第52話 激動(5)

 この日、半年以上に渡り、帝国側の山道口を抑えていた皇国のマルデュルクス砦は陥落した。


 続々と押し寄せる2万の帝王軍はマルデュルクス砦へと入り、収まりきらない帝国兵たちは、石壁の前にも陣を敷いていく。

 その中において的確に指示を出していくのは、帝王四軍師筆頭である閃光のアルタナである。


「破壊された砦内の片づけさせ、同時に山道内の調査及び皇国が山道内に築いた第一の関の前まで兵を進める準備を急がせよ」


 石壁の外の天幕で情報の統括しながら、将たちに次々と指示を出していく。

 それがひとしきり落ち着いたところで、アルタナは天幕の外に出ると、手に入れたばかりのマルデュルクス砦に背を向け、眼下に広がる入り組んだ地形と遠くに並ぶ三つの拠点、そして何より平原に布陣したままのグラム率いる帝王軍本陣へと目を向ける。


 アルタナたちがマルデュルクス砦へと到達したことにより、この度の軍配は帝国側に上がった。

 しかし未だ、戦いは終わっていないのである。


 そんなアルタナの元に、報告を持った弟子たちが次々と訪れる。


「アルタナ様、キーマィリ様の部隊ですが、未だ黒狼卿を追っているとのことです」

「我が軍がマルデュルクス砦へと到達するとほぼ同時に行方を眩ませた黒狼軍ですが、その足取りは未だに掴めておりません」

「皇国軍の一団も潜伏していると思われますが、こちらの足取りも分かってはおりません」


 眼前に広がる入り組んだ地形の中に関する報告に、アルタナは静かに耳を傾ける。


 なんにしてもマルデュルクス山道の入口はこうして2万の帝王軍が抑えている。

 ここより見下ろせる三つの拠点の向こうには帝王グラムのいる3万の帝王軍本隊が居座っている。

 その間に広がる入り組んだ地形の中での戦いは続いているが、決着は時間の問題だろう。


 だがそれ以上に、大きな問題が発生してしまったことに、アルタナは大きなため息を零す。

 その視線は先ほどから傍に控えている優男に向けられる。


「本当にお前たちに出来るのだな」


 その優男は、天眼の軍師フォウの私兵である天眼衆の一人であるケイオス。


「お任せください」


 先ほど受けた重大な報告とそれに対するケイオスからの対策を思い出し、アルタナは頷く。


「いいだろう。書状を用意し、弟子のひとりに供をさせる。急ぎキーマィリの元へと向うがいい」


 アルタナの言葉に、ケイオスは一礼と共に下がる。

 本来ならば、この件はアルタナ自身がじっくりと対応したいが、悔しいかなアルタナにはその時間がない。


 帝王グラムが定めたアルタナたちに残された時間は明日の明朝までなのだ。


   ***


「まったく、とんでもない男だ」


 帝国八騎と謳われるキーマィリは、絶壁を背にこちらと対峙している黒狼卿ヴィンセントに対して賞賛の言葉を口にする。


 時はすでに夕刻に差し掛かっている。

 それまでこの黒狼卿は、キーマィリ率いる3000の帝国兵たちからここまで逃げ切ってみせていたからだ。


「そろそろ諦めたらどうだね?」

「その気持ちはまったくありません」


 黒馬ミストルティンに跨るヴィンセントは、息を切らしながらも黒槍を構え、自分たちを囲んでいる帝国兵たちに眼を向けている。

 その背後には白馬リィラの背に乗るルゥの姿もある。

 しかしルゥはぐったりとして動かない。その背中に剣の一太刀を浴びたからだ。

 斬られた直後に現れたヴィンセントによって助けられ、応急処置的に布で縛られ傷を塞いだが、染み出す血によって布はドス黒く変色している。

 一刻も早くきちんとした手当をしたいところである。


 だが現状がそれを許さない。

 ルゥと黒馬ミストルティンを追いかけていたキーマィリたちは、ヴィンセントが登場するや否や狙いをヴィンセントに切り替えたからだ。

 ヴィンセントはルゥと馬を乗り変えると、傷を負ったルゥを庇いながら逃げ回り、ついには高い絶壁に囲まれたこの場所へと追い込まれてしまったのだ。


「それでは死んでもらおうか」


 周囲より帝国兵たちが槍を突き出し、キーマィリ自身も間合の遠い長槍を繰り出してくる。

 それらをなんとか塞ぎながら反撃するヴィンセント。

 その瞳に宿る意志は未だ衰える気配はない。


「お待ちください!」


 大きな掛け声と共に、白旗を持った二頭の馬が姿を現した。


 二頭の馬はキーマィリとヴィンセントの間に割って入り、一人の文官はキーマィリへと向かい、「アルタナ様よりの書状です」と蝋印の押された封書を手渡し、もう一方の優男はヴィンセントの前へと進み出る。


