第25話 三日目(2) 双月、欠ける
黒狼卿と黒狼軍の為に、待機していた双月の騎士の部隊とバラクーダの部隊は、フォウからの出撃の命を受け、動き出す。
双月の騎士ネルとノートン率いる800の部隊は、皇国軍の本陣を迂回するように右ルートを進み、バラクーダ率いる1000の部隊は、左ルートを進む。
フォウは赤竜卿がいる高所の皇国軍本陣を正面から突破するのではなく、左右から挟撃する作戦を取った。
左右のルートは、先行する別動隊によって道が確保されているため、両軍を妨げる敵はいない。
両軍は悠々と緩やかな傾斜を上ってゆく。
このまま両軍が、皇国軍本陣の左右やや後方から襲い掛かれば、背後から襲われる形となる皇国軍の本陣は、前に押し出され、今帝国軍の兵士たちを見下ろしている坂から転がり落ちることになるだろう。
後は、落ちてきた皇国軍の兵士たちを下にいる帝国兵たちで倒してゆけばいい。
「さすがはフォウ様! 実に素晴らしい作戦だな!」
馬を走らせながら目を輝かす金色の鎧をまとう兄ネルの微笑みに、隣に並ぶ銀色の鎧を着た弟のノートンが頷く。
その時だった。
突如、前方に砂煙が上がっているのをノートンが気づく。
そしてこちらに向かってくる騎馬隊を捉える。
その騎馬隊は一般的な皇国の鎧を着ていたため、皇国の本陣より妨害に出てきた部隊だろうと、ノートンは思った。
だがしかし、その先頭を進む黒馬に乗った黒髪の男には見覚えがあった。
「兄さん!」
「黒狼卿が来たぞ、皆、武器を構えよ!」
ノートンと同じタイミングでそれに気づいたネルが後方の部隊に向かって叫ぶ。
しかしその時には、すでに黒狼軍の別働隊が、双月の騎士の部隊に襲い掛かっていた。
「なっ!」
進行方向から進んでくる黒狼卿を先頭にした200の黒狼軍は、ある種の囮。
そして別方向からロウタとルゥが率いる別働隊が、この両軍の戦いの最初の火蓋を切って落とした。
ルゥが率いる騎馬弓隊100の矢が双月の騎士の部隊に降り注ぎ、次いでロウタが率いる200の部隊がこれに横から突撃する。
しかしそれもまた、黒狼軍主力の前座でしかない。
「ワオォォォォン!」
初動にて注目を集める囮役になっていた200の騎馬隊こそが主力……いや、黒狼卿こそが黒狼軍の主力なのだ。
混乱する双月の騎士の部隊を前に狼の咆哮を上げる黒狼卿は、その手に握る黒槍を掲げ、突進する。
相対するように双剣と長槍を構え突っ込んでくるネルとノートンだったが、黒狼卿は、黒馬の腹を思い切り蹴り、その二人を無視するように、その間を強引に突っ切ると、その後ろに続いていた部隊に重たい一撃を叩きこむ。
さらに黒狼卿の後から200騎の黒狼軍がなだれ込み、一気に敵部隊に襲い掛かる
あっという間に乱戦状態となる両部隊だったが、すぐにその様相は、黒狼軍の一方的な蹂躙へと変わる。
***
赤竜卿ブラームスの狙い。
それは双月の騎士。
ブラームスは、この度の一連の戦いを分析し、天眼の軍師の計略と思惑を見抜いたのだ。
ゆえにその計略の要を潰しにかかった。
その要こそが双月の騎士である。
現状、この場で戦う帝国軍兵士たちにとって、黒狼卿と互角以上に戦うことができる騎士の存在は、自分たちの優位性を実証するための心のよりどころである。
逆に、それがなければ、これまで通りの状態に逆戻りする。
そしてそれを打ち破るのに最も適した人物は一人しかない。
黒狼卿ヴィンセント。
黒狼卿に対抗しうる存在である双月の騎士が黒狼卿に敗れた時、帝国軍の士気は瓦解する。
