第22話 二日目(1) 予期せぬ援軍

 二日目の戦いが始まった。


 この日も帝国軍は早朝より出陣の準備に取り掛かり、三つの拠点より出兵する。

 昨日より多い、各拠点から2000ずつを出した計6000の軍勢である。

 三つの拠点から出立した帝国軍は前日とは違い、複数の部隊に分かれ、広く展開するようにして、皇国のマルデュルクス砦へと向かい進軍を開始。

 先日の余韻を感じさせるように、帝国軍兵士たちの足取りは軽くその士気も高い。


 これまで、皇国の砦へと進む帝国軍兵士たちは、どこから現れるか分からない黒狼軍に戦々恐々としていた。

 マルデュルクス砦の周辺一帯は自然豊かな入り組んだ地形になっている。

 まさに天然の要塞。

 その中に身を隠す黒狼卿が、何の前触れもなく突然襲い掛かってくるのだ。


 しかしそれも、この度の戦いではまったく心配がない。


「西の丘の向こうから黒狼軍が接近中! 迎え撃つ準備をせよ!」


 南砦を出立した部隊の一つにおいて、伝令役からの進言を受けた部隊長が大声を張り上げる。

 その命令に慌てて準備を終えた部隊が固唾を飲む中、その言葉通りに、黒狼軍が姿を現す。

 部隊全体が気合を入れる中、部隊長は驚いた表情で伝令役を見る。


「貴殿の言った通りだ。さすがは天眼の軍師殿の伝令役だ」


 その男は天眼の軍師フォウが各部隊へと一人ずつ配置した伝令役。

 彼らこそが、天眼の軍師の私兵たる天眼衆である。

 天眼衆たちは、各部隊に配属されている他にも、マルデュルク砦周辺の地形に広く散っており、偵察として身を潜ませている。

 偵察たちからの情報は、帝国軍の後方を馬車に乗って緩やかに進むフォウの傍に控えるカリナの元へと集まってくる。

 カリナからの報告を受けたフォウが即座に黒狼軍の狙いを予測し、カリナを使い、それを即座に天眼衆と通して全軍に伝えていく。


 フォウの予測は的確であり、その伝令を受けた部隊はこうして守備陣形を敷いた上で、黒狼軍の襲撃に備えることができた。

 そして姿を見せた黒狼軍を前に、部隊長が声を張り上げる。


「なんとしても持ちこたえろ! すぐに双月の騎士様たちがやってきてくださるぞ!」


 その言葉通り、ほどなくして馬に跨る双月の騎士ネルとノートンが500の部隊が引き連れ、その戦場へと駆けつけた。


 双月の騎士ネルとノートン率いる対黒狼卿強襲部隊は帝国布陣の中央を進軍していたが、フォウからの伝令により、すぐに部隊は進路を変え、馬を走らせる。

 入り組んだマルデュルクス砦周辺の地形の中、双月の騎士たちが最短ルートで到達できたのは、マルデュルクス砦周辺の地形を完璧に把握する案内役の天眼衆が先導するからだ。

 そして交戦中の部隊と黒狼軍が見えそうになると、案内役は先頭を二人の騎士へと明け渡す。

 これにより、交戦中の部隊からは、双子の騎士が軍を引き連れて駆けつけたように見える。「ネル様とノートン様が来てくださったぞ」と歓声が上がる中、双子の騎士はそれぞれ武器を掲げる。


「覚悟せよ、黒狼卿!」

「今日こそその首、我ら兄弟がもらい受ける!」


 標的の部隊と交戦中の黒狼軍の中に飛び込んだ双子の騎士は、黒馬に跨る黒狼卿に襲い掛かる。

 黒狼軍も応戦して、これを蹴散らそうとするが、ここで黒狼軍にとって嫌な行動を取るのが、その後続部隊だ。

 双月の騎士軍の後から間を置いて続くのは、1000の部隊を引き連れた老将バラクーダである。

 バラクーダは、双子の騎士と黒狼卿の戦いを見つめるその場の兵士たちの意識の外から、黒狼軍を囲うようにして軍を大きく展開させる。


 しかしこれに臨機応変に対応してみせるのが黒狼軍である。

 いち早くバラクーダの部隊の動きを察知した無精ひげの副官の命令により、黒狼軍は撤退を開始する。

 もちろん、双子の騎士と刃を交える黒狼卿もまた、この動きに合わせ、殿を務めつつ踵を返す。


 しかし双子の騎士はこれを追わない。

 ただ勝鬨を上げ、黒狼卿を追い払ったことを強調する。

 その様子は、伝令役である天眼衆たちを通じ、帝国軍全軍へと伝えられる。

 これにより帝国軍兵士たちの士気はさらに上がる。

 そして兵士たちは皆が思う。


 この度は自分たちは黒狼卿に狩られる側ではなく、狩る側なのだと。


 それはこれまでとは明らかに違う思考。

 最初から数で圧倒している帝国軍において、この心境の変化は大きな意味を持ってくるのだ。


 そしてこれ全てが天眼の軍師フォウの思惑通り。


 これまで通りのゲリラ戦法での強襲を行う黒狼軍。その襲撃の最中に現れる双子の騎士の黒狼軍強襲部隊、さらにそのあとに続くバラクーダの補助部隊。

 そしてそれを受け、黒狼軍がどのように動くか?

