第13話 ミイラ男のいない焔の日の夜(1)

 自由都市マルタ。

 ミイラ男と街娘が焔の日の夜にこっそりと密会するその酒場で、今夜、顔を合わせたのは、黒狼軍の副官であるロウタと天眼衆の長であるカリナ。


「こんなところで何をしているの?」

「『待ち合わせをしていた男は今日来れなくなった』と、恋する嬢ちゃんに伝えにきたんだがな」

「生憎とラクシュミアは今日は来ないわよ」


 カリナはそう答える。

 それを聞きながら、ロウタは現状を頭の中で整理する。


 現在、黒狼卿ヴィンセントは、皇王の召集を受け、マルデュルク砦を離れ、皇都へ一時帰還中だ。

 本来、帝国側がそれを知るはずがない。

 しかし天眼の軍師はマルデュルク砦に密偵を潜り込ませており、その情報を掴んでいる。

 だがその密偵の存在にロウタが気づいていることを、天眼の軍師もここにいるカリナも知らない。


「なんでお嬢ちゃんは来ないんだ?」

「色々と忙しいのよ、あの子は」

「つまり良い女は俺と同じように、それをヴィンセントに伝えに来たってわけだ。しかし忙しいなんて理由で来ない玉か、あの嬢ちゃんが?」

「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」

「だな」


 ロウタとカリナから言わせれば、愛する相手の為に、全ての常識をひっくり返そうとしているヴィンセントとラクシュミアの二人は、筋金入りの恋愛バカである。


「まあなんにしても、どうやら俺が気を利かせるまでもなく、待ちぼうけになるお嬢ちゃんを作らずに済んだみたいだな」

「そうよ。無駄足だったわね」

「だがその代わりに良い女とこうして出会えた。今夜はいい夜だな」


 ニヒルに笑うロウタに、カリナは鼻を鳴らす。


「いちいち言うことがキザったらしいのよ」

「まあしょうがない、それが俺だからな。ところで、そんなところに突っ立ってないで座ったらどうだ?」


 そう言って向かいの席にを指す。


「なんで座らなきゃいけないのよ?」

「ヴィンセントが来ずに無駄足になったのはそっちも同じだろ。一杯くらい引っ掛けて帰っても文句は言われないだろう」

「だからって私があなたと同じテーブルに付く理由なんてないわね」


 不機嫌そうなカリナの言葉に、ロウタはクスリと笑う。


「なんだ、怖いのか?」


 カリナが目を見張る。


「怖い、この私が? そんなわけ……」

「随分と可愛いところもあるじゃないか」


 途端、カリナの顔が真っ赤になる。


「ふざけたことを言うんじゃないわよ!」

「そんなに目くじらを立てるなって。ただそこに座って酒を飲むだけだ。なにをそんなに怖がる必要がある?」

「だから怖がってなんてないわよ! あなたと一緒の席に座るのが嫌なのよ!」


 そんな歯をむき出しにして声を荒げるカリナの姿を眺めていたロウタは、酒杯を片手に頬杖を突きながら、ニヤリと笑う。


「ああそうか。敵である俺と一緒に酒を飲んだら、ついうっかりと変なことを口走ってしまうかもしれない。そんな自分がミスするのが怖いわけだ」


 ロウタの明らかな挑発に、カリナの表情からスッと表情が消える。

 代わりにその視線は見る見ると険しくなっていく。


「侮るのも大概にしなさい。私がそんなくだらないミスをするわけがない」

「別に侮ってなんていないさ。ただ俺は気に入った女と一緒に酒を飲む口実がほしいだけだ」

「ふざけないで」

「ふざけてはいない、俺は至って大真面目さ。そして俺のことが怖くなくて、何かミスをする心配もない。ならそこに座らない理由なんてないだろ。酒場に来て、酒の一杯も飲まないのもおかしな話だ」

「それは……」

「それにもしかしたら俺から重要な情報を引き出せるかもしれない。何せ俺はこう見えて黒狼軍のナンバー2だ。仕事が出来る良い女だったら、それくらいのことはしてみせるもんじゃないのか?」


 杯を傾けるロウタのさらなる挑発に、不機嫌そうな表情を浮かべるカリナはロウタの向かいの席に腰を下ろすと、ウェイトレスに酒を注文する。

 すぐにやってきた酒杯を手に持つカリナに、ロウタは自分の持った酒杯を向けるが、カリナはそれを無視して、自分の酒杯に口を付ける。

 思わず苦笑するロウタ。


「しかし、奇妙な話だよな。今でも睨み合っている皇国軍と帝国軍の人間が、少し離れた街の酒場でこうして一緒に酒を飲み交わすなんて」

「別に飲み交わしなんていないわよ。運が悪いことに相席しているのが、皇国の無精髭だってだけの話よ」


「つれないねぇ」とロウタは椅子の背もたれに体重を預ける。


「それにしても、皇国軍そっちは相変わらず手を変えないな」


 ヴィンセントが皇都へと出立してからの数日、帝国軍は、それまでと変わらずの行動を取っていた。

 こちらの陣営に潜り込んでいる密偵からの報告で、黒狼卿の不在は天眼の軍師の耳に入っているはずなのに、帝国軍は、変わらず決まった時間に三つの砦から出立し、ロウタが率いる黒狼軍が出陣すると引き返す。

