第12話 アンラッキースケベ

 シオンと恋人にならなければならない。

 異性との恋もしたことがないのに、希星は同性との恋なんてうまくいく気がしなかった。

 もうこれは何かの弾みで借りてしまった乙女ゲーを攻略しているのだと思い込むしかないだろう。

 でないとやってられない。

 とりあえずは……。

 どうにかしてシオンとのフラグを立てないといけない。

 まずはきっかけ作りだ。


 この学校は全寮制だったので、食事はたいてい学食で取ることになっている。

 シオンも例外ではなく、学食で夕食を食べていた。

 話し掛ける絶交の機会だったが、シオンの隣にはヒロイン候補ナンバーワンともいえるクリスが座っていた。

 四角いテーブルには一辺に三つの椅子があり、クリスとシオンの隣は空いていた。

 シオンを取り囲むなんて、まるでハーレム要員の一人になった気分だ。

 希星はスープやパンの載ったトレイを抱え、憂鬱な顔でため息をついた後、気合いを入れるように強く目を閉じてからシオンに近づいていった。


 「ここ、座っていいかな?」

 

 そう言いながら、希星はクリスの意地の悪そうな笑みを見た。

 恋敵がやってきたのだから、当然の反応だろう。

 先にクリスを説得しておくべきだったかなと悩んだとき、

 希星は転んでしまった。

 とてつもなく運が悪い希星だったが。何もない床で転ぶほどどじっ子属性があるわけではない。

 クリスが伸ばした脚に躓いたのだ。


 希星が手放したトレイはひっくり返り、皿が投げ出された。

 それらはシオンに向かって飛んでいく。

 スープをぶっかけて火傷でもさせてしまえば、また希星の好感度は下がってしまう。

 

 だけど希星の心配は杞憂だった。

 空中に浮かんだ皿のすべてを、シオンは手や腕を使ってすべて受け止めた。

 料理マンガの凄腕ウェイターのようなかっこよさだった。


「大丈夫? 怪我はないかい?」


 床に転んでいた希星は差し出されたシオンの手を強く握った。

 

「大丈夫です」



 希星が平気そうに立ち上がると、シオンは真っ白な歯を覗かせて微笑んだ。

 暗黒魔法使いを撃退したときといい、今回といい、たしかにシオンはかっこよすぎる。

 自分がもし女だったら惚れていたかもしれない、抱かれてもいいかもしれない、と希星は思った。

 

 いかん、何で僕はヒロインになりきっているんだ?