 それは帝国軍兵士たちにどう見えるのか?


 そこまでもがフォウの思惑通りなのだ。

 まさに天の眼を持つと称される軍師の采配である。


『進軍を続行せよ』


 黒狼卿への恐れを消した帝国軍兵士たちは、皇国のマルデュルクス砦に向けて再び進軍を始める。


   ***


「嫌な展開だな」


 一度撤退した黒狼軍の中で、ロウタは悪態を吐く。

 こちらの襲撃中に、現れる双月の騎士。そしてそこから時間を少しおいて姿を現し、老将の部隊。

 これに対応すべく、即座に間合いを取る黒狼軍に対し、双月の騎士は勝鬨を上げ、自分たちが追い払ったことを如実にアピールしてくる。

 これにより帝国軍の士気は上がっていく。

 恐らく天眼の軍師の計略だろう。

 だが、天眼の軍師が恐ろしいのはそれだけではない。


「どうやら完全にここいら一帯の地形を把握されているな」


 先ほどの敵の援軍の到着を思い出したロウタの言葉に、ヴィンセントも頷く。


「それにこちらの動きも見抜かれているな。先ほどの奇襲も、標的の部隊は完全に待ち構えていた」

「恐らくどこかに偵察が潜んでいるの」

「俺も同じ意見だ。ずっとどこからか見られているような気がする」


 遊牧の民出身のルゥの言葉に、獣染みた感覚を持つヴィンセントも同じ見解を見せる。


「いったいどこに潜んでいるのか」


 そうヴィンセントが周囲に目を向けた次の瞬間、突然ルゥが弓を構えて、矢を射る。

 その細腕から放たれたとは到底思えないほどの速度で真っすぐに飛んだ一本の矢は、少し離れた森林の葉を大きく揺らした。

 そして、その矢を放ったルゥが頬を膨らませる。


「……逃げられたの」

「ルゥの矢を交わすとは、かなりの手練れだな」

「えっ、もしかしてあんな木の上に偵察が潜んでいたっていうのか?」


 二人の言葉に驚くロウタ。


「木の枝の上を飛びながら逃げていったの。たぶんまだ近くにいるの、それも複数人」

「……どんな連中だ、そりゃ」


 ロウタが呆れる横で、ヴィンセントの頭をよぎったのは、かつて天眼の軍師を仮面を槍で破壊した際、カリナと共に現れた手練れの者たちだった。


「なんにしてもかなりキツイ状況だな」


 ロウタがそうぼやくのも仕方のないこと。

 これまで数で劣る皇国軍がこの土地で優位に戦いを進めていたのは、周囲一帯の地形情報を徹底的に調べ挙げていたこと。そして《鷹の目》という見張り台により、帝国軍の様子を逐一観察できていたことが大きい。

