第16話 さようなら、最強主人公

 希星は女子寮の最上階の廊下を一人で歩いていた。

 長い廊下の奥に見えるただ一つの扉がシオンの部屋だ。

 他に扉は存在しないので、耳がつんとするほどの静けさだった。

 地獄への道のような長い廊下を歩きながら希星は考える。


 直接会って約束したわけでもないのに、デートに応じるなんてシオンはどういうつもりなのだろう。

 そもそも、これはデートなのだろうか?

 シオンは何が目的で会いたがっているんだ?

 女子寮にあるただ一室の男子の部屋に、女子が訪れる。

 それも真夜中に。

 彼もまさかただの友達付き合いをしにくるとは思わないだろう。

 いや、ここぞとばかりに鈍感っぷりを発揮して、いくらこっちがアプローチしてもスカされることもありえる。

 シオンのことをクリスからもっと詳しく聞いておくべきだったと希星は反省した。

 まあ、それはこちらの正体をシオンが何も知らない前提の話ではあった。

 敵だとバレていたら、一瞬であの世行きだ。

 

 ちょうど辿り着いたとき、扉は開いた。

 シオンが顔を覗かせて、目線を激しく動かす。

 希星の他に誰かいないか警戒しているようだった。

 すずなやメルクールを探しているのか、それともただ他の女子に見られたくないだけなのか。 


「入って、どうぞ」


 好きな女の子の部屋に初めて入るとき以上の緊張を伴って、希星は中へと足を踏み入れた。

 まだ女の子とも付き合ったことないのに。

 女装して男と密会だなんて、背徳感というか罪悪感に押しつぶされそうだ。

 神様ごめんなさいと言うべきだろうが、これは神様御墨付きの詐欺なのだった。

 心の傷が治らないときは、神様が慰めてくれるだろう。


 希星はシオンの恰好を見て息を呑んだ。

 胸元がはだけている。

 シオンはバスローブを着ていた。

 普通の高校生が着るとギャグになってしまうそれは、背が高くて、イケメンで、ほどよく胸板の厚いシオンが着るとなかなかさまになっていた。

 シオンの部屋は薄暗く、暖色系の間接照明があちこちに置いてあった。

 ライトアップされた巨大な水槽もあった。

 色とりどりの熱帯魚が泳いでいる。

 窓の外には夜景が見下ろせるようになっていた。

 高級そうなレザーのソファに座り、シオンは隣に座れと合図した。

 緊張で目を泳がせながら希星は座った。泥沼に落ちたみたいにどこまでもお尻が沈んでいくようだった。

 ピカピカに磨かれたガラステーブルの上に、紫色の液体が入った瓶があった。

 シオンは瓶の先端のコルクを抜き取って、自分の分と希星の分をグラスに注いだ。


「今日の出会いに乾杯しよう」


 グラスの中身はぶどうジュースかと思ったけれど、この流れだとワインだとしてもおかしくない。

 この人は少女漫画の登場人物なんだろうかと思いながら、希星はシオンとグラスをカチンと合わせた。


 飲み物の中に毒や睡眠薬が入っていたらどうしよう。

 でも、いつまでも飲まずに警戒していたら、彼の方も警戒し始めるに違いない。

 リスクを避けて安全を取るか、それともリスクを負って勝負に出るか。

 希星が迷っていると、シオンが先にグラスをあおった。

 同じ瓶の飲み物なので、片方だけに細工をするのは難しそうだ。

 希星はとりあえず安心して、それを飲んだ。

 飲んでみると。ぶどうジュースみたいで美味しいような気もしたが、後味が保健室の消毒薬みたいだった。

 飲んだことがないのでわからないけれど、これがワインなのだろうか。


「今日は、俺に言いたいことがあったんだろ? クリスから聞いたぞ?」


 表向きは最弱、真の正体は最強の暗黒魔法使いのシオンは、自信を感じさせる優雅な仕草で希星の肩に手を回した。

 希星がびっくりして思わずきゃっ、と声をあげると、


「可愛いな。すごくいい匂いがする」


 と、言ってシオンは強めに希星の肩を引き寄せるのだった。


 クラスの女子がいくらアプローチしてもなびかなかったシオンが、まさか自分からアプローチ?

 

 これはチャンスといえばチャンスだった。

 向こうがその気ならいける。

 希星は両手を股の間に挟んで小さく肩を縮め、顔を赤くした。。

 我ながら演技なのか本気なのかわからなくなっていた。


「僕、シオン君のことが好きだったんだ。付き合ってくれたら嬉しいな」


 数々の女子生徒に好意を寄せられながら、まったく気付かないほど鈍感なシオンだったので、告白しても無駄かもしれないと希星は思っていた。

 だが、意外にもシオンはあっさり受け入れた。


「いいよ。俺たち付き合おう」


 昼間は鈍感で、夜は敏感なのか?