 シオンから食事の載ったトレイを受け取りながら、希星はぶるぶると首を振った。


「ちっ……」


 シオンの隣にいたクリスが目尻を吊り上げながら舌打ちをした。

 クリスさえいなければなあ、と希星はライバルの存在に若干いらついた。


「あの……ありがとう……」

「いいんだ、もしよかったら、一緒に食事でもどうだい?」


 シオンは空いていた自分の隣の席に目を落とした。


「いいの?」

「いいわけないでしょ!」


 クリスが金色のツインテールを飛び跳ねさせながら叫んだ。


「シオンは私と一緒に食べたいって言ったのよ。あんたは来ちゃだめ」

「みんなで一緒に食べてもいいだろ? どうして怒ってるんだ?」


 シオンがわけがわからないというような顔で言う。


「鈍感過ぎるのもいい加減にしなさいよ……バカ……」


 クリスは顔を赤くして唇を噛み、顔を背けた。


「やれやれ」


 シオンは両手を広げて首を傾げる。


「希星、座れよ」


 シオンは隣の椅子を引いて、促した。


 こんな鈍感な男をいったいどうやって惚れさせればいいんだろう。

 希星はヒロインの苦しみというものを味わいつつあった。


「ありがとう、僕もシオン君と一緒に食事したいと思ってたんだ」


 希星はシオンの隣に座りながらそう言った。


「どうして俺なんかと一緒に?」

「だって、シオン君はかっこいいし、強いし、優しいし、みんなシオン君と仲良くしたいんじゃないかな」

「俺なんかどこにでもいる平凡な学生だぜ。いまだに彼女なんてできたことないしな。あー、一度でいいから可愛い女の子と付き合ってみてーなー」


「じゃあ僕、なんかどうかな……」「私でいいじゃない……」


 希星とクリスが同時に呟いた。

 すると、シオンは不思議そうな顔で言った。


「ん? なんか言ったか?」


 それを聞いてクリスと希星は同時に眉間に皺を寄せた。

 握りしめた拳がダブルで飛んできそうな雰囲気になった。 


 このぶんだと大声で好きだと叫んでもスルーされてしまいそうだ。

 いっそのこと手紙でも書いてみようか。


「いやー、魔法の授業つらかったわねー」

「つらいー」

 

 わざとらしい芝居の声が聞こえてきた。

 希星やシオンの正面の空いた席に、すずなとメルクールがやってきた。

 メルクールは座った瞬間に、希星にウインクした。

 うまくいってる? という意味のサインだろうから、希星は小さく首を振っておいた。

 メルクールは両手を握りしめてファイト、と声を出さずに言った。

 がんばりたいけど、攻略法は見つかりそうにない。


「メル、何か飲み物が欲しい」

「いつものコーヒーでいいかしら?」

「たのむー」


 メルクールはすずなの注文を受けていったん座った席からまた離れた。

 メルクールはすずなの舎弟なので、使い走りは日常業務なのだろう。


「俺のコーヒーでよかったら飲むか? まだ一口も飲んでないぞ」


 シオンがすずなに聞いた。


「私はコーヒーにはうるさいのだけど」

「俺もコーヒーにはこだわりがあるんだ。うまいから飲んでみろよ」


 シオンは自分のカップをすずなの前へと滑らせた。


「ありがとー」


 すずなはまだ湯気の立つそれに、息を吹きかけて冷まそうとした。

 さりげなくすずなともフラグを立てるシオンに、希星は少し嫉妬してしまった。

 悔しいけれど、男としてはシオンに敵いそうになかった。

 一般人の希星と主人公のシオンを比べてしまえば、劣っているのは圧倒的に希星の方だ。


 「確かにおいしそうな匂いがする」


 すずなは目を閉じてコーヒーの香りを堪能していた。

 まるでヤクザの幹部が質の高いコーヒーを嗜んでいるような、そんな貫禄がすずなにはあった。

 貧乏な希星には、コーヒーの善し悪しなどわからない。

 どう考えても、すずなと付き合うのがお似合いなのはシオンだな、と希星は思ってしまう。


 すずなは小指を立てながらカップを指先で持ち上げて、上品な所作でコーヒーを飲み始めた。

 はたしてすずなの肥えた舌を唸らせることができるのだろうか。

 周囲の注目が注がれる中。

 すずなは豚の鳴き声のような音を立てて、コーヒーを霧状に吹き出した。


「げほっ、げほっ」


 すずなは涙を流しながら咳き込んでいる。


「ど、どうした?」


 シオンも希星も驚いた。


「苦いコーヒーなんて飲めるわけないだろう、ぶち殺すぞ!」


 可愛らしい容姿から発せられたとは思えないくらい低い声で怒鳴ったすずなは、いまにもカップをシオンに投げつけそうになっていた。


「コーヒー選びには自信があったんだが……」


 怒鳴られたシオンは明らかに萎縮していた。


 どこかに行っていたメルクールが駆け足で戻ってきた。

 姐さんの機嫌が悪いのを察知して、メルクールは説教するようにシオンに向かって言った。


「姐さんにはパックのコーヒー牛乳をお出しするのよ。ストローを付けて」

 

