第9話 カワイイは作れる

 さっき神様を助けると約束したばかりなのに、希星は逃げ出したくてしかたがなかった。

 優しくて清楚で可憐なあの神様のためなら、火の中にだって飛び込めると思っていた。この世の不幸な人々を救うお手伝いができるなら、いくらでも協力しようと思っていた。しかも自分の不幸が終わり、漫画家として復帰でき、すずなと晴れて恋人どうしになれるのであれば、もうやらない理由はなかった。

 

 だけど希星は絶対にやりたくなかった。

 

 希星は女子寮の一室にいた。地球ではなく、惑星n85にある女子寮だ。

 すずなのラックフローに端正な顔をした男の画像が表示されている。


「今回のターゲットはメディーナ魔法学園に通うシオン・パタル十六歳。この星の最強の魔法使いだそうだ。容姿端麗、頭脳明晰、まあ、A級主人公だから説明するまでもなく何もかもが優秀だ。何をやっても世界で一番になってしまうくらいとてつもない幸運を持っている。事前にうちの若い衆が暗殺を試みたが、スナイパーライフルを構えた時点で突然雷に撃たれて重傷を負った」


「魔法で反撃されたってことかしら?」

 メルクールが質問した。


「ただの自然災害だったらしい。だが、うちの若い衆がシオン・パタルのせいでやられたのは事実だ。天使の体に傷を負わせた以上、シオンを野放しにしておくわけにはいかない。先生も洗礼を受けたのだから天使の一員だ。兄弟の敵、とってくれるでしょ」

「だから、それ、すずなの嫌いなヤクザの価値観でしょ! 全然知らない人なのに兄弟なわけがないよ」

「先生、ヤクザって言葉もう一回使ったら、絶交するから」

「わかったよもう……でも、僕は地球に帰りたい。こんなことするなんて聞いてなかったもん」


 希星は全力で拒否した。


「我々が転校生に扮して潜入するメディーナ魔法学園は女子校だ。魔法が使えるのは魔女だけなので、本来は男が入学することはないらしいのだけれど、シオンは特別な才能があって唯一男で入学を許されたらしい。まあ、A級主人公にはよくあることだ」

