第8話綾瀬は暴走して炎を出す

 放課後になった。

 早麻理は珍しく他の女子生徒と帰っていったようだ。

 久しぶりとなる一人の放課後。二日間は綾瀬の依頼に付き合っていたこともあり、とても新鮮で懐かしい気持ちになる。ただいま、一人。おかえり、ぼっちな俺。

 とは言ったものの、俺は特にやることがないので、ちゃっちゃと身支度を完了させて帰ることにする。

 放課後というものは、漢字で書かれているように『課業から放たれた後』のことを意味する。にも関わらず、何故部活動を行うのだろうか。普通なら帰って休むためにあるべき時間であるはずだ。まあ俺の独自論ではあるが。

 俺は鞄を肩にかけて教室を出る。廊下には放課後だというのに未だに残っている生徒が多くいる。いや、話すなら別のところでやれ。通行の邪魔だっての。

 騒がしい廊下を一人で歩いていると外からパカーンと言ういい響きの音がしてきた。音のする方の窓を覗くと、テニス部がラリーを行っている。今日は女子が行っているようだ。

 精が出ますね。俺はゆっくり帰って寝ることとしよう。代わりに頑張って青春を謳歌してくださいな。

 俺は見えるはずもないテニス部員達に敬礼をし、昇降口に向けて再び歩みを始めた。しばらく歩いていると、綾瀬が目の前を歩いているのが見えた。しかし、俺は決して話しかけることはない。昼休みの出来事を考えると、どうしても話しかける気にもならないし、そもそも俺は早く家に帰って遅めの昼寝をしたいのだ。

 俺は知らないふりをして綾瀬の横を素通りする。綾瀬は顔を下に向けていたこともあり、俺が通ったことに気づいてはいなかった。俺は綾瀬を気にしつつ、昇降口を目指した。と言うか、既に昇降口の前に着いていた。

 俺は自分のロッカーから靴を取り出し、上履きをロッカーに入れる。靴に履き替えて外へと赴く。

 外は風が少しだけ強く吹き、西日が照りつけてきていた。俺は太陽に手をかざし、光を遮断した。

 これで後は帰って寝るだけだ。無事に今日も終わったな。

 そう感じていた。

 俺は家に帰るために歩みを家へと運ぶ。

 その時だった――――――――。


「きゃあああーーーーーーーーーー!!!」


 学校中に響くような女子生徒の叫び声が木霊した。生徒達は何事だと急ぐように声のした方へと歩いていく。俺も何も考えずに足がそちらの方へ運んでいた。

 校舎へ行くと、目の前で一本の木が真っ赤に燃え盛っていた。火事である。しかも、目の前には燃えている木の前で立ち尽くしている女子生徒がいた。あの時の声

はその生徒のものだったのだろう。

 俺はその生徒のところへ行こうとした。だが、俺はそこで違和感に気づいた。周りにいた生徒達が次々に帰っていく。まるでに部活をしていた生徒も、下校しようとしていた生徒も、教室の窓から外の様子を覗いていた生徒や先生ですら、その場から去っていく。

 なんだよ、これ。なんで誰も火事に気がついてないんだよ!俺は急いで女子生徒のもとへ走っていく。


「だ、大丈夫か!?」

「み……三浦、君……」


 その女子生徒は先ほど俺とすれ違っていた綾瀬京夏本人だった。綾瀬には見えているのだ。目の前で起きている出来事が。

 綾瀬は涙ぐんだ目で俺のことを見ると、そのまま俺の胸に抱きついてきた。

 ほのかなシャンプーの匂いと俺の体に当たっている胸が俺の意識を一時的に火事から逸らしてくれる。くっ……!俺としたことが、こんな一大事に何てことを考えているんだ!ここは平常心、平常心……。


