第11話 最弱で最強はどう見ても最弱じゃない

 希星は悩んでいた。

 女装がバレなかったのはひとまず安心したが、シオンに思いを寄せる生徒が多すぎたし、抜け駆け禁止とあっては手も足も出ない。

 シオンに話し掛けようものなら女の子たちの嫉妬の嵐がやってきそうだった。

 

 屋外授業。

 魔法の実技訓練をするために、希星たちは見晴らしのいい広原にいた。

 まだ日も落ちていないのに空には巨大な月が浮かんでいた。ぼんやりと水色の光を放つ不気味な月を希星はじっと見つめた。


 やはりここは地球ではないのだろうか。


 制服にローブを重ね着した魔女たちが、魔法の杖を持って、等身大の藁人形に向かって呪文を唱えている。


「この調子でいけば、先生と主人公が付き合うのも時間の問題だ」

 ローブを着たすずなが魔法の杖で手のひらをぴしぴし叩きながら言った。


「ええっ、付き合うまでいかなきゃいけないの?」

 

 希星は初めての恋人が男になってしまうのは絶対に嫌だった。


「さげちんだから」

「付き合ってその先までやれってわけじゃないよね……」

「先?」


 すずなが首を傾げる中、近くにいたメルクールがニコニコしながら言う。


「男の子同士のキスね。地球では流行ってるらしいわよ」

「それ、ほんの一部での流行だから……キスまでしなきゃいけないの?」

「そこまでいけば確実にシオンの強運はなくなるけれど……」


 すずなは初恋の相手が同姓とキスすることには不満があるような顔だった。


「競争率高すぎるから、付き合うのも無理だと思うよ」

 