それはフォウが唯一危惧していたことであり、赤竜卿はそこをピンポイントに突いて見せたのだ。
その為に、ブラームスは、黒狼卿たちを一般兵たちに紛れ込ませ、天眼の軍師の目から隠したのだ。
黒狼卿と黒狼軍を注視するあまり、それ以外の皇国兵たちにはそれほど注意を向けないと読んで。
皇国軍本陣に立つ赤竜卿は、黒狼卿たちの強襲成功の報告に、不敵に笑う。
「さあその黒槍が存分に力を発揮できる舞台は整えてやったぞ。後は思う存分暴れるがいい。最強と謳われる武を思う存分見せつけるがいい」
***
フォウが一連の赤竜卿の計略に気付いたのは、黒狼卿と黒狼軍が、双月の騎士の部隊に襲い掛かった後だった。
これには天眼の軍師は拳を握りしめる。
戦況を見れば悪くない展開。
このままバラクーダの軍勢が皇国軍本陣に背後から攻め込めば大打撃を与えることができる。
しかしその一方で、黒狼卿によって、双月の騎士が敗れることになれば、この度の戦い事態が大きく揺らぎ兼ねない。
天眼の軍師は、その鉄仮面の隙間から皇国軍本陣を睨む。
赤竜卿は、文字通り、こちらの一番痛い展開を的確についてきたのだ。
***
双月の騎士の部隊への突撃を行った黒狼卿は、すぐさま黒馬の手綱を返し、茫然とする双月の騎士に、一人馬を進める。
そしてその赤く染まった黒槍の刃先を向ける。
「待たせたな。今日こそ決着を付けよう」
その気迫に、思わず兄のネルが一瞬物怖じを見せる。
「うおおおおっ」
だがその一方で、弟のノートンは馬を走らせ、黒狼卿に長槍を振るう。
その一撃を、構える黒槍で迎え撃つ黒狼卿。
ノートンと黒狼卿の槍は激しくぶつかり合う。
黒の騎士と銀の騎士のぶつかり合いは激しさを増していく。
互いに一進一退の槍捌きの外で、兄のネルはそれをうかがうようにして、周囲で馬を走らせる。
隙を見つければいつでも割って入る心持ちだ。
しかし激しく打ち合う二人の槍のぶつかり合いはすさまじく、とてもではないが、ネルが割り込める隙を見いだせない。
――そしてそれは、その最中の出来事だった。
一本の矢が、ネルの体に深々と突き刺さったのだ。
「うっ」
矢を放ったのは、黒狼軍の副官の一人であるルゥ。
飛来した矢はネルの肩口を貫き、その一撃に大きく仰け反ったネルはそのまま馬から転落する。
「兄さん!」
これに気付いたノートンが叫ぶも、その前に立ちふさがる黒狼卿が、これを許さない。振り抜いた黒槍の一撃でノートンが馬ごと後方へ吹き飛ばす。
両手にしびれを覚えながらも、黒狼卿と間合いを取ったノートンは周囲を見回し愕然とする。
一方的に黒狼軍に追いやられ、双月の騎士の部隊はもはや壊滅寸前だった。
そして、遠く帝国軍本陣の方より退却の銅鑼が鳴り響く。
これを聞き、周囲の兵士たちがノートンを見る。
しかしノートンの視線の先には、黒狼卿が立ち、その背後には馬から落ちて動かないネルの姿がある。
ワナワナ震える中、ノートンは苦渋の決断をする。
「全軍退却せよ!」
***
撤退する帝国軍を黒狼軍は追わない。
この度の目的は、双月の騎士を討ち破ること。
黒狼卿の手によってそれは叶わなかったのは残念だが、双月の騎士の片方を追いやり、もう片方をこうして討ち取ることができたのならば十分である。
双月の騎士が敗れたことはすぐに広がるだろう。
「ヴィンセント隊長。この人、まだ生きているの」
落馬して地面に倒れるネルの隣にしゃがんだルゥがそれを報告してくる。
近くにいたロウタが馬を下りて、その傍らにしゃがむ。