「な、何があったんだ?」


 いきなり声が上ずってしまった。恥ずかしい限りである。


「わ、私がこの木を見てたら、ひ、火が付いたの……」


 言葉が震えている。綾瀬は気が動転しているようだ。それもそうだろう。いきなり目の前で火が付いたらそう反応するのが普通だろう。その瞬間を俺は見ていないが。

 しかし、その火は周りの生徒達には見えていない。見えているのは俺と綾瀬の二人だけである。否、その周りに残っている生徒数名もいる。その中には鶴見や葉山、部活を行っている生徒がこの光景が見えているようだった。見ている生徒の数は5名。全員女子である。男子で見えているのは俺だけのようだった。


「とにかく今はここから離れよう」


 俺は綾瀬の手を握ってその場から離れる。できるだけ炎から離れるように。

 しかし、俺はその炎の動きがおかしいことに気づいた。本来ならば他の木に燃え移るはずだ。だが、炎は同じ木を燃やし続けており、燃え移る気配がない。さらに、燃えている木自体も灰になるどころか、木の表面上でだけ燃えているように見える。


「何がどうなってるんだ?」


 とても人間がやったように思えないことが目の前で起きている。誰も騒いでいない。どこにも燃え移っていない。燃えている木自体も灰にならず、燃え尽きない。

 俺は綾瀬の方を見る。彼女は気を失ってそのまま寝こけてしまったようだ。眠っている顔は天使のようだ。

 それは別として後ろの燃えている木を見る。しかし、先程まで燃えていた木は完全に鎮火していた。それも燃えていた形跡すらない。

 本当に何がどうなっているのだろうか。


「と、とにかく急いで保健室に連れて行かないと」


 俺は綾瀬を抱え上げて保健室に連れて行く。周りの生徒の視線が痛かったが、今

はそれどころではないので無視をする。保健室に着くと扉をノックする。


「入ってどうぞ」


 何ともやる気のない声が聞こえてきた。

 俺は扉を開ける。薄ピンクの白衣を着た保健医とは言い難い不健康そうなクマの目とボサボサのロングヘアの女医・中原真朝が椅子に座って資料を見ていた。


「何だ。また君か。君は保健室が好きなのかい?」

「別に好きでここに来ているわけじゃないんだが」


 別に俺は病弱キャラではない。決して心臓を分け与えられたわけじゃない。何それ。この後地下鉄で人生とか終えるんじゃないの?ちなみに一番近い最寄りの駅に地下鉄は存在しない。

 俺はベッドで綾瀬を降ろし、シーツを掛けてカーテンを閉める。


「君が女を連れてくるなんてどうかしているな。まあ仕方ないか。君だって男だ。そういう気持ちになる時だってあるよな」

「俺が年中発情期みたいな言い方止めてくれないか」

「人間はいつだって発情期だろう。理性で抑えてるだけであって」

「あんた相当歪んでるよな」

「性格が歪んでいる君に言われる筋合いはないな」

「お互い様だと思うが」

「認めるんだな」

「認めたと言うか、諦めがついたと言うか」


 俺は自分の性格が歪んでいることは知っている。だが、それを他人から言われると違うのではないかと感じてしまう。特に中原先生の前ではその性格は間違っているとはっきりと言えてしまう。本当、現実世界で青春ラブコメに憧れている奴の思考は根本的に間違っている。これ、俺の経験談な。

 俺はしばらく中原先生の溜めに溜まっていた資料の片付けを手伝った。この前の貸しだと言われるがままに手伝った。人使いが荒いことで。召喚されてたら下着とか洗濯してとか言われてるレベル。恋に発展することは絶対にないだろうが。

 それからしばらくして気づいた時には綾瀬が起きていた。カーテンの間から顔を覗かせていた。小さい頃よくやったな。顔が落ちる、とか言って。本当、マジ無邪気だった。


「おう。気がついたか」

「う、うん。もしかして私のことを待ってたの?」

「まあな。あのまま放置しても良かったが、それだと早麻理とかに何を言われるか分かったもんじゃないしな」


 言えない。本当はタイミング悪くこの女医に捕まっていたなんて言えない。当の中原先生は俺と綾瀬の会話を肩を震わせながら訊いていた。どう考えても笑っていた。一回殴っても大丈夫だろう。それでも手を出せないのが俺のヘタれポイント。