 希星は嘆いた。ライバルはみんな可愛い子ばかりだし、何より本物の女の子だ。敵う気がしなかった。


「大丈夫よ。女装を恥じらっている感じが女子力高くてカワイー」


 強い風が吹き、舞い上がるミニスカを必死で希星が押さえる度、メルクールはたまらないとばかりに体をくねらせていた。


「シオン君、そんなに悪い人じゃないみたいだし、騙し続けるのは気が引けるよ」


 希星がそう言ったとき、さっそくシオンが話し掛けてきた。


「いま、俺の名前言わなかった?」


 シオンはローブを着て魔法の杖を持っている。背が高くて、イケメンなので、魔法使い姿が様になっていた。


「シオン君は男なのに、魔法が使えてすごいなーって噂してたんだよ」


 希星は苦笑いしながら取り繕った。


「買いかぶりさ。魔法が使えると言っても、まともな魔法は使えない。いつもクリスたちに馬鹿にされるばかりで、肩身が狭いんだ」


 シオンは困ったとばかりに両手を広げて首を振った。


「馬鹿にされてるようには見えないけどなあ。シオン君かっこいいからモテるでしょ」


 希星は素の声で喋っていたが、背が低く声変わりもしていない声は、ボーイッシュ美少女キャラとして違和感がなかった。


「お前もクラスの奴らみたいの俺をからかうんだな。勘弁してほしいぜ」


 シオンがフッと笑みを浮かべたとき、凄まじい足音を立てながら、金髪ツインテールを振り回して走ってくる女の子がいた。


「こらー、あんたたち離れなさいよ!」


 クリスが甲高い声で叫びながら、希星とシオンの間に割って入った。


「まだわかってないの? シオンに近づいたらダメだって言ったじゃない」

「僕じゃなくてシオン君から近づいてきたんだけど……」

「ふん、まだ言い訳するのね。この泥棒猫」


 シオンが騒ぎ立てるクリスの手を引いて希星から引き離した。


「やめろ。転校生が怖がってるだろ」

「な、何よ。他の女の子ばかりかばって」


 クリスはシオンを睨み付けて唇を噛んだ。


「よくわからん。言いたいことがあるならはっきり言え」

「もう、あんたのことなんてだいっきらいよ!」


 クリスは怒りながらも目に涙を浮かべていた。


「俺、何か嫌われるようなことしたか?」

「馬鹿ぁぁぁぁぁ!」


 クリスはシオンの頬を一発叩いて、ツインテールを振り回しながら走り去っていった。


「転校生、あいつが迷惑かけてすまない。代わりに謝るよ」


 シオンは叩かれた頬に手を当てながら言った。


「気にしてないから大丈夫だよ」


 クリスがツンツンしているうちは大丈夫そうだが、デレ始めたらシオンは落ちてしまうのではと希星は心配した。

 さすがに彼女ができてしまえば、別の女とは付き合ってくれないだろう。さっさとシオンの運を奪って、希星は女装を一刻も早くやめたかった。


「魔法の練習、次は俺みたいだから行ってくるぜ。困ったことがあったら何でも言ってくれよな」


 優しい言葉を希星に告げて、立ち去ろうとしたとき、シオンは魔法の杖をぽろりと落としてしまった。

 魔法の杖はちょうど希星の足下に落ちた。取ってあげようかなと思ったが、シオンの方が先に屈んで手を伸ばした。

 シオンが頭を上げた瞬間、希星はスカートの中に彼の頭が入ってきたことに驚いた。


「ひゃっ」

「うわ、なんだ、真っ暗だ」


 シオンがスカートの中で暴れるので、希星は気が気ではなかった。


「ちょっと、わざとやってない? うわっ、ばれるばれる!」


 シオンの頭を必死で真下に押さえつけながら、希星はすずなに助けを求める視線を送った。

 いくら希星が可愛くても、異物が股間についているとわかれば、男であることは隠しきれない。


「これが幸運を独占した者特有の症状、ラッキースケベだ」


 と、すずなは真顔で解説し始めた。


「私気付いたわ。A級主人公の中に、王子様は絶対いないって」


 メルクールはケダモノを見る様な目で、シオンを見ていた。


「これがA級? B級なんじゃないの?」


 またの間をまさぐられながらも希星は思わず突っ込んでしまう。


「A級というのは独占している幸運の大きさを指すのだ。B級作品に出てくる主人公という意味ではない。むしろA級になるほど、主人公の性格は下劣になっていく傾向にある」

「すすな、解説はいいから助けてよ! うわっ」


 シオンの首筋がぴとっ、と希星のアソコに当たった。

 気持ち悪すぎて、希星は思わずシオンの顔面を膝で蹴り上げてしまった。


「ぐわっ」

 シオンの悲鳴。


「あっ、ごめん」


 希星はそれを見て、咄嗟に謝った。

 シオンの鼻を押さえる手の指の間から血が漏れていた。

 希星の膝蹴りが鼻に直撃したらしい。


「いってぇ、酷いじゃないか希星。ここまですることないだろ」


 すずなやメルクールはよくやったと囁いてガッツポーズをしていたが、希星の好感度はかなり下がったのは間違いなかった。


「ほんとにごめん。いきなりスカートの中に入ってこられたから……」

「膝蹴りは酷いだろ。他の女の子は恥ずかしがるかビンタぐらいだぞ」

「え? 他の女の子にもしたの?」

「なぜか気付いたら女の子のスカートの中にいることが多い。ちくしょう、いてぇ……」


 シオンは鼻血を押さえながら、魔法の練習へと向かっていった。


「触れることすら難しいA級主人公に血を流させた。さすが先生だ」


 気の毒そうにシオンを見つめる希星の肩に、すずなはそっと手を乗せた。


「いまので僕、嫌われちゃったかもしれないよ?」

「A級主人公の人生は成功の連続だ。けれど、あまりにもうまく行きすぎると人生は盛り上がらない。だからA級主人公の人生にはちょっとした不幸がつきものだ」

「ちょっとした不幸?」

「つまり、先生の膝蹴りは、A級主人公の人生を盛り上げるためのスパイスの一つに過ぎない。気に病む必要などまったくない。むしろもっときついのをお見舞いしてほしい」

「僕はスパイスなんだ……」


 不幸しかない希星の人生は激辛だった。



 シオンが魔法の実技練習を始めていた。

 周りの女子生徒たちは、藁人形を派手に燃やしたり、突風を起こして吹き飛ばしたりしていたが、シオンの魔法の杖からはほんの少し黒い煙が上がるだけだった。

 女子生徒たちの馬鹿にするような笑い声が響いていた。


「ふん、いい気味ね。いくら男で魔法が使えるからって、このメディーナ魔法学園では最弱なのよ。恥を知りなさい」


 さっきシオンに泣かされていたクリスが、ここぞとばかりに吠えていた。

 周囲の嘲笑にも負けずに、懸命に魔法の杖を振っているシオンを見て、希星は自分と似た物を感じ始めていた。


「シオン君って、本当に幸運なのかな。なんだか可愛そうな気がして、共感しちゃうんだけど」

「先生、もう忘れたの。これも奴の最高の人生を引き立てるためのスパイスに過ぎないのだから」


 すずなは腕組みしながら、シオンにガンつけていた。すずなの嫌いなヤクザ風に。


「この学校じゃ一番弱いのに?」

「まあ見ていてほしい。このスパイスは後からガツンと効いてくる」

 