 モテる男はそういうものなのだろうか?


「本当にいいの?」

「信じられないか?」

「こんなに早く両思いになれるなんて思わなかった」

「俺は女の子の夢を叶えるのが趣味なんだ」

「ありがとう……」

 

 希星の頭の中で祝福の花火が弾けた。

 シオンとの恋が成就した以上、さげちんの効果が働き始めているに違いない。

 これで大量の運を取り戻せるし、希星は女装をしなくて済むのだ。

 めでたく任務完了だ。

 何ともあっさりとした幕引きだったが、これもシオンの運がなくなったせいかもしれない。


「嬉しいよ。これからよろしくね。今日はそれだけ伝えたかったんだ。また別の日に、デートとかでお互いのことを知っていこうよ」


 すでにシオンの幸運の低下は始まっているはずなので、これ以上希星はここにいたくなかった。

 セーラー服とショーツとブラを脱ぎ捨てたい。

 女の子用のスニーカーとルーズソックスを脱ぎ捨てたい。

 顔を洗って化粧を落とし、シャワーを浴びて香水を洗い流したい。

 そして女装をしたことは何もかも忘れて、地球に戻り、漫画を描くんだ。


「じゃっ、そういうことで」


 希星はソファーに深く沈んだ腰を上げる。


「それはないだろ? 俺たち、もう子供じゃないんだぜ」

「えっ?」


 きつく手を引かれて、希星は逃げられなくなる。


「お前が俺のこと好きなのは初めからわかってたんだよ。どうせお前も俺とヤリたいんだろ? 面倒な前置きはなしで、さっさとやることやろうぜ」

「え? ええっ?」


 一人暮らしの男の家にうっかり上がり込んでしまったか弱い女の子の恐怖を、希星はいままさに味わっていた。


「俺、慣れてるからさ。痛くないようにしてやるって」


 シオンは鼻息を荒くして、希星のスカーフを解いてその辺に放り投げた。


「ちょ、ちょ、ちょ、いつも謙虚だったシオン君はどこに行ったの? シオン君ってモテないんじゃなかったの? 彼女なんてできたことないんじゃないの?」


 この人は鈍感な主人公だから変なことはしてこないと高を括っていた希星は裏切られた気分だった。


「それは建前だよ。モテまくってるなんて公言したら感じ悪いだろ。夜はやることやってるに決まってるじゃないか。クラスの女だってだいたい俺とヤリたくて部屋に来るんだからさ。お前もそうだろ?」


 シオンは慣れた手つきで、希星の上着のサイドにあるファスナーを下ろす。


「ぼ、僕は真剣に君とお付き合いしたいんだよ。そういうのはお互いのことを知ってからにしようよ」

「そういうの面倒だからパース。俺に相手してもらえるだけありがたいと思えよ」


 ――こ、こいつ、最低野郎だ。女の子の敵だ。


 いい人そうだから女装して騙すのは申し訳ないと思っていたのが全部吹き飛んでしまった。主人公は一人残らず懲らしめるべきだ。

 宇宙の平和のために、シオンの幸運をすべて奪わなければならない。


 ブラのホックを外して出てきたパットを摘み、不思議そうな顔をしてからやっぱり胸がないなと呟きつつも、シオンは希星のスカートの中へと手を滑り込ませた。


「や、やめて」


 抵抗したくても、力が入らなくて抵抗できなかった。


「す、すずな、助けて……」


 シオンは希星のショーツをまさぐっていたとき、ようやくそれに気付いた。


「お前、男か?」


 ワインで赤くなっていたシオンの顔が一瞬で青ざめた。

 どうやら抵抗する必要はなかったようだった。

 なぜなら希星は男だったので、犯されるなんてことは初めから心配する必要はなかったのだ。

 途端に、希星は勇気が沸いてきて、シオンに罵倒を浴びせることができた。


「へへーん、僕は男なんだよ。騙されやがって、この最低男!」


 こうなったらとことんプライドを傷つけてやろう。二度と女の子に手出しできないように。誘惑する度に男かもしれないと怯えるようになれば、被害に遭う女の子もいなくなるだろう。


 シオンはしばらく希星の顔を見ながら絶句していたが、やがて確信を得たように笑みを浮かべた。


 なぜそこで笑う?

 すぐにでも泣き叫ぶべきだろう?


