第51話 激動(4)
「突撃せよ」
ブラームスの進軍の命を受けた皇国軍は、マルデュルクス砦の敷地内へと踏み入ると、そのまま一気に大門を失った石壁へと歩を進め、ぽっかりと空いた穴から石壁の向こう側へと殺到する。
しかし石壁の向こうにはフォウ率いる帝国軍が、穴を囲むように柵を並べ布陣しており、石壁の穴から出てきた皇国兵たちに向けて矢を放ち、柵の間より槍を突き出す。
『まさか攻めてくるとはな』
赤竜卿ブラームスがこの選択は、フォウにとっては少々予想外であった。
しかしケイオスが率いてきた援軍のおかげでなんとか皇国兵たちと渡り合うことができそうである。
とはいえ、マルデュルクス砦を放棄するとなった以上、無理に粘る必要はない。
折を見て、撤退するべきだろう。
石壁の穴から皇国兵たちが出てくる一方で、頭上からも矢が飛んでくる。
フォウたちが行った細工によって石壁の上へと登ることは出来てはいないものの、石壁の向こう側から山なりに矢を放ってきているらしい。
石壁の穴を囲むように布陣する帝国軍の後方でこの様子を見ていたフォウの隣に立つカリナが、自らの主に声を掛ける。
「ここは危険です、フォウ様は馬車にお入りください」
カリナの言葉にフォウは素直に従う。
軍師が前線に立つ意味は少なく、なにより鉄仮面の軍師は、体を患っており、杖を突かねば歩けることになっているからだ。
撤退に際してもっとも足手纏いになるのはフォウ自身なのは間違いない。
故にこの状況においては、すぐにでも逃げ出せる準備をしておかねばならない。
カリナに先導されるフォウは杖を突きながら、八頭立ての大型馬車へと向かう。
窓ひとつない巨大な馬車は、天眼の軍師が私的に使う移動型住居でもあり、その壁には鉄板が仕込まれているため、ちょっとやそっとではびくともしない。
天眼衆の長であるカリナとしては、とりあえずフォウに安全な中に入ってもらっていたいと考えた。
しかしその時、石壁を挟んだ戦場に変化が訪れる。
先ほどまで次々と石壁の穴から出てきていた皇国兵の侵攻がピタリと止んだのだ。
穴を囲む柵の後ろで武器を構える帝国兵たちは不思議がり、穴の中を覗き込むように首を動かす。
そのざわめきは、馬車に乗ろうとしていたカリナたちの所まで届いていた。
思わず足を止めてそちらに目を向けたフォウとカリナ。
そして二人は石壁の上から飛来する無数の矢を目の当たりにした。
石壁の向こうから一斉に天に向かって放たれた矢は、石壁の上を孤を描くように通過し、そのまま帝国軍の頭上へと降り注ぐ。
盾を頭上に構え、なんとか耐え凌ぐ帝国兵たち。
そして第二射が放たれ、再び大量の矢が石壁の向こうから跳んできた。
だがそれは単なるきっかけに過ぎなかった。
矢が降り注いだのとほぼ同時に、石壁の穴より、騎馬の一団が飛び出してきたのだ。
頭上よりの矢に意識を上へと向けていた帝国兵たちは、石壁の穴から飛び出してきた騎馬の一団の登場に対応が遅れた。
馬に乗っていたのは赤い鎧を纏った赤竜兵たち。
赤竜兵たちは、石壁の穴を半円に囲んでいた柵の至る場所へと馬を走らせ、そのままの勢いで馬を跳躍させる。
高々と跳び上がった馬は柵を跳び越え、帝国兵たちで溢れかえる柵の向こう側へと着地する。
この際、何頭かは帝国兵を巻き込み転倒するも、ほとんどの騎馬は見事に着地。馬上で武器を振り上げた赤竜兵たちは、帝国兵たちの真っ只中で暴れまわる。
赤竜兵たちのこの行動は、帝国兵たちを大いに混乱させた。
そしてこの赤竜兵たちが作った隙を付くようにして、石壁の穴から皇国兵たちが再び殺到し始める。
穴から出てきた皇国兵たちを迎え撃つべく柵の向こうへ武器を構える帝国兵たちだったが、柵のこちら側で赤竜兵たちに暴れられ、対応することが上手く出来ない。
その隙に皇国兵たちは、柵を破壊し、帝国兵たちに襲い掛かる。
続々と穴から飛び出してきた皇国兵たちはまるで水鉄砲のように帝国の囲いを打ち破り、外へと雪崩込み始める。
これを防ぐべく、奮闘する帝国軍であったが、この時、帝国軍の誰もが予想だにしていなかった事態が起こった。