 テレポートで地球まで戻ってきたのか、それは日本で売っている有名なコーヒー牛乳だった。かわいい牛さんの絵が描かれている。

 怒りで誰かを殺しそうな形相になっていたすずなだったが、コーヒー牛乳のストローに口を付けて中身を吸い込んだとたん、


「あま~い」


 虫も殺せないようなほっこり笑顔になった。

 バターを乗せたらとろっとろにとろけそうな表情だ。


「それはコーヒーじゃなくて、コーヒー味の牛乳なんじゃないの?」


 希星はそう呟いた。

 コーヒーにうるさいと言ってたくせに子供の飲み物しか飲めないのではつっこむしかない。


「あま~い」


 コーヒー牛乳はとてもおいしいらしく、すずなは誰の声も聞こえないみたいだった。


「お前ら転校生ってさ、変だよな」


 シオンが何かを察したようだった。

 すずなの振る舞いがあまりにも子供すぎたのだろうか。


「変って?」


 シオンの疑いの目に怯えつつ、希星は震える声で聞いた。

 転校生三人が、自分をやっつけにきた天使だとわかれば、彼は暗黒魔法を使ってくるに違いない。

 どんな強敵も一瞬でこの世から消し去る無詠唱無属性魔法だ。

 最強の主人公を相手に芝居を打とうとしているのだから、彼の前では十分に用心しながら行動すべきだったのかもしれない。


 事態の重大さはすずなも感じたようで、力の抜けた唇からストローがこぼれ落ちていた。


「お前ら何か隠しているだろ?」


 シオンとすずなの視線が真っ向からぶつかり合った。

 二人共まばたき一つせずに腹の探り合いをしていた。

 メルクールは引きつった苦笑いを浮かべてすぐにげろってしまいそうだったし、希星も頭の中が真っ白になって何も言い訳が思いつかなかった。

 いくら転校生が三人同時にやってきても不思議ではない学園でも、さすがに調子に乗りすぎた感は否めない。

 これだけ力のあるシオンのことだ、たまには敵のスパイが学園に紛れ込んだりもするのだろう。

 まったくのお人好しではないようだった。


 シオンとすずなの睨み合いの中、シオンの隣で食事をしていたクリスが口を開いた。


「あんたたちもどうせシオンが好きなんでしょ。下心があるってバレバレなんだから」


クリスは腕を組んでふんと鼻を鳴らし、ツインテールをなびかせながら顔を背けた。


「クリス、黙っててくれ。いまは真剣なんだ」

「えっ、私も真剣なのよ」


 クリスが必死に訴えるが、シオンは相手にしていなかった。


「お前たちを見てると違和感しかない。いったい何者なんだ?」


 すずながテーブルの下に手を伸ばして、銃を取りだそうとしていた。

 この学園の制服を着ていたとしても、やはり、外の世界の人間であることはわかってしまうようだ。演技の練習でもしてからここに来るべきだったのだ。

 

「特に希星! お前はどうしてそんなに他の女と違って見えるんだ」


 シオンはすずなから目をそらして、急に希星をびしっと指差した。

 そのシオンの指が、希星の胸をぎゅっと押した。

 まるでボタンを押すように。

 希星の胸には偽乳を作るパッドが入っていたので、本当にぽこりとへこんだ。

 

 シオンにとってはいつものラッキースケベなのかもしれないが、希星にとっては最悪の不幸だ。

 スカートの中に頭を入れられたときは何とかしのげたけれど、今回は余りにも唐突すぎて、防ぎようがなかった。


「なんなんだこの胸……」


 シオンがまだ希星の胸を指で押している。


 希星は痴漢された女の子みたいに涙を浮かべて耐えていた。


「おっと手が滑った」


 クリスがスープの入った皿を投げた。

 本来なら変態行為をしたシオンに向けて放たれるべきだったのに、それはなぜか希星に向かった飛んできた。


「あつっ!」


 制服をスープで濡らした希星は思わず飛び上がった。


「きらりん、大変、お風呂、お風呂」


 メルクールがいち早くやってきて、希星の手を引いてつれていこうとした。

 希星はメルクールから差し出されたタオルでスープを拭いながら振り返った。

 いろんなことが同時に起きたせいで、シオンも混乱していた。


 スープをぶつけられるなんて最悪だったけれど、この場を切り抜けられる口実ができて助かったのは幸運だった。

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