には全てを語り、協力してもらうことが私にとって最善の選択でした」


 ラクシュミアたちの素性に関してロウタは詳しくは知らない。ヴィンセントがそれを語らないからである。

 ロウタが知っているのは、目の前の少女が身分を偽り、天眼の軍師として活躍しているということ。

 その秘密を知っているのは、カリナを初めとした私的な仲間たちだけ。


 先日、皇国軍に捕えられていたネルがそのことを知らなかったのは、その際に言葉を交わしたロウタにも分かった。

 だが現状、使がこうして動くには、帝国軍内でもそれなりの地位のある人間の協力が絶対不可欠だったのだろう。


 話が進む内、馬を走らせる一行は森を抜ける。

 地平線で夕日の残滓が消えかかる中、一行はマルデュルクス砦へ向けて馬を進める。


「それで? 実際のところ、俺に何をさせるつもりだ? 言っておくが、痛いことは御免だぞ」


 周囲を囲まれながらも飄々とした態度を崩さないロウタの質問に、ラクシュミアが応える。


「帝国軍ではこの後、捕まえた皇国兵を数名、そちら側へとお返しすることになっています。そしてその際に、捕虜交換の書状を持たせる手筈になっています」

「なるほど、悪くない手だ」


 先ほどラクシュミアたちがやってきたように使者を立ててもいいが、内容が捕虜にした要人の交換の申し出ならば、先に捕らえた兵士を数名解放することで誠意を伝えるというのはアリだ。


「ロウタさんにはその中のひとりになってもらい、皇国側に戻り次第、赤竜卿がこちらの申し出を受けるように手を尽くしてもらいたいのです」

「俺なんかが、言っても聞くような相手じゃない」

「あなたが赤竜卿とそれなりに懇意にしていることは、報告で上がってきていました」


 そこでロウタの頭を過ったのは、先日まで皇国軍が抑えていたマルデュルクス砦に密偵として潜り込んでいたリドルの顔だ。


 ここまで綺麗に整えられた話の筋を聞かされ、ロウタはただただ苦笑する。


「まったく、大したお嬢さんだよ」

「お褒めいただいて嬉しく思います」

「こっちも一つ頼みがあるんだが」

「? なんでしょう?」

「なに、大した話じゃない。捕虜を演じる役者はそれ相応の恰好をする必要があるって話だ」


 そう不敵に笑うロウタたちの視界の中に、マルデュルクス砦を囲む帝国軍の陣営が見えてきた。


   ***


 ヴィンセントはマルデュルクス砦の地下牢に捕えられていた。


 鎖に繋がれ、身動き一つできそうにない。

 そんな目を閉じるヴィンセントの耳に誰かの足音が聞こえてきた。


 顔を上げると、鉄格子の向こうに見知った顔が立っていた。

 天眼衆一の武芸の使い手であるケイオスだ。

 そしてもう一人。


「やあやあ、ヴィン。随分と酷い恰好だね」


 その言葉とその笑顔に、ヴィンセントの口元が自然と緩む。


「ミアのおかげでこの有様だよ」


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