第15話 ミイラ男のいない焔の日の夜(3)

「やれやれ、ちょっとお遊びが過ぎたかな」


 酒場での会合を終えたロウタは、自由都市マルタを後にし、闇夜の中、馬を走らせる。

 もっともその速度はかなり遅い。

 そもそも夜通し馬を走らせるというのは危険な行為である。

 これまでのように闇夜を恐れぬヴィンセントの黒馬ミストルティンの先導や遊牧の民出身で夜目も効くルゥと一緒ではない以上、時間をかけてゆっくり進むしかない。

 途中幾度も休憩を挟みながら一人、マルデュルク砦へと引き返すロウタ。

 その間、ロウタには考える時間はいくらでもあった。


 天眼の軍師が、マルデュルク砦に送り込んだ密偵からの情報で、黒狼卿の不在は帝国側に伝わっているはずだ。

 黒狼卿という最大の障害がいない今、攻め入るには絶好の好機である。

 もしロウタが帝国側であったのなら、間違いなくこの機を逃したりはしない。

 現在、マルデュルク砦には、黒狼卿の変わりに皇国の象徴たる英雄である赤竜卿がいたとしてもだ。


 このマルデュルク砦攻防戦という状況では、赤竜卿ブラームスはその力を十二分に発揮することができなし、そのための準備もほとんど出来てはいない。

 この盤面は、ブラームスには些かのだ。


 にも関わらず、天眼の軍師は黒狼卿がいた時と同じような攻め方をしている。

 あたかもそれに気づいていないように。

 なぜか?

 こちらに密偵を潜り込ませているのを隠す為?

 そんなことをする必要などない。なにせマルデュルク砦を落としてしまえば、そんなことは関係ないのだから。

 赤竜卿を恐れている?

 それはあるだろう。だが、それでも帝国四軍師がブラームスの特性を把握していないとは考えにくい。

 ならば何かしらの思惑があって、そうしているのだろう。

 それは何か?

 それを直接探るために、ロウタは焔の日の夜である今夜、自由都市マルタを訪れた。

 もちろん、ヴィンセント不在は向こうに知れているのだから、天眼の軍師一行が来ないことも十分に考えられた。

 だが恋する少女であるラクシュミアならば、もしかしたらヴィンセントが来るかもしれないという可能性を信じてくるかもしれないと思ったのだ。

 最初に現れたのがカリナだったので、ロウタは今回、ああいう手段に打って出た。

 だが、やはりラクシュミア本人がやってきたことには、内心笑ってしまった。


「若いっていうのはいいねぇ」


 愛する相手に会う可能性を少しでも信じて行動する少女の情熱は見ていて実に微笑ましい。

 とはいえ、その天眼の軍師である少女を、ロウタは恐ろしく感じた。


『もう数日は今まで通りなので、これまで通りの対応で一つお願いしますね』


 ラクシュミアが口にした言葉。

 それが、どこまでのことを見据えての言葉なのか?


(俺がここに来た理由が分かっている? こちらが密偵に気付いていることに気付かれている? その上でさらに何かしらの思惑で自分を動かす為に、あえてそう口にした?)


 ラクシュミアの口にしたたった一言は、あたかも自分に対して何本もの刃を突き付けられたように、ロウタは感じてしまった。

 そのたった一言に、天眼の軍師の底知れぬ恐怖を感じてしまった。


「まあなんにしても幾つか分かったな」


 天眼の軍師が動かぬ理由は、援軍の到着を待っているから。

 しかもそれは、マルデュルク砦を落とす為の援軍ではなく、ヴィンセントに狙いを絞った援軍のようだ。


(いったいどんな連中なんだ?)