 すずなの予見はすぐに当たった。

 快晴だった空に、不気味な黒い雲がたちこめ始めた。

 日を遮られて薄暗くなった地上に、雷鳴が轟く。

 

 ふいに空から降りてくる無数の人影があった。

 パラシュートなんてないのに、それはゆっくりと舞い降りてくる。

 血に染まったような真っ赤なドレスを着た女性たちだった。背中には悪魔の如き黒い羽があり、露出している肌には禍々しい魔方陣が浮かび上がっていた。


「あれは暗黒魔法使いだ」


 すずなはラックフローを素早くタッチしながら話す。


「あれも魔女なの?」


 嫌な予感というか先の展開が予測できてしまった希星だった。


「悪魔と契約することで使うことのできる禁忌の魔法、暗黒魔法を使う魔女たちだ。その悪い魔女を倒すために作られたのがこのメディーナ魔法学園……らしい」


 すずなはラックフローで検索した文章を棒読みした。

 十人近くいた暗黒魔法使いの全員が、長い爪を天に向けて呪文の詠唱をしている。

 逃げ惑う魔法学園の生徒たちだったが、教職員や一部の生徒は、敵に向かって魔法の杖を向けていた。

 そのうちの一人、金髪ツインテのクリスが杖を向けた。


「ファイアーボルト!」


 いまだ長い呪文詠唱を続けている暗黒魔法使いに、炎の柱が伸びていったが、命中する寸前で魔法障壁に弾かれた。


「そんなっ。魔法障壁も貫けないの?」


 クリスが力量差に愕然としながら言った。

 教職員や他の生徒たちの魔法も、魔法障壁にあっけなく弾かれてしまう。


 詠唱を終えた暗黒魔法使いたちが、長い爪を振り下ろした。

 天空から雨のように稲妻が降り注ぎ、地上は光の渦に飲み込まれた。

 教職員や生徒たちのほとんどが稲妻に体を撃たれ、悲鳴を上げている。


「どうしよう、助けなきゃ」


 希星はすずなとメルクールを振り返った。


「きらりん、もうちょっとこっちこよ? そこ当たるわ」


 ラックフローを操作しながら、メルクールがいつもの明るい顔で手招きする。

 ほぼ全員に雷が降り注ぐ中、命中確率を調整していたすずなたちには雷が擦りもしていなかった。


「ねえ、助けなきゃ」


 希星は訴えた。

 一番偉い天使であるすずなならなんとかしてくれるのではないだろうか。

 しかし、すずなはずっと応援をするだけだった。最初はメディーナ学園の人たちを応援しているのかと思ったが、よく聞くと敵の方を応援していた。


「バカー。範囲魔法なんか撃っている場合じゃない。シオン一人だけに攻撃を集中しろ。奴さえ倒せば貴様ら暗黒魔法使いの勝ちだ。がんばれー」

「何やってるんだよ!」

「もう、あいつらには任せておけない」


 希星の声などまったく聞かず、すずなは太もものホルスターからフォトニックブラスター、通称PB銃を抜いて、引き金を引いた。銃口はシオンへと向いていた。

 コンデンサーの蓄電音とレーザーの発射音が鳴る。

 すずなのレーザーも、暗黒魔法使いの稲妻も、シオンの周囲に発生していた魔法障壁に弾かれた。


「こら、ばれるばれる」


 希星は囁いた。


「あれ、壊れた」

 

 故障を知らせるアラームが鳴り、銃口から煙が出ているそれを見ながら、すずなは眉をひそめた。


「先生、まだ奴の幸運は全然減っていないようだ」

「そう……」


 希星はため息をついた。


「お前ら、もうその辺にしておいてくれないか?」


 シオンが暗黒魔法使いに近づきながら、交渉を始めた。


「助けを請うても無駄だ。我らを異教と罵り、迫害した貴様らを許すことはできぬ」


 暗黒魔法使いが長い爪をシオンに向ける。


「頼むよ。俺に力を使わせないでくれ」

 

 魔法の杖を持つ手の甲にはすでに魔方陣が浮かび上がっており、シオンはもう一方の手でそれを隠していた。


「シオン、あんたみたいな弱い魔法使いに何ができるっていうのよ」


 クリスを含めた他の生徒たちが、シオンやめろ、と口々に叫んでいる。


「この力を使ったら、また嫌われてしまうな……」

 