馬に乗って柵を飛び越えて暴れまわっていた赤竜兵たちがほぼ同時に帝国兵の囲いの中を突き進み、その後方へと抜けたのだ。
別々の場所から抜け出した赤竜兵たちが馬の頭を向けたのは、今まさに馬車へと乗り込もうとしていた天眼の軍師。
「まさか」
ここに至り、囲いの指揮を取っていた老将バラクーダ、敵を斬り捨てていた双子の騎士ネルとノートン、天眼衆のカリナとケイオス、何より鉄仮面の軍師は理解する。
赤竜兵たちの狙いが天眼のフォウであることを。
これをいち早く察知したカリナは、フォウを馬車の中へと押し込むと御者に声を掛けて、馬車を走らせ始める。
しかし馬車が走り出した頃には、馬に跨る10人の赤竜兵たちが馬車の周りに殺到していた。
この状況一番に対応したのは、天眼衆一の武芸者であるケイオス。
馬を走らせ、これを追いかける。
八頭立ての巨大な馬車の周りに群がる赤竜兵たちは、馬車に飛び乗ろうと馬を近づける。
そんな中、背後から馬で追いかけてくるケイオスを見たひとりが、馬の速度を落としながら、これに並び剣を振り上げる。
同じく剣を抜いたケイオスは、襲い来る赤竜兵と馬上で剣を三度ぶつけたのち、その刃を赤竜兵の胸へと突き刺した。
ひとりを斬って捨てたケイオスはそのまま馬の速度を上げる。
これを見て、今度は二人の赤竜兵が並んでくる。
左右両側から剣を振るわれるも、ケイオスは持前の技量でこれを防ぎながら、左右の敵の隙を伺う。
そんなケイオスの腕前を察するや否や、赤竜兵はまさかの行動に出た。
なんと馬上よりケイオスに向かって飛び掛かってきたのだ。
「なっ!」
流石のケイオスもこの体当たりは予想しておらず、飛び込んできた赤竜兵と共に、そのままもつれるようにして落馬。
残ったもうひとりの赤竜兵は何事もなかったのように、馬の速度を上げて、前を走る馬車に追いつく。
その時には、すでに馬車の上に三人の赤竜兵たちが飛び移っており、御者の男と剣を交えていた。
フォウの馬車を操る御者もまた天眼衆の一人であったが、同時に斬りかかってくる赤竜兵たちを前に、押し出されるようにして馬車から転げ落ちる。
馬車の手綱を取った赤竜兵たちは、そのまましばらく馬車を走らせると、手頃な窪地で馬を止め、馬車の扉をこじ開け中へと押し入った。
「……」
広い馬車の中、そこには杖を手にひとりゆったりとソファに座る鉄仮面の軍師の姿があった。
そして剣を向けて近づく赤竜兵たちに向かって、天眼の軍師は口を開く。
『抵抗はしない、潔く降伏しよう』
歩くために必要な杖を赤竜兵たちの足元に抛り捨て、両手を上げて見せる鉄仮面の軍師。
この意思表示に、赤竜兵たちは顔を見合わせ頷き合うと、フォウの腕を掴みその身を抱えて馬車から出る。
そしてそのままフォウを荷物のように馬に乗せて走り出す。
しばらくしてようやく乗り捨てられていた馬車を発見したケイオスは、急ぎ中へと入る。
馬車の中はほとんど荒らされた様子もなかったが、そのどこにも鉄仮面の軍師の姿はなかった。
「そんな……俺たちが付いていながら、なんてことだ」
血の気の引いた表情で力なく床に崩れ落ちるケイオス。
ガタガタガタ
咄嗟に腰の剣の鞘に手を掛けるケイオス。
その視線の先にあった大きなソファが一人でに動き出した。
***
ブラームスの命令により石壁の向こうを囲んでいた帝国軍を突き抜けた皇国兵たちは、散り散りに逃げる敵兵たちを追い回すも、ひとしきりして引き上げの準備を始める。
いよいよ2万からなる帝王軍が、眼前まで迫っていたからである。
破壊され放置されていた鉄門を使い、簡易的にでも石壁の穴を塞ぐことを考えたブラームスだったが、時間的にやはり難しいと判断しこれを断念。
石壁の穴を通り、マルデュルクス山道の奥にある第一の関までの撤退を開始する。
その表情は難しいモノだったが、そこまで深い怒りが見えなかったのは、思わぬ捕虜を捉えたことであったことを知る者は、この時点はほとんどいなかった。
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