第54話 人質交換(2)
「助かったよ、ヴィンが私の要求を察してくれて」
「断ったら、そっちの怖い男に殺されそうだったんでな」
牢獄の中、鎖に繋がれたヴィンセントは、ラクシュミアの背後に立つケイオスを顎で指す。
「今、
「分かった。ならそれまでゆっくりさせてもらおう」
「そういえば聞いたよ。黒狼卿は今日も大活躍だったんだってね。帝王閣下の前で大立ち回り」
「そっちも随分と味な真似をしてくれる。まさかこうしてマルデュルクス砦が陥落するなんて昨日までは想像もしていなかった」
早朝、5万の帝王軍が平原に姿を現してから始まった今日一日を振り返るヴィンセントは、ただただ苦笑する。
「お褒めいただき光栄だよ。ならヴィンにはこれからもっと驚いてもらわないとね」
笑顔を浮かべるラクシュミア。
だからヴィンセントは素直に思ったことを口にする。
「落ち込んでいるかと思ったが、元気そうでなによりだ」
「全然元気じゃないよ。これでも落ち込んでいるんだよ。こんな事態になって悔しくって仕方がない。それに囚われたフォウ様のことを考えると気が気じゃない」
普段、鉄仮面を被っている少女は、自らの身代わりに捕らえられた仲間を案じ、そう俯く。
「ミア」
「だけどただ悲観して終わるつもりなんてサラサラないよ。カリナがいてくれたから、私は今こうして動くことができている。だから私はカリナがくれたこのチャンスを生かして、必ず全てを取り戻してみせる」
真っすぐな瞳を浮かべる少女を見て、鎖に繋がれた英雄は口元に笑みを浮かべる。
「本当にミアは強いな」
「惚れ直した?」
冗談めかして笑う、ラクシュミア。
「惚れ直すまでもない。俺はずっとミアに惚れている」
途端、ラクシュミアの表情が真っ赤になる。
「もう、なんでそういうことを恥ずかしげもなく言えるかな」
「当然だと思うことを恥ずかしがる必要がどこにある」
好き合う気持ちを抱く2人は自然と笑顔になる。
「ん、ん」
と、そこで、ラクシュミアの背後から咳払いが入る。
「ラクシュミアお嬢様、そろそろ見張りが戻ってきます」
「分かっているよ、ケイオス。それじゃあまたね、ヴィン。本当ならもうちょっとゆっくり話したいんだけど、私も隠れないといけないから」
そう踵を返す、ラクシュミア。
「ミア」
「? なに?」
足を止め振り返ったラクシュミアに、ヴィンセントは口を開く。
「先日の自由都市マルタで別れた時に言えなかったことがある」
それは数日前、ヴィンセントとラクシュミアがマルタで皇女ミカサと会った時のことだ。
「それは?」
「ここから出たら伝えるよ」
「……今でもいいんじゃない?」
「今、こんな状態で言う言葉じゃない」
ヴィンセントはそう言って自らを拘束する鎖をジャラリと鳴らす。
「それは
「いいや、男としての
そうニヤリと笑うヴィンセントに、ラクシュミアは口元を緩める。
「期待していいのかな?」
ヴィンセントは小さく笑う。
「期待して欲しい」
「うん分かった、楽しみにしているよ」
フードを被り直し、外に出たラクシュミアに、天眼衆の一人が近づいてくる。
「アルタナ様が書状をしたため終え、もう間もなくキーマィリ様が捕虜たちに書状を持たせて出発させるようです」
「ロウタさんは?」
「問題なく。捕虜たちの中に紛れ込ませています」
***
「それではこの書状をしっかりと赤竜卿へ届けるように。お前たちの英雄である黒狼卿が捕えられていることを決して忘れるな」
キーマィリは横に並んだ5人の捕虜たちにしっかりとそう伝える。
全員が先の戦いで捕らえられた皇国兵たちであり、武装を剥がされた薄汚い恰好で並んでいる。
「ん?」
そんな中、キーマィリが目を向けたのはその中の一人だった。
他の者たちよりもボロボロの服を着た猫背の小汚い男で、顔も泥で汚れている。
気のせいだろうか、どこかで見たことがある気がする。
しかし、そんな帝国の名将の視線を感じた途端、男は「ひぃ」と恐怖の声を漏らし震え上がり、顔を背ける。
なんとも情けない男の姿に、興味を失ったキーマィリは、途中まで随行する帝国の騎士たちに目で合図を送る。
マルデュルクス砦を陥落させた帝王軍は、帝国四軍師筆頭である閃光のアルタナの命を受け、山道内まで侵攻、赤竜卿が撤退した第一の関近くまで前線を押し上げている。
