第14話 日常もフィクション

 希星は地球に戻ってきた。

 とは言っても、自分の星に戻ってきたという実感はない。

 宇宙船に乗って長旅をしてきたのならまだしも、テレポートで一瞬なので、旅という感じもしない。

 暗幕が下ろされた瞬間に、舞台装置が入れ替わって背景が変わったような、そんな錯覚すらある。

 そして、部室にいる月園月子も、ギャラを貰っているから漫研の後輩を演じているだけで、本当は全然別の人生や人柄を持っているのだ。

 そこまで妄想して、ありえないと希星は首を振った。

 シオンじゃあるまいし、主人公属性のない自分を騙しにくる役者なんていないだろう。

 世界が自分を中心に回っているなんて馬鹿げた妄想でしかないのだ。

 

 その日、希星はいつも通り授業を受けて、放課後は部活に出た。

 三月までたくさんいた先輩がいなくなり、四月に月園ただ一人だけが入部してきた漫研部室での部活だ。

 落ちこぼれた元漫画家を忌避するように、新入部員は現れることはなかった。

 慕ってくれるのは、中学時代の後輩、月園ただ一人だけだ。

 今日はそんな月園のために、希星は絵の描き方を教えていた。


「先輩、髪型がかっこよくなってるっていうか、可愛くなってないっすか?」


 希星と月園は同じ長テーブルに隣り合って座っていた。

 メルクールにストパーを掛けられて小綺麗にカットされた髪を、月園は眺めていた。

「メルクールって外人の子がいただろ? あの子がタダでやってくれるって言うから切ってもらった」

「先輩、元が美形だから、髪型ちゃんとするとリア充感半端ないっす」

「そうかな?」

「また告られちゃいますよ。中学のときにいたじゃないですか。美術部の後輩。男の」

「その話はやめて。あれは本気じゃなくて冗談だって言ってたよ」

「私の腐女子スカウターに狂いはないっす。あいつ、ガチホモっすよ」

「やめて。いっとくけど僕は完全にノンケだからね。告られるなら女の子がいい」

「わがまま言ってると、婚期逃しちゃいますよ」

「なんで妥協して男と結婚しなきゃいけないんだよ……そういうのは同人誌でやってよ」

「あっそうだ、今度の夏コミ、先輩女装して売り子やってくれないっすか?」


 あまりにも自然に月園が言うので、希星は思わず咳き込んでしまった。


「女装だけは死んでもしない……」

「えーっ、先輩、絶対似合いますって。同人の売り上げ、半分あげますから」

「いくら貧乏だからって、女装してまでお金稼ぎたくないよ」


 希星は罪悪感で押しつぶされそうだった。


「じゃあ、この液タブあげます」


 月園が持っていたのは持ち運びに便利な小型の液晶タブレットだった。デジタルで漫画を描いていた希星はもちろんペンタブレットを持っていたが、液晶が付いていない安いタブレットしか持っていなかった。月園がくれると言ったのは二十万円近くはする品だった。


「すごくほしい……けど、女装は嫌だからいらない」

「残念っす。先輩、似合うと思うのになー」


 恐ろしいことをいう月園から、希星は赤くなっていた顔をそらした。

 女装してみたら意外と様になっていて、しかも男に色目を使ってたぶらかしていたなんて言えるはずがない。


「それにしても、ようやく先輩に漫画教えてもらえて超嬉しいっす」

「一昨日はごめんね。ちょっと外せない用事で」

「売れっ子モデルと売れっ子漫画家の外せない用事って何ですかねー」

「たいしたことじゃないよ」

「まあ、いいっす。今日はせっかく楽しい部活なんすから、あのモデルの話はなしなし」


 月園はニコニコしていたらしかったが、分厚い眼鏡ともさい前髪のせいでよくわからない。それでも、美少女の巣に放り込まれた希星は、月園のオタク然とした顔を見ているとなぜか安らぐのだった。


「月園、絵上手くなってるよ。もう、僕が教えることなんてないくらい」


 月園の液タブを覗きながら希星は言った。

 キャラの絵が一つのフレームに大量に描かれている。全身絵だったり、いろんな角度のクローズアップだったり。


「いや、もう、先輩の影響受けまくりで恥ずかしいっす。ほとんど先輩のパクリっす。パクリ」

「確かに似てるかもしれないけど、この白目剥いて驚いてるキャラとか、月園らしさ出てるよ。ギャグっぽいっていうか、デフォルメするセンスって僕にはないし」

「とんでもないっす。先輩は神っす。身内のひいき目なしに、先輩のデビュー作って衝撃だったと思いますよ。ディティール凝ってて情報量すごいのに読みやすいし、背景のレイアウトとか芸術映画みたいでめちゃくちゃかっこいいっす。私のキャラ絵なんて、この目の二重の線の処理とか、眉の下の影の付け方とか、先輩のやり方全部パクってます」

