第17話 世界の中心で俺は主人公だと叫ぶ
勇者は自分が何者かをすっかり忘れていた。
灰色の作業着を着ることが不快ではなくなってしまった。
刺身工場での真面目な勤務態度が認められ、給料も上がった。
工場の友達と行う、仕事終わりの宴会はささやかな楽しみだった。
相変わらず、自由に街に出ることは許されていないが、溜まった給料で好きな物を買うことは許されていた。
惑星n3での充実した生活の中で、魔王討伐や冒険の日々は、すでに過去の思い出と化していた。
主人公に戻らなくても幸せだ。
そう思い始めたとき、一人の新人が入ってきた。
そのシオンという男は、前に勇者がそうであったように、自分が世界の中心にいることを信じ切っていた。
主人公は俺だ。
俺以外の人間は、俺の人生を盛り上げるための脇役にすぎない。
望めば何だって手に入るし、やりたいことは何だってできた。
刑務官に向かって悪態をつく工場にやってきたばかりのシオンを見て、勇者はかつての自分を思い出した。
新しい生活を拒絶していたシオンが、徐々に工場での日常に慣れていく過程を見ていると、勇者はいよいよ、脱獄計画を練り始める。
ある日、ベルトコンベアーの回る音に包まれる中、勇者はシオンに声を掛けた。
「よう、シオン。調子はどうだ?」
「いつも通りさ。先輩……」
「だよなあ。サーモンの横にタンポポを置く。俺たちがやることはこれだけだ。毎日毎日楽しくてしょうがないぜ!」
勇者は刑務官の目を気にしながら、シオンの肩を叩いた。
「よう、ボス、俺がこいつに刺身のすばらしさを教えとくんで心配しないでください」
勇者は刑務官に愛想笑いしながらシオンを奥まで連れて行く。
刑務官の目が届かなくなったことを確認すると、勇者は眉間に皺を寄せてシオンに囁いた。
「シオン、お前、脚は大丈夫か?」
「脚?」
「すずなっていう金髪の恐ろしく綺麗な女がいただろ? あいつに脚を撃たれなかったかって聞いてるんだ」
「撃たれたのは手だけさ」
シオンは包帯の巻かれた右手を見せる。
「よし、お前はまだ運がいい。俺は左脚を撃たれてしばらくまともに歩けなかったんだ」
勇者は左の股をぽんぽんと叩く。
「ここでは昼飯にまかないとして一パックの刺身と白いごはんが支給される。言っておくがめちゃくちゃうまい。だが騙されるな。ここで働いていたら、頭がおかしくなっちまって、自分が本当は何者だったか忘れてしまう。お前、ここから逃げたいだろ?」
「逃げられるのか?」
「俺とお前が組めば逃げられる。すずなのやつら、黒くて四角い板を持っていなかったか?」
「持ってたけど」
「そいつは魔法の板だ」
魔法と聞いてシオンの目に少し光が戻った。
「魔法の板さえあればここから逃げられる。実は、魔法の板を保管してある場所がどこにあるかは調べがついている」
「また、魔法が使えるのか?」
希望を取り戻したシオンは、声を弾ませた。
「当然だ。俺たちは主人公なんだ。この世界は俺のためにあるんだ。絶対になんとかなるんだぜ」
勇者の言葉に、シオンが難色を示した。
「あのさあ、先輩は自分のために世界があるって言ったけど、この世界は俺のためにあるんだぞ。俺は暗黒魔法を使う最強の主人公なんだ。俺の方が主人公じゃないか?」
「馬鹿野郎。俺は魔王を倒して世界を救う勇者なんだ。俺が主人公に決まってるだろ」
「主人公はピンチになったら誰かが助けにくるものなんだよ。先輩は俺を助けにきた脇役だろ?」
「勇者が脇役なわけねーだろ! お前こそ魔法使いじゃねーか。魔法使いは、勇者を脇で支えるって昔から決まってんだよ。てめーこそ脇役だ!」
「俺は主人公だ!」
「俺の方が主人公だ!」
「戦ってみるか?」
「やってやるよ!」
「おい、誰かいるのか?」
刑務官の声がして、足音が近づいてくる。
たんぽぽの花を保管している小高く積まれたプラスチックケースの影にいた勇者とシオンは、言い争いを中止して、息を殺した。
刑務官の足音が過ぎ去っていくのを聞いて、二人はほっと息を吐いた。
「どっちが主人公なのかはとりあえず置いとくとして、まずはここから脱走するぞ」
「同感だ、先輩」
「シオン、お前はここから出たら何をしたい?」
「そうだな……俺は、俺を騙した女……いや男のところに行って復讐してやる……先輩は?」
「俺は波遊すずなに復讐したい。お互い復讐が目的ってわけか」
勇者とシオンは意気投合の証として、互いの拳を合わせた。
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