 これを連日繰り返し行っている。

 ロウタとしては、ヴィンセント不在のうちに必ず何か仕掛けてくると踏んでいたので、天眼の軍師のこの行動には、かなりの違和感を感じている。


「何を変える必要があるっていうの?」


 ロウタが密偵に気付いているとは知らないカリナは、そう鼻で笑う。


「そりゃそうだな。……ああ、そういえば、帝国軍は近く、大きく仕掛けてくるそうだが、一体全体どんな手を打ってくるつもりなんだ?」


 対峙する敵軍のロウタの口から出た言葉に、カリナは一瞬、ピクリと反応したものの、どこか呆れた表情でロウタを見る。


「そんなハッタリに引っかかると思った?」

「別にハッタリじゃないさ。帝国軍はこっちのマルデュルク砦を陥落しようとしているんだ。だったら大きく仕掛けてくることは間違いない。もっとも、それは明日かもしれないし、一ヶ月後かもしれないがな」

「単なる言葉遊びじゃない」


 くだらなそうに吐き捨てるカリナに、ロウタは笑う。


「そうかもな。だが、たった今、帝国軍がこの数日のうちにそうする予定であるのは分かった」

「! どういうこと!」


 虚を突かれたような反応を見せるカリナ、ロウタはニヤリと笑う。


「たった今、いい女が『どういうこと!』って反応したからだ」


 分かりやすいフェイントの後に、本命のカマを掛けられ、それにまんまと引っかかってしまった。

 それを理解したカリナの顔が怒りで真っ赤になる。

 もしロウタの言葉がお門違いなら「何を言っているんだ」と一笑して終わりだ。しかしそれが本当だったために、カリナは思わず反応してしまったのだ。


「はい、俺の勝ち」

「負けてないわよ、私は!」

「なら今度はそっちの攻撃の番だ。なんでも好きなことを聞いてくれ。そして見事に俺から情報を引き出してみるといい」


 ロウタの挑発に、カリナは口元に手を当て、考える。


「あなたたちの砦に、最近、凄い援軍がやってきたらしいじゃない」

「援軍? まさか。こっちは猫の手も借りたいって時にそんなことはない。ウチは相変わらず黒狼卿が一人で頑張っているだけだ」


 密偵からの情報で、カリナたちがそれを知っていることが分かっているロウタは、しれっとそう嘘を吐いた。

 するとカリナは、余裕を漂わせるように口元を緩める。


「赤竜卿がいるんでしょ?」

「! なんで知っている?」


 驚くロウタに、カリナは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「天眼の軍師を舐めないことね」

「……なるほど。どうやらこっちの動向は全て見透かされているようだな。ならこちらの計画も全てバレているってわけか」

「計画?」

「皇都を出立した赤竜軍がまもなくマルデュルク砦に集結し、そこから一気に帝国領内へと攻め入るっていう計画のことだ」


 カリナが目を見張る。


「さすがは天眼の軍師ってところか。いや、御見それした」


 苦笑しながら肩を竦めるロウタの話に、カリナは目に見えて動揺を見せていた。

 なにせそれが本当ならば、とんでもないことだからだからだ。

 このマルデュルク山道の攻防戦は、一気に皇国と帝国の戦の最終局面にとって変わってもおかしくはない。


 もちろん、今のは全てロウタが付いた嘘だ。

 そんなことは起こりえない。


 しかしカリナは明らかに狼狽している。

 まあもっとも、ほどなくすればロウタの言葉の真偽に対して考え始めるだろう。

 だからその前に、カリナの動揺が残っているうちに、ロウタは一気に攻め立てる。


「しかしそうなるとおかしなことがある。なぜ未だこちらの準備が整っていない好機に帝国軍は攻め入ってこない? マルデュルク砦を落とすなら今が絶好のチャンスのはずだろ?」

「そ、それは……」

「まあ天眼の軍師のことだ。間違いなく何かを待っているんだろう。それは何か? 時期か? 機会か? いいや、援軍か」


 その言葉に、視線を泳がせるカリナを見ながら、ロウタは続ける。


「援軍が到着しだい攻勢をかける。しかし俺たちの戦場は、教会の定めた絶対禁戦領域の近くだから、これ以上の軍の増援は無理なはずだ。そうなると援軍の正体とは、兵士の増援ではなく、有能な将軍や騎士ってところか」


 カリナは口を噤んでいる。しかしロウタからすればそれは肯定を意味している。


「しかしそうなると、またおかしな話だ。ただマルデュルク砦を落とすだけなら、今更増援を待つ必要はない。攻め入る絶好の好機を優先すべきだ。しかし天眼の軍師はそれをしない。そうなると天眼の軍師の目的は別にあるということになる」

「ちょ、ちょっと……」

「なるほど、狙いはヴィンセントか」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 カリナが声を荒げる。


「なんだ、良い女?」

「なんで勝手にそう決めつけるのよ!」

「別に決めつけてなんていない。ただ俺が思ったことを口にしただけだ。まあもっとも、それが当たっていたのは分かったがな」

「なんでよ?」

「なんだ自分で気づいてなかったのか? 良い女は本当のことをごまかそうとする時、右頬のあたりが痙攣するんだ」


 指差すロウタの指摘に、カリナは反射的に右頬に手を伸ばそうとして――

 そこで気付く。

 そこでロウタはニヒルに笑う。


「いい女は素直だな。俺の言葉を全部信じようとしてくれる」


 もちろん全部ロウタの嘘だ。

 だがそれにカリナが反応してしまったということは、つまりロウタの口にした言葉が本当であるとカリナが認めてしまった、ということである。


 ワナワナと震えるカリナは、次の瞬間、ロウタに殺気を向け始める。


「おいおい、ここで剣を抜くのだけは勘弁してくれよ。曲がりなりにもここは絶対禁戦領域の真っただ中だ。女のヒステリックはよくない。こんなのは単なるお遊びだろ」


 酒杯を傾けながら、ロウタはニヒルな笑みを浮かべた。


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