「だから! なんで僕が!」


 希星、すずな、メルクールはメディーナ魔法学園の女子寮の一室にいた。

 部屋の中には、ファッションショーの更衣室の如く、大量の服や化粧品の類が並べられていた。


「きらりん、ちょっと女子力注入するだけじゃない」


 メルクールが楽しそうにニコニコしながら言う。これから人形遊びができるとばかりに。

 すずなたちがなかなか言いたがらなかった、希星が持っている特別な才能。

 それを聞いた途端に、希星は全部投げ出して地球での不幸な暮らしに戻りたくなった。


「だからっ、なんで僕が女装しなきゃいけないんだよ!」

「主人公は大体男だから。しかも、主人公たちは女にモテることに慣れているから、簡単にハニートラップに引っかかる……はずだ」


 すずなは腕組みしながら淡々と話す。


「だったらすずなやメルクールの方が可愛いんだから、自分たちでやればいいだろ」

「私が近づいてもさげちんの力がなければ何も成功しない。それに私は小学生だ。恋の駆け引きなんて知らない」


 すずなは自慢げに言った。


「僕だって恋の駆け引きなんか知らないよ! それに男と恋なんてできるかっ!」


 希星はなんとしてでも女装を拒否したかった。男と恋なんてしたら、それこそ月園の描く同人誌の恰好のネタになってしまう。


「私も主人公とは付き合えないわ。だって、運命の恋は一度きりしかないんだもの。この胸のトキメキは王子様だけのものよ」


 メルクールはまだ見ぬ王子様の顔を妄想しながら、頬を赤らめていた。


「僕だって、女装経験があるなんてばれたら、生きていけないよ……」


 まさか女装をしなければならないとは、災難に慣れている希星でも予想だにしていなかった。


「地球では、男のほうが男にモテるって聞いたわよ。たしか、ネットゲームの用語で、おかま……みたいな……」


 メルクールはなぜかサブカル的な知識に強い。オリ姫とかオタサーの姫とか。


「ああ、ネカマだね。ネットのオカマ。ネトゲで男が女キャラを使って、女を演じると、本物の女よりモテるって奴」

「そうそう、それそれ」

「確かに一理あるけど、リアルの男の女装なんてキモいだけで、絶対にモテないから。てゆうか男だってすぐバレちゃうよ」

「先生、不幸な人生を変えたいのだったら、多少の無茶でもしないと変わらないのではない?」


 すずなは希星に似合いそうな服はどれかなと早くも衣装を物色していた。


「だいたい女装なんて無茶を通り越して無謀でしょ!」

「では先生、この部屋から出なくていいから、やるだけやってみてほしい。女装」


 すずなが自信ありげな顔で言うので、希星は嫌な予感がした。


「…………」


「気持ち悪かったら、先生に二度と女装はさせないと誓う」


 勝ちを確信したように見えるすずなの顔が、若頭の貫禄のせいであって欲しいと希星は願った。


「わかったよ……神様には頑張るって約束しちゃったし、一応やるだけやってみる。

すずなとメルクールがもし笑ったりなんかしたら、もう二度とやらないからね」


 メルクールがわーいと喜びながらすずなにウインクし、すずなは口元を緩めながら静かに頷いた。




「それでは、女子力注入しまーす。まずは、メイクっ」


 ドレッサーの前に座る希星の後ろで、メルクールがビューラーを片手に鏡の前でドヤ顔した。


「…………」


 希星は死体のようにされるがまま動かなかった。


「ナチュラルメイクでボーイッシュに攻めたほうがいいわよね?」

「うん、楽しみ」


 すずなはメルクールのすぐ後ろで、希星が変身していく姿をじろじろ見ていた。


「きらりんは元々睫濃くて長いからカールだけで、マスカラはいらないわね。ちょっとだけアイライン引きまーす」


 希星は瞼に何か塗られたり、眉を整えられたり、唇がツヤツヤするジェルを塗られたり、髪を少し切られてスプレーをシューシューされた。


「きらりんって、自分が可愛いの自覚してるから男のくせに髪を伸ばしてたのよね」

「んなわけないだろ! お金がないから床屋に行けないの!」

「ほんとかしら」


 髪と顔のメイクが完了した時点で希星は新しい何かを発見してしまった気がしたが、なるべく鏡は見ないで、服が置いてある場所に移動した。


「次は、ショーツとブラっ」


 色とりどりの下着がハンガーに掛けられて大量にディスプレイされている。普段は避けて通っていたデパートの下着売り場が、希星の目の前にやってきた感じだった。


「いや、いや、下着は別に見えないし、トランクスでいいでしょ」


 希星は抗った。


「女子力は細部に宿るのよ。えーっと、薄い水色で行こう」


 メルクールは小さなショーツを希星に差し出した。少女が少年に女性物の下着を差し出しているという変態的な構図だった。

 希星は屍のような顔でそれを受け取った。


「あのぉ、着替えるから、みんな部屋の外に出てくれないかな」


 希星は制服のベルトを緩めながら言った。


「まだ転校も終えていないのに女子寮で目立つといけない。外に出るのは無理だ」


 すずなは興味深そうに女装途中の希星を見ていた。


「ええー、恥ずかしいよ」

「男だったら男らしく堂々と女装してほしい」

「男らしい人はそもそも女装なんてしないよっ!」


 希星はトホホとため息をつきながら、部屋の奥まで行って陳列されていた衣装の影に隠れた。

 希星がスラックスを脱いで、トランクスを膝まで下ろしたとき、すずなが衣装の隙間からこっそりと盗み見ていた。


「こらっ! あっち向いててよ!」

「ご、ごめんなさい……」


 すずなは気付かれた瞬間に慌てふためいて、希星とは反対側へと歩いていく。性に興味を持ちだしたばかりの小学生はやっかいだった。

 水色のショーツを履き終えた希星は、生まれたての雛みたいによちよちとメルクールの前に歩いていった。


「締め付け感強いけどあまり食い込まないでしょ? 後ろは少し透ける生地なんだけど、前は裏打ちしてるから透けなくて安心。次は、ブラ」