 

 そして何よりロウタが思ったこと。


「やっぱりヴィンセントを狙っているわけだな」


 ヴィンセントがそうであるように、天眼の軍師も同じことを考えているのを、ロウタはもちろん理解している。

 相手を捕え、自らの部下としようとしている。

 愛する相手と共にいるために。


 帝国軍にとって、マルデュルク砦攻略という、この戦局でもっとも厄介である黒狼卿である。

 普通ならば、どう退け、あるいは回避して、目的を達成するかを考える。

 しかし、相手はそんなことをするつもりはないらしい。


 ここで決着をつける。


 それくらいの気概でいるのかもしれない。


   ***


 一方、こちらは自由都市マルタから帝国の中央砦へと引き上げる馬車の中。


「いつから見ていたの、ラクシュミア?」

「ほとんど最初からだよ」

「つけられていたのに気付かなかったわ」

「そりゃ、こっちにはケイオスがいたから」


 ラクシュミアの隣に座るケイオスが恭しく頭を下げる。


「なんにしても皇国の人間であるあの髭面に、こちらの動きを悟らせるようなことをしたのは、私の落ち度としか言いようがないわ」


 頭を下げるカリナ。


「別にそこまで悲観するようなことじゃないよ。ただカリナらしくはなかったね。あの無精髭の副官さん相手だと、やっぱりなんだか調子悪いよね、カリナって」

「そ、そんなことないわよ」


 不機嫌そうにそっぽを向くカリナ。

 その様子を見ながら、ケイオスがラクシュミアに囁く。


「変に張り合ってますよね」

「私もそう思う。あの無精髭の副官さん相手だと、妙にムキになるよね、カリナ」


 どこかニヤニヤしている視線を向けてくる年下二人を年長者の頬が引くつく。


「お願いだからその話は終わりにして。……それよりラクシュミア。天眼の軍師としてのアンタに聞きたいのだけど、今は天眼の軍師から見ても皇国の砦を落とす絶好の好機なの?」


 その問いに、ラクシュミアは頷く。


「間違いなく絶好の好機でだね」

「でも、今あの砦には赤竜卿がいるんでしょ? 皇国の象徴とされるほどの英雄がいるのに、それでも好機なの?」

「確かにアルタナ様の話が本当ならば、赤竜卿ブラームスはかなり厄介な相手だね。だけど私の見解では、この局面では赤竜卿は、その実力は十分には発揮できない。それに相性の問題もあるね」

「相性?」

「私からすれば赤竜卿はある意味、相性が良い相手。その一方で、相性が悪いのが黒狼卿……ああ一応言っておくけど、戦いの相性であって、私とヴィンは相性ばっちりの間柄であって、まさに運命の相手であると……」

「モジモジするんじゃないの。誰もそんなことは聞いちゃいないわよ。……とにかく、皇国の砦を攻め落とすなら今がまさに絶好の好機ってことなのね」

「そうだよ」

「なのに、あくまで黒狼卿に拘る理由はなに?」


 真剣な瞳を向けてくるカリナに、ラクシュミアはクスリと笑う。


「確かに皇国の砦を落とすのであれば、今がチャンスなのかもしれないけど、ただチャンスなだけだよ。そしてそれは、この局面において。黒狼卿という存在をどうにかしない限り、今の状況は何一つ変わらないよ。それはこの局面を打開するだけではなく、今後の帝国と皇国の戦いにも繋がる重要な要因となりえる」


 ――この時点、黒狼軍の副官であるロウタは、天眼の軍師の行動を掴むことに成功したといえる。しかし天眼の軍師は、さらにその先を見据えていた。


 ラクシュミアは続ける。


「奇しくも、黒狼卿の帰還とこちらの援軍が到着するのはほぼ同じ。なら結着はそこまで持ち越しで構わないよ」



 明け方近くに帝国軍の中央砦に戻った天眼の軍師一行。

 天眼の軍師専用の移動住居の馬車にラクシュミアを寝かせつけたカリナは、一人、外に出ると、控えさせていた天眼衆の部下に声を掛ける。


「黒狼軍の副官について調べて」


 カリナにとってはとても腹の立つ男だ。

 だがそれ以上に、決して侮れない男であることも今夜理解させられた。

 あの男はいったい何者なのか?