そこまで捕虜たちを連れいくのは、双月の騎士と呼ばれる2人の若き兄弟騎士の一団だ。
先の戦いにおいては天眼の軍師の元で戦っていた2人であり、天眼の軍師の奪還の為に何かしたいと、この任に名乗り出た2人でもある。
「出発するぞ」
馬に跨る2人の騎士を始めとした帝国兵たちに囲まれた5人の捕虜たちは、闇夜の中、マルデュルクス砦を出立した。
「上手く話が纏まればいいがな」
捕虜を見送ったキーマィリは、アルタナのいる天幕へと足を向けた。
***
「ふぅ、なんとかなったか」
松明を持った帝国兵たちに囲まれる中、捕虜として最後尾を歩く猫背の男が背筋を伸ばし、頬や髪に付いた泥を拭う。
ラクシュミアの作戦で捕虜の中に紛れたロウタである。
先を進む捕虜たちから離れて歩くロウタ。
そんなロウタの隣に並ぶ、馬上のネルが周囲に聞こえないくらいの声で話しかけてくる。
「なぜそのような変装をする必要があったのだ?」
「捕虜をやるにもそれなりの恰好をする必要があるだろ」
それにしても……、とロウタは思う。
人の縁というのは、どこまでも付いて回るモノである。
先ほどの旧知の仲の顔を思い浮かべ、苦笑してしまう。
「あの時とは立場が逆転したな」
そう呟くルゥの言葉に、「確かにそうだな」とロウタも同意する。
ネルは、数日前、黒狼軍との戦いに敗北し、捕虜として捕らえられた。その時、ネルを守る為に行動したのがロウタである。
「妙な縁だな」
そうどこか気恥ずかしそうにそっぽを向くネルを見て、ロウタは「まったくだ」と微かに笑う。
「そういえば、ネルはあのお嬢さんの正体を知ってどう思った?」
男として戦場に立つ男装の騎士にロウタは小声で尋ねる。
「驚いたさ。まさか尊敬していたフォウ様の鉄仮面の下にあのような秘密があったとはな」
2人は年齢的にはほとんど変わらないだろう。
「幻滅したか?」
「まさか。素直に凄いと思ったよ。それに嬉しくも思った。……だけど同時に悔しくもあった」
素直にそう口にするネル。
「というと?」
「あの方は、これまで多くの結果を出し確固たる地位にいる。それは私がしたいことだ。だから嬉しく思えた、『私がやろうとしていることは決して出来ないことではない』のだと。……だが同時にあの方に対して私はこう思ってしまった。『ああ、きっとあの方は私と違って選ばれた人間なんだろうな』とな」
俯くネル。
「なんだ、牢屋にいなくても弱気だな」
「別にそういう訳ではない」
しかし、そう言ったきり、ネルは口を閉じてしまった。
「まあ確かに、現時点であのお嬢さんは間違いなく傑物と呼ばれる類なんだろう。そしてネル、お前は普通の騎士よりちょっと強いくらいでしかないな」
「……」
「だがそれは今の話だろ? この先は分からない」
「この先?」
「数年後、お前があのキーマィリと同じように帝国八騎の一人になっているかもしれない」
「それは……」
「不可能か?」
「そんなことは……」
「少なくとも、ネルが目指しているのはそこだろ? それこそがネルがなりたい自分なんだろ?」
ロウタの問いかけにネルは頷く。
だからロウタはそれを教える。
「天才でなければ英雄になれない訳じゃない。天才だから英雄になれる訳でもない」
「……」
「本当にネルとお嬢さんの違いはそれだけなのか。本当にお嬢さんはただ才能があっただけなのか?」
ロウタの言葉に、ネルの口元が自然と緩む。
「ロウタの言う通りだな。こんなことで思い悩んでいるようでは、あの人のようにはなれないな」
「悩むのは大事なことだ。悩んだら悩んだだけ乗り越えられる。その度に強くなれる。そういうモノだと俺は思う」
「まったく、本当に偉そうだな、捕虜の癖に」
「そういう性分なんでな」
なんとなく笑い合う二人。
「だがそれにしても、未だに分からないのだが、なぜロウタはフォウ様のことを知っていたのだ? それだけがどうしても府に落ちん」
どうやら鉄仮面のお嬢さんは、正体は明かしてもヴィンセントに恋をしていることまでは語っていないらしい。そりゃそうか。
「ウチの上司が思いの外、やり手でね。ひょんなことから知ることになったんだ」
自分が仕える生真面目な男がどこぞで口説いた女が天眼の軍師でした、とは流石に言う気にはなれない。