 その顔には見覚えがあった。

 ラクシュミアに仕える天眼衆の一人ケイオスである。


 ケイオスは周囲を囲むようにして様子を伺っている帝国兵たちを気にするようにヴィンセントに小声で話しかける。


「我が主より伝言を持って参りました」


 ケイオスが主とする少女の表情を思い出し、ヴィンセントはその言葉に耳を傾ける。


「今すぐ降伏してほしい。そして自分の大切な仲間を救うために力を貸してほしいとのことです」


 ケイオスが口にした言葉に、ヴィンセントはじっと考える。

 さらにケイオスは続ける。


「見返りとして、あなたと後ろの少女を無事に皇国側に戻すことをお約束します」

「……どうやってだ?」


 尋ね返すヴィンセントに、ケイオスは口元に手を充てるようにして隠す。


「今は言えません」

「それで降伏しろというのか?」


 途端、ケイオスの瞳が冷たくなる。


「勘違いするなよ、黒狼卿。俺は今すぐにでもお前の首を刎ねたくて仕方がないんだ。だがそれをしないのは、我が主と同じく、俺にとっても大切な人を救う為にはお前の協力がどうしても必要だからだ」


 殺気立つケイオス。

 しかし今一つ、その意図が理解できない。


「馬鹿な、天眼のフォウが赤竜卿に捕らえられただと!」


 封書を見たキーマィリが声を上げ、同時にハッとしたようにヴィンセントを見る。

 それはヴィンセントにとって予想外のことだった。


 ミアが……捕まった?


 背筋に冷たいモノが走り、同時に目の前のケイオスに目を向ける。


「俺がお前に降伏を提案できるチャンスはこの一度だけだ。これを逃せば、力づくになる。そうなれば、俺は喜んでお前を切り刻むだろうし、何より背後の娘は助けられない」


 チラリと後ろに控える白馬リィラとその背で動かないルゥを見る。


「決めろ、黒狼卿。こちらの提案を受け入れるか、否かを」


 そしてしばし考えた後、ヴィンセントは黒槍を放り捨てた。


「今すぐルゥの手当てをして欲しい。それを叶えてくえるのなら喜んで帝国の捕虜になろう」


 黒狼卿のまさかの降伏の言葉に、驚いた表情を浮かべたのは、キーマィリ。

 どこか慌てた様子で、部下たちに指示を出していく。


 ヴィンセントは黒馬から降りるように言われ、降りた途端に取り押さえられる。

 そんなヴィンセントにキーマィリが馬上から尋ねる。


「よく捕虜になることを受け入れたね。先ほどの彼と何を話したんだい?」

「別に大した話じゃありません。内容は先ほどあなたが口走ったことについてです。それに無理をせずに皇国に戻ることが出来るでしょうから」

「なるほど。いや、それにしても思わず口を滑らせてしまったな」


 そう笑うキーマィリであったが、ヴィンセントはその笑顔をあまり信じてはいない。先ほどの口を滑らせての一言はあまりにタイミングが良すぎた気がしたのだ。

 考えすぎかもしれないが、この帝国八騎の一人は、どこか黒狼軍の副官と似た雰囲気がある。


 ケイオスの提案を飲み、捕虜となったヴィンセントは両手を鎖で繋がれ歩かされながら、ふと奇妙な違和感を覚えた。


 先ほどのケイオスの言葉。

 主からの伝言、自分の大切な仲間を救うために協力してほしい。

 そして赤竜卿によって捕えられた天眼の軍師。


 何かがズレている。

 果たしてこの提案を口にしたのはいったい誰であるのだろうか。


   ***


 日が地平線に隠れようとしていたその時刻。


 入り組んだ地形の中、深い森の中に潜伏していたロウタ率いる黒狼軍とタイラー率いる皇国軍の前に、白旗を持った数人の帝国の人間が姿を現した。


「よくここが分かったな」


 出迎えるたロウタの前に姿を現したのは、双子の騎士ネルとノートン。

 そしてフードを被った一人の人物。


「こんなかくれんぼ、私に掛かれば造作もないことです」


 フードの下から聞こえてきた女の声に、ロウタの眉が動く。


「それで?」

「お人払いを、ロウタ様とだけお話をさせていただきたいのです」


 そしてフードの下の顔を見て、ロウタは目を見開く。


「天眼の軍師フォウが赤竜卿ブラームスに捕らえられました。フォウ様をお救いすべく、是非ともあなたのお力をお借りしたいのです」


 フードの下にあった顔。

 それは捉えられた天眼の軍師の鉄仮面の下にあるべき、ラクシュミア・イルア・レイべリゼの顔だった。




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