第9話お前は『妖精』って信じるか?

 実に静かな夕飯だった。いや、それは俺だけが感じているのだろうか。それくらい今夜は静かだった。

 あれから小夜香は電話の内容を聞き出そうともせず、ただ黙々と夕飯にありついている。俺もそれに従って黙々と食べている。普段から夕飯の時は静かに食っているのだが、今日までにこんなに静かだと感じたのはなかっただろう。それくらいに静かだった。

 しばらくして小夜香が静かに手を合わせる。食べ終わったようだ。小夜香は食器を纏めてキッチンのシンクまで運んでいく。俺はそれを横目に黙々と食べ続けていた。


「ねえ」


 不意に小夜香に声を掛けられる。少しだけビクッと反応してしまう自分が情けない。


「何?」

「お兄ちゃんってさ、お母さんののことってどう思ってるの?」

「……どうしたんだ。薮から棒に」

「いや、ちょっとだけ話を訊いてたからさ」

「……盗み聞きはお兄ちゃん感心しないな」

「うちだって盗み聞きは良くないなとは思ってたよ?でもさ、やっぱり気になっちゃうじゃん。ある意味でもあるわけだしさ」

「それはそうかもしれないが」


 そう。今回の実験は俺と小夜香の人生に大いに関わるものである。事前に聞かされていたとは言え、やっぱり納得いかない部分が多い。それは母にも何度も言ってきたことだが、相手にすらされなかった。

 あの時の聞こえないっぷりは酷かった。絶対に聞こえているのに耳に手を添えて何度も聞き返してくるとか……。以前、仕事が忙しすぎてニュースとかバラエティを見る時間がないとか言ってたけど、あの行動は明らかに見てるだろうな。その前だって歌いながら『私じゃない、私じゃない』とか言ってたよな。充分に見てるじゃねーか。


「お兄ちゃん、ネタは程々にしないと確実に引っかかるよ」

「何の話だよ……」


 俺の妹が心を読んだり、察しが良すぎるわけがない。止めてほしいんだよな、心の声を訊くの。察しが良すぎるのも困るからどうにかして欲しい。と言うか、ネタとか言うなよ。

 それはそれとして、妹の小夜香もこの話から逃れることはできないだろう。俺は知っている。小夜香が持っている能力を。しかし、小夜香自身はそれを知らない。俺だって自覚していないだけで何かしらの能力を持っているのだろう。そう、『妖精』に関わるような能力が。


「……ごちそうさん」


 俺も食べきって食器をシンクまで運んでいく。そして、シンクの中にある桶に入れていく。

 それからはお互いに会話をすることなく暇な時間を過ごした。俺はラノベを読んだり、アニメを見たり、音楽を聴いたりしながら過ごした。おいおい。過ごし方が明らかに偏っている気がするんだが、気のせいだろうか。気のせいだろう。


~*~


 翌日、土曜日なので休日である。

 俺は睡眠時間が少なかったものの、今朝は7時前に起きた。リビングには誰の姿がない。早めに起きた理由は、もちろん目的のアニメを見るからである。とは言っても実際には8時からなので1時間空いていることになる。とは言え、やることはほぼ山積みである。自分で飯を作らないといけないし、着替えをしなければならないし、面倒なことが多すぎる。


「おはよ……。お兄ちゃん早いね……」

「いつものことだろう。弁当はどうするんだよ」

「自分で作るからいいよ。お兄ちゃんは自分の分だけを作ればいいよ」

「そうか。それじゃあそうするよ」


 リビングに入ってきた小夜香は眠そうな目を擦りながら、台所に向かっていく。どうやら小夜香は部活があるようだ。見れば、昨日の下着姿から制服姿になっている。小夜香が通っている桜ヶ丘中学校は休日に部活がある場合、体育部はジャージ、文化部は制服で登校することが決まりになっている。俺は中学でも部活に入っていたわけではないので全く関係なかったが。

 俺達はそれぞれで朝食の準備を済ませて一緒になって椅子に座る。我が三浦家ではどちらかに用事があったとしても、必ず揃って食べるようにしているのだ。もう兄妹仲が良すぎて人生相談なんて受けないレベルに高いのだ。あれ?相談受けないところで仲良くない気がするんだが。気のせいか。気のせいだ。


「それじゃあ行ってくるよ」

「今日はいつ帰ってくんだ?」

「昼には帰ってくるよ」

「今日はやけに素っ気ない態度だな。どうかしたか?」

「どうもしてないよ。それじゃあ行ってくる」

「おう。昼は準備しとくからな」


 小夜香は荷物を持って家を出ていく。外できゃいきゃいと話し声が聞こえてくる。どうやら学校のやつと待ち合わせをしていたようだ。

 さて、俺はこれでしばらくはすることがなくなったが、後30分はどうして過ごしていようか。

 そう考えていると、テーブルに置かれていたスマホが急に反応した。音を鳴らすのはうるさいので常にバイブレーション状態である。本当に幸せになれない音を鳴らすな、このバイブレーション。全くハピネスがチャージされず、可愛くも癒されもしない。そろそろうるさいので電話に出ることにした。