 メルクールは希星の腕に、ブラのストラップを通してホックを締めた。胸板とブラの間にパットを挟み込み、それからストラップのアジャスターを締め付ける。


「まな板よりも貧乳のほうが雰囲気でるからパットありで。前のホックは壊れやすいから気をつけてね。外すときは、左右の金具を上下にずらすようにするのよ」

「へー」


 女の子のブラの外し方が単純に面白くて、希星は真面目に聞いてしまった。


「じゃあ、制服、の前にタンクトップ着てくれるからしら」

「そのまま制服着るんじゃないの?」

「水に濡れてブラが透けたり、万歳したときにおへそが見えたりするのは、女子力の低い着こなしよ」

「そうなんだ……」


 希星はブラの上にタンクトップを着た。

 それからプリーツスカートを履いた。


「ミニにするからスカートベルトを使うわ」


 希星が赤面しているのも構わず、メルクールはスカートをズリ上げてベルトで締め付け、余った分を折り返した。


「み、短すぎない?」

「これくらいしないと可愛くないわ。次は上着。生地が硬めだからそのままだと着にくいわ。そういうときは、サイドにあるファスナーを開けるの」


 希星は上着に袖を通してからファスナーを閉めた。タイトな上着がパットで膨らんだ胸元とくびれた腰を強調して、女の子らしいボディラインを作っていた。

 メルクールはセーラーカラーを持ち上げて、希星の首に赤いスカーフを巻いた。


「うまく結べるとすごく可愛くなるのよね」


 メルクールは希星の胸元でスカーフをきゅっと結んだ。


「次は足下ね。紺のハイソもいいけど、この学校ではルーズソックス履く人もいるから、そっちでいくわ」


 生地を伸ばすため、メルクールはソックスを何度も引っ張った。

 それから希星はルーズソックスに足を通し、弛ませてからソックタッチで固定した。


「ボーイッシュってことで、靴はローファーじゃなくてかっこ可愛いスニーカー」


 黒を基調にピンクのアクセントが入ったハイテクスニーカーに、希星はルーズソックスを履いた足を滑り込ませた。


「ちなみにその靴、すずな姐さんがいつも学校で履いてる物らしいわ」

「えっ! 新品じゃないの?」

「ちょうどいい靴が調達できなくて、急遽すずな姐さんに用意してもらったわ」


 すずなは希星の足下を見て、熱があるような目をしながら頬を赤らめる。


「好きな人に自分の靴を履かれるの、なんだかドキドキする……」

「返そうか?」


 すでにすずなの靴に足を通してしまっていたので遅いような気もした。


「いい、すごく似合ってる」

「じゃあ、借りるね」


 幸か不幸かサイズもぴったりで履き心地がよかった。

 女装したうえに好きな女の子の靴を履くなんて、最悪の変態なのではないかと希星は不安だった。

 靴紐を結んで、つま先で床を叩きながら、顔を上げた希星は、鏡に映った自分の全身を初めて目にした。


「あっ……」


 漫画ばかり描いていたから肌は白いしすべすべだった。

 貧乏だったからやせて腰にくびれができていたし、手足はほっそりしている。

 男にしては目がぱっちりしすぎて睫が長かったが、女の子としてみると完璧だった。

 いつもはぼさぼさだった髪は、かっこ可愛くセットされている。

 

 メルクールが施した薄化粧と制服の着こなしは、まさに魔法だった。

 素でもたまに女の子に間違えられることのある希星が魔法に掛かれば、どうなるかは目に見えていた。

 おまけに低い低いと嘆いていた百六十一センチの身長が、いまは可愛らしさを加速させる要素になってしまっている。


「いま、自分のこと可愛いって思ったでしょ?」


 メルクールが意地悪くニヤリとした。


「あーもう、どう反応すればいいんだよ」


 希星は自分がもしも男だったら自分に惚れていたかもしれないと、わけのわからないことを考えてしまった。まだ男であるはずなのに、女の気分になるというのはどういうことだろう。

 ナルシズムが二周も三周もして、頭がおかしくなりそうだ。

 希星は見事なボーイッシュ美少女に変身していた。


「先生、性別が逆だったら、幸せになっていたかもしれないね」


 賭に勝って喜ぶべきだったはずなのに、すずなの目は憐れみに満ちていた。


「名前もキララだから、そのままで行けるしね」


 希星は自虐しながらため息をついた。

 チラリと目線を上げて、もう一度自分の姿を鏡で見た。

 上目遣いをしてみたり、舌を出していたずらっぽく振る舞ってみたり、くるりと回って振り向きながら後ろ姿を見てみたりする。ルーズソックスとミニスカートの間にある白い脚裏がいやらしかった。


「いったい何をやっているんだ……僕は……」


 希星は頬を赤くして俯いた。


「きゃっ、女子力と男子力の織りなすハーモニー、たまりませんわ。主人公を地獄に――じゃなくて、恋に突き落とす準備、完了したわよ。姐さんさん」


 メルクールは体をくねくねさせながらはしゃいでいる。


「よくやった。先生、主人公に接近して恋に突き落として」


 すずなは腕組みして真顔で言った。


「突き落とせって……まあ、男が男に惚れるなんて、地獄だよね。僕は、そのシオンって人を騙さなきゃいけないの? 女のフリして?」

「そのままのきらりんでいいわ。一人称も僕のままで」


 希星はメルクールに反論した。


「そのままはやばいだろ。男だってバレたら、僕、殺されちゃうよ」


 女子校に女装で侵入なんて、バレたらむしろ殺してほしかった。


「絶対にバレないわ。なぜならきらりんは完璧なボクっ子になってるから」

「うん、問題ない」


 メルクールとすずなは希星に見とれながら言った。

 

 希星はもう一度鏡の中の自分を見た。

 可愛かったのでため息をついた。

 男にモテてもまったく嬉しくなかった。

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