 ようやく笑いが収まったようで、中原先生は俺と綾瀬のいるもとへ歩いてきた。今更だが、足元がふらついている。この先生普段から寝ているのだろうか。もし、子供を使った実験をしているならば止めたほうがいいだろう。


「お目覚めかい。よくもまあ、長く寝ていたものだな。早く帰ったほうがいいぞ。と言うか、早く帰ってくれ。君たちは邪魔で仕方がない。……なんでこんな微妙な年齢の子供ガキを見なければならないんだ」


 おいおい。普通に聞こえてるぞ。お前は子供嫌いの小学生教師かよ。下手すれば

元カード回収者の怪物を監視している勢い。遊園地とか祭りとかに行ったらバッタリ出会いそうなくらいである。

 シッシッと手で払って俺達を追い返す。俺達はそのまま廊下へ出ると扉を閉めて鍵を掛けた。どんだけ子供が嫌いなんだよ……。


「帰るか?」

「うん。なんか疲れちゃったし」


 確かに綾瀬は立っているだけでもやっとという感じに見える。俺が送っていくと提案してみたが、帰り道が反対だからと断られた。俺達は校門で別れた。


~*~


 帰ってからというものの、俺はソファで寝転がっても落ち着かなかった。放課後に起こったあの火事。結局、何故あの火事が起こったのかは分からない。それと綾瀬である。彼女は火事が起きた瞬間も見ているはずだ。それさえ聞ければいいのだが、あいにく俺は綾瀬の連絡先を知らないので訊くことができない。

 諦めて俺は寝ていることにした。

 家には俺一人である。小夜香は買い物をしているようだった。一緒に行こうかと訊いてみたが、使い物にならないからと断られた。なんて酷い理由だ。いつもはこき使うくせに買い物になると絶対に行かせてくれないんだよな。信用されてねーな。


「お兄ちゃん?いつまで寝てるの?」

「ん……」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。起き上がると台所で小夜香が夕飯の準備をしていた。外は既に暗くなっていた。いつの間にか本当に寝てしまったようだ。重い体を起こして顔を洗いに洗面所に向かう。


「お兄ちゃん。いい加減ケータイ出てあげたら?さっきからうるさいんだけど」

「は?」


 携帯が置かれているテーブルに目を向けると、音はないものの確かにバイブレーションが反応している。決して幸せになどなれないバイブレーションが鳴り続けている。誰からだよ。

 携帯をとってみると知らない番号から大量の通知が来ていた。なにこれ。これだけ見ると明らかにストーカーされているとしか思えない。これ以上無視し続けるのも可哀相なので小夜香のいないところで出ることにする。


「もしもし?」

『ようやく出てくれましたね』

「えっと……どちら様ですか?」

『あら。私のことが分からないとでも言うつもりではないのですよね?』

「あ、ああ。さっきまで寝てたからちょっとボケてるだけだ」


 電話の主は鶴見からだった。あれ、俺は鶴見に連絡先なんて教えた覚えはないぞ?どうして鶴見は俺の番号を知っているのだろうか。


「どうして俺の番号を知ってるんだよ」

『早麻理ちゃんに教えてもらったのよ』


 やっぱり早麻理のやつが絡んでいたのか。あいつは俺の個人情報をなんだと思ってるんだ。いくら俺が鶴見と知り合いだからってホイホイと個人情報は教えていいものではないのだが。それともあれか。新手の嫌がらせか。いや、それはないな。……多分。