「黒狼卿か。フォウ様を捕えて部下にしようとしているという話だったが……まさか、フォウ様の正体を知って、そう考えているのか?」
「まあな」
「なぜだ?」
首を傾げるネル。
まあ確かに、普通に考えればその理由はなかなか思いつかないだろう。
「今度、本人に聞いてみろ」
流石に他人の色恋を流布する趣味はロウタにはない。
ましてやそれが、運命的な出会いを果たした2人が互いに相手を手にする為に行動しているなんてことは。
一行はマルデュルクス山道を進み、ほどなくして帝国軍の最前線に到着。その先に見えるのは、山道を塞ぐように気づかれた、皇国の第一の関である。
「我々はここまでだ、行くがいい」
ネルの言葉に、皇国軍の捕虜たちは速足に、第一の関に向かって駆け出す。
ロウタは焦ることもなく、その後を歩いていく。
「ロウタ」
「? なんだ?」
振り返ったロウタに、ネルはどこかそわそわしながら口を開く。
「その……またな」
どこか恥ずかしそうにしているネルを見て、ロウタは苦笑する。
「ああ、またな」
***
ロウタを始めとした捕虜たちは、思いのほかあっさりと第一の関の中へと入ることができた。
身分確認等の簡単な検査が済むと無事に戻ってこられたことを喜ばれた。
与えられた服に着替え、簡単な食事を済ませた頃、赤竜兵の一人がロウタの元を訪れる。
「ロウタ様、ブラームス様がお呼びです」
早速来たか、とばかりにロウタは案内に従い付いていく。
ロウタが連れて来られた場所は、離れにある石造りの建物だった。
建物の入り口には赤竜兵の見張りが数人立っている。
そしてその中でロウタを待っていたのは、鉄の仮面を剥がされ、椅子に縛り付けられているカリナと、その隣に立ち、帝国側からの書状に目を通している赤竜卿だった。
「待っていたぞ、ロウタ」
分かり切っていたことだが、すでに正体のバレている
さて、これは骨が折れそうだ。
***
マルデュルクス砦の周囲に展開された帝王軍の陣営の中に、ケイオスたち天眼衆に与えられた天幕がある。
天眼衆の人間が周囲に目を光らせる中、天幕の中にはラクシュミアの姿がある。
そこに外からケイオスが戻ってくる。
「ラクシュミア様お嬢様、つい今しがたネル様とノートン様が戻ってまいりました。捕虜を無事に届けたということです」
「うん、分かった。これで今、私たちにできることは全てやった。あとは話がうまく進むことを願うしかないね」
「上手くいくでしょうか?」
「ロウタさんに期待だね」
「しかしあの男が裏切る可能性も」
「それはないよ。ロウタさんはヴィンやあのルゥちゃんを見捨てたりはしない。そういう人だよ、あの人は」
「ですが……」
「大丈夫だよ、ケイオス。きっと全て上手くいくから」
この状況においても笑顔を浮かべるラクシュミア。
その笑顔は、ケイオスの気持ちを大分楽にした。
「しかしカリナ姉さんやこちらの事情があるとはいえ、せっかく捕えた黒狼卿をみすみす返さないといけないというのは何か惜しい気がしますね」
様々な要因が絡んだとはいえ、あの無双の英雄を捕えられていることは偉業であり、まさに千載一遇のことだろう。
それにラクシュミアは黒狼卿を捉えて自らの部下にしようと考えている。まあ本音の所は好いた男を手に入れ、共になる為なのだが。
今、期せずして、その状況になっている。
しかしそれも、帝国軍と皇国軍の捕虜交換……いや、ラクシュミアとロウタの人質交換が無事に済めば白紙に戻ってしまう。
それが実に惜しいとも、ケイオスは考えている。
とはいえ、そんな風に考えられるのは、自分やラクシュミアにとって大切なカリナを取り戻せる算段が見えたからなのだろう。
「もう、ケイオス。何をいっているの?」
そんなケイオスと同じなのか、ラクシュミアはクスクスと笑い出した。
だが、この直後、ケイオスは自らの主の言葉に驚くことになる。
「カリナは絶対に助けるよ。だけどヴィンを皇国に返す気なんてサラサラないに決まっているじゃん」
天眼の軍師である少女は、それがさも当たり前であるかのようにニヤリと笑うのであった。
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