 シオンは息を荒くして血走った目で希星を見つめる。


「最初から俺はこれを求めていたんだよ」

「何が?」

「お前が男なんじゃないかって」

「は?」

「お前は他の女にはない強烈な魅力を持っていた。それがなぜかいままでわからなかった。俺は気付いたんだ。本当の愛は男同士でしか分かち合えないって」

「ええっ? ストップ、ストップ!」

「お前、やっぱ可愛いよ。ちょうど女とはヤリすぎてて飽きてたとこなんだ。俺、お前のことマジで好きかも」

「一回、一回冷静になろっ?」


 シオンのきりっと引き締まった真剣な顔を見ると、希星は沸いてきた勇気が一気になくなっていくのを感じた。

 男だから最後は逃げられると思っていたのに……男だからこそ惚れられるなんて予想もしていなかった。いや、そういうギャルゲもあるので正確には知っていたのだが。


「けっ、結婚してくれ!」

「ぎゃー!、ぎゃー!」

「幸せにする!」


 シオンは泣きながら喚く希星に無理矢理口づけしようとした。

 まだ誰ともキスなんてしたことないのに、この男としてしまうのは死んでも嫌だった。

 ファーストキスはすずなにあげるって決めていたのに。

 穢れてしまうくらいなら舌をかみ切って死んでやる。


 そのとき、ブレーカーの落ちる音がして、部屋がまっくらになった。

 驚いたシオンは顔を上げて辺りを見回す。

 当然、真っ暗なので何も見えない。

 ガラステーブルの脚に何か重い金属が当たる音がした。

 次の瞬間、閃光と爆音が部屋を吹き飛ばす勢いで炸裂した。

 部屋に投げ込まれたのはスタングレネードだった。

 この時点でシオンは行動不能になっていたが、さらに追加で何かが投げ込まれた。

 部屋の中にガスの漏れるような音が響いている。

 シオンだけでなく、希星までもが涙を流し、嘔吐したくなるほどの激しい咳が何度も続いた。


「主人公を捕まえろ!」


 微かな衣擦れの音がしたかと思うと、今度はPB銃の発射音が鳴った。どちらも小さな音だった。


「主人公、確保」


 すずなの声に応じて、ブレーカーが上がり、部屋の明かりが元に戻った。

 はだけたバスローブ姿のシオンは、手首をすずなにブーツで踏まれていた。


「ただちに連行する」


 すずなはガスマスクをしているせいでくぐもった声だった。

 暗視ゴーグルを頭の上に持ち上げたすずなは、シオンにPB銃を向けながらも、部屋の奥や出口に忙しく目線を動かし、仲間がいないか用心深く確かめていた。


「げほっ、げほっ、卑怯だぞいきなり、くそ……俺を誰だと思っていやがる。最強の暗黒魔法使いだぞ」


 シオンは倒れながらも無詠唱無属性最強魔法を使おうとしたが、手の甲に魔方陣が一向に浮かび上がってこないことに気付いた。

 すずなに踏まれている手首の先は、希星が見ていられないほど酷い火傷になっていた。PB銃で撃ち抜いたのだ。


「お、お前ら何なんだよ。卑怯過ぎるだろ」

「恨むなら自分の運の良さを恨め。貴様が幸運を独占したせいで、どれだけの人間が地獄を見たと思っている」

「くそ、お前ら、絶対許さないぞ。俺は、最強なんだ」

「ガキの魔法ごっこに付き合うほど私は優しくない。変なマネをすれば即座に殺す」


 すずなはPB銃を発射して、シオンの耳を少し削った。


「いてえぇぇぇ!」


 シオンは泣き喚いたが、すずなの氷のような冷たい視線で睨まれると、目を見開いて押し黙った。


「中山、主人公に手錠を。メルはn3までのテレポートの手配と、ここの事後処理を頼む」


 返事した二人はその後一言も発せず、驚くべき早さで仕事をこなした。


「よくやってくれた」


 まだ咳の止まらない希星の背中を、すずなはそっとさすった。


「先生が頑張ってくれたので、私たちの仕事はだいぶ楽になった。ありがとう」

「う、うん……助けてくれてこちらこそありがとう」


 すずながまだ怖い目をしていたので、希星は怯えながら言った。


「A級主人公を捕まえたという成果は大きい。全部先生のおかげだ。けれど、主人公を脱主人公化してみないと、どれだけの運を確保できるかわからない。先生への幸運の返還はもちろんすぐに始めるけれど、今回の成果をすべて先生に配分できるわけではない。他にも不幸な人間がたくさんいるから……」

「うん、気長に待つよ」

「サラ様も、きっと先生に感謝していると思う。本当にありがとう」

 

 メルクールに連行されていたシオンが希星を睨みながら通り過ぎていった。

 いまだに諦めていない、本気の目だった。

 あまりのおぞましさに、希星は男性恐怖症になってしまいそうだった。

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