「それで俺に何の用だよ」

『大した用ではないのだけれど。和弥君が珍しく放課後の校庭で見たものだからどうしてかしらと思ったのよ』

「……ああ。そのことか」


 痛いところを突かれた。いや、これは予想の範疇ではあるが。俺が校舎を見渡している時に生徒会室の方から二つの影が見えていた。多分、こいつも俺達を見ていたのだろう。この疑問も当然といえば当然だ。しかし、本当にそれだけなのだろうか。今の俺にそのことを訊ける自信は皆無に等しい。


「お前も訊いただろう。綾瀬の悲鳴を」

『訊いたわよ。結構響いていたから何事かと思ったわ』

「俺もその声を訊いて校庭に行っただけだよ」

にも関わらず、あなたは京夏ちゃんとその場を離れていたわよね』

「……やっぱり見えてるんじゃねーかよ」

『あら、つい口が滑ってしまったわ』


 何も見えていないのならば、こうもはっきりと『燃えている』なんて言わないだろう。やはり彼女は何かを知っている。昼休みの帰りに言っていた『妖精』についてのことを。


「鶴見。お前は何を知っているんだ」

『知っている?私は何を知っているのかしらね』

「惚けるなよ。『妖精』のことを知っているだろう」

『……』


 しばらく電話の向こうが静かになる。表情が伺えるならまだしも、顔が見えないのは何とも歯がゆいものだ。それでも俺は鶴見が話し始めるのを待ち続ける。ここで喋ってしまったら鶴見はまた惚けてくるだろうからである。

 それからしばらくして電話の向こうで大きな溜め息が聞こえてきた。観念したのだろうか、それとも俺の諦めのなさに呆れたのだろうか、いずれにしても鶴見はゆっくりと話し始めた。その声はとても冷め切っていたように聞こえた。


『そうね。知っているわよ。この学校では結構有名な伝説よ』

「伝説、か……」

『そう。いつから始まったのかは知らないのだけど、この話は新校舎が建てられてすぐに広まったそうよ』

「新校舎が建てられてからって。校舎が建てられたのって、つい数年前じゃねーか!」

『そうよ。そして、これは私の推測でしかないのだけれど、もしかすると学園長の、和弥君の母親の真の狙いだったのかもしれないわね』

「母さんの……真の狙い?」

『そう。和弥君の母親は『妖精』についての研究をしていた。そして自分の息子の何かしらの力を知ってしまった。だからこそ、自分の息子を自らの学校に招き入れた』

「……」


 特に驚くわけでもない。俺の母親は元研究者である。一体何を研究していたのかはわからないが、研究者だった当時は俺達を放置しながら研究に没頭していた。なので、突然研究者を辞めたと訊いたときは驚いた。あんなに研究熱心だった人が急に研究者を辞めるなんて言いだしたら驚くものだろう。ホント、人気絶頂アイドルが歌う理由がないと言ってアイドル卒業宣言しているようなものである。

 そして、母親が研究者を辞めてから2年後に就職したのが、高校の講師、しかも学園長なのである。何故、高校側は教師歴のない母親を学園長したのかは定かではない。

 鶴見は黙ったままの俺を無視して話を続ける。


『そして私達生徒も同様に『妖精』に関する力が存在しているならば。……ここまで言えば分かるんじゃないかしら』


 言いたいことは分かっている。俺の母親は、高校で生徒、『子供』を一つに収容できる施設に集めて未だに実験をしている。学園長はその仮の姿でしかない、ということなのだろう。そうでもしないと実験は続けられないから。


『ごめんなさいね。寝起きからこんな話をしてしまって。そろそろ私も夕飯だからこれで切るわね。また明日、学校で会いましょう』


 最後にそう告げて電話は切れた。ツー、ツーという機械音が嫌にも響いてきた。俺は当てていた携帯を耳から話して呟いた。


「本当に、鶴見はテレパシーか何かを使ってんのかよ……」


 奥から小夜香の声が聞こえてきた。夕飯ができたらしかった。

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