 天眼の軍師を支える天眼衆の長として、その情報は押さえておく必要がある。

 だがそれと同時に、カリナはそれが気になって仕方なくなっていた。


   ***


 随分と時間はかかったが、それでもロウタは、早朝にはマルデュルク砦へと戻ってくることができた。

 砦門の上の見張り台に立つ兵士にこっそりと目配せをして石の壁の中に入ったロウタは、馬小屋に馬を繋ぎ、黒狼軍の寄宿舎に戻ろうとした。


「どこへ行っていたんだ、ロウタ?」


 しかしその途中、思わぬ人物と遭遇した。

 不敵な笑みを浮かべる赤竜卿ブラームス。


「いえ、ちょいと野暮用がありまして」

「砦門を出て、帝国側へか?」


 事情を知らない人間からすれば明らかに怪しい行動を指摘され、ロウタはどうしたものかと考えをめぐらす。

 しかしブラームスはすぐに「ふっ」と笑った。


「まあいい。お前のおかげで私も随分と好きにさせてもらっているしな。お前に限っておかしなことはしないだろう」

「信頼していただいているみたいで嬉しいですよ」


 ブラームスはここ数日、マルデュルク山道内を見て回っており、日中はマルデュルク砦にはおらず、砦の防衛は全てロウタに任せている。

 

「そういえば、妙な報告が回ってきた」

「妙な報告?」


 ブラームスが不意に口にした言葉に、ロウタが眉を潜める。


「北の大平原と南の大海道に展開する帝国軍に動きがあったらしい。大規模な再編成が成されたそうだ」


 皇国の内政、軍事にも影響力のあるブラームスの元には常に皇国内の情報が集まってくる。ブラームスが皇都から遠く離れたこのマルデュルク砦にいてもだ。

 そのブラームスが口にした情報。

 国境付近に陣を張る部隊の交代など。頻繁に起こることではないが、それほど珍しい話でもない。

 しかし次にブラームスの口から出た言葉に、ロウタの表情は引き締まった。


「その再編成の際、北の大平原にいたアルタナが帝都へと引き上げたらしい」

「……なるほど。帝国四軍師の筆頭が動きましたか」


 軍師アルタナ。天眼のフォウと同じ帝国四軍師の一人であり、その頂点に君臨する帝国最高の軍師である。

 その字名は、閃光のアルタナ。


 皇国と帝国の戦において、北の大平原の攻防は、ここ数年は皇国有利な状況が続き、その前線は帝国領地内へと入り込んでいた。

 だが半年前、この前線に閃光のアルタナが介入したことにより、戦況は一気にひっくり返った。

 帝国領内にかなり踏み入っていた皇国軍は、あっさりと国境線まで追いやられた。その勢いに乗じ、逆に皇国内へと攻め入ろうとした帝国軍を、皇国は英雄三人を投入し、何とか食い止めているのが、今の北の大平原の状況だ。

 その攻勢に出ていた帝国軍の要であったアルタナが撤退した。


「近く、何かがあるぞ。心しておけ」


 ブラームスは、それだけ言うと、ロウタに背を向け去って行った。


 ブラームスは皇国を動かす英雄として、皇国と帝国という大きな括りで物事を見ている。

 その前線であるマルデュルク砦での戦況を鑑みているロウタたちとは、見ているものがまったく違うのだ。

 なんにしても帝国で何かしらの動きあるのは間違いないだろう。


 そんな中で、最前線の一つであるこのマルデュルク山道を守る一人であるロウタが思うことは一つしかない。


「頼むからこことは無関係でいてくれよ」


   ***


 数日後、帝国軍中央砦の作戦司令室で地図を見ていた天眼の軍師フォウの耳に、報告が入る。


「たった今、双月の騎士ネル様とノートン様、並びにバラクーダ将軍が到着なさいました」


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