 つまり情報戦という意味で、大きく優位に立っていたのだ。

 これを使い、猛威を振るっていたのが、黒狼軍のゲリラ戦法だ。

 しかし天眼の軍師の登場で状況が変わった。

 天眼の軍師もまた周囲一帯の地形情報を調べつくした上で、凄腕の偵察部隊を使い、黒狼軍の動きを完全にとらえている。

 これによりこちらの優位性は消え、さらに時間をかけて流布していた黒狼卿の噂までもを、双月の騎士という象徴によって粉砕しようとしている。


「やはりこのまま帝国軍にはマルデュルクス砦の前まで、進ませるしかないな」


 進軍する帝国軍の様子を伺うヴィンセントの言葉に、ロウタも頷く。


「できれば奇襲で敵の数を減らしたかったが、それも期待薄だしな。ここは予定通り、マルデュルクス砦に攻め入る帝国軍に背後から襲い掛かる挟撃戦法に切り替えるべきだな」

「最悪、夜襲も考えた方がいいな」

「確かに、これだけの軍勢を率いての進軍だ。今回ばかりは帝国軍もマルデュルクス砦の前に陣営を築く可能性が高いだろうしな」


 ロウタの見立てに、ヴィンセントが頷く。


「恐らく間違いないだろう」

「ただどちらにしろ問題になるのが、俺たちの場所が筒抜けであるってことだ。……見られているんだろ、今も?」

「ああ、視線を感じるよ」

「そいつらを始末した方が早いんじゃないか?」

「それも考えた方がいいな。ただ帝国軍が迫っている中で、それをやっている暇があるか疑問だがな」


 進軍する帝国軍から一定の距離を取って様子を伺う黒狼軍は、後方へ下がるべく移動を開始する。


  ***


 帝国軍を進めるフォウは、帝国軍後方に敷いた陣営の中で地図を見つめていた。


『後方に下がる黒狼軍は間違いなく砦には戻らず、外に残り身を隠すだろう。そして砦に張り付いた帝国軍を背後から襲う気だ』

「例の挟撃作戦ね」


 遠く周囲を見渡しているカリナの言葉にフォウは頷く。


『皇国の砦に居座る守備隊はいまだ健在。間違いなくこのまま籠城戦に入るだろう』


 レイべ山脈の合間に築かれた堅牢な石壁。そこに籠城する3500からなる皇国の守備隊はなかなかに手ごわい。

 しかしこれを即座に抜く構想はすでにフォウの頭の中には出来上がっていた。

 マルデュルク砦の前に布陣することが出来れば、一夜にして全てを終わらせる自信がある。


「そうなってくると、懸念すべきは外をうろつく黒狼軍ね」

『もちろん黒狼卿たちやつらをそのまま野放しにしておくつもりはない。こちらの邪魔をしないように徹底的に追い回す』

「先に討ち取るの?」

「いや深追いはしない。ほどよく追い立てるだけだ。黒狼卿が逃げ回っている間に、我々が皇国の砦を陥落させれば詰みだ』


 部隊を上手く動かすことによって、どうにか黒狼軍たちを撤退をさせてはいるが、この戦場において最も強力なのは、やはり黒狼卿と黒狼軍。

 いくら数が勝るとはいえ、まともにやり合えばこちらもただでは済まない。


 この度の戦いは、言ってしまえば、どれだけ黒狼卿たちと戦わずに皇国の砦を陥落させるか、ということに尽きるというのが、フォウの見解である。


『そして皇国の砦を落としてしまえば、黒狼卿はまさに袋のネズミだ』


 後は三つの帝国軍の拠点と帝国によって陥落したマルデュルク砦の間でうろつく黒狼卿をじっくりと追い込んでいき捕えればいい。


 フォウの頭の中には、明日、遅くても明後日にはそうなるだろうという想像イメージが完全に出来上がっていた。


 その時だった。

 

「……これはどういうことかしらね?」


 じっと皇国の砦の方に目を向けていたカリナの言葉に、フォウが顔を上げる。


『どうした、カリナ?』

「偵察からの報告よ。皇国の砦の門が開き、皇国軍が討って出た、とのことよ」

『……なんだと?』


  ***


「どういうことだ?」


 この動きに驚いたのは、帝国軍だけではなかった。

 身を潜めていた黒狼軍もまた、この予期せぬ事態に驚いていた。

 そんな黒狼軍の元に、皇国の騎馬が一騎近づいてくる。

 そしてその騎士が掲げる旗を見て、ルゥが思わずつぶやく。


「赤竜の旗なの」


 その意味を理解するヴィンセントの隣で、ロウタがニヤリと笑う。


「帰ったんじゃなかったのかよ、あの英雄様」



   ***


「まったく世話の焼ける坊やだ」


 黒狼卿ヴィンセントの顔を思い出し、赤竜卿ブラームスは不敵な笑みを浮かべる。

 その隣で、砦門の外に整列する3000の皇国兵を見渡すマルデュルクス砦の総司令官であるタイラー伯は、恐る恐る今回の出陣を言い出した皇国最強の英雄に尋ねる。


「本当に打って出られるですか、赤竜卿? やはりここは黒狼卿のお言葉通り、我らが籠城しての挟撃作戦の方が……」

「このままでは今日中にこの戦局は詰む。ならば閉じこもっていても仕方あるまい。なに安心しろ、ここにいる兵士たちが全員潰れても、すぐに本国から増援やってくる」


 不敵に笑う赤竜卿。

 そのまるで自分たちのことを捨て石のように言うブラームスの言葉にタイラーが険しい表情を浮かべる。

 それを見て、ブラームスは楽しそうに笑う。


「もちろん冗談だ。タイラー伯はどこかの仏頂面の英雄と違って実にからかいがいがあるようだ」


 さらに整列した兵士たちを見回しながらこう続ける。


「だがここにいる兵士たちはそうなる覚悟を持つべきであり、そうなりたくなければ私の指示に従うことだ」


 タイラーは表情を引き締める。

 赤竜卿の苛烈であり豪胆な武勇伝は、皇国の民ならば誰もが知っている。

 そして赤竜卿はその全ての戦いで勝利を収めてきた。


「さあ共に戦おうぞ、我が皇国の騎士たちよ!」


 赤竜卿ブラームスは全軍に向かって高らかに宣言した。


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