 シオンがクリスを見ながら憂鬱そうに言った。


「やめて、死んじゃうわよ、シオン。私、本当は、あんたのことが……」


 傷だらけで地面に倒れていたクリスが涙ながらに言った。


 暗黒魔法使いたちが全員呪文の詠唱を始めた。

 その長い爪は、すべてシオンに向けられていた。


「シオン、逃げて!」

 

 生徒たちの声がした。

 誰もがシオンの死を覚悟していた。

 周囲の不安など素知らぬ顔で、シオンはぽつりと呟く。


「いちおうやめろって忠告したんだからな」


 シオンは魔法の杖を暗黒魔法使いに向けた。


「そ、その魔方陣は……」


 暗黒魔法使いたちが呪文の詠唱を止めてしまうほどおののいていた。

 シオンの手の甲にある魔方陣が発光する。


 ――無詠唱無属性最強魔法。


 鼓膜だけでなく内蔵まで振るわせるような低くて重い音が響いた。

 空間に歪みが発生し、暗黒魔法使いたちの姿が一人残らず散り散りになっていく。

 次の瞬間には、暗黒魔法使いの姿は一人もなかった。

 しばらく風の音も息づかいも聞こえない無音の状態が続いた。


「シオン、あんた、本当は強いのに、弱いフリをしていたの?」


 クリスはシオンに駆け寄りながら涙目で言った。

 他の生徒たちも皆驚いている。


「これは学校で使うことがタブーとされている暗黒魔法の一種だ。そんな力で勝っても、強いとは言えないだろ」


 シオンは手の甲の魔方陣を隠しながら、何でもないことのように言う。


「それでも、学校のみんなはあんたに命を救われたのよ。いままで馬鹿にしてごめんなさい。そして、みんなを救ってくれてありがとう」


 クリスはすっかり見直したようにクリスを見て笑った。

 ありがとー、シオン強すぎるよ、かっこよすぎよ、などと生徒たちは賞賛の言葉を口にしながら、シオンに駆け寄っていく。


「みんなが困っていたから助けただけだ。別に普通のことだろ?」


 シオンは誇らしげな表情など一切見せず、自分を囲む美少女たちを見て困ったように頭を掻いていた。


「普通なんて言わないでよ。シオンが凄すぎて、私たちが惨めになるじゃない」


 クリスがシオンの腕にキャバクラ嬢のように絡みつきながら言う。


「そうか? 別に本気出したわけじゃないのに、すごいなんて言われてもなあ……」


 我先にと側に寄ってくる美少女たちを見ながら、シオンはやれやれと呟いていた。



「先生、これがA級主人公だ」


 しおらしく体育座りをしながらシオンたちの大団円を見ていたすずなが言った。

 夕日の赤い光に照らされながら、カラスか何かの寂しげな鳴き声を聞いていたすずなたちは、部活の試合に負けて黄昏れている高校生みたいだった。


「どんな不幸やトラブルも、主人公の人生を盛り上げるスパイスになってしまう。シオンは由緒ある血統の一族で、もちろん大金持ちだ。富、名声、力、どれを見てもパラメーターマックス。サラ様に力が残っていたなら、こんなふざけたパラメーターになるはずがない。A級主人公が独占した運は凄まじい。惑星n3のテントで暮らす難民たちを思い出してほしい。先生も含めて、とんでもなく不幸な人間が大量発生している。宇宙にいる知的生命体のわずか一パーセントが、幸運の九十九パーセントを独占しているのだ。この状態を放っておけば、宇宙が壊れてしまうのは時間の問題だ。先生……どうか心を鬼にして、主人公を騙してほしい」

「まあ、頑張ってみるよ……」


 雨にうたれながら難民たちにパンを配る神様の姿を思い出すと、女装が嫌とも言っていられない希星だった。


「でも……僕の好感度があの女の子たちより上がるとは思えないんだけど……」


 クリスとはもはや勝負にもなっていない気がするし、膝蹴りで鼻血を出させてしまったいま、モブのクラスメイトよりも好感度は低い感じだった。


「宇宙の危機だ。ちゃんと奥の手は用意している。心配しないでほしい」


 言葉は自信に満ちていたが、シオンを体育座りで見つめるすずなの目は哀愁に満ちていた。


「男に媚びる女ってありえなーい。男に媚びないあたしカワイイ」


 笑顔のメルクールはオタサーの姫みたいな台詞で、シオンに群がる女たちを批判していた。

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