「最近の流行りだよ。僕が考えたんじゃないと思う」

「先輩がデビューした後に流行ったんですよ。先輩がペンネーム変えてどっか行っちゃったのをいいことに、あの漫画家もあの漫画家もパクリやがって……」


 月園はペンを握りつぶす勢いで怒っていた。


「それが本当だったなら僕は嬉しいよ。漫画界に貢献できたってだけで」

「そんな引退しちゃったみたいな物言いやめてくださいよ。努力だけで行ける限界点に到達した漫画家っすよ、先輩は」

「えっ、それ褒めてる?」

「褒めてますよ。不幸な先輩は努力だけで這い上がってきたんす……とにかく、先輩は私にとって神様なんです。私は先輩のデビュー作をいつも枕元に置いて寝ています」

「ありがとー」


 デビュー作の献本はすべて破り捨てたなんて言ったら、月園は怒るだろうか。そういえばすずなも悲しげな顔をしていたと、希星は一昨日の浴場での場面を思い出2した。


「というわけで、先輩、まずは二点透視法から教えてくださいっす。中学のときに先輩に教えてもらったおかげで、一点透視はなんとか使えるようになってきたんですけど、二点透視マジ意味わからないっす」


 月園はペンを持ちながら、眼鏡の奥の濁った目をキラキラさせている。


「月園の作風ってギャグ路線でしょ? 背景そんないらないし、いるときは3Dで作って貼り付けちゃえばよくない?」

「嫌です嫌です。私も、望遠とか広角とか使い分けて、かっこいい背景描きたいっす」

「わかった、わかった」


 月園が駄々をこねるので、希星はやむなくペンを取った。

 希星が話す言葉を、月園は一言一句漏らさないよう、真剣に、嬉しそうに、聞いていた。

 希星がデビューした当時と何も変わっていない月園の憧れに満ちた目を見て、希星は不幸な現状を何としても変えなければと意気込むのだった。

 このまま朽ち果てていくなんて嫌だ。

 

 ――しかし、女装は嫌だなあ。

 

 シオンを騙しきることができるのかと希星は不安になる。


「男一人に対して、何百人の女が争う乙女ゲーってあるのかな?」


 希星はふいにぽつりと呟いた。


「いきなり何ですか。それって男向けのハーレム物じゃないんすか?」

「そうなんだけど、ハーレムの中の女の子の一人になってプレイするゲームって難しくない?」

「クソゲーじゃないすか。誰が買うんすか、そんなゲーム」


 あったら攻略本と一緒に僕が買うよ、と希星は心の中で呟いた。

 月園が眠たそうにあくびをしたところで、希星はお絵かき授業を中止した。


「そろそろやめとく? 月園、疲れてない?」

「すみません、最近寝不足で、実はお風呂も入ってないっす」


 申し訳ないと思いながらも、希星は月園から距離をとってしまった。


「さすがに風呂には入ろうよ。エチケット、エチケット」

「私、汗かかない方だから、大丈夫っすよ」

「月園は大丈夫でも、こっちは大丈夫じゃないかも」

「わかったっす。月末には入るっす」

「いや、毎日入らなきゃだめだよ。そんなに勉強忙しいの?」

「趣味を好き勝手やっていい代わりに、成績は落とさないっていうのが親との約束ですからね」

「大変だなー」


 月園はペンを置くと、テーブルの上にあったさっきから美味しそうな匂いのしていたレジ袋を手にした。


「夕飯どうっすか? 先輩の分もありますよ」


 スーパーで買ったらしい、パックに入ったカレーや寿司や牛丼弁当だった。


「ちょうどお腹空いてきたし貰おうかな。お金払うよ」


 希星が財布からなけなしの五百円を取り出すと、月園は首を振った。


「お金はいらないっすよ」

「ええ、後輩に奢られるって結構つらいよ?」

「考えすぎですって。さっきの授業代だと思って」


 月園は、ウニやイクラの載った結構なお値段のするパック寿司を、希星の目の前に置いた。


「じゃあ、貰っておくよ、ありがとう。次は奢るから」

「約束っすよ。回らないお寿司に連れて行ってほしいっす」


 そう言った瞬間の月園の表情は明るい笑顔だったが、しばらくすると悲しそうに目線を落としていた。

 何か言えない悩みでもありそうな雰囲気だった。

 

 もしや、本当は漫画家をクビになっていることに気付いているのに、あえて気付かないフリをしている?


 売れっ子漫画家らしからぬところを見せてしまってはいないだろうか。さっきまでのやりとりを思い出しながら、希星は不安を募らせた。


 そういえば地球にいても、別の星にいても、自分ではない誰かを演じながら嘘をつきまくっているような気がした。

 主人公になれない理由がわかった気がした。


 主人公は誰かを演じる必要がないし、嘘もつかなくていいのだ。

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