「なら捕虜として連れて帰るか。無理して殺すこともないだろうしな」
そうネルの傷の具合を確かめていたロウタが眉を顰める。
それは隣で様子を見ていたルゥも同じ。
「ロウタ副長。この子、もしかして……」
「どうやらそのようだな」
「? どうした、二人とも?」
二人の様子が気になり、ヴィンセントもまた黒馬ミストルティンから降りる。
「ヴィンセント、ちょっと問題が起こった」
***
突然の撤退命令に引き下がった帝国軍だったが、その理由をほとんどの部隊が理解できずにいた。
ただ天眼のフォウが各部隊に配属した伝令役を通して、初日に黒狼卿を追い払った草原に陣を敷くという、命令だけが伝わってきた。
そして夕刻前に移動を終えた帝国軍は、草原に野営の為の陣を敷き始める。
その中央にある本陣の天幕の中で、天眼のフォウは部下たちに指示を出す。
『ネルの件は箝口令を敷け、決して漏らすな』
フォウはそれを強く厳命すると、カリナを連れて自分の天幕に引き下がる。
「まずいことになったわね」
『ああ』
そしてフォウが自分の天幕に戻ると、そこにはケイオスに付き添われたノートンがフォウの帰りを待っていた。
「フォウ様。申し訳ございません」
膝を折り、首を垂れるノートンに、フォウは手を上げる。
『気にするな。……とは簡単に言えぬな』
「返す言葉もございません。その上でお願いがございます」
『ノートン、お前も疲れたであろう。今夜は休め』
「兄は、もしかしたら生きているかもしれません。どうか兄を助けるために私に兵をお貸しください!」
『今夜は休めと言っている』
「しかし兄が……」
『案ずるな。ネルを救出部隊を編成する際はお前を隊長に任ずるつもりだ』
その言葉に、ノートンは驚き、顔を上げる。
「では兄は……」
『ああ、生きている。黒狼軍に捕らえられ、皇国の砦へと運び込まれるのを確認した』
一瞬、喜びの表情を浮かべたノートン。しかしその表情はすぐに暗くなる。
それに関して、フォウは何も言わない。
代わりにこう言う。
『ノートン、我は最善を尽くす。ゆえにお前もまた最善に備え、今夜はゆっくりと身体を休めよ。ネルの件は全軍に伏せてある。そしてそれを隠し通すためにもお前にはしっかりと働いてもらわなければならない』
鉄仮面の軍師の言葉に、ノートンは「かしこまりました」と深々と頭を下げ、フォウの天幕を後にした。
ノートンがいなくなり、この場には、フォウたちしかいなくる。
「それでどうするつもり?」
カリナのその問いに、仮面の軍師はなんの躊躇もなく、その鉄仮面を脱ぎ捨てる。
「カリナ、すぐに馬車の準備を、自由都市マルタへ向かうよ」
ラクシュミアの言葉に、カリナは「はっ」とする。
「ラクシュミア、あなたまさか……」
「本当なら今夜は捕らえたヴィンセントとお話しするつもりだったんだけど、上手くいかないものだね。でも代わりにこうして敵の英雄と直接交渉できる機会が出来たんだから捨てたものじゃないかもね」
そう冗談めかしてから、ラクシュミアはその瞳に強い意志を宿す。
「ネルを捕らえたのが黒狼軍なら交渉の余地がある。たぶんヴィンセントたちもネルの正体には気づいているはず。ならまだチャンスはあるよ」
ラクシュミアの言葉に、カリナとケイオスは頷き、すぐに動き出す。
なんとしてもネルは無事に連れ戻してみせると。
ラクシュミアはそう心に誓い、動き出す。
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