「もしもし」

『おはよう。今日もいい天気ね』

「朝から俺に何の用だよ」

『あら。美少女から朝のモーニングコールが来たのよ。それも生徒会長と言う。二次元に興味のある和弥君には嬉しい状況じゃないかしら』

「現実のシュミレーションには興味ねーよ」

『あら、残念』


 うふふ、と電話の向こうで笑う鶴見。こいつは俺が三次元に興味がないことを知ってて言ってくるので本当にたちが悪い。

 それはそれとして何故鶴見が電話をしてきたのか。何気なく電話をしてくるやつではないはずだ。


「それでなにか用事か?」

『そのことなのだけれど。これからデートをしましょうか?』

「……」

『あら?どうしたのかしら』

「いや。冗談がすぎるなと思ってな」

『そうね。デートは早いけれど、今から会ってもらえないかしら?』

「今ここで話すことはできないのか?」

『出来れば会って直接話したいのよ。どうかしら』

「そういうことなら仕方ないな。わかったよ」

『素直でよろしい。それじゃあ、8時頃に駅前の洋服店で落ち合いましょうか』

「了解。そんじゃ、また後でな」


 通話を切って一息吐く。向こうから誘われるとは思いもしなかった。だが、これで昨日の言葉の真意を訊くことができるのだ。この機会を逃すわけにはいかなかった。

 それは別として問題は別にあった。


「……アニメ、録画しないといけないな」


 着替えは済んでいるのだが、ほぼ部屋着のようなものなので着替えなければならない。本当に面倒くさい。


~*~


 少しだけ時間に余裕を持たせるために集合時間の10分前に指定された洋服店の前に待っていた。流石に時間が早いので店自体は開いていないが、シャッターの前には同じように待ち合わせている人たちで埋め尽くされていた。改札の前だということもあり、待ち合わせにはもってこいの場所なのだと改めて思った。

 と、俺が周りを眺めていると、見慣れたロングヘアの金髪がこちらへ近づいてきているのがわかった。4月の後半で寒さがなくなってきたとは言え、それでも油断しているとまだ寒いと感じられるというのに、あのお嬢様はワンピースと言うこの時期としては薄着で来ていた。


「お待たせ。待たせちゃったかしら?」

「そうでもねーけど。それにしても、その格好寒くないか?」

「寒かったのならこんな格好なんてしないわよ。さて、少し早いけれど行きましょうか」

「それはいいけど、どこに行くのか決まってるのか?」

「目的なしで街を歩くのもいいと思わないかしら?」

「……別にいいけどよ。てか、話があるから俺のことを呼んだんじゃないのか?」

「まるでデートね」

「……」


 しまった。まんまとコイツの罠に引っかかってしまった。鶴見は最初から俺とデートがしたいからわざわざあまり使わないだろう携帯で俺を呼んだのだろう。そうだとわかっていれば、俺は自宅警備に専念していたのだが。それはそれで小夜香が許しそうにないな。今日は不在だが。


「仕方ないな。別に今日は予定がなかったから付き合うよ」

「嬉しい返事ね。それでは早速行きましょう」


 そう言って彼女は自然な流れで俺の腕に自分の腕を絡めてきた。ふにっと効果音が出そうな柔らかい胸が俺の腕に当たり、その形を微妙に変えてくる。さらに、女の子特有のシャンプーの匂いが俺の鼻腔を刺激してくる。

 やっぱり鶴見も女の子なんだよな、と胸の感触と漂ってくる香りで感じた。


「と、ところでさ。これから電車に乗るんだが、お前はICカードって持ってるのか?」


 緊張で声が上ずった。うわ、かっこ悪いわ、俺。


「ICカード?それってどんなクレジットカードなのかしら?」

「……わかった。まずは切符を買うか」


 このご時世にICカードを知らない人間がいるとは思わなかった。もしかすると、彼女は筋金入りの箱入り娘なのかもしれない。そう考えると、その後の苦労が想像するだけで押し寄せてきて考えるだけで疲れてきそうだった。ああ、なにか甘いものが欲しいな。

 鶴見は切符を買うために切符売り場まで行くが、そこで彼女は止まってしまった。……あれ?もしかしなくても、これは俺が想像していた通りになっているんじゃないか?俺は彼女のもとに近づいていく。お金を持ったまま鶴見は戸惑った顔で俺のことを見てきた。


「どうしたんだ?」

「ど、どう買えばいいのか、わからないのよ」

「……やっぱりな」


 本当に鶴見は筋金入りの箱入り娘だった。どこの金持ちのお嬢様だよ。あ、鶴見はお嬢様だった。

 仕方なく、俺は鶴見に切符の買い方を教えることにした。まさか切符の買い方を教える日が来るなんて思いもしなかったな。小学生にも教えることはないと思うのだが。

 俺はそのまま自分のICカードの残額を確かめるため、カードを券売機に入れる。その様子を目を輝かせながら鶴見が見ていた。正直、かなり邪魔だ。それに、ここまで見られるととてもやりにくい。


「なあ。恥ずかしいから向こうで少し待ってくれないか?」

「私が横で見ているのが恥ずかしいのかしら?私もさっき見られていたのだけれど?」

「それとこれとは話が違くね?」

「お互い様ってことで」

「……仕方ねーな」


 これ以上争うのは面倒くさかったので、俺が自ら諦めることにした。まあ、いくら抵抗しても彼女は引かないのだろうが。

 俺はチャージをしたICカードを受け取り、改札を抜けた。ちなみに、鶴見が改札で引っかかってしまったことは言うまでもないことである。箱入り娘って本当に面倒くさいな。

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